いつでも君のそばに③
「ほら、昨日の話。大騒ぎしてる……サラリーマン、に会ったって、言ったろ? すぐに警察が来て、連行されたよ」
酔っ払いかしら、と母親。
「たぶんね。その騒ぎを見ていたら、疲れちゃって」
「おまえの悪いくせね。人の気持ちに、その……同調し過ぎるっていうの?」
「そんなことより、実習だよ。寝ないで準備したんだから、もうカンペキだよ」
大皿を前に両手を広げると、「そうなの?」と、母親はのん気に鼻歌を再開した。
「うまそう」
「あまりまえ。早く食べちゃいなさい」
母親を、不安にさせてはならない。
これ以上。
騒いでいたのがサラリーマンではなく、実習先の生徒だったと知ったら、母は学校に行くなと止めるかも知れない。
そんな大げさなことを、流星は割りと本気で考えていた。
それほど、中学時代の事故の記憶は、母親の心をもえぐり取っていったのだ。
自転車のカギを握りしめて玄関を出ると、後ろから唐突に母親が言った。
「のど飴、持っていきなさい」
「……どうして?」
「え、別にいいじゃないの」
何も、ことばにならなかった。
固まったまま視線を泳がせていたのを見かねた母親が、遅れるわよ、と背中を押し出した。
やはり叫んでいたのか、と流星は苦笑いをする。
乗れない自転車を押したまま、川沿いの道を歩いた。頭の中で、たくさんのことばや顔が、ぼんやりと流れては消えていった。
朱色に塗られた橋まで来ると、意識的に真ん中を選んで歩いた。
「昨日の生徒……どうして彼は、あんなことをしたのだろう」
助けて、と言うからには逃げたい現実があるのだろうが、何も窓から身を乗り出すこともないはずだ。
彼がどんな事情を抱えているにせよ、未熟な流星では解決できることでもないだろう。
自転車を頼りにどんどん先に進んでいくのに、心だけはいつまでも橋の欄干の辺りでぐずぐずしている。
ぼんやりしていたら、いつの間にか校門までたどり着いてしまった。
黒くて丈夫そうな制服を着込んだ生徒たちが昇降口に吸い込まれていくのを横目に、職員玄関に向かう。中には、来客用スリッパが三つ並べられていた。