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君がここにいるうちに  作者: ましの
星の丘で会いましょう
12/40

記憶の中で

 社会福祉活動から一週間後、わたしは介護施設『星の丘』に二度目の訪問をした。

 悶々とした思いを抱えながら一週間を過ごしてしまったが、カヨさんのことが気になってしまって仕方がなかった。もっと早く訪問すればよかったかと思うが、師匠の口車に乗せられているような気がして足が向かなかったのだ。おかげでずっと喉に魚の骨が刺さったようなすっきりとしない状態が続いてしまった。

 授業が終わってすぐに学校を出ても『星の丘』に着くのは夕方五時を過ぎる。辺りはすっかり夕闇に包まれて街灯がつき始めるような時間だ。

「あのー」

 正面玄関を入ってすぐ右にある受付を覗き込む。壁を抜いただけの受付からはスタッフルームの様子が見渡せた。手前に座っていた若い女性の職員がすぐに気づいてにっこりと微笑む。

「面会ですか?」

「は、はい」

 こういった場所に一人で来ること自体ないので、どうしても挙動不審になってしまう。

「こちらに記入をお願いします」

 差し出された紙に入館時間と名前を書き入れる。

「これで大丈夫ですか?」

「はい。もしかして面会は初めてですか?」

 その言葉に戸惑う。

 面会にくるのは初めてだけど、なんて言ったらいいのか……。いや、別に何も言わなくていいのか?

 悩みながらも「はい」とうなずく。

「どなたに面会ですか?」

「あ、森下カヨさんに」

 その名前を聞いて職員は驚いた顔をした。

「カヨさんに? 初めてだわ。ご親戚の方?」

「い、いえ!」

 思わず首を振る。

「違うんです。えっと、なんて言ったらいいのか……」

 言いよどむわたしを見て、職員は次第に不審げな表情になっていく。

 ど、どうしよう。怪しまれてる!

 おどおどしていると、助け舟がやってきた。

「あらまあ、来てくれたの?」

 小川さんだ。見知った顔を見てホッとした。

 小川さんはスタッフルームから出てくるとわたしの肩を嬉しそうに叩いた。

「もう来てくれないかと思ってたのよ。ありがとうね。学校帰りよね? 靴はそこでいいから、スリッパに履き替えてね」

 言われるがまま靴を脱いでいると、相変わらず不審な顔をしている職員に小川さんが言った。

「ほら、前にカヨさんに若いお友達が出来たでしょ? 彼女なのよ」

 小川さんの信頼は厚い。たったそれだけ言っただけなのに、彼女はすんなりと納得してしまった。

「なんだ、新手の詐欺かと思っちゃいましたよ」

 わたしは職員の言葉に絶句した。


 それから毎日のようにカヨさんに会いに行った甲斐があって、わたしはすっかり尾上真理ではなく『森下里子』になっていた。もちろん施設のなかに限られたことだけど。

 入館手続きを完璧に覚えたわたしは、迷うことなく廊下を進む。目的地は食堂だ。

 カヨさんは昼食後夕食の時間までいつもそこにいる。食堂をのぞくと部屋の隅でぽつんと外を見つめていた。近づいていって車椅子の傍らに屈みこむ。

「お姉ちゃん、また来たよ」

 そう声をかけてはじめてわたしの存在に気がつく。記憶の底から引き戻されたように、少しの間視線を漂わせてから嬉しそうに微笑んだ。

「まあ里子。待っていたのよ」

 まっすぐわたしを見つめる瞳に迷いはない。彼女にとってわたしは完全に『里子』なのだ。だからカヨさんの記憶に生きる『里子』になろうと、わたしは必死で演じた。

「お姉ちゃん、こんなところで寒くない?」

 そう言って落ちかけていたブランケットを掛けなおす。

「もうすぐ雪が降るのかしら。そうしたら外で遊びましょう」

 会話が一方通行なのはいつものこと。わたしは気にせずテーブルまで車椅子を押す。その間もカヨさんは記憶の中で『里子』と遊んでいる。

「今日はいいものがあるのよ。ほうら、かりんとう。里子、大好きでしょう」

 思い出したように手の中にあった包みを広げると、黒糖の香ばしい香りが広がった。

「ほら」嬉しそうに弾む声と一緒に、しわしわの手が伸びてくる。わたしはそれを受け取って口に入れた。

 黒糖の甘さが懐かしい。かりんとうなんて、最後に食べたのはいつだったっけ?

 ホッとするような優しい味のかりんとうを二人で食べて、わたしは言った。

「ねえ、お姉ちゃん。かりんとうのお話して」

『かりんとうのお話』は、仲のいい姉妹がひとつのかりんとうを分け合う話だ。起承転結があるわけでもないし、オチがあるわけでもない。たぶん、カヨさんの記憶の中から生まれた作り話だろう。それでも、その話をしているときのカヨさんがあまりにも嬉しそうに笑うから、わたしは何度も聞きたいとせがんだ。幸せな記憶を呼び起こすのなら、何度でも思い出せばいい。

「いつになったら雪が降るのかしら」

 職員の方が用意してくれたお茶を一口すすって、カヨさんがポツリと呟いた。

「もう少ししたらきっと降るよ。こんなに寒いんだもん」

「そうね。そうしたら、お母さんがこさえてくれた干し柿を持ってみんなで遊びに行きましょうね」

 自由に動かない足をさすりながら言った。


 わたしが帰る用意をし始めると、カヨさんはひどく不機嫌になる。

「里子と一緒に帰る」と言って聞かないのだ。それを慣れたように宥める小川さんは本当にすごい。わたしには到底真似できない。

「さあ、夕ご飯を食べましょ」

 微笑む小川さんに、カヨさんが観念したようにうなずく。わたしが帰るのはそれからだ。

「聞いてもいいですか?」

 玄関から他の面会者たちが帰っていくのを眺めながら、珍しく見送ってくれた小川さんに尋ねた。

「『里子』さんって何処にいるんですか? 遠くに住んでいて会いに来られないんですか?」

「うーん」

 すると小川さんは言いにくそうに言葉を濁した。

 聞いちゃいけなかったかな。思い直して「忘れてください」と言おうとした時だ。小川さんはためらいながらもそっと教えてくれた。

「戦争で亡くなっているそうよ。お孫さんが言っていたから、確かなことだと思うけど。いかんせん、カヨさんを預けたっきり一度も様子を見に来ないような人たちだから……、確かめようがないんだけどね」

 ご家族のことは聞いて知っていたけど……。

「戦争で?」

「そう。もう七十年以上も昔の話よ」


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