第1話 春のクリスマス part3
――空を見上げていた。
したたる雨は冷たく、手についた汚れも洗い流してくれる天からの恵み。
そんな洗礼を浴びながら、俺は煙草に火をつける。
辺りには首や足、腕が切断された死体が血だまりを作って数体倒れている。依頼を受けて俺が殺した対象だ。
そこには何の感情もない。仕事に感情は挟まない、それが俺のポリシーだ。
――空を見上げていた。
月は雲に隠れ、光は俺に届かない。むしろそのほうが俺にとってはいい。俺は光など当たる存在ではないのだから。
だが、ふと思う時がある。
壊すのではなく、誰かを守れたりはしないのだろうか、と。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――時は立ち、始末屋から足を洗い、北龍警備に入社してから五年目の春。
俺は彼女に出会った。出会ってしまった。
「この少女が君の護衛対象だ」
個人的に気に入らない糞眼鏡上司が話している。
普段なら気が滅入り、煙草でも吸い出すところだが、今は目の前光景に目を奪われていた。
なぜなら、
「…………」
白いドレスを着た、世界三大美女とも並ぶであろう美貌を持った少女が俺の目の前にいたからだ。
目が離せないほどの美しさ、とはこのことだろう。思わず、息をのむ。
もし、この少女が微笑んだら、世の人間の男共はこぞって花束をプレゼントすることだろう。
思わず舌打ちをこぼす。……長く人間社会に居すぎたな。感性が人間になってやがる。
「なんだ牛塚、その態度は。嫌なのか?」
ジロリ、と眼鏡のフレームを流しながら糞上司が俺を睨んできた。勝手に勘違いするのはやめろ。
「いや、やるよ。で、こいつは?」
糞上司は舌打ちをしてから、説明を始める。
……お前も舌打ちしてるだろうが。
その言葉を喉の奥に仕舞いこみ、糞上司の説明に耳を傾ける。
「先日、信頼していた情報筋から『連合のとある施設に世界の運命を変えるほどの兵装がある』、とのことを受け、特殊部隊を派遣して手に入れた『もの』、だ」
……こいつは何を言ってるんだ。
「俺の目が狂ったのが知らないが、人間に見えるのだが」
俺の皮肉に糞上司は少しだけ顔を歪めるが、すぐにいつもの感情のない表情へと戻り、言葉を続ける。
「結果だけ話すと、期待していた世界の運命を変えるほど兵装などはなく、この少女と、少数の護衛しかいなかった。特殊部隊は手ぶらで帰る訳にもいかず、連れてきた、というわけだ。部長は、服装、そして護衛がいたことから、連合上層部関係者の娘だろうと予想している」
「なるほど。表では連合に媚びへつらい、裏では拉致とはな」
もう一度、皮肉をぶつけるが、糞上司の表情に変化はなし。
ま、あまり怒らすと給料が減るからこのくらいにしておくか。
「それで、こいつの名前は」
目の前の金髪少女を指差して尋ねる。
「名前は――クリス、という。もっとも、本人がそう言っているだけで偽名の可能性もあるが」
それがこんな小娘じゃなければ、な。
目の前の少女を見つめる。特に怖がっている様子でもなく、緊張しているわけでもなく、ただ感情のない目で前を見つめている。……まるで人形だな。
「いいか、牛塚。お前の命などどうなっても構わない。だが、この少女だけは奪われるなよ」
この糞眼鏡はもう少しオブラードに言葉を包めないのだろうか。だから出世もしないんだろうな。
「ああ」
それに対して、気の抜けた返事を返す。だが、やる気だけはあった。……なぜだ?
「本当に分かっているのか……?」
訝しげな視線を無視し、クリスという少女の元へと歩み寄る。
それに気づいたのか、俺に向かって無表情のまま視線を向けてきた。
「牛塚 鬼燈だ」
俺はクリスと呼ばれた少女に向かって、右手を差し出す。
なぜそうしたかは分からない。だが、無意識のうちに手を差し出していた。
「…………」
だが、その手は握られることはなかった。
俺を見つめていた二つの瞳は地面に向けられ、背を翻し去っていく。
やれやれ……俺らしくない行動をしたら、これか。
歩き去っていくクリスの後ろ姿を見つめる。
触れればすぐに壊れてしまいそうな細い腰。端麗な美貌を引き立てる黄金の髪。まるで、全てのパーツが精巧に作られた芸術品のようだと思った。
ま、せいぜい俺の手は煩わせないでくれよ――――お姫様。
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「で、お前は何がしたいんだ?」
月明かりが窓から漏れている。
部屋の広さはホテルのスイートルームほど広く、家具も高級品。
その窓枠で俺は煙草を吸いながらソファーに座り、何をするもでなくじっと目の前の暖炉を見ているクリスへと問い掛ける。
「…………」
反応は、なし、と。まぁいつも通りだな。
だが、俺も三カ月も護衛兼監視役をやっていると、人形のようなやつでも愛着がつくのか、時たま話しかけている。十回に一回は反応を返してくれるしな。
「三カ月ほどお前を見てきたが、何もせず、ただ茫然と外を眺めたり、考え事をしたりしているだけだ。お前は何者なんだ?」
答えは期待していない。だけど応えて欲しいと思っている。
なんでだろうな……人恋しいとでも思っているのだろうか。
そんな自嘲気味な思考を打ち消そうと、口に咥えてた煙草を、傍に置いてあった携帯灰皿で消していると、
「所有者を探している」
「所有者?」
思わず聞き返す。所有者とはなんだ?
「…………」
背中を見せたまま、何も答えない。
なるほど。答えたくはないと。だが、目的だけは聞き出すことができた。
進展したと言えば進展したの……か?
ポケットから新しい煙草を取り出し、火をつける。
「所有者、ねぇ……」
煙草を口に咥え、窓の外を見る。
頭の中の疑問と正反対のように、月がくっきりと輝いていた。
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「頼みたいことがある」
護衛兼&監視役を始めて五か月。
前よりも『それなり』に会話する回数が増えたお姫様……クリスがいつもの無表情で目の前に立っていた。
いつものように窓の側で煙草を吸っていた俺は携帯灰皿に煙草を置き、顔を上げる。
「なんだ?」
「あれを食べてみたい」
クリスの指差す方向を見ると、大型薄型テレビからアイスクリーム店のCMが流れていた。
……なるほど。あれを食べてみたいと。そういえばこいつは食にうるさかったな。いつもは無表情なのに、そこまでおいしくない料理が出ると表情を曇らせていた。
だが、それはできない相談だ。
「無理だ。お前をここから出すことはできない」
そんなことをしたら俺の首が飛んでしまう。直属の上司のと相性は悪いが、それなりに待遇のいい職場なのだ。簡単には手放したくはない。
「食べてみたい」
俺の否定の言葉に怯まず、言葉を重ねるクリス。
「だから……」
「食べてみたい」
……意外と強情だな、こいつ。
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……で、今に至る。
神守市のセントラルロード。そこを俺とクリスはいた。
目の前には上下ともに茶色の豹柄のジャージを着ており、頭には赤色の地元野球チームのキャップを深く被っているクリスがてくてくと何も考えてなさそうな表情で歩いている。
なにしろあの美貌だ。素の状態のまま外に出すと、目立つ上このうえないからな。
辺りを見回してみると酔っ払っている会社員、会社帰りのOL、ゲームセンターに入っていく学生などが見える。人通りは激しく、目を離すとすぐに離れ離れになってしまうだろう。
「おい、久々の外だからって浮かれるなよ」
目の前で呑気に歩いているクリスへ注意を促す。
振り返りこくり、と頷いた。
「本当に大丈夫か……?」
もっとも……本当に大丈夫か分からないのは俺か。勝手に外に出したってことになると、どんな処分が来るのやら。とっととアイスでも食わせて、バレないように戻さないとな。
一応のため、辺りをもう一度観察してみる。
俺たちを一瞥し、新聞紙を広げて顔を隠した男、シャッターの閉まった店の前で座っている、俺達に視線を向けているホームレスの男、後ろを振り返ると、自転車を押しているパーカーを深く被った男が見えた。
……おいおい、これは。
「待て、クリス。何かおかしい」
クリスが振り返り、首を傾げる。
周囲に視線を向けると、先ほどの男たちの他に、サラリーマンの格好した男、酔っ払いの格好をした男も混ざり、俺たちを囲むように立っていた。
「牛塚ぁ~、よーやく、見つけたぞ」
その中の一人、ホームレスのような格好した男が卑下た笑みを顔に張り付けながら呟いた。
それに習うかのように、周囲からも卑下た笑いの渦が巻き起こる。
……なんで、こんなタイミングで出るんだか。
横にいるクリスが俺を見上げ、「この人たちは誰?」という視線を向けてくる。
「恐らく、昔やっていた仕事関係の奴ら……具体的にいえば始末屋ってやつか、それか俺に殺された奴の関係者か、だな」
正直、心当たりが多すぎて、分からないってのが本音だが。
「ぶっ殺してやるよ、牛塚ぁ~」
「この日を待っていたぜ~、へへへ……」
そりゃどうも、俺は一生こんな日になってほしくなかったよ。
周囲を見回してみる。ここではあまりにも人目がありすぎる。相手は異類異形、だけど両者とも武器も、本来の姿も出せない。そんなことしたら連合の抹殺対象になってしまう。空視化しようにもこの人ごみだ。誰かに見られでもしたら騒ぎになる。となると純粋な力比べとなる。結果、人数で勝るほうが勝つ……なるほど、いい作戦だ。
周囲の男たちがじりじりと嫌な笑みを浮かべながら、距離を詰めてくる。
だがな。俺は百戦錬磨の始末屋だった男だ。それに――
「…………」
かすかだが、強張った表情を浮かべているクリスを見る。
こいつを、守らないといけないしな。
思わず、笑みがこぼれる。
絶体絶命だが、心は死んでいない。この程度の修羅場は何度も切り抜けたはずだ。
「いいだろう。相手をしてやるよ、雑魚共が」
その声を皮切りに、周囲の男たちが怒声を上げながら、群がってきた。
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――――痛ぇ。
あまりの痛みに目を覚ます。背中にはひんやりと冷たい感触。
ここは恐らくセントラルロードの路地裏らしい。意識を失う前の微かな記憶が、ここにたどり着いたことを覚えていた。
ゆっくりと目を開けていく。
空き缶や雑草が見えると思っていた……が、
「…………」
クリスの顔があった。目の前に。
「おまっ!?」
思わず後ずさる。だが、後ろは壁。結果――頭を思い切りぶつけてしまった。痛みに顔をしかめる。
頭をさすり、周囲を見渡すと俺の着ているスーツはぼろぼろで、ところどころ破れて血が溢れだしている。一番の痛みがある腕を見ると、腕に蝶の模様が描かれた、紫色の高級そうなハンカチが巻きつけられていた。これは俺の物じゃない。と、なると……
「お前がやったのか?」
クリスはコクリ、と頷いた。
いや、頷くなよ……というか、
「なぜだ。俺が気を失っているうちに逃げることだって出来はずだ」
「分からない。ただ……」
「ただ?」
クリスは、自分でも分からない、という風に微かに困惑した表情を浮かべながら、
「逃げるよりも、あなたの傷の手当てのほうが大事だと思った」
……は?
「ははは……」
なるほど、なるほどな。
「ははははははははは!」
目の前の少女はなぜ俺が笑っているのか分からないと言う風に首を傾げていた。確かに、分からないだろう。俺が何を思っているのか、何を、感じているか。
「まさか、監視対象に助けられるとはな」
クリスのどこまでも碧い瞳を見つめる。相変わらず……どこまでも澄んでいて、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも……綺麗だった。
……ああ、そうか。これが恋ってやつか。
もしかしたら、初めてあった時には、もう――
「なぁ、クリス」
「なに」
だが、俺は人間じゃない。だから、せめて――
「所有者が見つかるまで、俺がお前を守ってやる」
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……そんなことも、あったな。
つい、半年前の話だった。
木造アパートの一室。1LDKの部屋に家具はなく、辺りは血と包帯の切れ端が落ちているだけの部屋。
差し込む朝日が眩しく、寝起きの俺は思わず目を細める。
ズボンのポケットから煙草を取り出そうとすると、ひらひらと蝶の模様が描かれた紫色の高級そうなハンカチが床に落ちていった。
拾い上げ、眺める。
『所有者が見つかるまで、俺がお前を守ってやる』
あの時、俺は宣言したはずだ。言ったからには、やらなければいけないよな。
ハンカチをポケットにしまう。そして俺は戦いに赴くため立ち上がった。
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――どこか、懐かしい感覚。
「(なん……だ?」
体がゆすられている感覚。いつ以来だろうか。誰かに揺すられているのは。
まだ僕が実家にいたころ、妹に……いや、妹は揺するというより踵落としをしてくるから、母さんか。
誰なのだろう。殺子は僕よりも早く起きるはずがないし……スロースピードで活動している脳を回転させ、目をゆっくり開けていく。そこには――
「おはようございます。春乃先輩」
ゆらせちゃんの顔があった。
……? どうして、ゆらせちゃんがここに?
「あれ、僕……」
「ぐっすり、寝ていましたよ」
そう言って、僕の脇へと視線を向ける。
ゆらせちゃんの視線を追うと、殺子とクリスが静かな寝息を立てながら眠っていた。
……あれ、何か忘れているような……あっ!?
「そういえば、傷は!?」
昨日あったことを思い出した。殺子とゆらせちゃんが戦い、そこに乱入した牛塚によってゆらせちゃんは致命傷を負い、ここで治療したのだ。
僕の表情があまりにも真剣味を帯びていたのだろう。ゆらせちゃんは最初戸惑った表情を浮かべていたが、
「この通り、もう大丈夫です」
すぐに僕を安心させるかのように微笑みを浮かべ、斬られた脇腹をぽんぽんと軽く叩く。
「痛みとかはない?」
「ええ、大丈夫です。治癒術が上手く作用されたようです。日常生活に支障はありません」
「よかった……」
ほっと、ため息をつく。特に後遺症もないみたいだし、本当によかったよ。
ゆらせちゃんが立ち上がる。上を見上げると、少しだけ穏やかな表情を浮かべて言った。
「少し、外で話しましょうか」
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太陽が雲に隠れ、尻毛荘の外観を弱々しい日光が照らしている。
遠くからはスズメの鳴き声も聞こえてくる。肌に感じる風は少しだけ肌寒く、まさに春の朝というところだろう。
「それで話って?」
隣で目の前に広がる住宅街の屋根を見つめているゆらせちゃんに尋ねた。
僕たちは203号室――月夜見アシスタンス事務所前の通路にいた。
ゆらせちゃんは、頭を下げ、
「まずは、命を救って頂いたことを感謝します。本当にありがとうございました」
なぜか僕に感謝の言葉を向けてきた。
「それは殺子に言ってあげて。実際、怪我を治したのは殺子だからさ」
僕は何もしていない。したことと言えば、殺子が治癒術を使っている間、異眼を発動させて見張りをしていただけだ。
そんな僕の心情をよそに、ゆらせちゃんは首を振り、
「いえ、刀御巫先輩がぼくに治癒術を使ったのは、春乃先輩、あなたが言ったからでしょう」
「いや、それは……」
「倒れた時、少しだけ意識があったんです。春乃先輩が刀御巫先輩にぼくを助けるように言ったこと、ちゃんと聞いていましたよ」
僕はそんな恩人なんじゃない。ただの我儘で、何もできないちっぽけな人間だ。
「……僕は、ゆらせちゃんに死んで欲しくなかっただけだよ」
「それは、敵だとしてもですか」
真剣な表情で、ゆらせちゃんが問いかけてくる。
「うん。敵だとしても。困っている人がいたら、そこに手を差し伸べる」
ただの自己満足。でも、これが僕の生きる道しるべであり、視月からもらった大切なもの。
「…………」
僕の言葉に、ゆらせちゃんはじっと僕の瞳を覗き込むように見つめてくる。
そして、
「……はぁ」
大きくため息をつき、まるで可哀そうな人を見るような表情へと変わった。
な、なんで……
「なるほど。だからこそ、このようなことにも首を突っ込んでいるわけですね」
「いや、別に進んで首を突っ込んでるわけじゃ……」
今までにだって危ないことと言えば、殺子の刀を探すときとか、クラスメイトのストーカーを退治した時とか……そのぐらいだったはずだ。
…………はずだ。
「そ、それよりも、ゆらせちゃんはどうして連合に入ったの?」
あからさまな話題そらしにゆらせちゃんは、じどーと蔑むような視線を僕に向けてくる。
「あからさまに話題を変えますね」
「うっ」
思わず、ゆらせちゃんから目をそらす。
「……命を助けられた借りもありますし、別に構いませんよ? つまらない話ですが、聞きますか?」
「え?」
思わず聞き返す。
「聞きたいんじゃないんですか?」
「いや、本当に話してくれるとは思わなくて……」
「ぼくは嘘は言いませんよ」
そういって、ふっと微笑む。
その表情はいつもの厳しい表情からは遠い、年相応の女の子の表情だった。
「では、どこから話しましょうか」
そう呟き、どこか遠くを見つめる表情になるゆらせちゃん。
どこか儚げで、どこか……寂しそうな表情だった。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「ぼくは捨て子だったんです」
今でも微かに、本当の両親の顔は覚えている。
だけどあの人たちはぼくの両親じゃない。
「それで、孤児院に連れてこられてから」
孤児院では、いつも一人だった。捨てられた、という気持ちが大きくて、仲良くなっても裏切られるんじゃないか、と思ってしまったから。
でも、そんなぼくを――
「優しい若い夫婦がですね、引き取ってくれたんです」
いつも孤児院の隅で下を向いて、無気力だった僕を引き取ってくれた――優しい人たち。
今でも、あの時の言葉を忘れない。忘れられるはずがない。
『ねぇ、あなた。私たちの子供に……ならない?』
ここで頷いてしまったのだ。ぼくは。あの時頷かなければ、ぼくの人生は大きく変わっていただろう。
「ぼくは、普通の両親に引き取られた……そう、思っていたんです」
だけど、現実は違った。
赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。
いつも、両親と座っていたソファーも、クジラが高くジャンプしている絵が描かれたカレンダーも、家族一緒にご飯を食べていたテーブルも……全て両親の血で染まっていた。
「ぼくを引き取ってくれた先の母親が、神……異類異形だったんです。そのことが連合にバレてしまい、一刻も早く別れるよう通告を受けました。ですが、それにも関わらず両親は通告を拒否し、結果、抹殺されました」
「抹殺って、そんな……」
春乃先輩が口に手を当て、絶句した表情を浮かべている。
両親が頭、背中、足……全身ありとあらゆる場所から血を流し、倒れていた。
あの時の光景は目に焼き付いて忘れられないだろう。
だけど――
「昔は悲しかったです。でも、今は仕方ないことだと思っています」
両親を殺した征討員を恨んだこともあった。何もわからないぼくは、なぜ両親を殺したのか、殺す必要はあったのかと、ずっと思っていた。
だけどぼくは知ってしまった。世界の真実、というものを。
「なぜなら、憲章を知っておきながら守らなかったのは両親ですから」
無知は罪だ。知らなかったら犯罪は犯していいのか? そんなはずがない。
ならば、憲章を知っておきながら守らなかった両親は? それも通告を受けながらも別れなかった両親は?
