足の先まで数センチ③
ハンドルグリップを強く握り、自転車を引いて歩く。
細道を外れ、ようやくグラウンドが見えなくなると、一度だけ振り仰いでみたが、鬼佐が追ってくる気配はない。
当然だ、と流星は震える息を吐き捨て、唾を飲み下す。
再び橋を渡るとき、今度は達人成瀬が後ろを振り返った。
「実習ってさ、その……評価が付けられるんじゃないの?」
「……え、はい。たぶん」
成瀬の言いたいことは、すぐに分かった。
事前打合せをすっぽかした流星の心証は、最悪だろう。
「あとで、うまく電話を入れますよ」
言いながら、肩をすくめる。
本音を言えば、今さらながら教育実習することさえ、流星は迷い始めていた。
「うまく、ねえ」
達人成瀬は急に立ち止まり、無精ひげのあるアゴをさすると、首をひねって欄干から身を乗り出した。
「どうしたんですか、UMAでも見つけたんですか」
流星のからかいには反応せず、達人成瀬は辺りをうかがい、何かを探している様子だ。
「上か」
弾かれたように顔を上げ、空中を見やった。
つられた流星が目を向けるのと、「やめろ!」と達人成瀬が叫んだのは、同時だった。
初めは自分が言われたのかと流星は思ったが、どうやらそれは違うらしい。
橋の中央にできた人だかりが、同じように空中を見上げ、口々に「止めろ」だの「だめだ」などと叫んでいる。
繁華街のほうの川辺には、ちょっとした商業ビルが建っていて、その六階ほどの窓辺から、若い男が身を乗り出しているのが見えた。
「まさか、飛び降りるつもり、とか」
流星が驚いている間に、達人成瀬はてきぱき群集を統制して、若い男の説得を始めた。
流星は、所在無さげに立ち尽くす。
本音を言えば、流星は人に関わるのが得意ではない。
「このまま自分だけ帰ったら、成瀬は自分を軽蔑するだろうか」
先ほど、男子高校生の奇異の目から救い出してくれたのと同じ口で、今後は「無責任だ」と流星を責めるのだろうか。
群集が押し寄せてきて、杖代わりの自転車が倒れ掛かった。
くるぶしが、焼けるように、痛む。




