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月明かりだけの世界で⑥

 わざとらしく笑みを浮かべ、前田輝臣は流星を見下した。


 ――『キレろ。キレろ! おまえの醜い本性をさらけ出せ!』


 流星は薄く笑いながら、前田輝臣だけでなく、そこにいる陸上部員すべてに見えるように脚を持ち上げた。

「ほら、ぼくは怪我があるから走れないよ」

 なるべくカラッと聞こえるように、流星は、まゆ根を寄せる。

「ぼくね、これでも昔は短距離の選手だったんだよ。本当に残念だ。これがなかったら、陸上部の面目にかけて、絶対に勝ってみせたのになぁ」

 おどけたように肩をすくめると、バスケ部の顧問やコーチが安心したように流星のくるぶしの怪我について尋ねてきた。

「ああ、これは中学のころに事故に遭って……はい、そうです。陸上部に在籍中で。はい、鬼……いや、佐々木顧問にはずいぶん迷惑をかけました」

 流星が勝負に乗ってこないと分かると、前田輝臣は「逃げるのか」と散々悪態をついてわめきちらした。

 暴れて振り上げた手首に、真新しい夕陽色のミサンガが揺れている。

 グラウンドに向けられたスピーカーが、ノイズのあと、スタンドバイミーの前奏を流し始めた。

「よし、各自アップしてー。明日は体育館でミニゲームをするぞー」

 ホッとしたようなキャプテンのかけ声で、練習は打ち切られた。

 部員たちが校舎に入っていくのを見守っていると、ソフトボール部の練習に参加していた遠藤良子が声をかけてきた。

「北島先生。我慢できないので、言わせてください! ……仮にも教師を目指す身なら、彼のあのふざけた態度を、まずは指導するべきなのでは?」

 そうだね、と流星はうなずいた。

 遠慮しているんですか、と嘆く遠藤良子に背を向けて、流星は職員室に戻った。実習日誌を書き上げてから校舎を出ると、暗闇に月がぽかりと浮いていた。

 自転車にもたれながらグラウンドの脇を通り過ぎ、ふいに立ち止まる。

 靴を脱ぎ捨て、靴下も脱ぎ、サポーターとギプスを外す。えぐれた右のくるぶしに手を添えて、立ち上がる。白線を踏み、一歩ずつ前に進む。のろのろと、懸命に。

 ちっとも早くない流星のスピードでは、バランスがうまく取れずに、すぐに倒れ込んでしまう。

 目を閉じると、中学生の流星が、颯爽とグラウンドを走り抜けていった。

 えぐれていないくるぶしは、流星の体を軽やかに、前へ前へと押し上げる。下校の音楽を振り切るように、いつまでも走っていたあのころ。

 気がつくと、大きな涙声のまま、流星はスタンドバイミーを歌っていた。



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