「それからぼくは連合に志願しました。孤児院には帰りたくありませんでしたし、何よりもぼくのような人間をこれ以上、作りたくなかった」
ぼくの孤児院は元々連合の施設だということを突き止めた僕は、院長に『征討員になりたい』、と申し出た。
あの時の院長の顔は忘れそうにもない。ありえない、と思っただろう。こんな小さい子が一人で連合という存在を調べ、征討員の存在まで知っていたのだから。
そして、ぼくは『あの人』に出会った。
性格に難はあるが、任務に対しては常に冷静で、物事を正確に捉え、容赦なく実行に移す人物。
あの人の立案した作戦に失敗はない。それから名づけられた二つ名は『計略者』
征討員になって、まず言われた言葉は『ようこそ、執行ゆらせ三等征討員。この狂った、殺し、殺されの世界へ』だった。
確かに、この世界は狂ってる。でもそれを正すのが連合と、ぼくたち征討員のはずだから。
「そして、ぼくの初任務。神である妻と、人間の夫を拘束せよ、という任務でした」
あの時の判断は間違っていた、とは思っていない。
『頼む。この子は見逃してやってくれ。私たちはどうなっても構わない……だが、この子は、この子だけは』
『……その言葉に、偽りはありませんか。自分たちは死んでもいい、だから子供だけは助けてくれと』
『ああ。だから、この子だけは……助けてほしい』
『パパ……? ママ……?』
『私も同じ気持ちです。私たちには、この子が全てなんです』
「結果だけ言えば、僕は対象の夫婦を抹殺せず、拘束部隊の鎖に引き渡しました。元々、ぼくの任務は、対象の人間を拘束することでしたから。もちろん拘束できないようであった場合は、殺害も辞さない、となっていましたが」
「もしかして、ゆらせちゃんって……」
その言葉の続きは読めた。……中々鋭いですね、春乃先輩も。
「殺したことはありませんよ。別に殺さなくても任務は達成してきましたから」
運よく、と言えばいいのだろうか。ぼくのもとには『抹殺しろ』、という任務は与えられなかった。
ほとんどは敵対する組織の異類異形や人間の拘束任務が主だった。
「ぼくは一度も任務に失敗することがなかったため、わずか二年で一等征討員という地位まで上り詰めることができました」
ぎゅっと上着のポケットに入っている手帳を抑える。
これはぼくの強さの証。そして、これ以上ぼくのような人間を出さないように戦ってきた証だ。
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一陣の風が僕とゆらせちゃんの髪をなでる。
ぎゅっと拳を握る。思ったままのことを言ってもいいのだろうか……いや、ゆらせちゃんのためにも言わなければならない。
「ゆらせちゃんってさ……本当に征討員で、いいの?」
「……質問の意味が分かりませんが」
「こんなこと言ったら、失礼かもしれないけど……僕は、ゆらせちゃんは征討員に向いてないと思う」
僕の言葉に、ゆらせちゃんは一瞬驚きの表情をにじませたが、すぐに厳しい表情へと変わる。
「どういう、意味ですか」
僕の言葉は存在を否定したに違いないかもしれない。けど、だって君は、
「だって君は……優しすぎるから」
「……何を」
「僕が聞いた征討員ってのは、容赦なく、任務に当たり、対象を抹殺するって。これは間違い?」
「……そうですね。普通の征討員は拘束などせず、基本的には対象を抹殺します」
ゆらせちゃんは目を伏せ、まるでそのことを恥じているような表情で肯定した。
「なら、どうしてゆらせちゃんはそうしないの?」
「……する必要がないからです。殺さずとも、任務は達成できますから」
「なら、どうして今すぐ僕を殺さないの」
「それは……」
ゆらせちゃんが口ごもる。いくらでも僕たちを殺せるチャンスはあったのだ。だけど、今この時も僕と殺子は五体満足で生きている。
「クリスを保護したいのなら、僕や殺子は障害なはずだ。だけど、ゆらせちゃんは先に起きていたのにも関わらず、殺さなかったじゃないか」
それが、ゆらせちゃんの矛盾。任務を達成するのが一番なら、すぐにでも僕たちを殺し、クリスを保護することもできたはずだ。
「……一応は助けてもらった恩がありますから。それがなければ殺していました」
無理やり作ったかのような言葉。優しい嘘。
ああ――やっぱりこの子は、無理、してるんじゃないか。
「でも、ゆらせちゃんは自分の感情よりも、規則やルールが一番なんじゃないの?」
だから心を鬼にして攻める。優しい嘘を、優しい言葉にするために。
「確かに、そうですが……」
目を伏せ、言葉を濁す。
「本当に……ゆらせちゃんは征討員でいいの? いつか、誰かを殺すことになるかもしれないんだよ?」
「だからどうしたのです? 殺さなければいけないのなら、ぼくは……」
ゆらせちゃんはキッと僕を真っ直ぐに睨み付け、
「――貴方だって殺しますよ」
ゆらせちゃんの瞳を見つめる。……嘘は、言ってないように思える。けど、今まで一人も殺したことがない、少女が、恨みや憎しみもなしに、ただ「任務」というだけで誰かを殺せるのだろうか。
「無理、してない?」
ゆらせちゃんは僕の言葉にしばらく、厳しい表情を崩さないでいたが、一息入れるように「ふぅ」とため息をついた。
皮肉っぽく、そして、どこか優しげな顔で、
「春乃先輩ってやっぱり、お人よしですよね」
「殺子にはよく言われるけど……そうなの?」
特科のクラスメイトからも言われてるけど……自覚はないんだけどな。
「はい。悪く言えば甘いんですけど。でも」
言葉を切り、僕へと背を向ける。
「――ぼくは、嫌いではありませんよ」
「ゆらせちゃん……」
やっぱり、君は――
「今夜、また来ます」
その言葉が僕の意識をを現実に戻す。
僕からすればゆらせちゃんはクリスをさらおうとする――敵。
ゆらせちゃんからすれば僕はクリスを匿っている――敵。
「春乃先輩、普通というものがどれだけいいのかは、普通から外れてから、よくわかるものなのですよ。外れた者は、もう二度と戻ることは出来ないのですから」
そう言って、ゆらせちゃんは振り返る。
はっと息を飲む。
振り返ったゆらせちゃんの表情はどこか悲しそうで、純粋に、僕にも自分のようになって欲しくないという心遣いが痛いほど伝わってきた。
「もう一度、よく考えてみてください。本当に連合と敵対してまでも、クリスさんを守る必要があるのかと」
そう言葉を残し、ゆらせちゃんは去っていく。
その小さな背中を僕は姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。
ゆらせちゃん、君の言いたいことも分かる。でも、僕は視月に……クリスに出会ってしまったんだ。
ポケットから携帯電話が僕に振動を伝えてきた。
……こんな時間に一体誰だろう?
ポケットから携帯電話を取り出す。
「え……?」
その人物は僕の想像の遥か斜めを行く人物で。
でも、何よりも声が聴きたかった人物で。
表示されていた人物、それは――
霞初月 視月――僕の幼馴染だった。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「まったく、視月のやつめ。なぜ今まで連絡をとろうとしなかったのだ」
僕たちはバスに乗って、神守市の工業港に来ていた。
周りには青、赤、緑と様々な色のコンテナが並んで積み上げられており、遠くにはコンテナを持ち上げる赤と白のクレーンのようなものが見える。
「視月も色々忙しかったんだってさ。ほら、アメリカだし、言語の違いとかあるじゃない?」
僕の右隣には刀を入れているバットケースを肩にかけている殺子。
左隣には、黒色のキャスケットを被り、お嬢様やお姫様のお忍びの時のような服装をしているクリスが並んで歩いている。
「無事ならそれでいいのだが。次会った時に、腐るほど文句を言ってやる」
殺子の話している内容は視月に対して怒りを隠せないような感じだけど、実際の表情はどこかほっとしているように見える。
やっぱり心配だったんだね。そのことを素直に言わないのは殺子らしいといえば殺子らしいんだけど。
思わず苦笑いを浮かべていると、殺子からキッと睨み付けられる。
おっと、殺子は怒らせたら怖いからこの辺にしておかないと。
「それで、視月の言っていた船は?」
僕は遠くに見える巨大なコンテナ船を指さす。
「あれだって。あの船に乗ればアメリカのサンフランシスコにつくから、そこの港で視月がクリスを引き取る手筈になってる」
なぜ僕らがわざわざこんなところまでいるのかというと――クリスを日本から脱出させ、サンフランシスコにいる視月に保護してもらうのである。
朝、ゆらせちゃんがいなくなった後、突如として視月から電話がかかってきた。
慌てて出ると「お久しぶり。ダーリン♪」と、視月の生の音声を僕の耳に届けてくれた。
正直、びっくりした。視月の声が聴けるのは僕から掛けた時だと思ったのに。
そこから僕は視月に今までの顛末を打ち明けると、すぐさま視月は事実を受け入れ、「こっちで一人ぐらいなら養ってあげるよ」と告げ、今回の作戦を立案、そして僕たちは実行に移している、ということだ。
本音を言えば……視月に頼らず、僕たちだけで守りたかった。でも、そんな力は僕にはないのだ。
「なるほど。相変わらず頭が回る奴だ」
それは心の底から思う。昔から『神童』『天才児』と呼ばれていたらしいし、その評判を嘘とは言わせないほどの高速思考能力、超人的なひらめきをここ一年半で僕は目の当たりにしていた。
「だから、クリスも安心していいよ。僕の幼馴染がね、色々とサポートしてくれるから。所有者探しもあっちで手伝ってくれるって」
「アメリカでも連合の手は回るかもしれんが……視月なら大丈夫だろう。こちらが落ち着いたら、視月とともに戻って来ればいい。その時はおいしい飲食店を紹介してやろう」
殺子の言葉にもクリスは無表情で反応はない。どこか考え事……いや何かに迷っているように見える……?
「多分、今よりは自由な生活が送れると思う。短い間だったけど、楽しかったよ」
僕の言葉に、ぴくり、と肩を揺らせ、口を開き、
「あなたは……」
何かを言いかけるが……、目を伏せ、押し黙ってしまった。
「クリス?」
「なんでもない」
「そう? ならいいんだけど」
昨日の夜、僕の頬に手を添えたときにも、何かを言いたげだった。
でも、僕は無理に聞き出すことはしない。僕がそうすることをクリスは望んでいない、そう思ったからだ。
自分の考えを心ででまとめた時――
「残念ながら、それは阻止させてもらいます」
声の下方向へ視線を向ける。コンテナの隙間と隙間の通路。そこからゆっくりとゆらせちゃんがこっちに歩いてくる。
やっぱり、そう簡単にはいかないか……
「先に行け」
声とともに、肩にかけていたバットケースから日本刀――『武南方針』を取り出し、僕たちを守るように立つ殺子。
「……分かった、負けないでね」
殺子は僕の盾であり、剣であると言った。なら友達として、月夜見アシスタンスの代理リーダーとして、使わせてもらう。
僕の言葉に殺子は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、自信たっぷりに告げる。
「私を誰だと思っている。刀御巫――――殺子だぞ」
……そう、だね。殺子が負けるはずないもんね。
僕はクリスの手をとり、コンテナ船へと走っていく。
「春乃先輩っ!」
ゆらせちゃんの声が耳に届く。叫び声のような、どこか悲しみを帯びた声音だと思った。
でも、ごめん。僕たちはここで立ち止まるわけにはいかないんだ。
肌寒い真夜中を港を、暗がりのコンテナ船を頼りに僕たちは走っていく。
遠くからは、金属同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。恐らく殺子とゆらせちゃんが戦っているのだろう。
助けに行きたい衝動に駆られる、が、今の僕にはクリスを無事に船まで載せるのが精いっぱいだ。せめて、僕に与えられた役割ぐらいはやってみせる!
薄暗い空を見上げると、だんだんとコンテナ船が大きくなってくる。肌はひんやりするほど冷たいが、クリスとつながれた手だけは吹雪の中のかまくらのように暖かい。
立ち止まり、体をくの字に曲げて、息を吐く。もう少し、もう少しだ。
隣のクリスを見ると、息一つも乱していなかった。そういえば、北竜警備に追われていた時も疲れている様子はなかったような。
「ここまで……来れば、もう、大丈夫、だよ」
荒くなった息を落ち着かせながら、心配をかけさせまいとクリスに言葉をかける。
「…………っ」
僕のそんな表情に、なぜかクリスは目を伏せる。
「?」
一体、どうしたのだろう?
そして顔を上げたクリスは、僕を――いや、僕の後方をじっと見つめる。
やっぱり来る……よね。
振り返る。
そこには巨大な鎌を担ぎ、口に煙草を咥え、ゆっくりと僕たち目掛けて歩いてくる牛塚の姿があった。
「クリス、ここから真っ直ぐ行けば乗る予定の船がある、後は……分かるよね」
僕はクリスの前に、守るように立つ。
「あなたは、どうするの」
「時間稼ぎ、かな。時間稼ぎになるかどうかわからないけど。だから、早く行って!」
だけど、クリスの動く気配はない。
どうしたのかと、後ろを振り向く。
「っ……」
クリスの表情は、どこか悲しそうで……迷っていて――だけど、そんな表情も綺麗だと思えた。
クリスが何に迷っているかはわからない。でも、僕がここで僕が時間稼ぎになるのは変わらない。
絶望的じゃない。殺子がこっちに来るまでの間、どうにかして時間を稼ぐんだ。
クリスを背に、僕たちへと近づいてくる牛塚を正面に見る。その瞳は、僕なんかよりも何倍も強く、何倍も生きてきた目をしていた。だけど、それでも僕はやらなれければならない。クリスを視月の元へと送り届けなければいけないんだ。
「なぜ、クリスを守る」
僕と十メートルほど挟んだ場所で立ち止まった鬼塚が問いかける。
――答えは決まっている。
「僕は記憶もない存在で、理想だって幼馴染に共感しただけの弱い人間だけど、それでも、僕にだって困っている人を、助けることぐらいは出来るから」
『困っている人はね、手を差し伸べられるのをまっているの。だから私はその手を握ってあげたい、引っ張ってあげたい。出来る限りのことをして、助けてあげたい』
僕はあの時言われた言葉を胸に生きてるのだから。
「立場を考えろ。クリスとお前が生きている世界は違う」
そんな僕の言葉に、苛立ちを隠せない様子で反論する牛塚。
「僕はクリスを助けたい。その気持ちに、立場なんて関係ない」
なら、僕はそれに真っ向から反論するまでだ。
「そう」
驚いて後ろを振り返る。まさか、クリスから反応があると思っていなかったから。
見るとクリスは一瞬だけ目をつぶり、
「……父上、私は……決めました」
何かを呟き、目を見開く。
その表情は、何か重大なことを決意したような、少しだけ緊張した面持ちだった。
「クリス?」
僕の呼ぶ声を聞かず、碧い瞳を僕に向けながら、横に並ぶ。
そして――
「あなたにとって、わたしは――なに?」
問いを投げかけてきた。
……そうか。今までクリスはずっと、一人だったんだ。北竜警備にいたころは連合への抑止力とされ、今も連合の思惑によって利用されようとしている。その中で、自分とはなんなのか、と思うのは不思議じゃない。不安、だったんだね。
しっかりとクリスのダイヤのようなに薄く綺麗な瞳を見つめ、告げる。
「ちょっと世間知らずで、無口で、天然っぽい、普通の女の子、かな」
それが僕の思ったままの感想。そしてクリスの求めていた感想だと思ったから。
「――そう」
思わず、息を呑む。
出会ってから微かな変化しかなかったクリスが――微笑んだから。
その微笑みは、優しく、どこか……そう、どこか懐かしさを覚えるものだった。
そして、微笑みながらクリスは僕へと問いかける。
「春乃夜神、わたしの所有者になってくれませんか?」
所有者……これがどんな意味を表すのかは分からない。
でも、クリスの目的であり、クリスにとって重大なことだってことはわかる。
僕は、どうしたい? 本当はクリスを視月の元へと預けず、自分の力で彼女を守りたかった。もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。クリスの助けになるなら、僕は――
クリスに微笑みかけ、僕はクリスへと言葉を贈る。
「僕なんかで、よかったら」
その言葉に、クリスは嬉しそうに笑みを浮かべたあと、目をつぶる。
「その御名において、春乃夜神を我が所有者として認める。壮麗なる魂よ、我が心と一つにならん。ここに、契約の契りを――」
目を開け、僕の肩に手を置いた。
「――交わす」
――――え?
