あるはずのない選択肢
もともと時計台は美術館の一部として約五十年前に建設された。建築士はもとより、建材や調度品にいたるまで全て地元の人の手によって作られたという美術館だった。展示品も地元にゆかりのある芸術家の作品が多かったようだ。もちろん、当時ランドマークだった時計台も地元の手によって丁寧に作られた。時計は地元の企業が、ステンドグラスは当時新進気鋭の若手ガラス作家が手がけたものだった。
しかし、地元愛にあふれた美術館は開館から二十年足らずで余儀なく閉鎖された。ターミナル駅が出来ることになり、駅前開発のために美術館は取り壊されることとなっのだ。もちろん反対の声は多く上がった。当時は激しい反対運動も起こっていたらしい。しかしすでに周辺の土地は買収され、美術館のみを残すことは困難な状況になっていた。そんな中で、若干離れていた場所に建っていた時計台が残されることになった。建築予定の駅舎から離れていたためだ。それが反対刃を沈める唯一の手段だったようだ。そうして時計台は三十年の間、駅前広場に鎮座することになったのである。
けれど、再び駅前の再開発が持ち上がった。今度は新幹線の停車駅として生まれ変わることになったのだ。駅舎は拡張され新たに商業施設も併設されることになり、時計台は解体されることが決まった。以前のような反対運動は起こらなかったものの、当時を知る世代からは根強い反対の声はあったらしい。しかしその声も、人口減少に伴う地方経済の悪化には勝てなかった。多くの人が新幹線の停まる新駅に対して期待を持っていたのだ。観光客の増加のためにも玄関口は整備された駅でなければならないというわけだった。古びた時計台はもう必要ないのだと。
「時計台は地元を愛する心によって残され、地元を想う心によって壊されるのだ」と。
地元の記者が書いたネットニュースはその言葉によって結ばれていた。
時計台が鳴らした奇妙な音はたちまちネットの世界を駆け巡り、SNSのトレンドに一瞬だが入ったほどだった。一晩たった今日の教室でも、その話題で持ちきりだった。まあそれは、由香が吹聴していたせいなのだけれど。
わたしはスマホの画面をぼんやりと眺めながら昨日の出来事を思い返していた。
あの時、ステンドグラスの向こうに誰かがいたような気がした。けれど、思い返してみるとイルミネーションの明かりがあったといえども、逆光になって時計台の中に人がいるかどうかなどわかるはずがなかったはずなのに。
それならわたしは一体なにを見たんだろう。
廊下の隅に置かれたイスに座ってぼんやりとしていると、引きずるような足音が近づいてくる。それに気づいて顔を上げると、学校には場違いな地味な服装をした小柄な女性が早足でこちらに向かってきた。
叔母さんだった。
「遅くなってごめんね」
その言葉にわたしは首を振る。
「前の人が長引いているので大丈夫です」
「そう。よかった」
隣のイスに座ると、息を整えながらこちらの様子をうかがっている。わたしはそれに気づかない振りをしてぼんやりと窓の外を眺めた。
言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってくれればいいのに。
わずかに苛立ちながらそう思っていると、叔母さんが探るように問いかける。
「もう進路は決めてるの?」
叔母さんの家を出てからこの話には触れてこなかったが、さすがに高二の三者面談を前に進路について話し合わなければならないと思い至ったらしい。
それにしても直前って……。
と思って気がついた。叔母さんもこの話題も避けていたのは自分の方だった。叔母さんにしてみれば、話し合いたくても出来なかったのかもしれない。それも推測に過ぎないけれど。
「卒業したら働こうと思います。ちゃんと自立したいんです。迷惑はかけませんから」
そう言ってわたしは口をつぐんだ。理由を並べたところで言い訳がましく聞こえてしまうだろうから。決意が固いことを示すために簡潔に伝える。
「本当にそれでいいの? お友達はみんな進学するんじゃない? 無理に就職しなくたっていいのよ」
親という後ろ盾のないわたしに就職する以外の選択肢なんてないじゃないか。
そう叫びたいのを堪える。きっと「姉さんの分までちゃんと育てる」などと言いそうで怖かったから。自分が重石でしかないことをはっきりと自覚したくなかった。
「勉強は苦手だし特別やりたいこともないから、無駄に時間を過ごすより早く仕事に就いたほうがいいと思うんです」
「それにしたって……」
「就職して、もしもそこで勉強したいことを見つけたら、そのときは自分でお金を貯めて勉強します。いつまでも甘えていられませんから」
「いつまでもって……。そんなこと考えなくていいのよ。無理をして大変な道を選ばなくてもいいの。姉さんだってきっとそう言うわ」
『姉さん』その言葉に苛立ちが増す。その言葉を言い訳に使ってほしくない。きっとこの人は、お母さんを言い訳にしなければわたしの面倒など見たくはなかったんだろう。そんなことは重々承知の上だ。だから少しでも早く自立しようとしているのに……。言い訳をしてまで優越感に浸っていたいのだろうか。
わたしは拳を強く握りながら声を抑えた。
「きっと、お母さんはわたしの選んだ道を後押ししてくれると思います」
それは叔母さんを黙らせることのできる言葉だった。
『お母さん』は『姉さん』より強いらしい。
「……そうね」
そう言うと叔母さんは口をつぐんだ。
清々したはずなのに、それで良かったはずなのに、どうしてかモヤモヤと気分が重い。