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第1話 春のクリスマス part2

「はぁはぁはぁはぁ………」

 僕は殺子(さつこ)にクリスがいなくなった、と携帯に連絡を入れた後、クリスを探すために神守市内を走り回り、現在は神守市の中心にあるアーケード街、セントラルロードへ来ていた。

 辺りを見回してみる。クリスの姿はなく、辺りは学校帰りの学生で溢れていた。

 人混みの中を走っているためか、何度かぶつかってしまう。そのたびに「すいません」と頭を下げるということを繰り返している。

 だけど、スピードは緩めない。北竜警備よりも先にクリスを見つけなければいけないから。

 クリスの容姿ことだから……目立つはず! 間にあうか……?


 しばらくクリスの姿を探しながら走っていると、さびれた商店街跡にたどり着いた。

 セントラルロードにはあれほど溢れていた人も、閑古鳥が鳴いているように人一人歩いていない。道幅は車が一台ギリギリ通れるぐらい狭く、全ての店にシャッターが降りており、開いている店は一つもなかった。

 目の端に、夕日に反射してキラキラと美しく金髪の髪が映ったような気がする。

 あれって……

 目を凝らしてみると、五十メートルほど先に金髪のウェーブがかかった長い髪。その容姿に不釣合いな神守群城学園指定のジャージを着ているクリスがいた。

 ほっと胸をなで下ろす。見失わないうちに捕まえないと。

 よく見てみると、どうやらクリスは一人ではないらしい。着崩した黒い学ランを着ている男子生徒二人組に話しかけられていた。……なんだろう。道でも聞いてるのかな?

「クリス!」

 呼びかけられたクリスが相変わらず感情が読めない無表情で振り向く。

 急いでクリスの元へ駆け寄る。

「クリス、よかったぁ……探したよ、もう」

 荒くなった息を整える。

 北竜警備に捕まっていたらどうしようかと思ったよ。早く、殺子に連絡しないと。

 殺子に連絡するために携帯をズボンのポケットから取り出そうとした時、

「おい、なんだおめえ。俺らの邪魔するんじゃねーよ」

「兄貴の言うとおりだぜ、ひゃっはー! お前は引っ込んでいやがれ!」

 え……? なぜか学ラン二人組が絡んでくる。僕、何かしたっけ?

「え、えと……」

 僕はポケットに入れた手で携帯で「ある操作」をする。

 出来れば僕だけで解決したいところだけど……今回は緊急事態だ。背に腹は変えられない。

「おめえ、この子とどういう関係なんだよ、あん?」

 二人組の一人、横幅も縦幅も長い男がクリスを指差しながら、僕に尋ねる。

「えーと、えーと、友達、かな」

 なぜかどもってしまう。依頼人と請負人なんて言ったら話がややこしくなってしまうから、これがベストだよね? ……よね?

「なるほど、友達ね。ならとっとと消えな。俺ら、この子と遊びに行くから」

 有無を言わせないような口調でそう言って、僕とクリスの間に体を押し込め、僕の前に立ちふさがった。

「ちょ、ちょっと!」

 抗議するようにクリスの元へ駆け寄ろうとするが、男子学生に体を寄せられ、クリスへの進路を塞がれてしまった。

「なんだおめぇ。俺たちの邪魔するってか? ああん?」

「へへっ! 兄貴に逆らうとどうなるか、試したいってか?」

「べ、別にそういうわけじゃ……うっ!」

 兄貴、と呼ばれている男子学生に胸倉を捕まれる。く、苦しい……

「消えろって言ってんだよ。痛い目にあわないとわからないか? ああん?」

 こ、こうなったら……ベタかもしれないけど。

「え、えと、その……じ、実は…………」

「「実は?」」

 僕はクリスを指差し、言った。


「――実は僕、彼女の彼氏なんです」


「「彼氏ぃ?」」

 四つの瞳がクリスへと向けられる。当の本人はきょとんと首をかしげ、何が起こっているかわからない様子だけど。

「そうなのか?」

 僕はとクリスに「頷いて」、という意味をこめてぶんぶんと首を振る。

 頼むよ、クリス頷いて! お願いだから!

クリスは僕の目を見つめ――


「違う」


 そう、断言した。

 クリスーーーーーーー!?