驚きに目を見開く。目の前にはクリスの顔。女の子独特の匂いの髪。そして、唇にはやわらかい感触。それが、僕が見たクリスの最後の姿だった。
「なっ!? どういうことだ、これは!?」
僕とクリスは真っ白な光に包まれる。
これは……一体?
まぶしさから解放され、目を開けると、右手に何かを握っている感触。
「剣……?」
握っていたのは剣の柄の部分。白と青をモチーフとし、西洋の十字剣が進化――いや、近代化したようなフォルム。細長くスマートなフォルムで、刃の部分が月明かりを反射し、光を放っている。武器、というよりは『兵器』に近いのかもしれない。
「え、え?」
(落ち着いてください、マスター)
耳元からクリスの声。思わずきょろきょろとあたりを見回すもクリスの姿はなく、手にはよくわからない剣だけが残っている。
「クリス!? ど、どこから話してるの!? あと、この剣って、何!?」
(わたしはあなたをマスターと認め、契約しました。そのため、念じるだけで会話が成立つように設定されています。テレパシーのようなものです)
(そ、そうなの?)
試しに声を出さず頭の中でクリスへと語りかけてみる。
あれだけ無口だったクリスが饒舌に話しているだけでも驚きなのに、念じるだけで会話って……
(はい。そして手に持っている魔導兵装――その手に持っている剣自体がわたしです)
この剣が? まじまじと剣の全体を眺めるが、これがクリスだとは到底思えない。
(……あまりそう、じろじろ見ないでほしいのですが……)
(ご、ごめん)
思わず謝ってしまう。どうやら恥ずかしがってるようだけど……剣の姿って恥ずかしいのだろうか?
「ははは……はははははは!」
牛塚の奇妙な高笑いが僕の思考を現実に戻す。
そうだ、まだこの件は終わっていない。今度は、僕自身でクリスを守らなければいけないんだ。
「なるほど……なるほどな。クリス、所有者を探している、そういう意味だったのか。自分の主、担い手を探していたんだな」
牛塚は僕ではなく、剣となったクリスへと視線を向け、どこか諦めにも似た表情で語りかける。
(あの男の言う通り、わたしは自身の所有者、担い手を探していました)
(それが、僕?)
(はい。あなたは、わたしのマスターたりえる器の持ち主だと判断しました。それに……)
そこで、クリスは一瞬、言葉を切った。表情は見えないけれど、雰囲気からはどこか迷っている、いや……戸惑っているような感じが伝わってきた。
(――わたしの心が、あなたに……マスターになってほしいと、望んでいました)
(こんな、僕でもいい、の?)
(はい。あなただから、わたしは契約を望んだのです)
……僕だから、こそ、か。
こんな僕でも、必要としてくれる人がいた。それだけで体の奥から力が溢れてくる気がした。
牛塚へとクリス――剣を向ける。
「だが、俺は認めん。お前程度が、連合から、世界から、クリスを守れるのか?」
「守れるか、じゃない。守ってみせるんだ」
「ほざけ」
言うが早いか、牛塚が間合いを詰めてくる。そして手に持った鎌を振り上げる。
「くっ!」
条件反射的に剣で攻撃を防ぐ。
金属同士がぶつかり合った音が夜の港へ響き渡る。
腕に痺れはなく、重さを感じない剣。クリスは魔導兵装と言ったけど、これは?
いや、今はそんなことよりも目の前の出来事を対処することが先決だ。魔導兵装のことだって後でクリスに聞けばいい。そう思い、僕は殺子の見よう見まねで正面に剣を構える。
「お前程度が……俺に勝てると思っているのか?」
――右からの薙ぎ払い! それを剣で防ぐ。
すぐさま追撃の頭上からの振りおろし。
それも右足を踏ん張り、地面を蹴り上げ回避。
そして右側から振り回すように刃が飛んでくるが、しゃがんで回避。
僕の身軽な動作に、牛塚は不信感を抱いたのか、攻撃の手を休めいったん距離をとる。どうしてこんなに動けたのかわからない。運動神経だって、そこまでよくなかっただったはずなのに……?
(クリス、僕の体って)
(はい、マスターはわたしと契約したことにより、わたしに触れている間は、人間以上の身体性能……異類異形並の身体性能を発揮できるようになりました……が)
(何か、おかしいことがあるの?」
(いえ、私が父上から聞いていたのは『動けるだけ』なのです)
(動けるだけ? どういうこと?)
(はい。マスターの身体性能は異類異形の域にまで到達しました。ですが、最初はその身体性能に振り回されるはずなのです)
(でも、僕は普通に動けた……と)
確かにクリスの言っていることは正しいのだろう。急激な成長に脳がついてこれないはずなのだ。
なら、僕はどうして普段と変わらないように動ける?
「どんな技を使ったのかわからんが……」
牛塚の声が、僕を思考の海から引き上げる。そうだ。今は戦闘に集中しなければ。
(行くよ、クリス)
(はい、マスター)
「付け焼刃ごときで俺に勝てると思うな」
剣と鎌が交差し、火花を散らす。
目の前の牛塚も真剣な表情で、間違いなく、僕を――敵だと、認識していた。
幾度となく金属同士が鳴る音が響き渡る。初めは牛塚の攻撃を、防御することしかできなかった僕も、だんだんと感覚を掴み、今では自ら仕掛けるまでにはなってきた。
なぜかはわからない。ただ……覚えているような感覚。体が覚えているのだ。
「はぁ!」
僕と斬撃によって、金属を響かせ、牛塚の鎌が、ひゅんひゅんと風切り音を鳴らしながら鬼燈の後方へと飛んで行き、地面に突き刺さる。
剣を牛塚へと向ける。
「これで、認めてくれますか。僕がクリスの所有者であることを」
僕の言葉に、ふっと表情を緩め、ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつける。
認めた……のかな? でも、この余裕はなんだ?
僕の疑問をよそに牛塚はニヤリと笑う。
そして煙草の煙を吐き出し、宣言した。
「坊主。これからが本気だ」
その瞬間、牛塚の全身の筋肉が盛り上がり、着ていた服が破け、どんどん巨大化していく。
顔は牛のようになり、角が二本生え、顔は牛のようになり、角が二本生えてきた。さらに足は馬のような蹄になり、身長は、三メートルほどへと延びていく。
上半身は真っ赤になり、下半身は白いふんどし姿。
手には先ほどの持っていた鎌の、三倍ほどの大きさの鎌が浮かび上がってくる。
これは……殺子から聞いたことがる。
「さぁ、お前の覚悟とやら、見せてもらおうか」
そう僕に告げ、巨大な鎌を振り上げた。
牛頭鬼――人に出会うと理由なく殺す鬼、と呼ばれている妖怪だと。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「はああああっ!」
「ふっ!」
久しく聞いてなかった武器同士が鳴らす独特の金属音。
――これだ、これこそ私の日常であったはずだ。
目の前には連合の一等征討員の少女……ゆらせ、と言ったか。どこか幼さの中に可憐さを秘めている……そんな感じだ。私とは縁のない……そうだな、女子らしい、と言えばいいのだろうか。
ブレードと刀を切り結びながら、思わず笑みがこぼれる。その姿に微かにゆらせは表情を険しくさせた。
ゆらせ、お前には感謝しているぞ。私はこのような戦いをしたかったのだ。
自分と同じ実力、そして血沸き踊る戦いを!
ゆらせの左手に取りつけられた武装から銀の杭が、私の右肩を目がけて発射される。
顔を背けて回避。が、どうやら頬を切ったらしい。巫女装束に赤い血が一滴、垂れた。
――甘い、な。
追撃をかけようとゆらせは腰に取り付けた刃のブーメランを投げつけてきた。
ひゅんひゅんと、空気を切り裂きながら飛んでくる……が、
――それも、甘い。
飛んできた刃のブーメランを愛刀で切り返すように捌く。
そのブーメランはまるで飼い主のもとへ戻るペットのように、ゆらせの手元へと収まっていった。
刀を正面に構えながら、ゆらせの次の行動を逃さないように、凝視する。
あの様子ではまだ武装を隠し持っているだろう。油断ならないやつだ……しかし、私を殺す気がさらさらないようだ。
殺気はその人物の心を表す、という。ゆらせの殺気はどこか揺れていた。これでは威圧感も何もない。
「一つ、聞きたいことがあります」
腕に取りけられた射出機を構えながらゆらせが問いかけてきた。
「なんだ」
「なぜ、春乃先輩をこんなことに関わらせたのですか」
何かと思えば……
「そんなことか」
「そんなことって! 春乃先輩は異眼保持者なだけで、ただの一般人だったはずです! 普通から外れているあなたなら、分かっているはずでしょう!」
私の言葉に激昂した様子で声を荒げる。
なるほど。殺気が薄い訳はこれか。
しかし、まさか夜神のことを心配してるとはな。私が寝ている間に何かあったのか?
「それは夜神自身が決めることだ。私だって、連合に逆らった場合の危険性は説いたさ。だが、夜神はこの道を選んだ。ならば夜神の友として、私はその意思を尊重したい」
それに……意外とあいつは頑固だからな。一度決めたことは梃でも動かないだろう。
「……あなたは何も分かっていない。この世界に、一般人が関った結果、どうなるかを」
ゆらせは奥歯を噛みしめ、言葉をぶつけてくる。
ああ、わかるさ。痛いほどにな。だがな、それでも夜神は選んだんだ。選んだのならば、それを支えるのが友であろう?
「だからこそ、私がいる。この、刀御巫――殺子がな!」
必殺の刺突の構えをとる。そろそろ幕引きだ。これで終わらせる。
「さぁ、決着をつけようか、死神。私は夜神のように甘くはないぞ?」
私の構えに対抗するように、唇を引き締めるゆらせ。
「いいでしょう、人斬り巫女。あなたを倒して、春乃先輩を止めてみせます」
そして、戦闘が再開される――
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――服はところどころ破れており、肌が露出しているところからは、血が滲んでいた。
膝をつき、歯を噛みしめながら、前方にいる牛塚を見上げる。
「どうした、終わりか?」
立ち上がり、剣を振り上げる。一直線に牛塚へと向かっていく。
「ふん」
剣で牛塚の鎌を受け――
「ぐっ!」
(マスター!?)
防御した衝撃に吹き飛ばされる。勢いよく後ろのコンテナにぶつかり、激しい痛みに顔をしかめる。
どうやら口を切ったらしい。鉄の味が口の中に溢れている。右目が不意に見えなくなった。拭うと袖に血がついている。頭も切れているようだ。
「坊主、これが現実だ。貴様ではクリスは守れない」
まだ、まだ僕は――
「諦めない」
「なに?」
牛塚の僕の異眼を発動した時と同じ、赤くなった目を見上げる。
「諦めないって、言ったんだ! 僕はクリスのマスターだ。守ってあげるって約束したんだ! だから――」
クリスを――剣を、覚悟の誓いのように正面で構える。
「あなたを、倒してみせる」
僕の言葉に牛塚はっとした表情を浮かべた後、引きしまった表情へと変わった。まるで僕を本当の敵として認識したかのような。
「よかろう。その覚悟、確かに受け取った。次は全力で貴様を殺す」
牛塚が鎌をひゅんひゅんと一回転させ、切っ先を僕に向ける。
(……マスター)
(なに?)
(……本当は、もっと後になって言うつもりでしたが)
クリスは一瞬だけ逡巡した後、言葉を続ける。
(わたしの真の能力を引き出すキーワードを、お教えします)
(いいの? まだ僕たちは契約したばかりなのに?)
