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君がここにいるうちに  作者: ましの
糸が紡ぐ想い
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平穏な日常

「せいぜい十円がいいところだな」

 自分ではだいぶ上達したと思っていたかぎ針編みのコースターを見て師匠が一蹴した。「バザーに出すなら」と言う話の流れだけど、それはあまりにも酷い。

「ええ! それはあんまりですよ。寿子さん、どうですか?」

 コタツの上に置いたコースターを差し出す。

「そうねえ」と編み目をチェックする目つきは気のせいかいつもより鋭く見える。

「二十円ぐらいかしら」

「それ、あんまり変わらないですよ。時間のあるときに結構練習したのにな」

 唇を突き出して拗ねてみるが、「そんな顔をする時間があるならもっと練習しろ」と師匠から激が飛んでくる。

「だいたいお前は編み目が大雑把すぎるんだ。もっと繊細に出来ないのか」

 言うのは簡単だけれど、実際やろうと思うとそう簡単にはいかない。きっと師匠だって出来ないに決まっている。

「そうね。編み目はもうちょっと揃えた方がいいわね。糸を引くときの力加減を均等にした方がいいわよ。だからと言って、あんまり目を詰めすぎるのも良くないわね。仕上がったときに重くなっちゃうから。でも、これだってスチームを当てれば良くなるわよ」

 そう言って寿子さんは棚からアイロンを出した。そのまま石油ストーブの上に乗ったやかんからお湯をアイロンに注ぎ込んで、コースターの形を整えながら蒸気を当てはじめた。くるくると慣れた手つきでコースターを回しながら、不揃いだった編み目を均等に伸ばしていく。

「ほらね。見違えるように良くなったでしょ?」

 蒸気を当て終えたコースターをわたしに見せた。

「ほんとだ。寿子さんすごいです!」

 寿子さんの修正の腕前に感心するしかない。

「毛糸に蒸気を当てると縮もうとするから、そのときに編み目を縦横に引っ張って整えるのがコツなのよ。これを知っていれば、ちょっとぐらいの失敗はカバーできるのよ」

「なるほど」とうなずいて、脳内メモリに一旦保存する。

 これは部屋に帰ったらアイロンを出すしかないな。

 そう思っていると、寿子さんが手に持ったコースターを師匠の湯飲みの下に置いた。

「これは、ここね」

 それを見て師匠は眉をひそめる。

「おいおい。俺はこんなおかしな形のものは使う気はないぞ」

「まあ、そんなこと言わずに。せっかく真理ちゃんが作ったのよ。あなたが使うのが一番妥当じゃないかしら?」

 おっとりと言い放つ寿子さんを見て師匠が閉口している。

 やっぱりこの夫婦は寿子さんの方が強いらしいな。と改めて確認した。

「次は私のを作ってね」

 寿子さんが優しい声でそう言ったので、わたしは「はい」とうなずいた。


 長編みを三回。それから鎖編みを三回。これを四回繰り返して……。

 口の中で呪文のように呟きながら毛糸と針に集中する。周りの雑音は完全にシャットアウト。ここにあるのはわたしと毛糸と針だけ。

 手つきはだいぶ慣れてきて、編み目も寿子さんの助言通り均一に揃ってきた。

 この調子でいけば春が来る前にはなんとか大作がひとつくらい編めるようになるかもしれない。

「……り……。真理!」

「あ?」

 突然思考に割り込んできた声に顔を上げる。目の前で由香がギロリとにらみを利かせている。

 それを見て気がつく。

 そうだ。ここ学校だった。

「『あ?』じゃないわよ。『あ?』じゃ。久しぶりに会うってのに無視とはいい度胸じゃないの。一生懸命机に向かってると思ったら編み物なんて、急にどうしちゃったわけ? 今からバレンタインに向けて準備ですか?」

 その言葉にハッとした。

「そっか。バレンタインがあったか」

 生まれてこの方そんなイベントとは無縁の人生を歩んでいたから、存在自体をすっかり忘れていた。

「なにいい顔で納得してんのよ。それよりも真理。あんた、あたしになにか言うことないわけ?」

「言うこと?」

 なんだろう? なにを言えばいいんだっけ? ……あ。

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 背筋を伸ばして深々と頭を下げる。新年の挨拶がまだだった。

