謎と糸口
暴いてやろうと思ったものの、手がかりなどまったくなかった。というより、なにをどう調べていいものかが分からない。
どうしたものかと考えあぐねていたとき、加藤さんから連絡が入った。
「ごめんね真理ちゃん。報告書に印鑑を捺してもらうの忘れてたの。シャチハタでいいから時間のあるときに来てくれると助かるんだけど……」
なにか知っているとしたら加藤さんだ! そうひらめいて「明日行きます!」と即座に答えた。
少しでも情報があってくれたらいいんだけどなあ。
学校帰りに県庁へ行くと、加藤さんがすまなそうに両手を合わせた。
「わざわざごめんね」
「わたしこそ、書類にハンコを捺す習慣がなくてすっかり忘れてました」
「いいえ。完全に私の確認不足。不覚だわ」
加藤さんは顔をしかめながら用意していた報告書をテーブルの上に乗せると「ここね」と指をさす。その場所に印鑑を押せば加藤さんの用事は終わりだ。けれど、わたしの用事はまだ残っている。
わたしはもったいぶってカバンの中からシャチハタを取り出しながら、たった今思い出した風を装って何百回も頭の中で繰り返した台詞を言った。
「そういえば駅前の時計台って壊されちゃうんですよね。その話をしたら師匠の様子がおかしくって。加藤さん、なにか心当たりありますか?」
曲がらないように丁寧に印鑑を捺し終えるまで数秒。加藤さんから何も返答がない。
あれ? 不発だった?
はっきりと発音したつもりだったけれど、滑舌が悪くて聞き取れなかったのだろうか。不安になって顔を上げると、加藤さんがこわばった顔でこちらを見ていた。
ああ、やっぱりなにかあるんだ。
その表情を見た瞬間すぐに分かった。
わたしが探るような目をしていたのだろう。それに気づいた加藤さんはすぐに表情を和らげた。
「特別心当たりはないわよ」
それだけ言うとクルリと背を向けて報告書を片付け始める。このままだと直にここから出て行かなければならなくなるだろう。それはするまいと加藤さんの背中を追った。
「嘘ですよね。今の表情は何ですか? 師匠と時計台の関係って何なんですか?」
すると加藤さんは拒絶するように背を向けたまま言う。
「どうしてそんなこと知りたいの?」
「知らないといけないことだと思うからです」
はっきりとそう告げると、加藤さんは首を振った。
「……だめよ、真理ちゃん。この話はあなたには早すぎるわ」
そういってわたしは部屋から追い出された。
「早すぎるってどういうことだよ!」
誰も何も教えてくれないことに憤って、駅へ向かいながら独り言。足は自然と時計台に向かっていた。
人ごみを避けながら時計台に近づくとすでに工事用の白いシートに覆われている。もうじきここは更地になるのだ。
「ねえ、あなたはそれでいいの?」
返事などあるわけがないとわかっていても、聞かずにはいられなかった。ここには何かが宿っているような気がしてならない。
「このまま黙ってたらすぐに壊されちゃうよ。それでいいの?」
頭がおかしくなってしまったのだとしてもそれでいい。もう一度あのささやき声が聞こえないかと耳を澄ましてみる。けれど聞こえてくるのは周りのにぎやかな音だけだ。陽気なクリスマスソングが空しく響いているだけだ。
どうして誰も頑なに教えてくれないんだろう。
考えれば考えるほどのけ者にされていることが悲しくなってくる。
絶対にここには知っていなくてはいけないことが隠されているというのに……。このまま壊されるのを黙って見ているしかないのだろうか。悲しみと悔しさが交じり合う。
なんて無力なんだろう。
時計台の前で肩を落とす。
そのとき耳の奥で誰かがささやいたような気がして顔を上げた。
瞬間、立ちのぼる光の筋が辺りを包み込んだ。雑踏のざわめきが遠のいて耳の奥で鼓動が大きく鳴りはじめる。
シートの奥にのぞくステンドグラスからぼんやりと温かな光がこぼれた。その向こうには確かに人影が見える。なにかを訴えかけるようにゆらゆらと揺れている。
不意に鼓動に混じって声が聞こえた。以前聞いたのと同じ、男性の優しく語りかけるような声だ。それは以前にもよりもずっと明瞭に聞こえた。