「おめぇ、騙しやがって! 何が彼氏だ! 処女厨の俺が発狂するところだったじゃねえか!」

「兄貴は昔、処女だと思ってた彼女がアバズレビッチだったことがあったんだよ! 気をつけろよ!」

 声荒く、僕へと怒声を上げる男子生徒二人。そんなこと知らないよ!?

「俺のガラスのハートを傷つけた罪は重いぜ? 一発殴られても文句はないな?」

 そう言い、僕を掴んでいた大柄の男子生徒が右拳を振り上げる。

 僕は目をつぶり、痛みに備えようと体を強張らせる……が、

 

 …………

 ………

 ……


「…………?」

 いくら待っても、痛みはやってこない。

 恐る恐る、目を開いてみる。

 そこには――


「やれやれ、なんとか間に合ったようだな」


 図体の大きい男子学生の腕を後ろから、涼しそうな顔で掴んでいる殺子が立っていた。

 助かった……

 ほっと、胸をなで下ろす。

「こ、こいつ、どんだけ力あるんだよ!」

「あ、兄貴を離しやがれ!」

 小柄な男子生徒が殺子に掴みかかろうとするも、

「ふん」

 殺子は冷静に足払いを喰らわせた。

 掴みかかろうとした男子生徒はバランスを崩して顔面から地面にぶつかった。

「いてぇ……いてえよう……」

 痛みに顔をしかめる男子生徒。どうやら鼻血が出ているらしい。地面に黒い染みのようなものが出来ていた。

「殺子!」

「ふ、間一髪、といったところか。お互いの携帯電話にGPSとSOSボタンを仕掛けておいて正解だったな」

「は、離しやがれ! この馬鹿力女!」

 大柄な男子生徒は殺子の腕から逃れようと、力を込めるが、殺子はそれを許さず、ギリギリと締めあげる。

「いてえ、いてえよ!」

 その様子に殺子は息をつき、呆れた表情を浮かべながら、

「馬鹿力とは失敬なやつだな。日々の厳しい鍛錬によって今の私があるんだぞ」

 そう説明した。

 が、次の瞬間、ナイフの切っ先のような鋭く怜悧な表情へとなり、掴んでいる男子生徒を睨みつける。

「お前は私の友に暴力を振るおうとした。ならば、それ相応の罰は受ける覚悟はあるのだろうな」

「ひぃ!」

 掴まれている男子生徒は怯えた表情でガクガクと痙攣するように震えだした。

「殺子! そこまでにしておいて!」

「しかし、このような輩は一度、痛い目に会わないと反省せんぞ? それにお前は私が間にあったからよかったものの、間に合わなかったら殴られていただろう」

「そうだけど……僕はこの通り、ぴんぴんしてるしさ。それに、殺子には出来るだけ暴力を振るってほしくないんだ」

 誰かを守るために力を使うのはいい、でも、誰かの仇だと言って力を振るうのは間違ってると思うから。

 僕の言葉に殺子はじっと僕を見つめてから、再度ため息をつく。

 そして、微かに笑みを浮かべながら、

「この、お人よしめ。私のことなど考えなくてもいいんだぞ」

「何事も平和が一番だよ。殺子も女の子なんだからもう少し穏便な手段で物事を解決しようよ」

「考えておこう」

 そういうと、殺子は掴んでいた男子生徒の腕を離す。

 離された腕の持ち主は、殺子を親の仇を見るような眼で睨みつけ、

「俺は巫女属性なんてないからな! 白スク至上主義なんだよ!」

 と、言い残して一目散に逃げて行く。

「ま、待ってくださいよー! 兄貴ー!」

 鼻血を垂らしていた小柄な男子生徒も、兄貴と呼んでいる生徒の後を追いかけていった。

 そして取り残される僕と殺子とクリス。

「夜神、白スク至上主義とはなんだ?」

「殺子は知らなくていいことだよ……」

 少なくとも知らないと損するようなことはない。むしろ知っている方が損している気がする。

「そうなのか? お前が言うのなら、そうなのだろう」

 殺子は納得すると、クリスに向き直り、厳しい表情で詰め寄っていく。

「さて、クリス。どうして勝手に出ていった? 夜神の部屋にいろといっただろう」

 一方のクリスは感情が読めない表情でじっと殺子を見ているだけ。

 その態度に苛つきを覚えたのか、殺子の表情が厳しくなる。

「答えろ、クリス。お前は」

「殺子、それぐらいで」

 慌てて殺子とクリスの間に入る。

「いや、これからのこともある。今、言わなければこれからも同じことが起こりうるかもしれん」

 確かにそうだけど……そんな高圧的だとクリスだって委縮しちゃうよ。

 ……? 高圧的?

