FINAL STAGE
優香は1脚の椅子の周りを歩きはじめた。なるべく無意識に、且つしっかりと。そうすることで、全神経を耳に集中させた。美しい旋律が、生死を分ける信号に変わっていく。これは、優香にとっても、この音楽にとっても悲しいことだった。どこかで、誰かの心を癒していたであろう音楽が、今は生と死の境界の遮断機になっているのだから。だが、今はその感情に浸っている場合ではない。少しでも遅れれば、終わってしまう。一瞬で、粉砕されてしまう。優香は悲しみをふり払って、意識を集中させた。
華奢な女の子は、そんな優香をじっと見ていた。何がおかしいのか、にんまりと笑いながら。それでも、見られていることにも気づかない優香の素振りを見て、目を細める。そして、思いも寄らない行動に出た。
「ねぇ、優香ちゃん!
……遊園地ニ着いタら何のアトラクションに、乗る~?」
聞いたことのある声が、音楽を遮った。そう、これは……
「ネぇねぇ!!ゆゆゆゆううかチャん!!!遊園地、ゆうエんちにツいたラ、ゆうえンツいらら、なンのあトラくゆウユシょんにのる~?あはは、ははははははははははは、あははははははははははは!!!」
バスで、話した友達だ。
だが、もう何を言っているのか分からなかった。何より、崩壊した言葉が耳から離れない。思いがけず、優香は友達の顔を見てしまった。
友達の顔は、先程の鼻血で真っ赤に染まっていた。……何だかおかしい。まるで自ら血を塗りたくったようだ。拭ったのなら、もっと綺麗になっていいはずだ。よく見ると、顔に血の指紋付着している。……もしかして、この友達は……!!!
友達は、ゆっくりと首を傾げる。そして、にたっと笑った。鼻血がまだ止まっていないようで、血が肌を伝って垂れていった。
次の瞬間、優香の背中が凍りついた。
友達は、その血を指で拭うと、頬にべったりと塗りたくったのだ。そのうえ、ゲラゲラと笑い始めた。その笑顔は、バスで見たときのような、等身大の無邪気さに満ちあふれた笑顔とは懸け離れたものであった。
この子は、狂ってしまったのだ。突然降ってきた理不尽と、残酷な現実に耐える為に。狂うことで、見えるものも見えなくした。それは勿論「生きる」意思がそうさせたもので、この状況の中で生きようとした証である。だが、それは逃避したことと同じだ。目をふさいで、耳もふさぎ、思考を吹き飛ばしても、いつか向き合わなければならない現実は、容赦なく行く手を阻む。狂ってしまったら、それに気づけないまま永遠と同じところをぐるぐると歩かなければならないのだ。それこそまさに、このお遊戯という名の椅子取り合戦のように。
「ゆタうカちゃんゆうかちャんゆカうちンゃうゆちうゃん、みンな、ミンナミんナみんなミんスなみんナミんなどこニいったのかな~?ゆウエんちにゆうウウうえンちツいて、つイたケのかなぁみんな、ワタしたチ、わたシ、あタシ、あああああたわタしたちのこトオいテイテっておいテケぼリドこかおイテイっテおイテオいて、どコニアアいったノかなァぁェえ?」
崩壊した言葉を発しながら、首をぐりんぐりんと回す。目がいっぱいに開かれて、眼球が小さく痙攣しているのが見えた。目も当てられない状態の友達に、優香はどうすることもできなかった。きっと、何を言っても、彼女には届かない。どんな優しい言葉でも、思いやりのある言葉でも。
優香は、音楽を聞くことに集中した。あの友達を見ていたら、意識をそちら側に持っていかれそうだった。彼女は狂ったものの、「生きる」意思だけは強く持っているのだ。少しでも遅れれば、彼女に椅子をとられてしまうだろう。痛いほど視線を感じるが、優香は視線を逸らした。
彼女は、そんな優香の対応が気に入らなかったのか、怒りをぶちまけるように叫び出した。
「アタりい!たイン?なとレ……
ナしにい!、こでフ、し!!!!!
タのしノ!やどシザとに……!
ガかねにあさモョケっあ……
ワわば!なしナうんとが……
よだンナたなあハキイクゴジ、タッかナテんなトこぬし
……もれだばレケナいがタナあ!!!!!!!!!!!
