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君がここにいるうちに  作者: ましの
朝にとける、ゆき
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出会いは唐突に

 師匠との出会いは、一週間前に何の前触れもなくやってきた。

 出会いというものは大抵前触れなどないものなのだろうが、わたしにとってそれは劇的なものだった。


 その日、わたしは学校帰りの制服のまま駅前の広場を突っ切り、交通量の多い交差点へ突入しようとしていた。バイトの面接に遅刻しそうで急いでいたのだ。

 待ち時間の長い横断歩道の信号がちょうど青に変わろうとしていた。

「よっし! ジャストタイミング!」

 走るスピードを落とすことなく横断歩道に突っ込んでいく。

 信号待ちをしていている他の歩行者はまだ歩き出してもいない。当然だ。信号はまだ青に変わったわけじゃなかった。

 そこでほんの数秒。待っていればいいものを、わたしは勢い余って横断歩道に突っ込んでいた。左右の自動車が止まっているから大丈夫だとタカをくくっていたのだ。

 しかし、横断歩道の中央にさしかかった頃、突然激しいクラクションが鳴り響いた。

 当然、自分に向かって鳴らされているなどとは思いもしない。

 横目でチラリと車道を見ると、白い乗用車が猛スピードでこちらに突っ込んでくる。

 あ、信号無視。

 なんて思ったと同時に一気に血の気が引く。

 パニックになった脳が体に一時停止の命令を出そうとしている。けれどスピードに乗って走る足は止まろうとはしなかった。

 不幸中の幸い。

 自動車はわたしの足に軽く車体を擦り付けて走り去っていった。「軽く」なんていってもその衝撃はかなりのものだ。

 バンッ! という音と一緒にわたしは二メートルほど弾き飛ばされた。

 混乱した脳はうまく状況を把握できないでいる。横断歩道の上で横たわるわたしを見て周囲がにわかに騒ぎ始める。

 呆然とするわたしの頭上で、唐突に老人の声が聞こえた。

「お嬢さん。そんなに急いでどこに行きたいんだ? まさかあの世とは言わないだろうな」

 それが師匠、大庭与一郎おおばよいちろうだった。


 老人はわたしの怪我の状況を確認して言った。

「警察に連絡はするかい?」

 その言葉に思わず首を横に振る。

 膝を擦りむいて左足首がわずかに痛むだけだ。たいした事はない。

 その上、頭の中にはバイトの面接のことしかなかった。大事にされたら間に合わなくなってしまう。

「たいしたことないので大丈夫です」

 自分でも驚くほどケロリとした声が出た。その返答に老人は少し考え込んだが「そうか」とうなずくと助け起こしてくれる。そのまま彼は騒然とし始める周囲を速やかに落ち着かせた。事故現場だった横断歩道が一瞬にして日常を取り戻す。その見事な手際を呆気に取られて見つめる。

 って! それどころじゃない。バイトの面接に遅れる!

「ありがとうございます。用事があるのでこれで失礼します」

 慌てて離れようとするわたしの腕を老人が強く掴んだ。あまりの力強さに驚いて振り返る。

「そんな怪我でうろつくのはよくない。せめて傷の手当をしたらどうだ」

「だ、大丈夫です。それに急いでいるので」

 強い言動に動揺する。

「何を急いでいるんだ。それじゃあまた事故に遭うぞ」

 鋭い眼差しでギロリと睨みつけられる。事情を話さなければ離してくれそうにない。わたしは言い訳をするように早口に言った。

「バイトの面接があって急いでいるんです。もういいですか?」

「そんなに大事か?」

「え?」

「金を稼ぐのがそんなに大事なのか」

 声を荒げているわけでもないのに、その声はビリビリと頭の中に響く。特別身長が高いというわけでもないのに、その老人には向き合うものを萎縮させるような独特の威圧感があった。

「生活するためにどうしてもお金が必要なんです」

 答えると、老人は品定めをするようにわたしを見た。数秒して、彼はうなずく。

「そうだな、悪くない」

「え?」

 聞き返すわたしを無視して、老人は掴んだままだった腕を引っ張った。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 慌てて腕を引き返すと、彼は怪訝そうにわたしを振り返る。

「その傷を手当したほうがいい。血が垂れているぞ」

 言われるがまま膝を見る。確かに、擦り傷から血が流れてハイソックスに染みを作っている。

「そうじゃなくて! わたし急いでるんです!」

「その必要はない」

「はい? 必要あります。何言ってるんですか!」

 ぐいぐいと腕を引かれるのを止めようとするも、ぶつけた左足が今になってズキズキと痛み出して踏ん張りがきかない。

「待ってください! ちょっと!」

 声を荒げるわたしに老人は振り返る。

「そんなに働きたいなら俺の仕事を手伝ってくれ。ちょうど人手がほしかったところなんだ」


 痛む足を引きずりながら連れて行かれたのは、県の合同庁舎の一角。

 なんでこんなところに?