「答えろ、クリス。どれだけ私と夜神が――」

 もしかして――


『あなたも……同じ?』

 

 朝、クリスが言った言葉を思い出す。

 そうだ。僕たちのしたことって……

 僕は、密かに怒りをにじませている殺子の肩に手をおく。

 振り返った殺子に、僕たちのやったことを話し始める。

「夜神?」

「……同じだったんだよ」

「同じ?」

 殺子は何を言っているんだ? という風に首を傾げる。

 でも、僕は気づいてしまった。僕たちは――

「そう。僕たちも北龍警備と同じことをしてたんだよ」

 殺子がはっとした表情を浮かべる。そのあとに唇を噛みしめ、後悔の念に押されたような表情を浮かべた。恐らく自責の念にとらわれているのだろう。僕も同じ気持ちだ。

 僕は視線を地面へと向け、爪が食い込むほど拳を握りしめる。クリスの心の痛みを少しでも味わおうとするように。

「僕は馬鹿だよ、大馬鹿だ。クリスが閉じ込められていたことを知ってたのに! 『この部屋から出ないでもらえるかな』なんて!」

 クリスに向かって頭を下げる。僕はクリスのことを考えていなかった。あの言葉の意味を、深く考えようともしてなかった。だからクリスを……傷つけてしまったんだ。

「ごめん、クリス。君のことを深く考えてなかった」

 殺子もばつの悪そうな顔で、でも、クリスの目を真っ直ぐと見つめ、頭を下げる。

「私もだ。お前の気持ちを考えずに自分勝手な感情をぶつけてしまった」

 ……数秒、たっただだろうか。

「顔、あげて」

 上からクリスの声が振ってきた。

 顔を上げる。クリスはいつも通りの無表情だけど、僕はどこか穏やかな雰囲気を醸し出している、そんな気がした。

 そしてクリスは唐突に、


「わたしは、わたしの所有者(マスター)になってくる人を探している」


「「所有者(マスター)?」」

 聞きなれない単語だ。バーのマスターでないだろうし、何かの達人を探しているんだろうか?

 クリスは頷くと、

「わたしの仕えるべき人。それだけしかいえない。でも、見つけないと、だめ。父上が言ってたから。それが、わたしの目的」

 そう、僕たちに自らの目的を話した。

 仕えるべき人……か。まるで中世の騎士のようだ、と思った。王へと臣下の礼をし、剣を捧げる騎士……クリスの雰囲気とは違うけど、なぜかそんなイメージが浮かんできたのだ。