ネどけいナたタもにくやのんなでろコトたッシ?らしかた
っかワガジーセッメたれサくかにうョシンぶのこ!!!!」
もう、言葉ではなくなっていた。言葉を忘れて、只々叫んでいるように聞こえた。しかし、その形の無いものから、何か感じた。まるで、優香を責めているようだった。「怒りをぶちまけるように」と感じたのだから、それは言うまでもないことかもしれないが、何か、重要なことのように思った。
優香は、心の中で彼女に謝り、また意識を集中させた。自分だって、生きなければならない。そして、その意思どうしのぶつかり合いのときには、情けも容赦もないのだ。この事実は、この状況において、とても悲しいことである。だが、そうせざるを得ないのが現実だった。小学6年生のこどもには、それ以外に道は無い。
「ゆゆゆゆゆううううううううううかちゃゆゆかゆうううううかゃあああんんあああああゆゆううかちゃゆうううううううううううん!!!!!!!!
あトラくシょん、こわいいこわいのにがにっててててててこわいいいいいいにがてててあああああはははああはははははははははははははははははははははははあああああああああああああ!!!!!!
それそれじゃああああああああああほとんどじゃあほとョン乗れんどのアトラクシないじゃーん!!!!!!!!ははははははっははははははっはははっはははっはははは!!!!!!!!!たあすけえてえええええええええおねえんねええええあがあああいいいいいいいだああれあああかああああああああああああわたあああしいいいいあをとめええてええええええ!!!!!!」
彼女は、涙を流しながら、声を枯らして叫んでいた。涙が塗りたくられた血と混ざり合って血涙になる。笑顔だったその顔も、次第に頬の筋肉が痙攣をおこしてぐちゃぐちゃになっていた。それを一瞬でも見てしまった優香はもう、彼女を無視できなくなってきた。
いけないと分かっていたが、彼女の声に耳を澄まさずにはいられなかった。先程は怒りを感じたが、今度はもっと重い何かが声に混じっていた。表情という感情表現の機能を失ったからには、声から思いを掬いとらなくてはならない。だが、今感じた情報だけでは彼女の感情すら理解できなかった。
目を逸らさまいと決心し、優香は彼女を視界に入れた。本当に彼女なのか疑うほど、表情は崩壊していたが、それでも、向き合う為にしっかりと見つめた。
そうしていたら、偶然なのか、必然なのか分からないが、彼女と目が合った。その目は、今にも泣きだしそうで、小学6年生の女の子そのものの姿だった。
「た……す…………けぇぇぇぇ…………てぇえええぇぇぇえ……!とめ…………て……わ……たし……を!」
ボロボロと血涙が彼女の目から溢れだした。このとき、優香は初めて知った。
彼女が、本当は助けを求めていたことを。
途端、「生きる」意思は形を変えた。そう、彼女の命の一部になることを選んだのだ。これが本当のやさしさなのかは分からない。もしかしたら、これはやさしさとは言わないかもしれない。だが、優香の心は彼女の必死な声にこたえたかった。偽善と言われても、力になりたくなったのだ。
音楽が止んだ。
二人は、動かなかった。
そのかわり、見つめ合っていた。
優香はにっこりと笑った。彼女に、椅子を譲る意思を示したのだ。
それを感じ取ったのか、彼女は痙攣した頬を一生懸命動かして、ありがとう、というように笑った。
彼女は椅子に小走りで向かっていった。明るい未来に、歩いていくように。
他人が生き残るために、自分の命を授けること。それはいけないことなのだろうか。生物は、いつだって自分が生きるためだけに行動していただろうか。いや、利他的行動、そういったものがあったはずである。それを今、実行する優香に罪はあるのだろうか。
一見、これは自殺ともとれるかもしれない。「生きる」意思を捨てた行為かもしれない。しかし、優香のこの行動には、自分の損得など隠されていないのだ。ただ、彼女に生きてほしいという真っ白な気持ちだけが、この決意を形作っている。それを黒いと言えるのだろうか。
優香はゆっくりと目を閉じた。自分が死んでしまうことを悟ったのだ。だが、自然と覚悟が出来ていた。なぜか、胸のあたりがすっきりとして軽い。何の後悔もなかった。
瞼の裏に、優しいお母さんの笑顔が映る。家族には謝りたかった。家族だけは、絶対に自分の死を望んでいない。そう言えるからだ。それでも、もう後戻りはしない。一度決めたことは、やり通さなければいけない。
そういえば、自分は病院で瀕死だった。それが本当だったなら、今頃お母さんもお父さんも必死に祈っているのだろう。奇跡を信じているのだろう。しかし、その奇跡は、残念ながら自分ではなく、彼女に起こることになる。それでも、お母さんとお父さんには奇跡を信じることは忘れてほしくない。自分が死んで、他の姿になり、またお母さんとお父さんに会えるという奇跡は、信じていればきっと起こる。そのとき、互いに互いを知らなくとも、覚えていなくても、それでいい気がした。
……
……
……
……
もうそろそろ、彼女は椅子に座っただろうか。もしかしたら、躊躇しているのかもしれない。それでも待っていよう。命を誰かに捧げる瞬間を。
……
……
……
……
……
なにかあったのだろうか。そろそろ、あの瞬間が来てもいいはずだ。それとも、あの声の主が自分を試しているのだろうか。それなら、辛抱強く待ってやろう。あの声の主は、きっと苦虫を噛み潰したような顔をしているに違いない。偽善とも言われそうなこの行動にはきっと反吐がでるはずだ。
……
……
……
……
……
……ぐぢぃっっ
……ドタンッッ!!!!!!