『生まれてきてくれて、ありがとう』
はっきりとそう聞き取れた。
『ここにいてくれて、ありがとう』
声は続けてそう言った。声の主は誰かに感謝の言葉を送ろうとしているのだろうか。
「誰かに伝えたらいいの?」
問いかけるが答えはない。促してみるがやはり反応はない。それどころかステンドグラスの奥の影は明かりと共に遠のいていこうとしていた。
「待って!」
追いかけようと、白いシートを飛び越えようとした。そのとき、
「真理ちゃん!」
誰かがわたしを呼んで、肩をつかんでくる。
その瞬間に辺りを包んでいた光の筋は消え、人の行き交う気配が戻ってきた。
驚いたわたしは目を瞬かせながら声の主を振り返る。そこにいたのは巧さんだった。
「なにしてるの!」
焦った声に我に返ると、わたしは白いシートを乗り越えようと、工事用のフェンスを押しのけていた。
「わ!」
自分がしようとしていたことに気付いて慌てて数歩下がる。
夢? 現実? 今まで見たいたものがなんだったのか分からない。
混乱していると、巧さんがフェンスを元の位置に戻してわたしの腕をつかんだ。
「行こう」
そう言って走り出す。
わたしは腕を引かれるまま彼について走った。
「なにをしようとしてたの?」
駅裏手にある小さな喫茶店に入ると巧さんは困ったようにそう聞いた。
「いや、あの……。ステンドグラスがあまりにもきれいで……」
トンチンカンなことを言っていることは承知しているけれど、他にうまい言い訳が思いつかない。
これは絶対に引かれてるよなあ。
と思いながら恐る恐る顔を上げてみると、巧さんは仕方無いというように苦笑してた。
「普通、引きません?!」
彼の態度が意外すぎて思わず口に出してしまう。慌てて口をふさぐが言ってしまったあとなのでどうしようもない。
うわ、ばか! 自分のばか!
後悔していると、巧さんは首を振った。
「真理ちゃんて純粋だよね」
その答えに戸惑う。
えー。なんか、ずれてるような……。
「でも、周りの目も少しは気にした方がいいかもよ? 結構注目されてたから」
「ええ?」
「純粋で真っ直ぐなのは大いに結構だけど、ときには自制も必要ってね」
そう言って笑う巧さんは、きっと工事用フェンスを退かそうとしていたばかな女子高生をあの場所から助け出してくれたんだろう。きっと彼が止めてくれなかったら駅前の交番にお世話になっていたかもしれない。そう思うとゾッとした。
「本当にごめんなさい」
深々と頭を下げると、
「じゃあ、ひとつ貸しってことで」
真剣な面持ちで返してくるので、わたしは焦って首を振った。
「貸されてもなにもお返しできないです」
慌てて言うと、巧さんは「冗談だよ」と笑った。
「巧さんは時計台のガラスが鳴ったの知ってますか?」
唐突な問いに、巧さんはうなずいた。
「知ってるよ。ちょっとした騒ぎになってたからね。どうして?」
「わたし、友達との待ち合わせでそのとき近くにいたんです。だから、気になってしまって……」
すると巧さんは合点がいったように大きくうなずくと、とがめるようにわたしを見た。
「なるほどね。それで工事用フェンスをどけて中に入ろうとしていたわけだ」
あ……。やってしまった。なんて鋭い。
また余計なことを言ってしまったことに気付いて口を覆っていると、彼はおかしそうに笑った。
「本当に真理ちゃんは純粋だよね。とがめてるわけじゃないから気にしないで」
そう言ってコーヒーカップに口をつける。
「噂じゃ、幽霊だの呪いだのと言われてるけどね。まあ、そんなのおもしろ半分に言っているだけだろうし。科学的に見れば寒さでガラスが縮んだってところなんだろうけどね。真理ちゃんはそれが気になってるんだ」
「はい。引かれるかもしれないんですけど、わたし、あの時計台がなにか伝えようとしてるんじゃないかと思って。それで気になってしまって。でも、なにをどう調べたらいいのか分からないし……」
そう言うと巧さんはしばらく考え込んでから、こちらに視線を向けて微笑んだ。
「それなら、俺たちで調べてみる?」