残酷な宣告
「最近は特別書くことがないな」
すっかり日課になっている記録ノートをパラパラとめくった。寿子さんが亡くなったことを簡潔に伝える一文の後は、学校での出来事ばかりだった。師匠が死神としての活動を控えているので仕方がないといえば仕方がないのだけれど。これから何か大きなことが起こる予感だけが募って仕方がない。嵐の前の静けさというものだろうか。
ふと、巧さんが一瞬見せた表情が気になった。どうしてあんなにこわばった顔をしていたんだろう。
あのときに生まれた違和感が不吉な予感に変わっていくような気がしたので、慌てて頭を振ってそんな考えを追い出した。
「ギリギリセーフ!」
頭を抱える由香に不適な笑みを浮かべて言い放った。それを聞いた由香は盛大に舌打ちするとギロリと睨みつけてくる。
「この裏切り者!」
予告一切なしで行われた数学の小テストが返ってきたのだ。期末テストに向けた対策ということで、平均点以下の生徒は今週いっぱい放課後に補習と土曜日の特別授業という迷惑な特典がついてくる。担任が数学教師だから出来る荒業だろう。わたしは巧さんのおかげで何とかギリギリのところをかわした。公式という呪文が彼の声で唱えられた途端に心地よい数列に置き換わって頭の中に残っていたのだ。
残念ながら隣で毒づいている由香はドストライクでワナにはまってしまったらしい。わたしに向けて呪いの言葉を吐きながら「デートの予定が!」と嘆いている。特別授業を受けて期末テストの点が上がるなら悪いことじゃないけれど、こうやって八つ当たりされる方はたまったもんじゃない。
「真理のばあか!」
由香の叫び声が連絡通路内に響いて、通行人がギョッとしてこちらを振り返る。こういう周りの状況を考えないところが逆に清々しい。
「八つ当たりしてもいいけど、もうちょっと静かにやってよ」
「じゃあ殴っていい? グーで」
そういって拳を振り上げる由香の腕を慌てて押さえた。
「もうちょっと穏やかなやつはないの?」
「ありません」
学校内ならまだしも、駅の連絡通路で取っ組み合う女子高生ってどうなの?
と思いながらも、今にも振り下ろされそうな拳を必死で止める。
「ほら、電車行っちゃうよ」
そういうと、ぱたりと由香が腕を下ろす。
「そだね」
「どうしたの? 今日はやけに聞き分けがいいじゃない」と言おうとして止めた。すねに靴先がヒットしたのだ。
「いったあ!」
見るとハイソックスに靴跡がついている。やってくれるじゃないか。
「ほら、電車行っちゃうよ?」
全く同じ台詞をケロリと吐き出す由香を睨みつけて、ジンジンと痛む足で地面を蹴る。言い合いをしながら改札を抜けようとしてわたしの足が止まった。師匠がそこに立っていた。何かを待つようにじっと。
「どうしたの?」
立ち止まったわたしを改札の向こうから由香が不思議そうに振り返っている。師匠はわたしに気づくとおもむろに近づいてきた。
「誰?」由香が不審そうに呟く。
「知り合い」と言おうとして声がすくんだ。目の前に立つ師匠に威圧感を覚えて足が震えている。それと同時に言いようのない恐怖心が体を支配した。後ずさろうとするわたしに師匠はゆっくりと言い放った。
「お前、気付いていないのか?」
勢いに任せて部屋のドアを閉めると、そこへもたれかかって大きく肩で息をした。肺が千切れそうなほどにヒリヒリと痛む。
「違う」
荒い息と一緒に部屋の中にその言葉を投げつける。耳の中で鼓動がうるさく鳴り響いているのは、長い距離を走ってきたせいだ。きっとそうに決まっている。だからこんなにも足が震えているんだろう。
握り締めた拳を力任せにドアに叩きつける。
「そんなこと、絶対にない!」
絞り出した声が壁に当たって跳ね返ってくる。それを否定するように必死で首を振った。それなのに、否定するほど拒否するほど、確信めいたものが心を蝕んでいった。絡み合っていた糸が解けていくような感覚を覚える。
なにこれ。なんなの、これ。
うるさく鳴る鼓動は収まる気配もなく、それを追い出すように何度も頭を叩いた。けれど、そんなことをいくら繰り返しても事実は変えられなかった。わたしはその場にへたり込むと頭を抱えた。
誰か、嘘だと言って。お願いだから。
師匠の声が頭の中で鼓動と一緒になって響いている。
『巧はもうじき死ぬ』
「違う。違う。違う。そんなの嘘だ」
必死に師匠の言葉を追い出そうとするけれど、いくら逃げようとしてもそれは追いかけてきてわたしを蝕んでいく。
「そんなこと絶対にない……。巧さんが死ぬなんて、絶対に嘘だ」
震える声が余韻を残して空しく響く。
わたしはすでに運命に絡めとられていた。