 所有者(マスター)を探す……それがクリスの目的。なら、僕がやることは一つだ。

「ならさ、その所有者(マスター)を探してあげるよ」

 僕の言葉が予想外だったのか、クリスの仏頂面が僅かに驚きを滲ませるように、眉がピクリと動く。

 殺子のほうは、目を細めて密かに笑みを浮かべながら、「そういうと思ったよ」と呟いてるけど。伊達に一年間も付き合ってるわけじゃないね。

「どうして」

「どうしてって……クリスは、自分の所有者(マスター)を見つけたいと思ってるんでしょ?」

 目をぱちぱちと瞬きをしてから、クリスはゆっくりと頷く。

「でも、今の状況だと一人じゃ難しいよね? だから、僕も手伝うってこと」

「『僕たち』だぞ、夜神。もちろん私も協力は惜しまないつもりだ。先ほどの件で借りもあるしな」

 先ほどの沈んだ表情が嘘のように、自信たっぷりに宣言する殺子。

 一方のクリスは僕たちの言葉が信じられないかのように口をポカンと開け、驚いた表情を浮かべている。初めて見るクリスの表情に思わず僕は笑みをこぼす。

「ほう、そんな表情もできるのではないか。……むっ!」

 殺子が何かの気配を感じたのか、振り返る。

 僕もそれに倣うと、いつのまにかスーツを着た八人ほどの強面の男たちが現れ、囲まれてしまった。

 よく見ると囲みの外に一人、白髪のオールバックの男が煙草をふかせ、クリスのほうをじっと見つめている男がいた。

 どこか囲んでいる男たちとは違う雰囲気を感じ、注意を向けるが僕のことは眼中にないのか、クリスへとずっと視線を向けていた。

「よーやく見つけたぜ。まったく、手間をかけてくれちちゃってよう。こっちだって忙しいっていうのに。ほんと、嫌になってくるわ」

 白髪の男から視線を外すと囲んでいる男たちの中で最も背の高い男が、もったいぶった口調で語っていた。周りの男からも「もっと言っちゃってください。主任!」と呼ばれていることから恐らくこの人がリーダーなのだろう。

 僕と殺子は目を合わせ、互いに頷き合う。そして、クリスを間に挟むように背中合わせに周囲を警戒する。殺子が僕だけに聞こえる声で、

「夜神、私が囮になる。その間にクリスを連れて逃げろ」

「それじゃあ、殺子は!?」

「なに、相手が普通の人間ならばこの程度の人数、造作もないさ」

 そう言って、肩にかけているバットケースをポンと叩く。

「でもっ!」

「三つ数える。3……」

 確かに、殺子の腕ならばこの程度の人数、造作もないだろう。

「2……」

 だけど、何か嫌な予感がするんだ。

 特に、円の外側でじっとクリスを見つめている男。何かがある、そう感じられる不気味さがあった。

「1……」

 でも、ここは殺子を信じる。それが友達である証なのだから。

 そう思い、僕がクリスの手をとり、走り出そうとした瞬間――


「――そこまでです」


 どこか幼さを残してはいるが、大人びた口調の声が耳に届く。

 声のした方向へと視線を向けると、一人の少女が立っていた。

 茶色のショートヘア、身長ともども、子供っぽい容姿で、美しいとは程遠いが、子供らしく可愛らしいという印象を受ける。下は黒のショートパンツ、同じく黒のニーハイソックスを着ており、上は白のタートルネック、その上に白を基調とし、ポケットと裾の部分が黒いタートルネックを着ている。童顔で年齢よりも幼くみえる顔つきは厳しい表情をしており、目線は長身の男へ注がれていた。

「おじょうちゃーん、邪魔しないでくれるかなー。おじさんたち、ちょっと忙しくてね。あ、どうしてもいうんなら、おじょうちゃんも痛い目にあってみる?」

 卑下た笑みを浮かべるリーダーらしき男。

 だが一方の少女はおびえた表情を浮かべることもなく、ショートパンツのポケットから警察手帳のようなものを出し、開き、周りの人物全員に見えるように掲げた。

 見ると少女本人の顔写真と下にはオオワシのエンブレムが描かれている。

世界(せかい)異類異形(いるいいぎょう)憲章(けんしょう)遵守(じゅんしゅ)委員会(いいんかい)連合(れんごう)です。この場は一等征討員である、このぼくが仕切らせてもらいます」

 世界……なんだって? それに、征討員?

「連合だと?」

 殺子のほうを見ると、顔をしかめ、一等征討員と名乗った少女を注意深く見つめていた。

「殺子、知ってるの?」

「ああ。だが、なぜ奴らが介入してくる?」

 僕が、一等征討員と名乗った少女について詳しく殺子に尋ねようとした時、リーダーらしき男が隣にいた部下へと尋ねる声が耳に届く。

「ああん? 世界なんちゃら連合? なんだそりゃ。お前、なんだかわかるか?」

「いえ、聞いたことないっす」

「だよなぁ。おい、あのおじょうちゃんに少し、お灸をすえてこい」

「へい」

 リーダーらしき男から指示された部下の男は、にやにやと嫌な笑みを浮かべながら征討員と名乗った少女へと歩を進めていく。

 一方の少女はため息をついてから、オオワシのエンブレムが描かれた手帳をポケットに仕舞い、自分のも元へ歩いてくる部下の男を無表情で見つめる。

 いけない、このままじゃっ!