(いいんです。わたしが、マスターに聞いてほしいのですから)
……顔は見えないけど、クリスが微笑んだ気がした。
(それと、キーワードを告げた瞬間、『真実の世界』を発動してください)
(『真実の世界』を? ……分かった)
クリスの意図は分からない。けど、今はクリスを信じよう。
(わたしの真の力を引き出すキーワード、それは――)
牛塚が動く気配。鎌を大きく振りかぶる。
(――クリスマスです――)
横への薙ぎはらわれる大鎌が、僕の目前に迫る。
『真実の世界』を発動――
(――クリスマス――)
そしてクリスから言われたキーワードを唱える。その瞬間――
「なに?」
僕はふり払われた大鎌をしゃがんで回避していた。でも、ただ回避していただけじゃない。まるで『そう来るのが分かっていたかのように』予測して回避したのだ。
(これって……)
(はい。わたしの能力、『使用者の能力を強化する』というものです。これによってマスターの違和感に気づきやすい能力、『真実の世界』を強化した結果、恐らく、軽い未来視を行えるまでになったかと)
(それもだけど、このキーワードって……)
(……はい。わたしの――本当の名前です)
僕の頭上を風を斬るようなスピードで牛塚の鎌が通り過ぎる。
だけど、僕の強化された『真実の世界』には全てが視えた。
(いい、名前だね)
牛塚の鎌による振りおろしを、体に横にずらして、回避する。
――視える。動きの一つ一つが、しっかりとした映像として目に浮かんでくる。
(ありがとうございます。マスター)
鬼燈の鎌による振りおろしを、体に横にずらして回避する。
(あと、もう一つだけ伝えたいことが)
大鎌の振りおろし。僕は体を横にずらして避ける。
鎌が地面に突き刺さる。地面のコンクリートが割れ、僕にカケラのシャワーを降らせる。
(……この名前は、秘密にして欲しいんです)
薙ぎ払いを、バックステップの要領で後ろに飛んで避ける。
(わかった。二人だけの、秘密だね)
反転。足を踏ん張り、牛塚へと突撃する。
(……はい)
僕の脳天目掛けて、振り下ろされる大鎌の映像が視えた。
予測通り、牛塚は鎌を振り下ろす。が、僕は直前で左にステップを踏み、回避。
見上げると、牛塚の表情に焦りが見え始めていた。
(あなたに――)
剣を振り上げる。
(出会えてよかった)
僕もだよ――クリスマス。
剣から伝わる、肉を切る感触。
まるでバターナイフがバターを切り裂くように滑らかに、そして残酷に抉っていく。
「な――!?」
血を吹き出しながら崩れ落ちる牛塚。その左足は膝から下がない。
体のバランスを崩しながらも、鎌を振り上げてくる。
僕はダンスを舞うようにくるくると回転しながら避ける。
僕から外れた大鎌が地面を抉り、コンクリートの破片を辺りへとまき散らす。
二度目の嫌な感触。牛塚の右足も切り落とす。
両足を切断された牛塚は血を噴水のように吹き出しながら、巨体を倒れ伏せた――
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――クリスの乗る予定だった船が汽笛を上げて、港から出航していく。
僕の目の前にはぐったりとした表情を浮かべた牛塚が倒れていた。
両足からはとめどなく血が小さな川を作るのではないかというほど流れている。
「とどめは、刺さないのか?」
牛塚が問いかけてくる。
「僕は、ただのなんでも屋ですから」
見ると、牛塚の足から流れだしていた血が止まり始めていた。
「さすが、牛頭鬼は回復力が違いますね」
「知っていたのか」
「はい。殺子……友達に異類異形に詳しい人物がいるので」
「そうか」
牛塚は仰向けになり、空を見上げる。
僕も釣られるように空を見上げると空は薄い雲に覆われており、太陽の光によって朝焼けの光景が見えた。
「俺はな。ずっと自分がクリスの側にいれると勘違いしていた。いつか別れがあるってことを気づかなくて、ぬるま湯につかっていたらこの様だ。俺らしいといえば、俺らしい」
「もしかして、あなたは……」
「ああ、俺はクリスの護衛兼、監視役だったんだ」
……なるほど。
どこかでそんな感じはしていた。クリスを組織を抜けてまで追う理由はないから。
「やっぱり、その……クリスのことを?」
もう一つ気になっていたことを尋ねる。ゆらせちゃんはああ言ったけど、本人の口から聞きたかった。
僕の言葉に牛塚は、一瞬だけ言葉を濁してから、
「まぁ……な。色々、あったんだよ」
心情を告白した。
やっぱり、そうだったのか……
朝焼けに目を細める。どうやら夜が明けるらしい。
「坊主、クリスに話がある。人間の姿になってくれるよう、頼めるか」
「はい。クリス、お願い」
(はい、マスター)
クリスの声が聞こえた瞬間、手に握られた剣が光の結晶のように分解され、足の先から徐々に人間の姿を形作っていく。その光は宝石のように美しく、キラキラと輝いていた。
最後には目をつぶった状態でクリスの姿へと光は変わっていった。
クリスが目を開ける。
「なに」
クリスの姿に目を細める牛塚。
「……なぁ、俺はこんな姿だが、お前をずっと守っていたいんだ。だから、さ……俺の、側にいてくれないか」
一途で真っ直ぐな言葉。この妖怪は心の底からクリスのことを想っているのだろう。それが直に伝わってきて……少しだけ僕の心が痛みを発したような気がした。
その言葉にクリスは戸惑った表情を浮かべてから、どうすればいいのか? と僕へと問いかけるような目線を向けてきた。
「クリスが思ったことを、そのまま言えばいいんだよ」
これはクリスと牛塚の問題だ。僕が関与するところではないから。
「……(コクリ)」
分かった、と言いたさげにクリスは頷き、牛塚へと体の向きを変える。
そして――
「お友達でいましょう」
その時の牛塚の表情は今までに見た中で、一番気の抜けた表情を浮かべていたと思う。
……僕も同じような表情を浮かべていたと思う。
「はははははははは!」
突如として高笑いを響かせる牛塚。
「はははっ……なるほどな、そうか、そうか……俺は、振られたのか」
次第に乾いた笑いへと変化していく。
その様子にクリスはどこか不満そうに、じっと牛塚を睨み付けていた。
クリスの表情に気付いたのか、真面目な顔に戻る。
「そろそろ人が来る、お前らは行け」
「でも、あなたは――」
「俺は空視化できるから問題ない」
牛塚はよろよろと、コンテナがつぶれているところを指差し、
「こんな惨状の現場で見つかったら、お前らは色々と面倒だろう?」
風が一陣吹いた。寒さを感じ、身を縮こませると、ひらひらと、蝶が描かれた紫色のハンカチが目の前に落ちてきた。
牛塚はそのハンカチを拾い上げ……なぜかクリスへと差し出した。
「クリス、覚えているか。お前がこれで、手当てしてくれたことを」
手当……? クリスのほうを見ると、目を失せ、考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。
「あの時ほど、お前に出会えてよかったと思った時はない。俺は、壊すことしかできなくてな。ああやって、誰かに純粋に助けられたことがなかったから、ころっといっちまんだろう。いや、もしかたら、初めて会った時から、好きになっていたのかもしれない。だから、これはけじめだ。返すぞ」
そういって、牛塚はクリスへとハンカチを差し出す。
だけど、クリスは首を振り、
「それはあなたに上げたものだから」
はっきりと、断った。
「……そうか」
牛塚は手に持ったハンカチを目を細め、大事そうにそっと胸に当てる。
「なら、一生大事にするよ」
そして仰向けになり、目を瞑った。
「俺は少し疲れた。少し眠る」
「これから、あなたはどうするんです? 連合からも北龍警備からも追われているんでしょう? なんなら、僕たちが――」
「バカも休み休み言え、小僧。恋仇の力を借りるなんてまっぴら御免だ」
目はつぶったまま、僕の提案を面倒臭そうに一蹴する。
「ですが……」
「そういうところが……クリスは好きになったのかもな」
「え? 何か言いました?」
小声で何かつぶやいたような気がしたんだけど……
「いや、なんでもない。いいから行け。自分のことは自分でけじめをつける」
「……分かりました。ですが、何かあったら力になります。その時は月夜見アシスタンスの事務所に来てくださいね」
「……ああ」
僕の言葉に、牛塚は目をつぶりながら頷いた。
その様子に安心し、僕は牛塚に背を向ける。そしてクリスの手を取って走り出そうとした瞬間。
「坊主」
振り返る。すると牛塚がこちらを真剣な目で見つめていた。
「なんですか?」
「……クリスを泣かせたら、許さないからな」
「――はい」
心を籠めて、しっかりと牛塚を見つめて答える。
僕はクリスのマスターになったのだから。なれなかった人へのためにも、僕はここに誓おう。
「必ず、クリスを幸せにします」
牛塚は満足そうに笑った……ように見えた。
「……行け。待っているのだろう、友達が」
「はい。では、お元気で」
背を向け、クリスの手を握って僕は殺子と別れた場所へと急ぐ。
背中に視線を感じだけど、振り向かない。だって、僕はもう走り出してしまったのだから。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
……行ったか。
クリスとそう変わらない小さな背中が遠ざかっていく。
脱力感とともに、朝焼けの空を見上げる。空は薄い赤色に染まっており、雲がゆっくりと流れている。 ふと、目線を横に向けると、煙草とライターがちょうどよく落ちていた。体を動かしたと同時に痛みが体中に走るが、構わず拾い上げる。
煙草に火をつけ、口にくわえる。どこか苦く、甘い味が口の中に広がっていく。
「……苦いな」
空を見上げる。雲が――ゆっくりと流れていた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――中々、やるではないか。
十メートルほど先、クローを私に向けながら肩で息をしているゆらせが見える。
もっとも、私も限界が近いが……
はぁ、はぁ、と荒い息を繰り返し、空気を肺に取り込む。巫女装束の所々には切り傷が見えるが、これはあちらも同じだ。互いに致命傷は受けておらず、少しの切り傷しか与えていない。消耗戦だ。
「病み上がりにしてはやるではないか」
「あなたこそ、治癒術を使って全開ではないです。お互いさまでしょう」
……バレていたか。だが、お前も全開ではないだろう?
「そうだな」
私が必殺の刺突の構えを繰り出した瞬間、辺りに初期設定の携帯の着信音が鳴り響く。
「む?」
ゆらせは顔しかめた後、私に目を向けたまま、ポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。
「はい、ゆらせです」
勝負の最中に携帯に出るとはな……几帳面な奴らしい。
ここで闇討ちしてもいいが……した瞬間、携帯を投げ捨て迎撃にすべてをかけてくるだろう。恐らく奴は意識をこちらと携帯どちらにも向けているはずだ。生半可な者なら通じるかもしれんが、連合の一等征討員ともなると通用しないだろう。
「な、ど、どうしてですか!?」
なに……?
意識が、私から外れ携帯へと注がれる。本来ならばここが攻め時。だが、私はそれよりも電話の内容が気になった。
訝しげな視線を向けると、ゆらせはこちらに一瞬だけ意識を向ける――が、すぐに話し相手へと意識を向けていった。
「……分かりました。命令に従います。ですが、本部で詳しい理由は聞かせてもらいますよ」
ふぅ、と息を吐き、電話をしている中でも私に向けていた右手のクローを下ろす。
「どうした、何かトラブルでもあったのか?」
「ええ。事情は分かりませんが、クリスさんの保護は中止、すぐに撤退してこいと」
ゆらせは悔しさを顔に滲ませながら答えた。
気持ちは分からんでもないな。勝負の最中に水を差されるのは、何よりも耐え難いものだからな。
「ほう、それはまた」
「個人的には納得はできません。ですが、上から命令は絶対ですから。では」
ゆらせはそう言い残し、私に背を向けコンテナの上へと一気に跳躍し、コンテナの上を超人的な動きで跳ねながら去っていった。
……終わった、か。
そう思った途端、膝がガクリ、と落ち、力が入らなくなる。悔しさに唇を噛みしめる。
「あのままやりあっていれば、負けていたのは私かもしれんな……」
だが、次は負けん。恐らく次に戦う日はそう遠くないはずだ。
ならば、今度こそ決着をつけるまでだ。
決意を固めていると、遠くから聞きなれた声が私の名前を呼んでいるような……
「殺子~~~!」
声のした方向へと視線を向けると、夜神とクリスが手をつなぎながら駆け寄ってくる。
失敗したのか?
……いや、成功か。
なぜ私が成功かと思ったか……なに、簡単なことだ。
――二人の表情が朝焼けのように晴れやかだったからな。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「こらあああああああ! 豹里おおおおおおおお! 俺の昼飯を返せえええ!」
「いやだにゃーん。わちに意地悪した罰にゃん」
「美登代様」「お味のほうは」「いかがでしょうか」
「ううむ。今朝もよい味を出しておる。お主たちの入れる茶は一品じゃな」
「……相変わらずうるさいわね。このクラスは」
「ほーら。みんな水城先生が来ちゃうよ? 席について~」
神守群城学園2-A、通称『特科』。そのHR前の日常風景。
黒板の左上の丸時計は八時二十五分を指しており、時計の下には『遅刻厳禁!』と書かれた張り紙が貼られている。
「ねぇ……殺子、本当に大丈夫かな?」
隣の席で真剣な表情をしながら少年漫画を読んでいる殺子に尋ねる。
殺子は顔を上げ、ニヤリ、とまるで「心配するな」と言いたさげな表情を浮かべ、
「案ずるな。何かあったら、私が守ってやる」
……相変わらず、僕よりも頼りがいがあるよ、殺子は。
僕の思考を打ち消すかのように、教室の前のドアから人影が出てきた。
「おら、おめーら、席に就け。五秒以内に席につかねーやつは、これで殴る」
その人影は手に持った出席簿を黒板に何度か叩きながら教壇に登っていく。
人影の正体は担任の水城 春菜先生だ。
殺子を見ると、読んでいた漫画は机の中にしまったのか、どこかへ行き、背筋を伸ばし、教壇の主へと視線を向けていた。……本当に水城先生と何があったんだろうか?
鶴の一言のごとく、水城先生が言葉を発した瞬間、あれだけ騒がしかった教室がぴたりと時間が止まったかのように静まり、クラスメイトたちはそれぞれの席へと戻っていく。
その様子に満足そうな表情を浮かべ、
「今日はおめーらにいい知らせがある。転校生を紹介してやる」
――来た。
「この時期に?」「特科に転校生なんて橘来だな」「どんな能力持ちなんだ?」と再度教室が騒がしくなるが、水城先生が出席簿で教壇を一回、叩くと一瞬で静まった。
「静かにしやがれ。朝のHRも長くねーんだよ」
そして教室のドアのほう向き、顎をしゃくる。
「ほら、転校生。入って来い」
水城先生の声とともに、教室のドアが開き、転校生が特科へと足を踏み入れる。
その瞬間、教室のほとんどの生徒が息を呑んだ。
誰一人として言葉を発せないような、そんな雰囲気を醸し出していた。……僕も、初めて見たときはこんな感じだった……かな?
「ほらよ」
教壇に上がった転校生へと水城先生がチョークを渡す。
受け取り、黒板にその人物を表すように綺麗で、どこか繊細な文字で名前が描かれていく。
その僕が『よく知っている』転校生は、振り返り、いつも通りの無表情で、言葉を紡いでいく。
「春乃・クリス。……よろしく」
クリスの言葉が火種になったかのように、教室が一気に騒然となる。
「春乃ってどういうことだよ!?」、「春乃くんの婚約者? というかもう結婚しているとか?」「バカ、男は18歳にならないと結婚できないでしょうが」「じゃあどんな関係なのさー!」
案の定、僕へと多数の視線が飛び込んでくる。
……こうなることが分かってたから、僕の名字を使うの反対したんだけどなぁ……
隣の殺子を見ると、「やれやれ」と言いたさな表情を浮かべいた。
……少しは助け舟を出してよね。関係者なんだから。
これからのことを想像し、苦笑いをしていると、壇上のクリスと目が合う。
「…………」
少しだけ、クリスが微笑んだような気がした。
だから、僕はそっと心の中でクリスへと言葉を贈る。
『これからもよろしくね。クリスマス』
それは――春先に訪れたクリスマス。
冷たくも、温かくもある――春のクリスマス。
僕は、窓から差し込む日差しに目を細めながら、空を見上げた。
昼の月が僕を見下ろすかのようにじっと、見つめている……そんな、気がした。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「どうして、撤退命令を出したのですか!?」
怒りのあまり、思い切り目の前に机に勢いよく両手を叩きつける。
本来なら上司相手に許されない態度だということもわかっている。
だけど――
「理由を――教えてください」
目の前の直属の上司であり、零等征討員でもある人物。
「――『計略者』零等征討員」
ぼくは問いかける。あの刀御巫先輩と決着をつけたかった。ぼくたちの世界に一般人を関わらせた結果、その結末はどうなるかは身を持って知っている。
だからこそ刀御巫先輩を倒し、春乃先輩を止めたかった。春乃先輩を、あのお人よしで、優しい人を、二度とこんなことに関わらせないようにしたかった。
「ごめんねー。こればっかりは仕方ないんだよ?」
体のサイズに合っていないの大きな椅子に座り、手を合わせて謝る仕草をする。
「上からの命令だったんだよー。さすがの私にも拒否権がなくてさ、ごめんね?」
申し訳なさそうに目を伏せる。仕方ないのは分かっている。でも――
「理由は、教えられないのですか?」
「人型魔導兵装、っていうものを知ってる?」
「ええ。確か人間と武器の形をとり、人間と同じような意思を持ち、言葉を話す魔導兵装のことだと聞いています。ですが、今は関係ないことでしょう?」
人が異類異形と戦うために使用している兵装は大きく分けて三つある。
加護兵装――信仰対象の恩恵を受け、異類異形を対象にした兵装。
武装の強さは「信仰対象の強力さ」「使用者の信仰心の強さ」に比例しており、信仰対象によって何かしらの「能力」が兵装に内蔵されている。
機械兵装――異類異形に波長を合わせるように設定された現代武器を改造した兵装。
特殊な波長を発生させる装置が取り付けられており、これによって持っているだけで魔力の底上げが可能になった。魔力の高さに関係なく扱え、人間が人工的に作成できる。ぼくが主に使うのはこの兵装だ。
そして魔導兵装――魔力の高さが一定以上でなければ扱えない兵装で、さらに人間が作成することは不可能と言われ、異類異形しか作れない兵装だ。
元の異類異形の「能力」が内蔵されているため、異類異形が認めた対象のみ兵装を作成し、譲渡している。そのため保持している者は少ない。
「付け加えると、人型魔導兵装は上位の異類異形のみしか作成することができない魔導兵装だってこと」
「ですから――」
「実はねー。私たちが追っていたクリスさんは『人型魔導兵装』だったんだよねー」
「……え?」
思わず耳を疑った。
クリスさんが――人型魔導兵装?
「そして人型魔導兵装は人間と『契約』することで力を発揮する。それも厄介でさ。一度契約するとそ、そのえーと……所有者だっけ? その人物が死ぬまで契約は解除されないって代物なの」
……まさか。
心の中で唯一の可能性を思いつく。
いや……でも、それはあり得ない。ただの一般人である春乃先輩が――
「で、今回の撤退命令はその人型魔導兵装が契約を行ってしまったからなんだよ」
違う。違う。違う――!
必死にその可能性を否定する。
もう二度と、こんな世界に一般人を近づけさせない。
僕のような人を生み出さないと――そう誓ったはずなのに。
「その所有者は――春乃夜神、という男の子でさ」
「あ……ああ……」
ぼくは……春乃先輩を、止められなかった……
いや、ぼくが追いつめてしまったんだ。春乃先輩を。
「今回の作戦の真の目的は、人型魔導兵装の保護だったんだ。ごめんね、一応機密情報だったから、ゆらせちゃんには教えられなかったんだ」
これであの人はもう戻れないだろう。人型魔導兵装と言えば、ぼくらの世界ではかなりのレア物であり、強力な力を秘めている兵装だと聞いている。
これから、あの人はクリスさん……人型魔導兵装を狙う人間、異類異形から狙われることになるだろう。
「で、ゆらせちゃんの他に征討員を派遣してたんだけどさー。その征討員から報告が来たのさ。『人型魔導兵装が契約してしまった』って」
―――――っ
「うわぉ」
手がじんじんと、痺れるように痛みを訴えている。
怒りのあまり、思い切り目の前の机を再度叩いてしまった。
でも、最初とは違う。これは自分への怒りだ。
ぼくは……何をやってるんだっ……
「んー。確かに今までノーミスだったから悔しいのも分かるけどさー。次の任務に気持ちを切り替えてほしいなー」
「……なんでしょう。『計略者』零等征討員」
思わずぶっきらぼうな口調になってしまう。
今のぼくは……ダメダメだ。気持ちを落ち着けようとするがままならない。まるで心のコントロールの舵取りができない状態だ。
「そんなに拗ねないで欲しいんだけどなー」
「拗ねてなんていません!」
「わかったよー。そんなに怒鳴らないで欲しいよん」
「コホン」と咳払いをし、姿勢を改めるティクスさん――『計略者』零等征討員。
「では、次の任務を言い渡します。任務内容は護衛任務だよん」
「護衛……任務、ですか?」
予想外の任務内容に、思わず聞き返してしまった。
ほとんどの護衛対象は連合に友好的な資産家や、企業の幹部などのため、基本的には護衛として目立たない人物が選ばれる。
なぜならぼくは未だ成人していない年齢で、容姿も……認めたくないが、大人にはほど遠い。なので、今までも護衛任務は回ってこなかったのだが……一体、どうして?
