死神の仕事
冬休みが終わって数日。休み明けの学力テストが終わるまでは来るなと師匠に言われていたが、連絡が一切ないのは珍しい。かれこれ一週間は連絡を取っていない。こんなことは初めてのことだった。
編み物の腕が上達したことを早く報告したくて、すっかり日が暮れて暗くなった住宅街の路地を師匠の家に向かって足早に歩く。スカートから出た足が冷たい風にさらされて真っ赤だ。
ああ、早く温かいコタツに潜り込みたい。
そう思うと足は自然と速くなる。
しかし、辿り着いた大庭家は夜の闇に飲まれるように、暗く沈んでいた。
どこかに出かけているのだろうか?
不審に思ってスマホをとりだす。師匠の携帯番号を呼び出して通話ボタンを押す。そこでようやく異変に気付いた。
『おかけになった番号は電場の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』
通話口の向こうで案内が繰り返される。
「おかしい」
刻々と闇が迫るなか、わたしは一人立ち尽くした。
どくどくと心臓が早鐘のように打つ。なんだっけ、この感じ。どこかで同じような感覚を覚えた気がするけれど、思い出せない。
かじかんだ手がしびれてうまく動かなかったが、やっとの事で腕を持ち上げて呼び鈴を鳴らした。かれどそれは空っぽの家の中にこだまするだけで反応は返って来ない。
「なんで? 出てよ、師匠」
気がつくと何度も呼び鈴を鳴らしていた。こんなことをしてもなんの意味もない。それでも嫌な予感を振り払うように何度も押し続けた。
「君、どうしたの?」
突然かけたれた声にハッとして手をとめる。振り向くと見知らぬ人影が立っていた。ギョッとしてからだが震える。
「あ、あの……」
縮こまった声がこぼれ落ちる。
「大庭さんのお孫さん?」
その言葉にかぶりを振る。
「あの、大庭さんにとてもお世話になっていて……」
視線が左右に揺れる。自分でも分かるくらい動揺していた。一体何だと言うんだ。
人影はわたしを不審そうに眺めると、素っ気なく言った。
「何日か前に救急車で運ばれたよ」
鼻につく消毒の匂い。廊下を歩く足音が耳に障る。
来るものを拒むように閉ざされたドアを恐る恐る引いた。
「師匠?」
沈黙。
蛍光灯の明かりが室内を空しく照らしている。
「なんで?」
小さく丸まった背中に問いかける。
「なんで、教えてくれなかったんですか?」
沈黙。
規則正しい機械音が室内に充満している。
セーターを着た背中の向こうにあるベッドを覗き込んで、息を飲んだ。
「どうして教えてくれなかったんですか?」
叫びだしそうになるのを必死で押さえる。制服の袖を強く握った。指先が白く、血の気をなくす。
耳の奥でこだまする鼓動は収まる気配がない。
「ねえ、どうして?」
背中を丸めて一点を見つめる師匠の肩を揺すった。
ベッドに横たわっていたのは寿子団だった。喉から繋がった機械が規則正しい音だけを吐き続ける。
「大丈夫なんですよね?」
わたしは乾いた笑いを浮かべながら呟いた。
「そうだ」震える手で鞄の中を探る。
「ほら、これ。少しは上達したでしょ? たくさん練習したんですよ。早く見て欲しくて……」
毛糸のコースターを引っ張り出して目を閉じる寿子さんに前に差し出すが、当然のように反応はない。
「大丈夫、なんですよね? よく、なるんですよね?」
驚くほどに声が震えた。ゆっくりと首を動かして師匠を見る。
お願いだから、大丈夫だと言って!
けれど師匠は黙り込んだままなにも言おうとはしない。
「はあ」
しばらくして大きなため息が聞こえた。
「これは、俺の仕事だ」
「仕事って。わたしに出来ることならなんでもします。お見舞いだって……」
そこまで言って、ハッとした。
仕事? 仕事って……。
「それは、どういう意味、ですか?」
「そのままの意味だ。お前に出来ることはなにもない」
そう言って師匠がゆっくりと視線を上げた。瞳の中にある覚悟を見て、わたしは怖じ気づいた。
「なに、言ってるんですか? そんなこと……」
耳の奥で鼓動が激しくなる。立ちのぼる光はもう無視できなかった。
この感じは知ってる。でも……。
「……違う。……違う。そんなことあるわない!」
手の中にあったものを力任せに師匠に投げつける。けれどそれは、すぐに勢いをなくしてのっぺりとした床にひらひらと落ちた。
わたしはそこに充満する空気に耐えられなくなって、病室を飛び出した。