ふたりの芝居
そうか、映画を観てその「君」と話したことまでは、これからの話に比べるとなんの問題でもなかった。むしろその問題っていうやつは、最初の日の来日から始まるものであり、当時気持ちよく寝ている僕は、なにも知ることはできなかった。それは全部「君」のせいだと、今になって僕は思っている。でもその君に復讐する方法はこの物語を終わらせる方法しかない。なぜかと言えば、君はもう僕のそばから離れているし、もちろんインコさんも今は僕の隣には居場所をなくしているし、周りには僕しかないからである。
「もうご飯できたよ!」という声に僕は引き連れてしまい、まだご飯の時間は10分も残っていることにも拘らず、僕はお布団を卒業して階段の下に進学した。階段を下ってみると、そこには普通の家庭のキッチンがあって、冷蔵庫とテーブルと椅子とお母さんがあった。「お母さん、」と僕は話しかけた。母さんは僕に振り返って、忙しそうながら言った。
「なに?もう朝ごはんの時間だよ。はよ椅子に座ってな」
母さんが言ってる通り、僕は椅子に座った。北ヨーロッパ風の、木で作った心地よい椅子だった。昨日のアレのせいもきっとあるだろうけど、この椅子は母さんが半年前ネットから買ったやつで、凄く高いものだと親から聞いていた。なんで椅子にそんな投資する必要あるかって言われても、僕には答えようがないんだ。何でだろう?買いたいもんっていつも変わるから、別に椅子だってテレビだってPSPだって関係なくない?お金があれば買いたいものは手に入れるもんだから、それが資本主義ってやつだし、他の人がなんだかんだ言えるもんじゃないと思うけど。とにかく僕は椅子に座って朝ごはんを待った。待ってるのは普通のことだけど、今日はちょっと遅い方だった。さき母さんが潔癖症であることを覚えているんだろう。そう、母さんは朝ごはんに結構時間がかかる女である。でも美味しいから、息子からこういうのもあれだけど、待ってる価値は十分。
「はい。できました。今日は味噌汁とポークカツレツ、レタスと野菜のサラダ。飲み物は牛乳でいいの?ジュースにする?それとも」
「いや、別に。牛乳でいいよ。まだ子供だし、背伸びるし、サラダと牛乳も好きだから」
「じゃ牛乳ね。北海道十勝の牛乳。北海道に行ってみたくない?旅行とかでさ。お母さんは一度行ってみたいんだけど」
「旅でもしてよ。別に僕はいいんだから。もう安息年でしょ?10月からだったけ」
「そう。10月から1年間。よく知ってるねぇ、お母さん感心したよ。なんで知ってるの?」
「なんで知ってるのって言われても、お母さんが教授とかよく周りには知られた事だし、安息年安息年歌を歌い続けたのもお母さんだし、知らざるを得なかったって感じ」
「そうね。安息年の歌でも歌ってみようかなと思ったよ。もう歌ったみたいだけど」
言いながら母さんは少し笑った。笑ったのは珍しい事ではないんだけど、なんかその笑顔は見た事がないような、観察された事がないような経験的知識のように、僕の脳裏に深い印象を焼き付けた。まあ、母さんでも休みたかったよな、教授って面倒くさい職業だし、はやく定年退職して休みたいよな、とか思いながら僕は、母さんの作った飯をなるべくうまく食べようとした。せめて美味すぎて死ぬくらいうまく美味しく食べたかった。そんな僕の情けない摂食を見ながら母さんは、なにも言わずにゆっくりと紅茶を飲んでいた。のんびりとした朝だった。
朝ごはんを終えると、僕は特に午後の予定とかなかったので、外出してゲームセンターでも行く事にした。いや、ゲーセンでもブックオフでもツタヤでもどっちでも良かったが、なぜゲーセンかと言うと家に本は積もるけど、これらを処分する自信がなかったのである。本は買わずに立ち読みしてもよし、という選択肢もあったのだが、それはやはり僕には無理で、100円とか言ったらすぐ僕は本を買ってしまうんだ。でもゲーセンに行っても500円を使ってしまうのも事実であり、それは否定することのできない明らかなことである。まあ、言い訳が長すぎた。とにかく僕はゲーセンに行って、ゲームをやって、ゲーセンを出てカフェテリアに入ってごはんを食べることにする。ピザとかとうかな、パスタの方がいいかなとか思いながら、僕はメニューを眺めていた。きっと眺めているはずだった。
「おい、てめぇ、なに呑気でメニューとか見ているのよ。インコさんが待ってるぞ」
「わかんねえってば。僕腹減ったから、あとでね。今はちょっと無理」