「それで気になる対象はっと……えーと……神守群城学園2-A、『特科』所属」
神守群城学園? となると護衛対象は学生か、教師かのどちらかだろう。
「性別は男。年齢は十七。家族構成は母親と妹が一人」
……一人、思い当たる人物が頭をよぎった。
だけど、そんなはずはない。だって、今さっきぼくは――
「名前は――」
「――春乃夜神くん、だよ」 ――空を見上げていた。
したたる雨は冷たく、手についた汚れも洗い流してくれる天からの恵み。
そんな洗礼を浴びながら、俺は煙草に火をつける。
辺りには首や足、腕が切断された死体が血だまりを作って数体倒れている。依頼を受けて俺が殺した対象だ。
そこには何の感情もない。仕事に感情は挟まない、それが俺のポリシーだ。
――空を見上げていた。
月は雲に隠れ、光は俺に届かない。むしろそのほうが俺にとってはいい。俺は光など当たる存在ではないのだから。
だが、ふと思う時がある。
壊すのではなく、誰かを守れたりはしないのだろうか、と。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――時は立ち、始末屋から足を洗い、北龍警備に入社してから五年目の春。
俺は彼女に出会った。出会ってしまった。
「この少女が君の護衛対象だ」
個人的に気に入らない糞眼鏡上司が話している。
普段なら気が滅入り、煙草でも吸い出すところだが、今は目の前光景に目を奪われていた。
なぜなら、
「…………」
白いドレスを着た、世界三大美女とも並ぶであろう美貌を持った少女が俺の目の前にいたからだ。
目が離せないほどの美しさ、とはこのことだろう。思わず、息をのむ。
もし、この少女が微笑んだら、世の人間の男共はこぞって花束をプレゼントすることだろう。
思わず舌打ちをこぼす。……長く人間社会に居すぎたな。感性が人間になってやがる。
「なんだ牛塚、その態度は。嫌なのか?」
ジロリ、と眼鏡のフレームを流しながら糞上司が俺を睨んできた。勝手に勘違いするのはやめろ。
「いや、やるよ。で、こいつは?」
糞上司は舌打ちをしてから、説明を始める。
……お前も舌打ちしてるだろうが。
その言葉を喉の奥に仕舞いこみ、糞上司の説明に耳を傾ける。
「先日、信頼していた情報筋から『連合のとある施設に世界の運命を変えるほどの兵装がある』、とのことを受け、特殊部隊を派遣して手に入れた『もの』、だ」
……こいつは何を言ってるんだ。
「俺の目が狂ったのが知らないが、人間に見えるのだが」
俺の皮肉に糞上司は少しだけ顔を歪めるが、すぐにいつもの感情のない表情へと戻り、言葉を続ける。
「結果だけ話すと、期待していた世界の運命を変えるほど兵装などはなく、この少女と、少数の護衛しかいなかった。特殊部隊は手ぶらで帰る訳にもいかず、連れてきた、というわけだ。部長は、服装、そして護衛がいたことから、連合上層部関係者の娘だろうと予想している」
「なるほど。表では連合に媚びへつらい、裏では拉致とはな」
もう一度、皮肉をぶつけるが、糞上司の表情に変化はなし。
ま、あまり怒らすと給料が減るからこのくらいにしておくか。
「それで、こいつの名前は」
目の前の金髪少女を指差して尋ねる。
「名前は――クリス、という。もっとも、本人がそう言っているだけで偽名の可能性もあるが」
それがこんな小娘じゃなければ、な。
目の前の少女を見つめる。特に怖がっている様子でもなく、緊張しているわけでもなく、ただ感情のない目で前を見つめている。……まるで人形だな。
「いいか、牛塚。お前の命などどうなっても構わない。だが、この少女だけは奪われるなよ」
この糞眼鏡はもう少しオブラードに言葉を包めないのだろうか。だから出世もしないんだろうな。
「ああ」
それに対して、気の抜けた返事を返す。だが、やる気だけはあった。……なぜだ?
「本当に分かっているのか……?」
訝しげな視線を無視し、クリスという少女の元へと歩み寄る。
それに気づいたのか、俺に向かって無表情のまま視線を向けてきた。
「牛塚 鬼燈だ」
俺はクリスと呼ばれた少女に向かって、右手を差し出す。
なぜそうしたかは分からない。だが、無意識のうちに手を差し出していた。
「…………」
だが、その手は握られることはなかった。
俺を見つめていた二つの瞳は地面に向けられ、背を翻し去っていく。
やれやれ……俺らしくない行動をしたら、これか。
歩き去っていくクリスの後ろ姿を見つめる。
触れればすぐに壊れてしまいそうな細い腰。端麗な美貌を引き立てる黄金の髪。まるで、全てのパーツが精巧に作られた芸術品のようだと思った。
ま、せいぜい俺の手は煩わせないでくれよ――――お姫様。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「で、お前は何がしたいんだ?」
月明かりが窓から漏れている。
部屋の広さはホテルのスイートルームほど広く、家具も高級品。
その窓枠で俺は煙草を吸いながらソファーに座り、何をするもでなくじっと目の前の暖炉を見ているクリスへと問い掛ける。
「…………」
反応は、なし、と。まぁいつも通りだな。
だが、俺も三カ月も護衛兼監視役をやっていると、人形のようなやつでも愛着がつくのか、時たま話しかけている。十回に一回は反応を返してくれるしな。
「三カ月ほどお前を見てきたが、何もせず、ただ茫然と外を眺めたり、考え事をしたりしているだけだ。お前は何者なんだ?」
答えは期待していない。だけど応えて欲しいと思っている。
なんでだろうな……人恋しいとでも思っているのだろうか。
そんな自嘲気味な思考を打ち消そうと、口に咥えてた煙草を、傍に置いてあった携帯灰皿で消していると、
「所有者を探している」
「所有者?」
思わず聞き返す。所有者とはなんだ?
「…………」
背中を見せたまま、何も答えない。
なるほど。答えたくはないと。だが、目的だけは聞き出すことができた。
進展したと言えば進展したの……か?
ポケットから新しい煙草を取り出し、火をつける。
「所有者、ねぇ……」
煙草を口に咥え、窓の外を見る。
頭の中の疑問と正反対のように、月がくっきりと輝いていた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「頼みたいことがある」
護衛兼&監視役を始めて五か月。
前よりも『それなり』に会話する回数が増えたお姫様……クリスがいつもの無表情で目の前に立っていた。
いつものように窓の側で煙草を吸っていた俺は携帯灰皿に煙草を置き、顔を上げる。
「なんだ?」
「あれを食べてみたい」
クリスの指差す方向を見ると、大型薄型テレビからアイスクリーム店のCMが流れていた。
……なるほど。あれを食べてみたいと。そういえばこいつは食にうるさかったな。いつもは無表情なのに、そこまでおいしくない料理が出ると表情を曇らせていた。
だが、それはできない相談だ。
「無理だ。お前をここから出すことはできない」
そんなことをしたら俺の首が飛んでしまう。直属の上司のと相性は悪いが、それなりに待遇のいい職場なのだ。簡単には手放したくはない。
「食べてみたい」
俺の否定の言葉に怯まず、言葉を重ねるクリス。
「だから……」
「食べてみたい」
……意外と強情だな、こいつ。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
……で、今に至る。
神守市のセントラルロード。そこを俺とクリスはいた。
目の前には上下ともに茶色の豹柄のジャージを着ており、頭には赤色の地元野球チームのキャップを深く被っているクリスがてくてくと何も考えてなさそうな表情で歩いている。
なにしろあの美貌だ。素の状態のまま外に出すと、目立つ上このうえないからな。
辺りを見回してみると酔っ払っている会社員、会社帰りのOL、ゲームセンターに入っていく学生などが見える。人通りは激しく、目を離すとすぐに離れ離れになってしまうだろう。
「おい、久々の外だからって浮かれるなよ」
目の前で呑気に歩いているクリスへ注意を促す。
振り返りこくり、と頷いた。
「本当に大丈夫か……?」
もっとも……本当に大丈夫か分からないのは俺か。勝手に外に出したってことになると、どんな処分が来るのやら。とっととアイスでも食わせて、バレないように戻さないとな。
一応のため、辺りをもう一度観察してみる。
俺たちを一瞥し、新聞紙を広げて顔を隠した男、シャッターの閉まった店の前で座っている、俺達に視線を向けているホームレスの男、後ろを振り返ると、自転車を押しているパーカーを深く被った男が見えた。
……おいおい、これは。
「待て、クリス。何かおかしい」
クリスが振り返り、首を傾げる。
周囲に視線を向けると、先ほどの男たちの他に、サラリーマンの格好した男、酔っ払いの格好をした男も混ざり、俺たちを囲むように立っていた。
「牛塚ぁ~、よーやく、見つけたぞ」
その中の一人、ホームレスのような格好した男が卑下た笑みを顔に張り付けながら呟いた。
それに習うかのように、周囲からも卑下た笑いの渦が巻き起こる。
……なんで、こんなタイミングで出るんだか。
横にいるクリスが俺を見上げ、「この人たちは誰?」という視線を向けてくる。
「恐らく、昔やっていた仕事関係の奴ら……具体的にいえば始末屋ってやつか、それか俺に殺された奴の関係者か、だな」
正直、心当たりが多すぎて、分からないってのが本音だが。
「ぶっ殺してやるよ、牛塚ぁ~」
「この日を待っていたぜ~、へへへ……」
そりゃどうも、俺は一生こんな日になってほしくなかったよ。
周囲を見回してみる。ここではあまりにも人目がありすぎる。相手は異類異形、だけど両者とも武器も、本来の姿も出せない。そんなことしたら連合の抹殺対象になってしまう。空視化しようにもこの人ごみだ。誰かに見られでもしたら騒ぎになる。となると純粋な力比べとなる。結果、人数で勝るほうが勝つ……なるほど、いい作戦だ。
周囲の男たちがじりじりと嫌な笑みを浮かべながら、距離を詰めてくる。
だがな。俺は百戦錬磨の始末屋だった男だ。それに――
「…………」
かすかだが、強張った表情を浮かべているクリスを見る。
こいつを、守らないといけないしな。
思わず、笑みがこぼれる。
絶体絶命だが、心は死んでいない。この程度の修羅場は何度も切り抜けたはずだ。
「いいだろう。相手をしてやるよ、雑魚共が」
その声を皮切りに、周囲の男たちが怒声を上げながら、群がってきた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――――痛ぇ。
あまりの痛みに目を覚ます。背中にはひんやりと冷たい感触。
ここは恐らくセントラルロードの路地裏らしい。意識を失う前の微かな記憶が、ここにたどり着いたことを覚えていた。
ゆっくりと目を開けていく。
空き缶や雑草が見えると思っていた……が、
「…………」
クリスの顔があった。目の前に。
「おまっ!?」
思わず後ずさる。だが、後ろは壁。結果――頭を思い切りぶつけてしまった。痛みに顔をしかめる。
頭をさすり、周囲を見渡すと俺の着ているスーツはぼろぼろで、ところどころ破れて血が溢れだしている。一番の痛みがある腕を見ると、腕に蝶の模様が描かれた、紫色の高級そうなハンカチが巻きつけられていた。これは俺の物じゃない。と、なると……
「お前がやったのか?」
クリスはコクリ、と頷いた。
いや、頷くなよ……というか、
「なぜだ。俺が気を失っているうちに逃げることだって出来はずだ」
「分からない。ただ……」
「ただ?」
クリスは、自分でも分からない、という風に微かに困惑した表情を浮かべながら、
「逃げるよりも、あなたの傷の手当てのほうが大事だと思った」
……は?
「ははは……」
なるほど、なるほどな。
「ははははははははは!」
目の前の少女はなぜ俺が笑っているのか分からないと言う風に首を傾げていた。確かに、分からないだろう。俺が何を思っているのか、何を、感じているか。
「まさか、監視対象に助けられるとはな」
クリスのどこまでも碧い瞳を見つめる。相変わらず……どこまでも澄んでいて、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも……綺麗だった。
……ああ、そうか。これが恋ってやつか。
もしかしたら、初めてあった時には、もう――
「なぁ、クリス」
「なに」
だが、俺は人間じゃない。だから、せめて――
「所有者が見つかるまで、俺がお前を守ってやる」
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
……そんなことも、あったな。
つい、半年前の話だった。
木造アパートの一室。1LDKの部屋に家具はなく、辺りは血と包帯の切れ端が落ちているだけの部屋。
差し込む朝日が眩しく、寝起きの俺は思わず目を細める。
ズボンのポケットから煙草を取り出そうとすると、ひらひらと蝶の模様が描かれた紫色の高級そうなハンカチが床に落ちていった。
拾い上げ、眺める。
『所有者が見つかるまで、俺がお前を守ってやる』
あの時、俺は宣言したはずだ。言ったからには、やらなければいけないよな。
ハンカチをポケットにしまう。そして俺は戦いに赴くため立ち上がった。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――どこか、懐かしい感覚。
「(なん……だ?」
体がゆすられている感覚。いつ以来だろうか。誰かに揺すられているのは。
まだ僕が実家にいたころ、妹に……いや、妹は揺するというより踵落としをしてくるから、母さんか。
誰なのだろう。殺子は僕よりも早く起きるはずがないし……スロースピードで活動している脳を回転させ、目をゆっくり開けていく。そこには――
「おはようございます。春乃先輩」
ゆらせちゃんの顔があった。
……? どうして、ゆらせちゃんがここに?
「あれ、僕……」
「ぐっすり、寝ていましたよ」
そう言って、僕の脇へと視線を向ける。
ゆらせちゃんの視線を追うと、殺子とクリスが静かな寝息を立てながら眠っていた。
……あれ、何か忘れているような……あっ!?
「そういえば、傷は!?」
昨日あったことを思い出した。殺子とゆらせちゃんが戦い、そこに乱入した牛塚によってゆらせちゃんは致命傷を負い、ここで治療したのだ。
僕の表情があまりにも真剣味を帯びていたのだろう。ゆらせちゃんは最初戸惑った表情を浮かべていたが、
「この通り、もう大丈夫です」
すぐに僕を安心させるかのように微笑みを浮かべ、斬られた脇腹をぽんぽんと軽く叩く。
「痛みとかはない?」
「ええ、大丈夫です。治癒術が上手く作用されたようです。日常生活に支障はありません」
「よかった……」
ほっと、ため息をつく。特に後遺症もないみたいだし、本当によかったよ。
ゆらせちゃんが立ち上がる。上を見上げると、少しだけ穏やかな表情を浮かべて言った。
「少し、外で話しましょうか」
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
太陽が雲に隠れ、尻毛荘の外観を弱々しい日光が照らしている。
遠くからはスズメの鳴き声も聞こえてくる。肌に感じる風は少しだけ肌寒く、まさに春の朝というところだろう。
「それで話って?」
隣で目の前に広がる住宅街の屋根を見つめているゆらせちゃんに尋ねた。
僕たちは203号室――月夜見アシスタンス事務所前の通路にいた。
ゆらせちゃんは、頭を下げ、
「まずは、命を救って頂いたことを感謝します。本当にありがとうございました」
なぜか僕に感謝の言葉を向けてきた。
「それは殺子に言ってあげて。実際、怪我を治したのは殺子だからさ」
僕は何もしていない。したことと言えば、殺子が治癒術を使っている間、異眼を発動させて見張りをしていただけだ。
そんな僕の心情をよそに、ゆらせちゃんは首を振り、
「いえ、刀御巫先輩がぼくに治癒術を使ったのは、春乃先輩、あなたが言ったからでしょう」
「いや、それは……」
「倒れた時、少しだけ意識があったんです。春乃先輩が刀御巫先輩にぼくを助けるように言ったこと、ちゃんと聞いていましたよ」
僕はそんな恩人なんじゃない。ただの我儘で、何もできないちっぽけな人間だ。
「……僕は、ゆらせちゃんに死んで欲しくなかっただけだよ」
「それは、敵だとしてもですか」
真剣な表情で、ゆらせちゃんが問いかけてくる。
「うん。敵だとしても。困っている人がいたら、そこに手を差し伸べる」
ただの自己満足。でも、これが僕の生きる道しるべであり、視月からもらった大切なもの。
「…………」
僕の言葉に、ゆらせちゃんはじっと僕の瞳を覗き込むように見つめてくる。
そして、
「……はぁ」
大きくため息をつき、まるで可哀そうな人を見るような表情へと変わった。
な、なんで……
「なるほど。だからこそ、このようなことにも首を突っ込んでいるわけですね」
「いや、別に進んで首を突っ込んでるわけじゃ……」
今までにだって危ないことと言えば、殺子の刀を探すときとか、クラスメイトのストーカーを退治した時とか……そのぐらいだったはずだ。
…………はずだ。
「そ、それよりも、ゆらせちゃんはどうして連合に入ったの?」
あからさまな話題そらしにゆらせちゃんは、じどーと蔑むような視線を僕に向けてくる。
「あからさまに話題を変えますね」
「うっ」
思わず、ゆらせちゃんから目をそらす。
「……命を助けられた借りもありますし、別に構いませんよ? つまらない話ですが、聞きますか?」
「え?」
思わず聞き返す。
「聞きたいんじゃないんですか?」
「いや、本当に話してくれるとは思わなくて……」
「ぼくは嘘は言いませんよ」
そういって、ふっと微笑む。
その表情はいつもの厳しい表情からは遠い、年相応の女の子の表情だった。
「では、どこから話しましょうか」
そう呟き、どこか遠くを見つめる表情になるゆらせちゃん。
どこか儚げで、どこか……寂しそうな表情だった。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「ぼくは捨て子だったんです」
今でも微かに、本当の両親の顔は覚えている。
だけどあの人たちはぼくの両親じゃない。
「それで、孤児院に連れてこられてから」
孤児院では、いつも一人だった。捨てられた、という気持ちが大きくて、仲良くなっても裏切られるんじゃないか、と思ってしまったから。
でも、そんなぼくを――
「優しい若い夫婦がですね、引き取ってくれたんです」
いつも孤児院の隅で下を向いて、無気力だった僕を引き取ってくれた――優しい人たち。
今でも、あの時の言葉を忘れない。忘れられるはずがない。
『ねぇ、あなた。私たちの子供に……ならない?』
ここで頷いてしまったのだ。ぼくは。あの時頷かなければ、ぼくの人生は大きく変わっていただろう。
「ぼくは、普通の両親に引き取られた……そう、思っていたんです」
だけど、現実は違った。
赤、赤、赤、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。
いつも、両親と座っていたソファーも、クジラが高くジャンプしている絵が描かれたカレンダーも、家族一緒にご飯を食べていたテーブルも……全て両親の血で染まっていた。
「ぼくを引き取ってくれた先の母親が、神……異類異形だったんです。そのことが連合にバレてしまい、一刻も早く別れるよう通告を受けました。ですが、それにも関わらず両親は通告を拒否し、結果、抹殺されました」
「抹殺って、そんな……」
春乃先輩が口に手を当て、絶句した表情を浮かべている。
両親が頭、背中、足……全身ありとあらゆる場所から血を流し、倒れていた。
あの時の光景は目に焼き付いて忘れられないだろう。
だけど――
「昔は悲しかったです。でも、今は仕方ないことだと思っています」
両親を殺した征討員を恨んだこともあった。何もわからないぼくは、なぜ両親を殺したのか、殺す必要はあったのかと、ずっと思っていた。
だけどぼくは知ってしまった。世界の真実、というものを。
「なぜなら、憲章を知っておきながら守らなかったのは両親ですから」
無知は罪だ。知らなかったら犯罪は犯していいのか? そんなはずがない。
ならば、憲章を知っておきながら守らなかった両親は? それも通告を受けながらも別れなかった両親は?