優香は思わず閉じていた目を開けてしまった。何か重たいものが倒れた音……人が倒れた音が耳を刺したのだ。最悪の展開が頭をよぎる。それだけは信じたくなかった。彼女には、「生きる」意思があったはずだ……!!!
周りを懸命に見渡し、彼女を探す。彼女が見つかるまでにあまり時間はかからなかった。が、優香がそれを彼女だと認識するのに時間がかかったのだ。
彼女の手首のあたりに、血だまりができていた。いや、それ以上の光景がそこに広がっていた。
『そ、そんな……!!!嘘だ!!!!!』
優香は叫び声を上げながら彼女に駆け寄った。分かったのだ。彼女が、なにをしたのか。
『なんで……!?どうして……?嘘だよね……?!』
彼女がしたこと。それは、手首の動脈を食いちぎったことだった。
普通、あり得ないことである。まず、動脈の近くには神経がある。「食いちぎった」ということは、神経も噛みちぎったことにもなるのだ。普通の人間ならこの時点で無理な話なのだ。そのうえ、腱もある。噛みちぎれるはずがない。彼女が自殺できる可能性なんてなかった。
ああ、きっとこれは違うものなのだ。自分が死んだことで、何かおかしなものでも見ているんだ。そうだ、そうだ。これは、違うものなのだ。彼女に限ってそれはないだろう。狂いながらも、「生きる」意思だけはあった。そんな彼女が自殺なんて。あり得るはずがない。まず、自分の手首を噛みちぎるなんて、噛みちぎってしまうなんてあり得ない。違うのだ。何もかも。彼女もこの光景も。すべてが幻覚に違いない。
彼女は、虚ろな目をしていた。目の焦点は合っていない。手首からは、脈拍に合わせて血が勢いよく出ている。先程見たときは腕のあたりまであった血だまりは、もう腰のあたりまで広がっていた。見たことがない程鮮やかな赤が、彼女の服に浸食し、目を背けずにはいられない模様を描いていく。
そんな光景を見ていたら、貼り付けた幻想が剥がれていった。死んでいるのは、死んでいっているのは、自分では無く、彼女なのだ。今見ていることは、すべてあり得ることなのだ。そして、これは幻覚ではない。現実だ。
優香はふと、振り返った。
視界の中心には、血だまりに佇む黒椅子がいた。
ゆっくりと歩いていき、黒椅子の前に立つ。
それから、強く唇を噛みしめ……
静かに椅子に座った。
この頃にはもう、倒れていた彼女は冷たくなっていた。
こうして、優香だけが生き残った。
周りには、血だまりと、死体しかいない。
しばらくして、あの声が響いてきた。相変わらず、冷たい声だった。
『勝ち抜きおめでとうございます。よかったですね、邪魔な者が自分から死んでくれて。私も殺す手間が省けて嬉しいです。』
優香の心のどこかがぶつり、と切れた。それと共にマグマのようなものが勢いよく流れだす。怒りだ。これは、とてつもない怒りだ。彼女が死んだことでそんな感情が出てくるなんて、許せない。
『あら、どうしましたか?そんな怖い顔をして。……まぁ、それよりもあなたのはなしをしましょう。
あなたは、他の人間より、「生きたい」という力が強いようですね。私はそんな人間が大嫌いなのです。』
何を言っているのだろうか。彼女の話を「それより」という言葉で片づけた上に、自分の事を大嫌いだと言ってきた。自分勝手すぎる。
優香の手のひらに指の爪が突き刺さる。怒りのあまり、拳を握りしめすぎたのだ。しかし、優香はその痛みに気づいていない。
怒りに震える優香をよそに、あの声は話を進めた。
『そんなに生きたいのですか?他人を退いてまで。そうだというのなら、人間は皆汚れているのではないのですか?