「無理って何が無理って言ってるんだ。何も無理することはないぞ?女と話すのは嫌?」
「いやじゃない。けど、今はちょっと昼飯食べなきゃいけない。もうぺこぺこだよ」
「ぺこはぴよこちゃんの名前か?冗談じゃないぞ、インコさんもう怒ってるんだ。ほら」
「ほらって」
「君の前に座っているんじゃない。こら、じっと君のことを凝視しながら」
僕はメニューを眺める目を挙げ、テーブルの向こうを見た。そこには羽が華麗で、軽そうな鳥が一人椅子に座って、横目で僕を眺めていた。ほう。今度はインコか。やるな君。
「で、インコさんは何が言いたいわけ?」
「インコさんに直接聞いてみればわかるだろう。聞いて見る?」
「いや、ちょっと、食堂に鳥は迷惑じゃねえかよ。今は忙しいから、あとで話すよ」
「そんなことやったらインコさん、きっと君の眼を啄ばむぞ。話すことは今でもできるじゃない。だから、俺を通じて話してインコさんの話を聞いて、それを解決すればオッケーとのこと。君は脳みその回転が速いからわかると思うんだけど」
「はいはいわかりました。で、インコさんの話したいことは?」
「今はお腹空いたからメニューから始めたいんですけど」
それは「君」の声でもなく、僕の声でもなく、インコさんの声だった。いや、鳴き声って呼んだ方がいいかな、むしろ鳴き声に近い音だった。インコさんの鳴き声、細いなぁ。そんなに細い声を出すなんて一度も思わなかった。なんかこう、黄色い糸を声にした感じ。まさにそんな感じであり、僕は最初は声に驚き、あとは話す言葉に驚いた。
「インコさんってカフェテリアのメニューも食べるの?いや、食べられるの?」
「食べるよ。特に野菜と果物のサラダはね。虫とかも好きだけど、やっぱカフェテリアだと無理だね。虫は森で食べられるから平気。はやく注文してよ」
「うん、わかった。君の名前はなんて呼ぶの?」
「名前はない。だけど、あえて呼びたいならば、ベルダンディで頂戴。女神の名前よ」
「ああ、それはわかる。文学の時間に学んだことがあるから。ベルダンディでいいの?」
「いいよ。君の名前は何?何て呼べばいいの?私みたいに名前とかはない?」
「ないわけじゃないんだけど、ちょっと今はそうかな、日本語の名前は余計に難しいから教えづらいなあ。とにかく野間でいい。野間で呼んでくれ」
「わかった。じゃあ、野間くんね。野間くん、私が女給さんを呼んだ方がいいかな?」
「いや、ここにボタンがあるから、これを押せばウェートレスさんが来る。僕はまだメニューを決まってないから、少し待ってくれないかな」
「わかった。じゃあ、メニューが決まったらボタンを押せるね」
「そう。そんな仕組みでここは成り立っている。まるでベルトコンベヤーみたいに」
「ベルトコンベヤーって工場のものじゃない?なんでカフェテリアにそんな物がいるの?」
「さあ、僕もよくわからないな。多分それが一番効率的だから。時間と金は大事だから。インコさんにはよくわからないかもしれないけど、ここの500円ピザは、極めて効率的な仕組みによって可能になる。生産から輸送、作りまでぜんぶ。今インコさんが欲しがるサラダも、同じ。みな自分の位置を探しながら価格削減するため一生懸命頑張っているんだよ」
「そう。みな頑張っているね。そうやって儲けた金はどこに行くの?結局金の問題じゃないの?」
「どうかな。どこに行くか僕もよくわからない。多分従業員、宅配さん、農民、あと航空会社や社長に届くんじゃないかな。社長はすべての企業の社長のこと」
「なんか難しいね。日本語も難しいけれど、カフェテリアのピザの方がよっぽど難しい。メニューは決まった?さきお腹ぺこぺことか言ってるの、野間くんじゃなかったの?」
「あっ、ごめん。それは嘘だった。「君」が邪魔をして、それがいやだから嘘を言っただけ。本当は腹減ってないし、朝ごはんもまだ内臓に残っている気がする。まだ12時だし」
「じゃあ、君はその君に嘘をついてしまった。それはいいこと?」
「……うん。いいことだと思うよ。僕が君に嘘をつくのは許される。だって、君も僕にいつも嘘をつくんだから。お互いに世話を焼くってことよ」
「それは良くないように私には聞こえるね。なんで和解しない?愛憎ってこと?」
「愛憎かな……愛はないと思うんだけどね。愛だったらきっとこんな様ではなかった」
「愛かもしれないよ。私もそういう経験、したことあるから。ここでは言えないけど」