「うん。今年もよろしくう……って、違うわ!」

 ばしんと音を立てて由香の手が机に着地する。

「え? 違うの?」

 驚いて頭を上げる。すると由香は不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

「その目は一体なんですか?」

「あたしが知らないとでも思ってんの?」

「え。なにを知ってるの?」

 もしや死神の話ですか……? ドキリとする。もしかして機密事項がもれてしまったとか……。そう思うと冷や汗が流れそうだ。

「とぼけるのもいい加減にしな!」

「ええ?」

 どうやってシラをきろうかと考えあぐねていると、由香が勝ち誇ったように言った。

「目撃情報があるのよ」

 ああやっぱり。県庁に出入りしているのを観られたに違いない。

「早苗が見たって言ってんのよ。あんた、この休みに……」

 こうなるともう黙秘する以外ないかもしれない。心を決める。

「『横顔の君』と密会してたでしょ!」

 全く予想していなかった言葉に、わたしは驚いて動きを止める。

 というか、その呼び名なんだか懐かしい……。

「なんだ」

 安堵して思わず声がもれる。すると由香はめざとく突っかかってくる。

「なんだってどういうことよ?」

 由香の言葉に、慌てて首を振る。

「いえ。何でもないです。はい」

「その様子だと、何回か会ってる感じね」

「ええ、まあ。そこそこに」

 曖昧に返すと、由香はわたしを睨みつけた。

「なんで、あたしに、言わないのよ!」

 言葉を切りながら自分の胸をトントンとつつく。まるでそこに何かのスイッチでも付いているのではないかと思えてくる動作だ。

「報告の義務はないかと……」

 由香の目が怖すぎてそっと目をそらす。すると、わたしの態度に彼女は「なに言ってんの?」とでも言いたげに大きな瞳を一際大きく見開いた。

「見ちゃったんだよねえ」

 怯えるわたしの肩を誰かがガシリとつかんでくる。ギョッとして振り向いた。

「さ、早苗?」

 獲物を見つけた多可のような目がきらりと光っている。

「図書館にいたでしょ! 閲覧室の端でいちゃこらしてんの、ばっちり見たんだからね!」

 そう言って持っていたスマホの画面をずいとわたしの目の前に押しつけた。

「あ! いつ撮ったの、これ!」

 押しつけられたスマホに手を伸ばそうとして遮られる。

 わたしと巧さんが肩を並べて話しているところを真正面から撮られていた。画面のぼやけ方から少し遠くから拡大していったように見えるけど……。いやいや、それよりも早苗が図書館に行く用事があったことに驚きを隠せない。

 って、違う! なにこの写真。これ本当にわたしなの? 別人だと言われてもおかしくないくらいに女の顔をしている。

 その画像をみてわたしは真っ赤になった。

「びっくりするぐらい女の子の顔してたからさ、最初は気付かなかったんだけど。よくよく見たら真理じゃん? 思わず撮っちゃったよ」

 画像を見ながらケタケタと笑う早苗からスマホを取り上げようとして、またもや阻まれる。

「ダメだよ、真理ちゃん。記念日はちゃんと覚えておかないとね。女の子記念日。あとでちゃんと送ってあげるからね!」

 幸がニヤニヤと笑いながら割り込んでくる。このドSコンビめ! と言うか、女の子記念日って、別の日に聞こえるからやめて。

 幸はわたしの体を後ろから押さえつけて離そうとはしない。

「それで?」由香の声に、首を回して彼女を見上げた。

「お二人はどこまで行っちゃったわけ?」

「どこにも行ってませんよ!」

 慌てて否定しても信じはしない。

「なにもないわけないでしょうが! なにかあったから急に色気づいて編み物なんてはじめたんでしょ?」

「それってかなりゴーインな思考回路!」

「ほら、お姉さんに全部話しちゃいなよ」

「だから、なにもないってば!」

 何度否定しようとこの状況では無駄だ。気味の悪い笑い声を上げる三人に囲まれれば誰だった話さずにはいられない。わたしは根負けして巧さんに映画に誘われたことを報告した。

 と言うか、もっと普通に聞いてくれれば嫌がらずに話すのにな。そう思わずにはいられない。


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