「それからぼくは連合に志願しました。孤児院には帰りたくありませんでしたし、何よりもぼくのような人間をこれ以上、作りたくなかった」
ぼくの孤児院は元々連合の施設だということを突き止めた僕は、院長に『征討員になりたい』、と申し出た。
あの時の院長の顔は忘れそうにもない。ありえない、と思っただろう。こんな小さい子が一人で連合という存在を調べ、征討員の存在まで知っていたのだから。
そして、ぼくは『あの人』に出会った。
性格に難はあるが、任務に対しては常に冷静で、物事を正確に捉え、容赦なく実行に移す人物。
あの人の立案した作戦に失敗はない。それから名づけられた二つ名は『計略者』
征討員になって、まず言われた言葉は『ようこそ、執行ゆらせ三等征討員。この狂った、殺し、殺されの世界へ』だった。
確かに、この世界は狂ってる。でもそれを正すのが連合と、ぼくたち征討員のはずだから。
「そして、ぼくの初任務。神である妻と、人間の夫を拘束せよ、という任務でした」
あの時の判断は間違っていた、とは思っていない。
『頼む。この子は見逃してやってくれ。私たちはどうなっても構わない……だが、この子は、この子だけは』
『……その言葉に、偽りはありませんか。自分たちは死んでもいい、だから子供だけは助けてくれと』
『ああ。だから、この子だけは……助けてほしい』
『パパ……? ママ……?』
『私も同じ気持ちです。私たちには、この子が全てなんです』
「結果だけ言えば、僕は対象の夫婦を抹殺せず、拘束部隊の鎖に引き渡しました。元々、ぼくの任務は、対象の人間を拘束することでしたから。もちろん拘束できないようであった場合は、殺害も辞さない、となっていましたが」
「もしかして、ゆらせちゃんって……」
その言葉の続きは読めた。……中々鋭いですね、春乃先輩も。
「殺したことはありませんよ。別に殺さなくても任務は達成してきましたから」
運よく、と言えばいいのだろうか。ぼくのもとには『抹殺しろ』、という任務は与えられなかった。
ほとんどは敵対する組織の異類異形や人間の拘束任務が主だった。
「ぼくは一度も任務に失敗することがなかったため、わずか二年で一等征討員という地位まで上り詰めることができました」
ぎゅっと上着のポケットに入っている手帳を抑える。
これはぼくの強さの証。そして、これ以上ぼくのような人間を出さないように戦ってきた証だ。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
一陣の風が僕とゆらせちゃんの髪をなでる。
ぎゅっと拳を握る。思ったままのことを言ってもいいのだろうか……いや、ゆらせちゃんのためにも言わなければならない。
「ゆらせちゃんってさ……本当に征討員で、いいの?」
「……質問の意味が分かりませんが」
「こんなこと言ったら、失礼かもしれないけど……僕は、ゆらせちゃんは征討員に向いてないと思う」
僕の言葉に、ゆらせちゃんは一瞬驚きの表情をにじませたが、すぐに厳しい表情へと変わる。
「どういう、意味ですか」
僕の言葉は存在を否定したに違いないかもしれない。けど、だって君は、
「だって君は……優しすぎるから」
「……何を」
「僕が聞いた征討員ってのは、容赦なく、任務に当たり、対象を抹殺するって。これは間違い?」
「……そうですね。普通の征討員は拘束などせず、基本的には対象を抹殺します」
ゆらせちゃんは目を伏せ、まるでそのことを恥じているような表情で肯定した。
「なら、どうしてゆらせちゃんはそうしないの?」
「……する必要がないからです。殺さずとも、任務は達成できますから」
「なら、どうして今すぐ僕を殺さないの」
「それは……」
ゆらせちゃんが口ごもる。いくらでも僕たちを殺せるチャンスはあったのだ。だけど、今この時も僕と殺子は五体満足で生きている。
「クリスを保護したいのなら、僕や殺子は障害なはずだ。だけど、ゆらせちゃんは先に起きていたのにも関わらず、殺さなかったじゃないか」
それが、ゆらせちゃんの矛盾。任務を達成するのが一番なら、すぐにでも僕たちを殺し、クリスを保護することもできたはずだ。
「……一応は助けてもらった恩がありますから。それがなければ殺していました」
無理やり作ったかのような言葉。優しい嘘。
ああ――やっぱりこの子は、無理、してるんじゃないか。
「でも、ゆらせちゃんは自分の感情よりも、規則やルールが一番なんじゃないの?」
だから心を鬼にして攻める。優しい嘘を、優しい言葉にするために。
「確かに、そうですが……」
目を伏せ、言葉を濁す。
「本当に……ゆらせちゃんは征討員でいいの? いつか、誰かを殺すことになるかもしれないんだよ?」
「だからどうしたのです? 殺さなければいけないのなら、ぼくは……」
ゆらせちゃんはキッと僕を真っ直ぐに睨み付け、
「――貴方だって殺しますよ」
ゆらせちゃんの瞳を見つめる。……嘘は、言ってないように思える。けど、今まで一人も殺したことがない、少女が、恨みや憎しみもなしに、ただ「任務」というだけで誰かを殺せるのだろうか。
「無理、してない?」
ゆらせちゃんは僕の言葉にしばらく、厳しい表情を崩さないでいたが、一息入れるように「ふぅ」とため息をついた。
皮肉っぽく、そして、どこか優しげな顔で、
「春乃先輩ってやっぱり、お人よしですよね」
「殺子にはよく言われるけど……そうなの?」
特科のクラスメイトからも言われてるけど……自覚はないんだけどな。
「はい。悪く言えば甘いんですけど。でも」
言葉を切り、僕へと背を向ける。
「――ぼくは、嫌いではありませんよ」
「ゆらせちゃん……」
やっぱり、君は――
「今夜、また来ます」
その言葉が僕の意識をを現実に戻す。
僕からすればゆらせちゃんはクリスをさらおうとする――敵。
ゆらせちゃんからすれば僕はクリスを匿っている――敵。
「春乃先輩、普通というものがどれだけいいのかは、普通から外れてから、よくわかるものなのですよ。外れた者は、もう二度と戻ることは出来ないのですから」
そう言って、ゆらせちゃんは振り返る。
はっと息を飲む。
振り返ったゆらせちゃんの表情はどこか悲しそうで、純粋に、僕にも自分のようになって欲しくないという心遣いが痛いほど伝わってきた。
「もう一度、よく考えてみてください。本当に連合と敵対してまでも、クリスさんを守る必要があるのかと」
そう言葉を残し、ゆらせちゃんは去っていく。
その小さな背中を僕は姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。
ゆらせちゃん、君の言いたいことも分かる。でも、僕は視月に……クリスに出会ってしまったんだ。
ポケットから携帯電話が僕に振動を伝えてきた。
……こんな時間に一体誰だろう?
ポケットから携帯電話を取り出す。
「え……?」
その人物は僕の想像の遥か斜めを行く人物で。
でも、何よりも声が聴きたかった人物で。
表示されていた人物、それは――
霞初月 視月――僕の幼馴染だった。
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「まったく、視月のやつめ。なぜ今まで連絡をとろうとしなかったのだ」
僕たちはバスに乗って、神守市の工業港に来ていた。
周りには青、赤、緑と様々な色のコンテナが並んで積み上げられており、遠くにはコンテナを持ち上げる赤と白のクレーンのようなものが見える。
「視月も色々忙しかったんだってさ。ほら、アメリカだし、言語の違いとかあるじゃない?」
僕の右隣には刀を入れているバットケースを肩にかけている殺子。
左隣には、黒色のキャスケットを被り、お嬢様やお姫様のお忍びの時のような服装をしているクリスが並んで歩いている。
「無事ならそれでいいのだが。次会った時に、腐るほど文句を言ってやる」
殺子の話している内容は視月に対して怒りを隠せないような感じだけど、実際の表情はどこかほっとしているように見える。
やっぱり心配だったんだね。そのことを素直に言わないのは殺子らしいといえば殺子らしいんだけど。
思わず苦笑いを浮かべていると、殺子からキッと睨み付けられる。
おっと、殺子は怒らせたら怖いからこの辺にしておかないと。
「それで、視月の言っていた船は?」
僕は遠くに見える巨大なコンテナ船を指さす。
「あれだって。あの船に乗ればアメリカのサンフランシスコにつくから、そこの港で視月がクリスを引き取る手筈になってる」
なぜ僕らがわざわざこんなところまでいるのかというと――クリスを日本から脱出させ、サンフランシスコにいる視月に保護してもらうのである。
朝、ゆらせちゃんがいなくなった後、突如として視月から電話がかかってきた。
慌てて出ると「お久しぶり。ダーリン♪」と、視月の生の音声を僕の耳に届けてくれた。
正直、びっくりした。視月の声が聴けるのは僕から掛けた時だと思ったのに。
そこから僕は視月に今までの顛末を打ち明けると、すぐさま視月は事実を受け入れ、「こっちで一人ぐらいなら養ってあげるよ」と告げ、今回の作戦を立案、そして僕たちは実行に移している、ということだ。
本音を言えば……視月に頼らず、僕たちだけで守りたかった。でも、そんな力は僕にはないのだ。
「なるほど。相変わらず頭が回る奴だ」
それは心の底から思う。昔から『神童』『天才児』と呼ばれていたらしいし、その評判を嘘とは言わせないほどの高速思考能力、超人的なひらめきをここ一年半で僕は目の当たりにしていた。
「だから、クリスも安心していいよ。僕の幼馴染がね、色々とサポートしてくれるから。所有者探しもあっちで手伝ってくれるって」
「アメリカでも連合の手は回るかもしれんが……視月なら大丈夫だろう。こちらが落ち着いたら、視月とともに戻って来ればいい。その時はおいしい飲食店を紹介してやろう」
殺子の言葉にもクリスは無表情で反応はない。どこか考え事……いや何かに迷っているように見える……?
「多分、今よりは自由な生活が送れると思う。短い間だったけど、楽しかったよ」
僕の言葉に、ぴくり、と肩を揺らせ、口を開き、
「あなたは……」
何かを言いかけるが……、目を伏せ、押し黙ってしまった。
「クリス?」
「なんでもない」
「そう? ならいいんだけど」
昨日の夜、僕の頬に手を添えたときにも、何かを言いたげだった。
でも、僕は無理に聞き出すことはしない。僕がそうすることをクリスは望んでいない、そう思ったからだ。
自分の考えを心ででまとめた時――
「残念ながら、それは阻止させてもらいます」
声の下方向へ視線を向ける。コンテナの隙間と隙間の通路。そこからゆっくりとゆらせちゃんがこっちに歩いてくる。
やっぱり、そう簡単にはいかないか……
「先に行け」
声とともに、肩にかけていたバットケースから日本刀――『武南方針』を取り出し、僕たちを守るように立つ殺子。
「……分かった、負けないでね」
殺子は僕の盾であり、剣であると言った。なら友達として、月夜見アシスタンスの代理リーダーとして、使わせてもらう。
僕の言葉に殺子は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、自信たっぷりに告げる。
「私を誰だと思っている。刀御巫――――殺子だぞ」
……そう、だね。殺子が負けるはずないもんね。
僕はクリスの手をとり、コンテナ船へと走っていく。
「春乃先輩っ!」
ゆらせちゃんの声が耳に届く。叫び声のような、どこか悲しみを帯びた声音だと思った。
でも、ごめん。僕たちはここで立ち止まるわけにはいかないんだ。
肌寒い真夜中を港を、暗がりのコンテナ船を頼りに僕たちは走っていく。
遠くからは、金属同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。恐らく殺子とゆらせちゃんが戦っているのだろう。
助けに行きたい衝動に駆られる、が、今の僕にはクリスを無事に船まで載せるのが精いっぱいだ。せめて、僕に与えられた役割ぐらいはやってみせる!
薄暗い空を見上げると、だんだんとコンテナ船が大きくなってくる。肌はひんやりするほど冷たいが、クリスとつながれた手だけは吹雪の中のかまくらのように暖かい。
立ち止まり、体をくの字に曲げて、息を吐く。もう少し、もう少しだ。
隣のクリスを見ると、息一つも乱していなかった。そういえば、北竜警備に追われていた時も疲れている様子はなかったような。
「ここまで……来れば、もう、大丈夫、だよ」
荒くなった息を落ち着かせながら、心配をかけさせまいとクリスに言葉をかける。
「…………っ」
僕のそんな表情に、なぜかクリスは目を伏せる。
「?」
一体、どうしたのだろう?
そして顔を上げたクリスは、僕を――いや、僕の後方をじっと見つめる。
やっぱり来る……よね。
振り返る。
そこには巨大な鎌を担ぎ、口に煙草を咥え、ゆっくりと僕たち目掛けて歩いてくる牛塚の姿があった。
「クリス、ここから真っ直ぐ行けば乗る予定の船がある、後は……分かるよね」
僕はクリスの前に、守るように立つ。
「あなたは、どうするの」
「時間稼ぎ、かな。時間稼ぎになるかどうかわからないけど。だから、早く行って!」
だけど、クリスの動く気配はない。
どうしたのかと、後ろを振り向く。
「っ……」
クリスの表情は、どこか悲しそうで……迷っていて――だけど、そんな表情も綺麗だと思えた。
クリスが何に迷っているかはわからない。でも、僕がここで僕が時間稼ぎになるのは変わらない。
絶望的じゃない。殺子がこっちに来るまでの間、どうにかして時間を稼ぐんだ。
クリスを背に、僕たちへと近づいてくる牛塚を正面に見る。その瞳は、僕なんかよりも何倍も強く、何倍も生きてきた目をしていた。だけど、それでも僕はやらなれければならない。クリスを視月の元へと送り届けなければいけないんだ。
「なぜ、クリスを守る」
僕と十メートルほど挟んだ場所で立ち止まった鬼塚が問いかける。
――答えは決まっている。
「僕は記憶もない存在で、理想だって幼馴染に共感しただけの弱い人間だけど、それでも、僕にだって困っている人を、助けることぐらいは出来るから」
『困っている人はね、手を差し伸べられるのをまっているの。だから私はその手を握ってあげたい、引っ張ってあげたい。出来る限りのことをして、助けてあげたい』
僕はあの時言われた言葉を胸に生きてるのだから。
「立場を考えろ。クリスとお前が生きている世界は違う」
そんな僕の言葉に、苛立ちを隠せない様子で反論する牛塚。
「僕はクリスを助けたい。その気持ちに、立場なんて関係ない」
なら、僕はそれに真っ向から反論するまでだ。
「そう」
驚いて後ろを振り返る。まさか、クリスから反応があると思っていなかったから。
見るとクリスは一瞬だけ目をつぶり、
「……父上、私は……決めました」
何かを呟き、目を見開く。
その表情は、何か重大なことを決意したような、少しだけ緊張した面持ちだった。
「クリス?」
僕の呼ぶ声を聞かず、碧い瞳を僕に向けながら、横に並ぶ。
そして――
「あなたにとって、わたしは――なに?」
問いを投げかけてきた。
……そうか。今までクリスはずっと、一人だったんだ。北竜警備にいたころは連合への抑止力とされ、今も連合の思惑によって利用されようとしている。その中で、自分とはなんなのか、と思うのは不思議じゃない。不安、だったんだね。
しっかりとクリスのダイヤのようなに薄く綺麗な瞳を見つめ、告げる。
「ちょっと世間知らずで、無口で、天然っぽい、普通の女の子、かな」
それが僕の思ったままの感想。そしてクリスの求めていた感想だと思ったから。
「――そう」
思わず、息を呑む。
出会ってから微かな変化しかなかったクリスが――微笑んだから。
その微笑みは、優しく、どこか……そう、どこか懐かしさを覚えるものだった。
そして、微笑みながらクリスは僕へと問いかける。
「春乃夜神、わたしの所有者になってくれませんか?」
所有者……これがどんな意味を表すのかは分からない。
でも、クリスの目的であり、クリスにとって重大なことだってことはわかる。
僕は、どうしたい? 本当はクリスを視月の元へと預けず、自分の力で彼女を守りたかった。もしかしたら、これはチャンスなのかもしれない。クリスの助けになるなら、僕は――
クリスに微笑みかけ、僕はクリスへと言葉を贈る。
「僕なんかで、よかったら」
その言葉に、クリスは嬉しそうに笑みを浮かべたあと、目をつぶる。
「その御名において、春乃夜神を我が所有者として認める。壮麗なる魂よ、我が心と一つにならん。ここに、契約の契りを――」
目を開け、僕の肩に手を置いた。
「――交わす」
――――え?