「もうボタン押したから、残った話はあとにするか。喉渇いてない?」
「まだ大丈夫。インコってさ、水とかそんないらないよ。鳥だから。知ってる?」
「すまん。知ってない。人間はいつも水が必要だから、勘違えちゃった。ごめん」
「ごめんちょうど頂きました。ピーナッツの入ったサラダも忘れずに」
「はいはい。了解」
インコさんと話すのは素晴らしい経験だった。実際に話してみると、インコさんの日本語は上手だったし、声もそんなに耳障りではなかった。僕はウェートレスさんを呼んでチリのパスタとサラダ、そしてサラミを注文してから、小さな皿を一つだけ頼んだ。それはもちろん、インコのためである。インコさんは僕が注文する様子を見て、くすっと笑った。
「なんで笑うんですか。何か面白いことでも?」
「いや、野間くん、ちょっと生意気な感じがして、笑いが止まらなかった。ごめん」
「なんだよ、わけわかんない。注文するだけなんですけど、お気の毒なところもなかったし、問題はないと思うんですが」
「いやいや、野間くんなんか勘違いしてるみたいだけど、私は野間くんの注文するとこを見て笑ったんじゃないの。なんかこう、凄く私を気にしているようで、それで笑ったの」
「それ当たり前のことじゃないですか。インコを引き連れてカフェテリアに入るなんて、ありえないことでしょう。辱める意図はないんですけど、それうるさいし、面倒くさいし、それにインコさんはカフェテリアなんか入らないんでしょ、普通」
「でも野間くんって、普通とは程遠いんじゃない?普通じゃないから君と対話することもできるし、ちなみに私と話すこともできる。現実ではありえないのに。でしょ?」
「非現実と現実を言うならば、僕にも根拠はありますよ。まず一、インコさんは僕の頭が産み出した幻想であること。二、もし実際のインコさんだとしても、話すことは僕の頭ん中のことであり、実際のインコと話してるわけじゃない。三、全ては幻であること」
「三が一番可能性高いね。世界はまぼろしよ。なぜそれを人間しかわからないのかしら、ちょっと調べてみたくない?興味ありそう」
「まだありません。ちょっと、遠回しですか。ずるいですね、インコさんも。僕は食事を取りたいから、インコさんも静かにサラダを食べてください。ここのサラダは美味しいんですよ、きっと絶対惚れるよ。止まんなくなるよ」
「惚れたら?惚れたらどうする?またここでお話をするの?」
「いや、違います。話はここで終わりです。ぜんぶ夢である以上、僕がここでまたインコさんと話す必要はありません。もともと僕は医学志望だし、インコよりは人間に興味があります。残念なことですが、インコさんとはここが最後なんです」
「あら、悲しい。野間くん可愛かったのに、また見られないね。それで、君との和解は?いつやるか決めたの?」
「和解なんかありゃしません。和解ってそもそも和んで解く、という意味じゃないですか、なのに君と僕は和むこともないし、解く糸もありません。それは二つに分かれた精神なんです、インコさんみたいに」
「なんか難しいね。精神か……あ、サラダが来たよ。私さきに食べるから、野間くんはちょっと待ってね。チリのパスタも美味そう。口で食べるの?」
「はいもちろん口です。眼や鼻や耳ではありません。口で食べます。インコさんの嘴みたいに」
「今の冗談?ふふっ、面白かったよ。サラダ美味しい!本当だ、野間くんって嘘つきではなかった。なんで君に嘘をついたかようやくわかったような気分。でしょ?」
「ですよね。じゃあ、一緒に食べましょう。そろそろ時間だから」
きっと、周りの座席の人は笑うかもしれない。頭やっちまったか、なんで一人で喋る?カワイソウとか言ってるかもしれない。でも、真実を言えば、僕はその時インコさんと、いや、ベルダンディと話していて、周りの人などいなかった。本当に、カフェテリアには僕とベルダンディ、二人しかなかったのだ。何故かと言うと、その日は午後の3時からタイムセールだったので、わざと人たちが来なかったってわけ。だから僕は密かに心配していたのだが、実は心配することなどぜんぜんなく、結局のところ、僕は一人芝居をやっていた。これは面白い。僕はベルダンディにやられたんだ。これからもやられ続けである、だから僕の物語を読む読者諸君は、僕の一人芝居を味わいながら笑ったり、怒ったり、泣いたりすればいい。それが僕の役目で、ベルダンディの役目でもあるから。