 少女の元へ駆けだそうと足腰に力を入れた瞬間、殺子に腕を掴まれる。

「殺子、あの子が!」

 殺子の腕をふり払おうと試すが、殺子の驚異的な握力の前にふり払うことは敵うはずもなく、押し留められてしまう。

「今お前がここを離れたらクリスはどうする。すぐに拉致されるぞ!」

「でも、このままじゃ!」

 北龍警備の連中に何かしら絡まれることは間違いないだろう。脅されるのならばまだいい。もし暴力を振われたら――最悪の映像が脳内に浮かぶ。

「大丈夫だ。連合の征討員、それも『オオワシ』……一等征討員だ。ならば――」

「おじょうちゃん。ちょーとおじさんたちを遊ぼうか。こっちにきてくれるかな~?」

 部下の男がにたにたと気持ち悪い笑みを顔に張り付かせながら、少女の腕を掴もうと手を伸ばす。

 その瞬間――


「え?」


 目の前で起こった光景に目を疑った。

 なぜなら少女は伸ばした男の腕をとり、柔道の背負い投げの要領で、男を思いきり地面に叩きつけたからだ。

 周囲から驚きの声が上がる。それもそうだ。あんな小柄な女の子が大の男を綺麗に投げ飛ばしたのだ。

 そして地面に叩きつけられた男は白目を向いており、ぴくぴくと痙攣している。

「そう簡単にやられん、というわけだ」

 征討員と名乗った少女を睨み付けながら殺子は告げた。

「ほう。やってくれるじゃねえか、小娘が」

「しゅ、主任!」

 別の部下が、心配そうな表情で先ほどの背の高いリーダーらしき男に声をかける。

「慌てるんじゃねえ。女を殴るのは趣味じゃねえが、俺直々にやってやるよ」

 拳をポキポキと鳴らしながら、周囲に向かって声を荒げて叫ぶ。

「お前らは対象から目を離すなよ、逃がしたら承知しねえからな!」

 周囲から肯定の意を示す言葉が吐き出される中、主任と呼ばれた男は涼しい表情を浮かべている少女に向かって歩を進め、一メートルほどの距離を挟んで対峙した。

 ゴクリ、と思わず唾を呑みこんだ。手のひらにぬるっとした感触。どうやら汗もかいてきたらしい。

 しばらく睨みあいの状態が続いていたが、少女のほうが仕方ないといった諦めの表情を浮かべ、クリスを指差す。

「ぼくの目的はあの人の保護です。戦う意志はありません」

 クリスの……保護? クリスの知り合いなんだろうか?

 僕の後ろで事の顛末を無表情で見つめているクリスに目で問いかけるが、知らないという風に首を横にふるふると振った。

 知り合いではないってことだよね……じゃあさっき言った、連合やら征討員などに関係しているのだろうか?

「ほう、なんだお前さん。あいつの友達かなんかか? あん?」

 少女を強く睨みつけながら、主任と呼ばれた男が僕と同じ疑問を投げかける。

「いえ、違いますが」

「あ、そ」

 その言葉が言い終わらない内に、少女の顔面に右ストレートが放たれた。

 なっ!? 危ない!

「――――」

 僕の危惧をよそに少女は顔を少し横にずらし、軽々と男の右ストレートを避ける。表情に変化はなく、まるで予想していた、と思わせるほどの素早い身のこなしだった。

 その態度に怒りを募らせたのか、男は顔を真っ赤にし、次々とパンチを繰り出し、少女に打撃を叩きこもうとする……が、少女は涼しい顔を崩さないまま、最低限の動きだけで男の攻撃をを避けていく。

 す……すごい。まるで、次来る箇所が分かってるみたいだ。

「いくらやっても無駄です。あなたがボクサー崩れだとしても、ただの人間である限りは当たりませんよ」

 パンチの嵐を避けながら、少女はどこまでも冷静な口調で、まるで教師が生徒をたしなめるように話す。

「うるせえ!」

 男はその態度が癇に障ったのか、大振りの右フックを少女に叩きこもうと腕を振り上げる。

 ――刹那。

 少女はステップを踏むような軽い動作で避け、男の懐へ一歩踏み込んだ。

「なにっ!?」

「少し、黙っていてください」

 刹那――鳩尾に拳がめり込んだ嫌な音が周囲に響く。

「ごはっ!」

 長身の男は白目をむきながら、膝をつき、ゆっくりとうつ伏せに倒れていく。

 その光景にざわつく周囲の部下たち。隣の殺子は神妙な表情で、倒れている男を見下ろしている少女へと視線を注いでいる。まるで……敵を目の前にしているように。

 これが、一等征討員の実力……

 ゴクリ、と唾を飲み込む。もし、殺子と戦うことになったら……どうなるんだろう。

 そんな僕の心配をよそに、円の外側にいた煙草を咥えている男が一人、少女の元へと歩を進めていく。周囲からは「牛塚さん、やっちまってください!」という声援や「主任の仇を!」という声援が聞こえてくる。どうやら白髪の男の名前は「牛塚」というらしい。

