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君がここにいるうちに  作者: ましの
糸が紡ぐ想い
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毛糸の花畑

 あれから数日、師匠からの連絡は相変わらず無かった。

 だからわたしはひたすら毛糸を編み続けた。昼も夜も、ずっと。授業なんてほとんど上の空だ。

 睡眠不足の頭はズキズキと痛むのに、指だけは異常なくらいに動き続けた。そうやって気付いたときには、鞄いっぱいになるくらいのコースターが出来上がっていた。

 お昼ご飯を無理矢理口に詰め込んで机の中に隠していた毛糸を取りだしたとき、久しぶりに『運命』が聞こえた。

 イントロを繰り返すスマホを見つめていると、由香が「出ないの?」と聞いてくる。

 意を決して通話をスクロールした。

「はい」

 騒がしいノイズのあとに、はっきりと通る声が聞こえた。

『遅くなってすまない。寿子が亡くなった。十三時に出棺だ。もし来られるなら、最後に顔を見てやってくれ』

 返事を待たずに、師匠は一方的に通話を切った。

 スマホを耳に当てたまま教室の時計を見る。

 時刻は十二時十五分。

 考えている時間はなかった。

 わたしは弾かれたように机の横にかけた鞄を取り上げると、荷物を詰め込んだ。

「どうしたの、真理?」

 不思議そうな顔で早苗が聞く。

「帰る」

「え、授業は?」

 今度は幸。

「病欠!」

 わたしは鞄を抱えて教室を飛び出した。


 荒い息を押さえて大庭の家に飛び込んだ。

 喪服を着た大人たちが小さくどよめきながらじろじろとわたしにぶしつけな視線を投げてくる。けれど、そんなことに構っている暇はなかった。

 もう時間がない。

 開け放たれたふすまの向こうにいる師匠と目が合った。すぐそばには今にでも運び出そうとされる棺があった。

 それを見て叫んだ。

「待って!」

 その声は大人たちの話し声を突き破って、家中に響き渡った。

「なんだね、君は」

 見覚えのある男性が制止するように腕を掴む。それを振り払って、わたしは棺の傍らに膝をついた。

「いいんだ、この子は」

 師匠がぴしゃりと言い放つ。

「棺を開けてやってくれ」

 男性が師匠の声に渋々といったように、閉じられていた蓋を開けた。

「きれいな顔をしているだろう」

 棺の中を覗き込んで、師匠が柔らかく微笑んだ。それにわたしはうなずく。まるで眠っているようなきれいな顔だった。かすかに微笑むその頬に手を伸ばす。触れた指先はひんやりと冷たかった。

「中に、入れても良いですか?」

 鞄から取りだしたコースターを見て、師匠が「ああ」とうなずく。それを待って、わたしは鞄の中を引っかき回した。

 白菊と白百合で埋め尽くされた棺の中に、色とりどりの毛糸のコースターが並んでいく。まるで、色鮮やかな花畑のようだった。

「まあ、きれいねえ」

 近くで成り行きを見守っていたおばあさんが感嘆の声を上げる。

 師匠が黙ってその中のいくつかを取り上げた。そのひとつを祭壇に置かれた寿子さんの湯飲みの下に置く。残ったひとつをわたしの手に押しつけた。

「約束、守ってくれてありがとな。これはお前の分だ」

 それを受け取って、わたしは泣いた。

「はい」

 震える声で小さくうなずく。

「寿子さん、ありがとうございます。わたし、少しだけ分かったような気がします」

 大切な人の死を受け止めること以上に辛いことはないだろう。

 張り裂けそうな胸の痛みと次から次へとこぼれ落ちる涙を止める術を、わたしはまだ知らない。


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