 これから何が起きるのかとびくびくとしながら老人の後ろをついていく。エレベーターで三階に上がり廊下の突き当りまできて、彼はようやくわたしを振り返った。

「ここだ」

 それだけ言うとドアを開ける。チラリと見えたドアのプレートには『特別健康福祉課』と書かれている。

 なんで?

 疑問符が浮かんだけれど、それは一瞬で消え去った。

「加藤さん、悪いがこの子の怪我を見てやってくれないか?」

「こんにちは、大庭さん。こんな時間に珍しいですね」

 部屋の中から聞こえたのは弾むようなアルト。こじんまりとした部屋の中央には簡素な応接セット。壁際にはデスクトップパソコンが一台。そのパソコンの前に恐ろしく目鼻立ちのはっきりとした宝塚のトップスターのような顔つきの女性が座っていた。思わず見惚れる。彼女はわたしの存在に気づくと、輝くような笑顔を向けて小さく会釈をした。

「かわいらしいお嬢さんですね。大庭さんのガールフレンドですか?」

 冗談めかして言う彼女に、老人は心外だといわんばかりのしかめっ面を見せる。

「戯言はあとだ。この子の怪我を見てやってくれ」

 そこでわたしはようやく我に返った。

「いえ! あの……、わたしは大丈夫なので!」

 ここまで連れてこられてもなお断ろうとするわたしを老人は一瞥する。

「新人を連れてきた。手続きを頼みたい」

「待ってください、面接が……」

 弱気なわたしに、老人が止めを刺す。

「そんな落ちるともわからんバイトより、こっちの方がはるかに確実だ。加藤さん、俺の気が変わる前にさっさと手続きをしてくれ」

「でも……」

 老人の言葉に表情を曇らせる彼女に、更に言い募る。

「俺が良いといっているんだ。それとも俺の目を疑っているのか? 前回は散々だったからな、そうだろう?」

「そんなけんか腰にならないでください。確かに前回は残念でしたが、目を疑うだなんてとんでもない。素質を見抜く目は、大庭さん以外には適正を持った方がいないんですから」

 二人のやり取りを見ていたわたしは、おずおずと声を上げた。

「あ、あの……」

 すると女性はわたしを安心させるようににっこりと微笑み、名刺を差し出した。

「はじめまして。私は特別健康福祉課終生管理係の加藤千恵かとうちえです。あなたのお名前は?」

「お、尾上真理おのえまりです」

 名刺を受け取りながら、ドギマギと答える。

「心配しなくても大丈夫よ。ここは厚生労働省の管轄だから。あなたを騙そうだなんてつもりはこれっぽっちもないわ」

「こ、厚生労働省?!」

 一体どうしてそんな国家機関にわたしが連れて来られるのか……。

「あなたはこの大庭与一郎さんに見込まれて特別終生管理士とくべつしゅうせいかんりしの見習いとしてここで働く資格を得ました。準国家公務員という立場を与えられますが、よろしいですか?」

 唐突な言葉に思わず素っ頓狂な声を上げる。

「国家公務員?! わたし、高校生ですけど?!」

「特別終生管理士については現役の有資格者が見込んだ特定の人物にしか資格を与えることが出来ないの。いずれ試験は受けてもらうようになるけれどね。日本国籍を持つ十六歳以上の人物には特別終生管理士になる資格があるわ。高校生であればなんの問題も無いの」

 言われるがまま差し出した学生証を見ながら加藤さんは言った。

「急にそんな……。え? しゅうせいかんりしってなんですか?」

「大場さんから何も聞いていないの?」

「はい。なにも」

 戸惑いながらうなずくわたしに、加藤さんはため息を漏らす。

「職務内容については有資格者から直接説明を受けなければならないの」

 わたしは「はあ」と曖昧にうなずくだけだ。

「私が教えられるのは、お給料の良さと通名くらいかしらね」

 そういうと彼女はにっこりと笑った。

フィクションです。実在の団体とは関係ありません。

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