驚きに目を見開く。目の前にはクリスの顔。女の子独特の匂いの髪。そして、唇にはやわらかい感触。それが、僕が見たクリスの最後の姿だった。
「なっ!? どういうことだ、これは!?」
僕とクリスは真っ白な光に包まれる。
これは……一体?
まぶしさから解放され、目を開けると、右手に何かを握っている感触。
「剣……?」
握っていたのは剣の柄の部分。白と青をモチーフとし、西洋の十字剣が進化――いや、近代化したようなフォルム。細長くスマートなフォルムで、刃の部分が月明かりを反射し、光を放っている。武器、というよりは『兵器』に近いのかもしれない。
「え、え?」
(落ち着いてください、マスター)
耳元からクリスの声。思わずきょろきょろとあたりを見回すもクリスの姿はなく、手にはよくわからない剣だけが残っている。
「クリス!? ど、どこから話してるの!? あと、この剣って、何!?」
(わたしはあなたをマスターと認め、契約しました。そのため、念じるだけで会話が成立つように設定されています。テレパシーのようなものです)
(そ、そうなの?)
試しに声を出さず頭の中でクリスへと語りかけてみる。
あれだけ無口だったクリスが饒舌に話しているだけでも驚きなのに、念じるだけで会話って……
(はい。そして手に持っている魔導兵装――その手に持っている剣自体がわたしです)
この剣が? まじまじと剣の全体を眺めるが、これがクリスだとは到底思えない。
(……あまりそう、じろじろ見ないでほしいのですが……)
(ご、ごめん)
思わず謝ってしまう。どうやら恥ずかしがってるようだけど……剣の姿って恥ずかしいのだろうか?
「ははは……はははははは!」
牛塚の奇妙な高笑いが僕の思考を現実に戻す。
そうだ、まだこの件は終わっていない。今度は、僕自身でクリスを守らなければいけないんだ。
「なるほど……なるほどな。クリス、所有者を探している、そういう意味だったのか。自分の主、担い手を探していたんだな」
牛塚は僕ではなく、剣となったクリスへと視線を向け、どこか諦めにも似た表情で語りかける。
(あの男の言う通り、わたしは自身の所有者、担い手を探していました)
(それが、僕?)
(はい。あなたは、わたしのマスターたりえる器の持ち主だと判断しました。それに……)
そこで、クリスは一瞬、言葉を切った。表情は見えないけれど、雰囲気からはどこか迷っている、いや……戸惑っているような感じが伝わってきた。
(――わたしの心が、あなたに……マスターになってほしいと、望んでいました)
(こんな、僕でもいい、の?)
(はい。あなただから、わたしは契約を望んだのです)
……僕だから、こそ、か。
こんな僕でも、必要としてくれる人がいた。それだけで体の奥から力が溢れてくる気がした。
牛塚へとクリス――剣を向ける。
「だが、俺は認めん。お前程度が、連合から、世界から、クリスを守れるのか?」
「守れるか、じゃない。守ってみせるんだ」
「ほざけ」
言うが早いか、牛塚が間合いを詰めてくる。そして手に持った鎌を振り上げる。
「くっ!」
条件反射的に剣で攻撃を防ぐ。
金属同士がぶつかり合った音が夜の港へ響き渡る。
腕に痺れはなく、重さを感じない剣。クリスは魔導兵装と言ったけど、これは?
いや、今はそんなことよりも目の前の出来事を対処することが先決だ。魔導兵装のことだって後でクリスに聞けばいい。そう思い、僕は殺子の見よう見まねで正面に剣を構える。
「お前程度が……俺に勝てると思っているのか?」
――右からの薙ぎ払い! それを剣で防ぐ。
すぐさま追撃の頭上からの振りおろし。
それも右足を踏ん張り、地面を蹴り上げ回避。
そして右側から振り回すように刃が飛んでくるが、しゃがんで回避。
僕の身軽な動作に、牛塚は不信感を抱いたのか、攻撃の手を休めいったん距離をとる。どうしてこんなに動けたのかわからない。運動神経だって、そこまでよくなかっただったはずなのに……?
(クリス、僕の体って)
(はい、マスターはわたしと契約したことにより、わたしに触れている間は、人間以上の身体性能……異類異形並の身体性能を発揮できるようになりました……が)
(何か、おかしいことがあるの?」
(いえ、私が父上から聞いていたのは『動けるだけ』なのです)
(動けるだけ? どういうこと?)
(はい。マスターの身体性能は異類異形の域にまで到達しました。ですが、最初はその身体性能に振り回されるはずなのです)
(でも、僕は普通に動けた……と)
確かにクリスの言っていることは正しいのだろう。急激な成長に脳がついてこれないはずなのだ。
なら、僕はどうして普段と変わらないように動ける?
「どんな技を使ったのかわからんが……」
牛塚の声が、僕を思考の海から引き上げる。そうだ。今は戦闘に集中しなければ。
(行くよ、クリス)
(はい、マスター)
「付け焼刃ごときで俺に勝てると思うな」
剣と鎌が交差し、火花を散らす。
目の前の牛塚も真剣な表情で、間違いなく、僕を――敵だと、認識していた。
幾度となく金属同士が鳴る音が響き渡る。初めは牛塚の攻撃を、防御することしかできなかった僕も、だんだんと感覚を掴み、今では自ら仕掛けるまでにはなってきた。
なぜかはわからない。ただ……覚えているような感覚。体が覚えているのだ。
「はぁ!」
僕と斬撃によって、金属を響かせ、牛塚の鎌が、ひゅんひゅんと風切り音を鳴らしながら鬼燈の後方へと飛んで行き、地面に突き刺さる。
剣を牛塚へと向ける。
「これで、認めてくれますか。僕がクリスの所有者であることを」
僕の言葉に、ふっと表情を緩め、ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつける。
認めた……のかな? でも、この余裕はなんだ?
僕の疑問をよそに牛塚はニヤリと笑う。
そして煙草の煙を吐き出し、宣言した。
「坊主。これからが本気だ」
その瞬間、牛塚の全身の筋肉が盛り上がり、着ていた服が破け、どんどん巨大化していく。
顔は牛のようになり、角が二本生え、顔は牛のようになり、角が二本生えてきた。さらに足は馬のような蹄になり、身長は、三メートルほどへと延びていく。
上半身は真っ赤になり、下半身は白いふんどし姿。
手には先ほどの持っていた鎌の、三倍ほどの大きさの鎌が浮かび上がってくる。
これは……殺子から聞いたことがる。
「さぁ、お前の覚悟とやら、見せてもらおうか」
そう僕に告げ、巨大な鎌を振り上げた。
牛頭鬼――人に出会うと理由なく殺す鬼、と呼ばれている妖怪だと。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「はああああっ!」
「ふっ!」
久しく聞いてなかった武器同士が鳴らす独特の金属音。
――これだ、これこそ私の日常であったはずだ。
目の前には連合の一等征討員の少女……ゆらせ、と言ったか。どこか幼さの中に可憐さを秘めている……そんな感じだ。私とは縁のない……そうだな、女子らしい、と言えばいいのだろうか。
ブレードと刀を切り結びながら、思わず笑みがこぼれる。その姿に微かにゆらせは表情を険しくさせた。
ゆらせ、お前には感謝しているぞ。私はこのような戦いをしたかったのだ。
自分と同じ実力、そして血沸き踊る戦いを!
ゆらせの左手に取りつけられた武装から銀の杭が、私の右肩を目がけて発射される。
顔を背けて回避。が、どうやら頬を切ったらしい。巫女装束に赤い血が一滴、垂れた。
――甘い、な。
追撃をかけようとゆらせは腰に取り付けた刃のブーメランを投げつけてきた。
ひゅんひゅんと、空気を切り裂きながら飛んでくる……が、
――それも、甘い。
飛んできた刃のブーメランを愛刀で切り返すように捌く。
そのブーメランはまるで飼い主のもとへ戻るペットのように、ゆらせの手元へと収まっていった。
刀を正面に構えながら、ゆらせの次の行動を逃さないように、凝視する。
あの様子ではまだ武装を隠し持っているだろう。油断ならないやつだ……しかし、私を殺す気がさらさらないようだ。
殺気はその人物の心を表す、という。ゆらせの殺気はどこか揺れていた。これでは威圧感も何もない。
「一つ、聞きたいことがあります」
腕に取りけられた射出機を構えながらゆらせが問いかけてきた。
「なんだ」
「なぜ、春乃先輩をこんなことに関わらせたのですか」
何かと思えば……
「そんなことか」
「そんなことって! 春乃先輩は異眼保持者なだけで、ただの一般人だったはずです! 普通から外れているあなたなら、分かっているはずでしょう!」
私の言葉に激昂した様子で声を荒げる。
なるほど。殺気が薄い訳はこれか。
しかし、まさか夜神のことを心配してるとはな。私が寝ている間に何かあったのか?
「それは夜神自身が決めることだ。私だって、連合に逆らった場合の危険性は説いたさ。だが、夜神はこの道を選んだ。ならば夜神の友として、私はその意思を尊重したい」
それに……意外とあいつは頑固だからな。一度決めたことは梃でも動かないだろう。
「……あなたは何も分かっていない。この世界に、一般人が関った結果、どうなるかを」
ゆらせは奥歯を噛みしめ、言葉をぶつけてくる。
ああ、わかるさ。痛いほどにな。だがな、それでも夜神は選んだんだ。選んだのならば、それを支えるのが友であろう?
「だからこそ、私がいる。この、刀御巫――殺子がな!」
必殺の刺突の構えをとる。そろそろ幕引きだ。これで終わらせる。
「さぁ、決着をつけようか、死神。私は夜神のように甘くはないぞ?」
私の構えに対抗するように、唇を引き締めるゆらせ。
「いいでしょう、人斬り巫女。あなたを倒して、春乃先輩を止めてみせます」
そして、戦闘が再開される――
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――服はところどころ破れており、肌が露出しているところからは、血が滲んでいた。
膝をつき、歯を噛みしめながら、前方にいる牛塚を見上げる。
「どうした、終わりか?」
立ち上がり、剣を振り上げる。一直線に牛塚へと向かっていく。
「ふん」
剣で牛塚の鎌を受け――
「ぐっ!」
(マスター!?)
防御した衝撃に吹き飛ばされる。勢いよく後ろのコンテナにぶつかり、激しい痛みに顔をしかめる。
どうやら口を切ったらしい。鉄の味が口の中に溢れている。右目が不意に見えなくなった。拭うと袖に血がついている。頭も切れているようだ。
「坊主、これが現実だ。貴様ではクリスは守れない」
まだ、まだ僕は――
「諦めない」
「なに?」
牛塚の僕の異眼を発動した時と同じ、赤くなった目を見上げる。
「諦めないって、言ったんだ! 僕はクリスのマスターだ。守ってあげるって約束したんだ! だから――」
クリスを――剣を、覚悟の誓いのように正面で構える。
「あなたを、倒してみせる」
僕の言葉に牛塚はっとした表情を浮かべた後、引きしまった表情へと変わった。まるで僕を本当の敵として認識したかのような。
「よかろう。その覚悟、確かに受け取った。次は全力で貴様を殺す」
牛塚が鎌をひゅんひゅんと一回転させ、切っ先を僕に向ける。
(……マスター)
(なに?)
(……本当は、もっと後になって言うつもりでしたが)
クリスは一瞬だけ逡巡した後、言葉を続ける。
(わたしの真の能力を引き出すキーワードを、お教えします)
(いいの? まだ僕たちは契約したばかりなのに?)
