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君がここにいるうちに  作者: ましの
君がいた永遠
36/40

決意

 わたしは師匠の家の前にたたずんでいた。裂くように冷たい風が路地を吹き抜けていく。かじかんだ指先に感覚は無かった。

 唐突に玄関戸が引かれる。

 わたしの気配を感じ取ったかのように師匠が顔を出す。

「いたのか」

 制服のままのわたしをみて、師匠は驚いた風もなく言った。家の中からこぼれだした明かりが闇と光の境界線を際立たせている。

「外は寒い。中に入れ」

 そう言って背を向ける師匠にわたしは言う。

「お願いがあります」

 師匠がゆっくりと振り返る。

「なんだ」

「わたしに、やらせてください」

 声が闇に吸い込まれる。その向こうで師匠が静かにたたずんでいた。

「……巧のことか。好いているんだな」

 ため息交じりに呟く声が聞こえた。玄関戸を開けたまま師匠がゆっくりと軒先に腰を下ろす。

「俺たちに出来ることはいくらも無い。それを分かっているのか?」

「分かってます。でもわたしには巧さんのためにしたいことが山ほどあるんです」

「それは死神としての領分を超えている。言っただろう。そんなことをしても辛くなるだけだ」

「それでもやりたいんです。わたしが、わたしとして出来ることを」

 しばらくの間考え込むように押し黙っていた師匠が静かな口調で言い放った。

「死神を辞めたいということか?」

 もう心を決めているかのような言い方だった。けれどわたしは首を振る。

「違います。受け入れたいんです。彼も。彼の死も。自分が死神であるということも。それと、何者でもない一人の人間としての自分自身も。だからこそ後悔はしたくないんです。避けられないことが分かっているなら、尚更。師匠だってそうだったんでしょう?」

 師匠は考え込むようにわずかに頭を垂れた。明かりに背を向けているせいで表情は見て取れない。ふと、なにかを思い出すように組んでいた手が解けてセーターを着た腕をさすった。

「そうだな……」

 絞り出された声の苦しさに、乾ききっていない傷が痛む。

「辛いだけだぞ」

「分かっています」

「それでも向かい合いたいと?」

「はい。ここで逃げたら絶対に後悔するから」

「後悔しないことの方が、難しい」

「そうかもしれません。それでも決めたんです。残された時間がどれだけあるのか分かりませんが、そのときが来るまで巧さんの側にいたい。運命があの人を連れて行くそのときまで」

 その言葉を吟味するように師匠は暗闇を見つめている。

「決意は固い、か」

 しばらくして静かに言った。

「逃げ出しても致し方ないと思っていた」

「師匠が出来たら、わたしにも出来るはずです」

 それを聞いて師匠は小さく笑った。

「ずいぶんと見くびられたものだな」

「死が歩いた道を弟子も歩かないといけないでしょう?」

 わたしは少しだけ笑みを作ってみせる。

「だから、全てが終わるまでわたしのことを見守っていてくれませんか?」

「見守る?」

「はい。一人で受け止めたいんです。運命はもう変えられないかもしれなけれど、それを感じるわたしの心だけは自由ですから。師匠が変えられるかもしれないと言ったものを、変えてみたいんです」

「答えを、見つけたか」

 そう言うと師匠は黙ってうなずいた。

「早く帰れ、風邪をひくぞ」

 おもむろに立ち上がって家の中に戻ろうとする背中に向かって聞いた。

「ひとつ、聞きたいことがあるんです」

「なんだ?」ゆっくりと振り返る。

「わたしが師匠に出会ったのも運命ですか?」

「なぜそんなことを聞く?」

「もしもそうなら、わたしがここにいることに意味があるから。ひとりぼっちで生きてきたことにも、ちゃんと意味があることになるから」

「運命を恨んでいるか?」

「恨みました、たくさん。でも、これからは恨みたくない」

「だが、自分の運命を全て受け入れるわけではい」

 師匠が続けるように言った。全てお見通しのようだった。ただ受け入れるにはあまりにも辛いことばかりだから。

「意味が欲しいんです。ただ過ぎ去っていくだけなのは嫌だから。そこにちゃんと意味があるなら、わたしはこの運命を受け入れられる。それを決めるのはわたしの心ですよね」

 大きなため息が聞こえた。こぼれる明かりの中に白い息が立ち上がるのが見えた。

「そうだな。運命はいつも向こうからやってくる。だがそれをどう捉えるかは、自由だ」

 その言葉に、わたしは小さくうなずいた。


 人が忙しなく行きかう朝の駅前広場で、ふわりと立ちのぼる白い息を見上げた。寒冷前線が下りてきているために今朝はこの冬一番の寒さだ。

 けれど、今はそんなことはどうでも良かった。

 わたしはただ待っているだけなのだ。運命が引き合わせた人を。

 更地になった時計台の跡地に立って、じっと駅舎を見つめた。きっと彼はここを通るはず。人波の中に彼の姿がないか探す。

 はたと、立ち止まる人影に気付いて視線を向けた。

 自然と大きくなる鼓動。でも、もう揺るがない。

 巧さんはわたしをみて苦い表情を浮かべていた。

「おはようございます」

 駆け寄ると、「おはよう」と苦笑する。

「昨日はすみませんでした」

「いや……、俺の方こそ、ごめん」

 謝る彼にわたしは首を振る。

「巧さんはなにもなにも悪くありません。嬉しかったんです、すごく。なのに逃げてしまって本当にごめんなさい。わたし、自分の心を見失っていました。なによりも大切なことなのに。だから今日はそれを伝えたくて来ました」

 大きく息を吸い込む。巧さんの目を真っ直ぐに見つめる。

「大好きです。あなたのことが大好きです。たとえ失うことになっても、傷つくことになっても、その痛みさえわたしにとって大切なものです。だから、残された時間をわたしにください」

 きっと、師匠もこんな風に寿子さんと向き合っていたに違いない。

「どれだけ残酷なことを言っているのか、自分で分かってる? 傷つくのは真理ちゃんだよ」

「わかってます。でも勘違いしないでください。傷つくのはわたしだけじゃありません。巧さんだって同じくらい苦しい思いをするんです。だから、今まで一人で苦しんできた分をわたしに分けてください。そのときが来るまで一緒にいたいんです。どんな未来が待っていてもあなたの側にいたい。大切な今を失いたくない」

 バクバクと鼓動がうるさい。その理由を分かっているからこそ、今はただ巧さんと一緒にいたくて仕方がなかった。

「後悔しても知らないよ」

「しません!」ぶっきらぼうに呟かれた言葉に異を唱えようとしたけれど、それは声にはならなかった。

 彼はわたしの腕を引き寄せて瞬く間に抱きしめられていた。あたたかな吐息が耳元にかかって思わず体が震える。

「こうなったら、もう後戻りできないことくらいは分かってるよね?」

 挑むように囁く声が鼓膜を震わせる。

「望むところです」

 そう言うと、巧さんが幸せそうな声を上げて笑った。


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