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長野市役所ダンジョン課  作者: 輝井永澄
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荒須イサナの仕事

「あー、こりゃ駄目だねぇ」



 台所の床に腹ばいになって、「魔界」を覗き込みながら、荒須イサナはそう口に出して言った。


 床下収納の真四角い蓋をどかしたその先、本来であればジャガイモや玉ネギやら米の袋やら、そんなものが収まるちょっとした空間――そこが「入口」になっている。



「あらー、困ったねぇ。どうしましょ」



 イサナの後ろでその尻に向かって、この家の主、竹内キク子が呑気な声をだす。



「おばちゃん、ここに何いれてたの?」


「秘伝の糠床ぬかどこさね。わたしが母さんから受け継いだもんだでね」


「あー、それじゃ、中に呑まれちゃったかなぁ……」



 イサナは、「入口」に首を突っ込んで巡らした。


 その中は、苔むした石造りの、広めの部屋のようになっている。「ダンジョン」のどこかなのだろう。カビのようなアスベストのような、ダンジョン内独特の匂いに満ちていた。よく見れば、そこに生えている苔はどうも、触手が生えて蠢いているような気もする。


 イサナは首を引き抜いて起き上がり、手に持った瘴気計の数値を確かめた。



「瘴気は薄いし、これくらいの大きさならすぐに塞げると思うけど……どうする?」


「あー、出来れば糠床はなんとかならないかや?」



 イサナはため息をついた。民間企業なら別料金を取るところだろうが、公務員の身分としてはまぁ、これも仕事の内だ。仕方がない。



「そんじゃ、ま、ずく《・・》出してやっちゃいますか。ちょっと待っててね」



 イサナはその狭い入口の両側に手をつき、両足を中に入れた。



 天井部分に開いた「入口」から身体を滑りこませると、3メートルほどの高さから石畳の床に降り立つ。



「この辺りは『黒崖の城』の中くらいになるのかなぁ……」



 「ダンジョン」は現実世界と並行して広がっている。現実世界に開く「魔界の入り口」の座標は、そのままダンジョン内の地理に対応しており、全ての「入り口」はダンジョンの中で繋がっているというのが通説だった。


 初めて「魔界の入り口」が現れたのがいつかは定かではないが、大体30年前くらいだろうと推測されている。民家のドアやマンホール、ビルの地下室、はたまたトイレに至るまで、あらゆる「入口」が別世界へと繋がってしまう――そんな現象は、はじめはいわゆる都市伝説として広まった。


 それが与太話で済まなくなったのはここ15年くらいのこと。現在では、政府や各地の自治体に専門の調査機関が作られ、「魔界」についての研究と対応策の検討が本格的に進められてきている。



「……まずいな……」



 部屋の隅に落ちていた糠床のポリバケツと、その傍らにあったジャガイモの袋を拾ったところで、イサナはそれに気がついた。「与太話では済まなくなった」というその主な原因が、近くにいる。


 フーッ、フーッ――


 禍々しい息遣いを耳にするまでもなく、瘴気の塊が近づいてくるのを、イサナははっきりと感じていた。そう、糠床のあった場所から、すぐ脇の通路の角――



梟熊アウルベア……!」



 フクロウの頭に熊の身体――現実世界ではあり得ない、異様な風体の魔獣が、口から涎を滴らせてそこに立ちはだかっていた。





「よっこらせっと」



 竹内家の台所の床から、糠床がせり上がった。続いて、イサナが頭を出す。キク子は居間の方にいた。



「あら、役人さん、お帰り」


「糠床あったよ、おばちゃん。ジャガイモの袋は駄目になっちゃったけど……」


「あー、すまないねぇ。お茶でもおあがんなして」



 キク子が急須でお茶を淹れながら言った。テーブルの上には野沢菜漬けも用意されている。



「ありがと。先にここの封印、やっちゃうから後でもらうわ」



 そう言ってイサナは、傍らに置いたケースからツールを取り出し、作業を始めた。



「あ、おばちゃん、9ボルト電池ある? 四角いやつ」


「ああ、あったかな、取ってくるわぃね」



 イサナは仏教でいう独鈷のような器具を手に取った。その蓮の葉状の口の中には、虹色に輝く立方体の物質が浮かび、ゆっくりと回転している。それにケーブルを繋いで「入り口」の周囲に設置した。そして、キク子が持ってきた電池を別の器具に入れ、それをケーブルの別の端につないでいく。



「塞がるまでには少しかかるから、一週間はここ開けちゃだめだよ」


「そんなにかい。しょうがないねぇ」


「後ね、魔獣が近寄らないように、一応ファブリーズまいといた方がいいね」



 俗説として除霊に効果があるとされてきたファブリーズが、実際に魔界の「瘴気」を中和し、魔獣除けとして使えるということがわかったのはここ最近のことだ。それ以降、製造元のP&G社はシェアを伸ばしている。


 イサナはキク子が持ってきたファブリーズを受け取り、再び「入り口」から顔を突っ込んだ。ダンジョン側の入り口周囲に、念入りに噴霧を吹きかける。



「よし、っと……」



 イサナは顔を上げ、床下収納の蓋を閉じた。天井から差し込んだ光の筋が細くなり、ダンジョンの中が再び闇に閉ざされる。


 その部屋の片隅で、頭蓋を砕かれた梟熊アウルベアの残骸が崩れ落ちた。





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※ずく……信州地方の方言。「やる気」「面倒くさがらないこと」のような意味。ずくがない=面倒くさい、のニュアンスである。


※野沢菜漬け……お茶請けとして出されるのは信州地方では当たり前である。

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