(いいんです。わたしが、マスターに聞いてほしいのですから)
……顔は見えないけど、クリスが微笑んだ気がした。
(それと、キーワードを告げた瞬間、『真実の世界』を発動してください)
(『真実の世界』を? ……分かった)
クリスの意図は分からない。けど、今はクリスを信じよう。
(わたしの真の力を引き出すキーワード、それは――)
牛塚が動く気配。鎌を大きく振りかぶる。
(――クリスマスです――)
横への薙ぎはらわれる大鎌が、僕の目前に迫る。
『真実の世界』を発動――
(――クリスマス――)
そしてクリスから言われたキーワードを唱える。その瞬間――
「なに?」
僕はふり払われた大鎌をしゃがんで回避していた。でも、ただ回避していただけじゃない。まるで『そう来るのが分かっていたかのように』予測して回避したのだ。
(これって……)
(はい。わたしの能力、『使用者の能力を強化する』というものです。これによってマスターの違和感に気づきやすい能力、『真実の世界』を強化した結果、恐らく、軽い未来視を行えるまでになったかと)
(それもだけど、このキーワードって……)
(……はい。わたしの――本当の名前です)
僕の頭上を風を斬るようなスピードで牛塚の鎌が通り過ぎる。
だけど、僕の強化された『真実の世界』には全てが視えた。
(いい、名前だね)
牛塚の鎌による振りおろしを、体に横にずらして、回避する。
――視える。動きの一つ一つが、しっかりとした映像として目に浮かんでくる。
(ありがとうございます。マスター)
鬼燈の鎌による振りおろしを、体に横にずらして回避する。
(あと、もう一つだけ伝えたいことが)
大鎌の振りおろし。僕は体を横にずらして避ける。
鎌が地面に突き刺さる。地面のコンクリートが割れ、僕にカケラのシャワーを降らせる。
(……この名前は、秘密にして欲しいんです)
薙ぎ払いを、バックステップの要領で後ろに飛んで避ける。
(わかった。二人だけの、秘密だね)
反転。足を踏ん張り、牛塚へと突撃する。
(……はい)
僕の脳天目掛けて、振り下ろされる大鎌の映像が視えた。
予測通り、牛塚は鎌を振り下ろす。が、僕は直前で左にステップを踏み、回避。
見上げると、牛塚の表情に焦りが見え始めていた。
(あなたに――)
剣を振り上げる。
(出会えてよかった)
僕もだよ――クリスマス。
剣から伝わる、肉を切る感触。
まるでバターナイフがバターを切り裂くように滑らかに、そして残酷に抉っていく。
「な――!?」
血を吹き出しながら崩れ落ちる牛塚。その左足は膝から下がない。
体のバランスを崩しながらも、鎌を振り上げてくる。
僕はダンスを舞うようにくるくると回転しながら避ける。
僕から外れた大鎌が地面を抉り、コンクリートの破片を辺りへとまき散らす。
二度目の嫌な感触。牛塚の右足も切り落とす。
両足を切断された牛塚は血を噴水のように吹き出しながら、巨体を倒れ伏せた――
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――クリスの乗る予定だった船が汽笛を上げて、港から出航していく。
僕の目の前にはぐったりとした表情を浮かべた牛塚が倒れていた。
両足からはとめどなく血が小さな川を作るのではないかというほど流れている。
「とどめは、刺さないのか?」
牛塚が問いかけてくる。
「僕は、ただのなんでも屋ですから」
見ると、牛塚の足から流れだしていた血が止まり始めていた。
「さすが、牛頭鬼は回復力が違いますね」
「知っていたのか」
「はい。殺子……友達に異類異形に詳しい人物がいるので」
「そうか」
牛塚は仰向けになり、空を見上げる。
僕も釣られるように空を見上げると空は薄い雲に覆われており、太陽の光によって朝焼けの光景が見えた。
「俺はな。ずっと自分がクリスの側にいれると勘違いしていた。いつか別れがあるってことを気づかなくて、ぬるま湯につかっていたらこの様だ。俺らしいといえば、俺らしい」
「もしかして、あなたは……」
「ああ、俺はクリスの護衛兼、監視役だったんだ」
……なるほど。
どこかでそんな感じはしていた。クリスを組織を抜けてまで追う理由はないから。
「やっぱり、その……クリスのことを?」
もう一つ気になっていたことを尋ねる。ゆらせちゃんはああ言ったけど、本人の口から聞きたかった。
僕の言葉に牛塚は、一瞬だけ言葉を濁してから、
「まぁ……な。色々、あったんだよ」
心情を告白した。
やっぱり、そうだったのか……
朝焼けに目を細める。どうやら夜が明けるらしい。
「坊主、クリスに話がある。人間の姿になってくれるよう、頼めるか」
「はい。クリス、お願い」
(はい、マスター)
クリスの声が聞こえた瞬間、手に握られた剣が光の結晶のように分解され、足の先から徐々に人間の姿を形作っていく。その光は宝石のように美しく、キラキラと輝いていた。
最後には目をつぶった状態でクリスの姿へと光は変わっていった。
クリスが目を開ける。
「なに」
クリスの姿に目を細める牛塚。
「……なぁ、俺はこんな姿だが、お前をずっと守っていたいんだ。だから、さ……俺の、側にいてくれないか」
一途で真っ直ぐな言葉。この妖怪は心の底からクリスのことを想っているのだろう。それが直に伝わってきて……少しだけ僕の心が痛みを発したような気がした。
その言葉にクリスは戸惑った表情を浮かべてから、どうすればいいのか? と僕へと問いかけるような目線を向けてきた。
「クリスが思ったことを、そのまま言えばいいんだよ」
これはクリスと牛塚の問題だ。僕が関与するところではないから。
「……(コクリ)」
分かった、と言いたさげにクリスは頷き、牛塚へと体の向きを変える。
そして――
「お友達でいましょう」
その時の牛塚の表情は今までに見た中で、一番気の抜けた表情を浮かべていたと思う。
……僕も同じような表情を浮かべていたと思う。
「はははははははは!」
突如として高笑いを響かせる牛塚。
「はははっ……なるほどな、そうか、そうか……俺は、振られたのか」
次第に乾いた笑いへと変化していく。
その様子にクリスはどこか不満そうに、じっと牛塚を睨み付けていた。
クリスの表情に気付いたのか、真面目な顔に戻る。
「そろそろ人が来る、お前らは行け」
「でも、あなたは――」
「俺は空視化できるから問題ない」
牛塚はよろよろと、コンテナがつぶれているところを指差し、
「こんな惨状の現場で見つかったら、お前らは色々と面倒だろう?」
風が一陣吹いた。寒さを感じ、身を縮こませると、ひらひらと、蝶が描かれた紫色のハンカチが目の前に落ちてきた。
牛塚はそのハンカチを拾い上げ……なぜかクリスへと差し出した。
「クリス、覚えているか。お前がこれで、手当てしてくれたことを」
手当……? クリスのほうを見ると、目を失せ、考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。
「あの時ほど、お前に出会えてよかったと思った時はない。俺は、壊すことしかできなくてな。ああやって、誰かに純粋に助けられたことがなかったから、ころっといっちまんだろう。いや、もしかたら、初めて会った時から、好きになっていたのかもしれない。だから、これはけじめだ。返すぞ」
そういって、牛塚はクリスへとハンカチを差し出す。
だけど、クリスは首を振り、
「それはあなたに上げたものだから」
はっきりと、断った。
「……そうか」
牛塚は手に持ったハンカチを目を細め、大事そうにそっと胸に当てる。
「なら、一生大事にするよ」
そして仰向けになり、目を瞑った。
「俺は少し疲れた。少し眠る」
「これから、あなたはどうするんです? 連合からも北龍警備からも追われているんでしょう? なんなら、僕たちが――」
「バカも休み休み言え、小僧。恋仇の力を借りるなんてまっぴら御免だ」
目はつぶったまま、僕の提案を面倒臭そうに一蹴する。
「ですが……」
「そういうところが……クリスは好きになったのかもな」
「え? 何か言いました?」
小声で何かつぶやいたような気がしたんだけど……
「いや、なんでもない。いいから行け。自分のことは自分でけじめをつける」
「……分かりました。ですが、何かあったら力になります。その時は月夜見アシスタンスの事務所に来てくださいね」
「……ああ」
僕の言葉に、牛塚は目をつぶりながら頷いた。
その様子に安心し、僕は牛塚に背を向ける。そしてクリスの手を取って走り出そうとした瞬間。
「坊主」
振り返る。すると牛塚がこちらを真剣な目で見つめていた。
「なんですか?」
「……クリスを泣かせたら、許さないからな」
「――はい」
心を籠めて、しっかりと牛塚を見つめて答える。
僕はクリスのマスターになったのだから。なれなかった人へのためにも、僕はここに誓おう。
「必ず、クリスを幸せにします」
牛塚は満足そうに笑った……ように見えた。
「……行け。待っているのだろう、友達が」
「はい。では、お元気で」
背を向け、クリスの手を握って僕は殺子と別れた場所へと急ぐ。
背中に視線を感じだけど、振り向かない。だって、僕はもう走り出してしまったのだから。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
……行ったか。
クリスとそう変わらない小さな背中が遠ざかっていく。
脱力感とともに、朝焼けの空を見上げる。空は薄い赤色に染まっており、雲がゆっくりと流れている。 ふと、目線を横に向けると、煙草とライターがちょうどよく落ちていた。体を動かしたと同時に痛みが体中に走るが、構わず拾い上げる。
煙草に火をつけ、口にくわえる。どこか苦く、甘い味が口の中に広がっていく。
「……苦いな」
空を見上げる。雲が――ゆっくりと流れていた。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
――中々、やるではないか。
十メートルほど先、クローを私に向けながら肩で息をしているゆらせが見える。
もっとも、私も限界が近いが……
はぁ、はぁ、と荒い息を繰り返し、空気を肺に取り込む。巫女装束の所々には切り傷が見えるが、これはあちらも同じだ。互いに致命傷は受けておらず、少しの切り傷しか与えていない。消耗戦だ。
「病み上がりにしてはやるではないか」
「あなたこそ、治癒術を使って全開ではないです。お互いさまでしょう」
……バレていたか。だが、お前も全開ではないだろう?
「そうだな」
私が必殺の刺突の構えを繰り出した瞬間、辺りに初期設定の携帯の着信音が鳴り響く。
「む?」
ゆらせは顔しかめた後、私に目を向けたまま、ポケットから携帯を取り出し、耳に当てる。
「はい、ゆらせです」
勝負の最中に携帯に出るとはな……几帳面な奴らしい。
ここで闇討ちしてもいいが……した瞬間、携帯を投げ捨て迎撃にすべてをかけてくるだろう。恐らく奴は意識をこちらと携帯どちらにも向けているはずだ。生半可な者なら通じるかもしれんが、連合の一等征討員ともなると通用しないだろう。
「な、ど、どうしてですか!?」
なに……?
意識が、私から外れ携帯へと注がれる。本来ならばここが攻め時。だが、私はそれよりも電話の内容が気になった。
訝しげな視線を向けると、ゆらせはこちらに一瞬だけ意識を向ける――が、すぐに話し相手へと意識を向けていった。
「……分かりました。命令に従います。ですが、本部で詳しい理由は聞かせてもらいますよ」
ふぅ、と息を吐き、電話をしている中でも私に向けていた右手のクローを下ろす。
「どうした、何かトラブルでもあったのか?」
「ええ。事情は分かりませんが、クリスさんの保護は中止、すぐに撤退してこいと」
ゆらせは悔しさを顔に滲ませながら答えた。
気持ちは分からんでもないな。勝負の最中に水を差されるのは、何よりも耐え難いものだからな。
「ほう、それはまた」
「個人的には納得はできません。ですが、上から命令は絶対ですから。では」
ゆらせはそう言い残し、私に背を向けコンテナの上へと一気に跳躍し、コンテナの上を超人的な動きで跳ねながら去っていった。
……終わった、か。
そう思った途端、膝がガクリ、と落ち、力が入らなくなる。悔しさに唇を噛みしめる。
「あのままやりあっていれば、負けていたのは私かもしれんな……」
だが、次は負けん。恐らく次に戦う日はそう遠くないはずだ。
ならば、今度こそ決着をつけるまでだ。
決意を固めていると、遠くから聞きなれた声が私の名前を呼んでいるような……
「殺子~~~!」
声のした方向へと視線を向けると、夜神とクリスが手をつなぎながら駆け寄ってくる。
失敗したのか?
……いや、成功か。
なぜ私が成功かと思ったか……なに、簡単なことだ。
――二人の表情が朝焼けのように晴れやかだったからな。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「こらあああああああ! 豹里おおおおおおおお! 俺の昼飯を返せえええ!」
「いやだにゃーん。わちに意地悪した罰にゃん」
「美登代様」「お味のほうは」「いかがでしょうか」
「ううむ。今朝もよい味を出しておる。お主たちの入れる茶は一品じゃな」
「……相変わらずうるさいわね。このクラスは」
「ほーら。みんな水城先生が来ちゃうよ? 席について~」
神守群城学園2-A、通称『特科』。そのHR前の日常風景。
黒板の左上の丸時計は八時二十五分を指しており、時計の下には『遅刻厳禁!』と書かれた張り紙が貼られている。
「ねぇ……殺子、本当に大丈夫かな?」
隣の席で真剣な表情をしながら少年漫画を読んでいる殺子に尋ねる。
殺子は顔を上げ、ニヤリ、とまるで「心配するな」と言いたさげな表情を浮かべ、
「案ずるな。何かあったら、私が守ってやる」
……相変わらず、僕よりも頼りがいがあるよ、殺子は。
僕の思考を打ち消すかのように、教室の前のドアから人影が出てきた。
「おら、おめーら、席に就け。五秒以内に席につかねーやつは、これで殴る」
その人影は手に持った出席簿を黒板に何度か叩きながら教壇に登っていく。
人影の正体は担任の水城 春菜先生だ。
殺子を見ると、読んでいた漫画は机の中にしまったのか、どこかへ行き、背筋を伸ばし、教壇の主へと視線を向けていた。……本当に水城先生と何があったんだろうか?
鶴の一言のごとく、水城先生が言葉を発した瞬間、あれだけ騒がしかった教室がぴたりと時間が止まったかのように静まり、クラスメイトたちはそれぞれの席へと戻っていく。
その様子に満足そうな表情を浮かべ、
「今日はおめーらにいい知らせがある。転校生を紹介してやる」
――来た。
「この時期に?」「特科に転校生なんて橘来だな」「どんな能力持ちなんだ?」と再度教室が騒がしくなるが、水城先生が出席簿で教壇を一回、叩くと一瞬で静まった。
「静かにしやがれ。朝のHRも長くねーんだよ」
そして教室のドアのほう向き、顎をしゃくる。
「ほら、転校生。入って来い」
水城先生の声とともに、教室のドアが開き、転校生が特科へと足を踏み入れる。
その瞬間、教室のほとんどの生徒が息を呑んだ。
誰一人として言葉を発せないような、そんな雰囲気を醸し出していた。……僕も、初めて見たときはこんな感じだった……かな?
「ほらよ」
教壇に上がった転校生へと水城先生がチョークを渡す。
受け取り、黒板にその人物を表すように綺麗で、どこか繊細な文字で名前が描かれていく。
その僕が『よく知っている』転校生は、振り返り、いつも通りの無表情で、言葉を紡いでいく。
「春乃・クリス。……よろしく」
クリスの言葉が火種になったかのように、教室が一気に騒然となる。
「春乃ってどういうことだよ!?」、「春乃くんの婚約者? というかもう結婚しているとか?」「バカ、男は18歳にならないと結婚できないでしょうが」「じゃあどんな関係なのさー!」
案の定、僕へと多数の視線が飛び込んでくる。
……こうなることが分かってたから、僕の名字を使うの反対したんだけどなぁ……
隣の殺子を見ると、「やれやれ」と言いたさな表情を浮かべいた。
……少しは助け舟を出してよね。関係者なんだから。
これからのことを想像し、苦笑いをしていると、壇上のクリスと目が合う。
「…………」
少しだけ、クリスが微笑んだような気がした。
だから、僕はそっと心の中でクリスへと言葉を贈る。
『これからもよろしくね。クリスマス』
それは――春先に訪れたクリスマス。
冷たくも、温かくもある――春のクリスマス。
僕は、窓から差し込む日差しに目を細めながら、空を見上げた。
昼の月が僕を見下ろすかのようにじっと、見つめている……そんな、気がした。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「どうして、撤退命令を出したのですか!?」
怒りのあまり、思い切り目の前に机に勢いよく両手を叩きつける。
本来なら上司相手に許されない態度だということもわかっている。
だけど――
「理由を――教えてください」
目の前の直属の上司であり、零等征討員でもある人物。
「――『計略者』零等征討員」
ぼくは問いかける。あの刀御巫先輩と決着をつけたかった。ぼくたちの世界に一般人を関わらせた結果、その結末はどうなるかは身を持って知っている。
だからこそ刀御巫先輩を倒し、春乃先輩を止めたかった。春乃先輩を、あのお人よしで、優しい人を、二度とこんなことに関わらせないようにしたかった。
「ごめんねー。こればっかりは仕方ないんだよ?」
体のサイズに合っていないの大きな椅子に座り、手を合わせて謝る仕草をする。
「上からの命令だったんだよー。さすがの私にも拒否権がなくてさ、ごめんね?」
申し訳なさそうに目を伏せる。仕方ないのは分かっている。でも――
「理由は、教えられないのですか?」
「人型魔導兵装、っていうものを知ってる?」
「ええ。確か人間と武器の形をとり、人間と同じような意思を持ち、言葉を話す魔導兵装のことだと聞いています。ですが、今は関係ないことでしょう?」
人が異類異形と戦うために使用している兵装は大きく分けて三つある。
加護兵装――信仰対象の恩恵を受け、異類異形を対象にした兵装。
武装の強さは「信仰対象の強力さ」「使用者の信仰心の強さ」に比例しており、信仰対象によって何かしらの「能力」が兵装に内蔵されている。
機械兵装――異類異形に波長を合わせるように設定された現代武器を改造した兵装。
特殊な波長を発生させる装置が取り付けられており、これによって持っているだけで魔力の底上げが可能になった。魔力の高さに関係なく扱え、人間が人工的に作成できる。ぼくが主に使うのはこの兵装だ。
そして魔導兵装――魔力の高さが一定以上でなければ扱えない兵装で、さらに人間が作成することは不可能と言われ、異類異形しか作れない兵装だ。
元の異類異形の「能力」が内蔵されているため、異類異形が認めた対象のみ兵装を作成し、譲渡している。そのため保持している者は少ない。
「付け加えると、人型魔導兵装は上位の異類異形のみしか作成することができない魔導兵装だってこと」
「ですから――」
「実はねー。私たちが追っていたクリスさんは『人型魔導兵装』だったんだよねー」
「……え?」
思わず耳を疑った。
クリスさんが――人型魔導兵装?
「そして人型魔導兵装は人間と『契約』することで力を発揮する。それも厄介でさ。一度契約するとそ、そのえーと……所有者だっけ? その人物が死ぬまで契約は解除されないって代物なの」
……まさか。
心の中で唯一の可能性を思いつく。
いや……でも、それはあり得ない。ただの一般人である春乃先輩が――
「で、今回の撤退命令はその人型魔導兵装が契約を行ってしまったからなんだよ」
違う。違う。違う――!
必死にその可能性を否定する。
もう二度と、こんな世界に一般人を近づけさせない。
僕のような人を生み出さないと――そう誓ったはずなのに。
「その所有者は――春乃夜神、という男の子でさ」
「あ……ああ……」
ぼくは……春乃先輩を、止められなかった……
いや、ぼくが追いつめてしまったんだ。春乃先輩を。
「今回の作戦の真の目的は、人型魔導兵装の保護だったんだ。ごめんね、一応機密情報だったから、ゆらせちゃんには教えられなかったんだ」
これであの人はもう戻れないだろう。人型魔導兵装と言えば、ぼくらの世界ではかなりのレア物であり、強力な力を秘めている兵装だと聞いている。
これから、あの人はクリスさん……人型魔導兵装を狙う人間、異類異形から狙われることになるだろう。
「で、ゆらせちゃんの他に征討員を派遣してたんだけどさー。その征討員から報告が来たのさ。『人型魔導兵装が契約してしまった』って」
―――――っ
「うわぉ」
手がじんじんと、痺れるように痛みを訴えている。
怒りのあまり、思い切り目の前の机を再度叩いてしまった。
でも、最初とは違う。これは自分への怒りだ。
ぼくは……何をやってるんだっ……
「んー。確かに今までノーミスだったから悔しいのも分かるけどさー。次の任務に気持ちを切り替えてほしいなー」
「……なんでしょう。『計略者』零等征討員」
思わずぶっきらぼうな口調になってしまう。
今のぼくは……ダメダメだ。気持ちを落ち着けようとするがままならない。まるで心のコントロールの舵取りができない状態だ。
「そんなに拗ねないで欲しいんだけどなー」
「拗ねてなんていません!」
「わかったよー。そんなに怒鳴らないで欲しいよん」
「コホン」と咳払いをし、姿勢を改めるティクスさん――『計略者』零等征討員。
「では、次の任務を言い渡します。任務内容は護衛任務だよん」
「護衛……任務、ですか?」
予想外の任務内容に、思わず聞き返してしまった。
ほとんどの護衛対象は連合に友好的な資産家や、企業の幹部などのため、基本的には護衛として目立たない人物が選ばれる。
なぜならぼくは未だ成人していない年齢で、容姿も……認めたくないが、大人にはほど遠い。なので、今までも護衛任務は回ってこなかったのだが……一体、どうして?
「それで気になる対象はっと……えーと……神守群城学園2-A、『特科』所属」
神守群城学園? となると護衛対象は学生か、教師かのどちらかだろう。
「性別は男。年齢は十七。家族構成は母親と妹が一人」
……一人、思い当たる人物が頭をよぎった。
だけど、そんなはずはない。だって、今さっきぼくは――
「名前は――」
「――春乃夜神くん、だよ」