常に利己的。他人の事などどうだっていい。自分さえ生き残れればそれでいい。そして、そんな考えに染まりながらも、口では利他主義を語る。これが、汚れていないと言えるのでしょうか。』
優香はその声の見下すような声色にむっとして反論した。
『確かに、汚れている人間は居る。だけど、綺麗な人間もいるんだよ!?なんであなたは人間の事を嫌うの!?それはあなたが弱いだけなんじゃないの!?』
言いたいことをすべて言った。
そうだ。人間を汚れていると見下してしまえば、人間のすべてを見ないで済む。決めつけることで、自分の心を守っているのだ。見たくないところを表面だけの評価であしらうことで逃げる。そうやって、自分と向かい合わずに済ませている。
これで、少しは心が動くだろうか。そう思った矢先、同じ声色が降ってきた。
『ははは。よくそう恥ずかしがらずにありがちなことを言えるね。
……そうそう。そういえば言うのを忘れていました。』
改心しない声の主に、優香はまた反論しようとした。
だが、その言葉は、次の声によって、一瞬で奪われることとなる。
『私は、悪魔。その椅子に最後まで座った人間は、私の仲間になるのです。』
『えっ……。』
優香の口から、思わず声が漏れた。話が違った。椅子に座れば、救われる……そうだったはずだ。そうしたら、皆の苦労はどこへ行くのだろうか?彼女の命は、どこに行くのだろうか?
『まだわからないのですか?あなたは他の人間を殺しているのですよ?そうやって、椅子に座るために争いをしたじゃないですか。
そして、「彼女」もあなたに殺されたのですよ。あなたが、あんなふうに椅子を譲るから、「彼女」は自分の良心に抗えなくなって自殺したのです。』
優香の胸の奥に雷がおちた。彼女が自殺した理由が、自分にあったのだ。即ち、彼女の「生きる」意思を殺したのは他の誰でもない、自分だった……!
脳裏に彼女の笑顔が浮かんだ。痙攣しながらも、懸命に作った笑顔。それは生きる希望そのものであった。その希望を、自分の手で叩き割ってしまった。罪というとてつもなく重く、暗いものが体全体に絡みつく。初めてのその感触に、怖気を振るって何の言葉も出せなかった。
悪魔の声は、そんな優香に対して止めを刺した。
『あ な た は 、 私 と 一 緒 に 地 獄 行 き で す 。』
心臓が握りつぶされるような感触がした。血の気を失っていくのが自分でもわかるくらいに全身が冷たくなっていく。頭の中がどんどん真っ白になっていき、死にたくないという文字だけがウィンドウが無限に表示されるブラウザクラッシャーのように連なっていった。
そのなかで、必死の抵抗をした結果、『そ、そんな……!私はただ……!!』という言葉だけが辛うじて出たが、悪魔は間髪を入れず畳みかける。
『あら?私はあなたを救ったつもりですが?
あ、そうそう、あなた以外の人間は、「あなたに殺された」ので、天国へと旅立っていきましたよ。争いを一番したあなたにはとてもいい結果だと思いますが?』
死が、確実な死が、自分の近くまで来ている。頭の中はもう、文字がぐちゃぐちゃになってどうにもならなくなっていた。
『そ、そんな……イヤ……許してくださいぃ……!』
涙声が無意識に死を遠ざけようと這い出る。が、悪魔はそれを踏み潰して、こう言った。
『さよーなら。優香ちゃん。』
優香は、それからもたくさん叫んだが、どの叫びも死を遠ざけることはできなかった。
そして、抵抗することもできず、
優香は地獄へと旅立って逝った。
それからというもの、優香の姿を見たものは、誰もいない。
最後まで読んでくださってありがとうございます。メデュ氷です。
この話は、あらすじでも書いたように、kanoguti様の作品である、「やさしいこどもたち」を私の勝手な解釈と推測で書いたものです。実際の作品とは違うところがたくさんあります。
一番良いのは、「やさしいこどもたち」を実際にプレイすることだと思いますが……とにかく、この文章をきっかけにkanoguti様の作品にふれていただけたら、幸いです。
いやぁ、もっと短い文章で終わるかなあと思ったんですが、けっこう長くなりました。自由時間の大半を溶かしました。だが、後悔はしていない。
それよりも、私の憧れの存在であるkanoguti様の作品で文章を書けるなんて夢のようです。まさか、許可をいただけるなんて思っていませんでした。
最後のところとかけっこう捏造しているけど、おおめに見てください。そして、kanoguti様のホラーで綺麗で美しい、私はどっぷりとはまってしまった独特の世界観を描ききれなくてすいません。
最後に、この文章を投稿する許可をくださったkanoguti様に、この場を借りてお礼を申し上げます。
それでは、またどこかのあとがきでお会いしましょう……。
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