 少女は何度目かのため息をつき、

「あなたもですか? ぼくとしては平和的な手段で解決――」

 その言葉を、新しい煙草を取り出して火をつけながら、男が遮る。

「あいつは今回、北龍警備ビル火災の容疑者だ。連合がどのような意図であいつを保護しようだなんて決めたのか分からんが、こっちはこっちで面子ってものがあるんだよ」

 男の言葉に少女は、値踏みするような視線を向ける。

「あなた、『こちら側』なんですね」

「それが?」

「それなら一言だけ。ぼくは上から『クリスという少女を保護しろ』と命令を受けています。これはぼくの意志ではなく、連合の意志です……ぼくの言いたいこと、わかりますよね?」

 目を細め、静かに威圧のこもった視線を男に送る少女。

 牛塚と呼ばれている男も、その視線に受け止め、睨み付ける。

 これじゃあまるで……クリスの意志なんて無視してるっ……

「待って、待ってください!」

 そう思った瞬間、思わず睨み合っている二人の間に割り込んでいた。

 このままじゃ、クリスは自分の運命を自分で決めることすらできなくなってしまうんじゃないかって、そう思ったから。

「容疑者とか……保護とか……よくわからないですけど、クリス自身の意志はどうなるんですか!」

 四つの瞳が僕へと向けられる。その威圧感に飲み込まれそうになるが、唇を噛みしめぐっとこらえる。

「あなたは?」

 少女が尋ねてくる。

「春乃夜神です。クリスの……」

 はっきりと、そして力強く答える。

「友達です」

 だけど、そんな僕の想いは、無残にも切り捨てられる。

「そうですか。なら、ここであったことを忘れて今すぐお引き取りください」

 きっぱりと、部外者を追い払うかのように、氷のように冷え切った口調で返された。

「なっ!?」

「友達、というだけではぼくたちの世界では通用しません。部外者の方はどうぞ、お引き取りを」


「そうとは限らんぞ」


 横から凛とした、女の子にしては低音の声が割り込んでくる。

「殺子……」

 征討員の少女の目線が僕から外れ、殺子へと向けられる。

「巫女装束……まさか」

「そのまさか、だ。私は刀御巫殺子。そこの夜神の友である。これで無関係とはいかなくなっただろう?」

 どういうこと? 殺子が僕の友達だから何かあるのだろうか?

「しかし、あなたはまだしも、春乃さんは一般人でしょう?」

「その問いは半分当たっていて、半分は外れている」

「半分?」

「夜神は異眼保持者(サードアイラー)だ」

 異眼保持者(サードアイラー)――その名の通り、異類異形(イレドレックス)を視ることのできる眼、異眼(サードアイ)を持つもの。

 世界中にかなりの人数がいると言われているらしいが、僕は二人しか異眼保持者(サードアイラー)の人間に会ったことがなかった。

「え……」

 驚きの表情を浮かべる征討員の少女。

「夜神、見せてやれ」

 眼をつぶる。いつも通りの真っ暗闇。脳へと命令する、異眼(サードアイ)を発動させろ、と。

 両目を開ける。これで僕の瞳は黒から赤に変わっていることだろう。

「もちろん異類異形(イレドレックス)の存在も知っている。これで私たちも無関係ではないな?」

 征討員の少女は悔しそうな表情を浮かべ、殺子を睨みつける。

「夜神、もういいいぞ」

 再度眼をつぶり、異眼(サードアイ)を解除する。

「しかし、連合の命令は絶対です。刀御巫家のあなたなら、そのくらいわかりますよね? それに春乃さんは異眼保持者(サードアイラー)というだけで、裏の世界には詳しくないのでしょう」

「分からんな。裏の警察を名乗っておきながら、本人の意志を聞かぬまま、保護しようとしている組織など、知ったところではない」

 バチバチと火花が散っているような雰囲気で、静かに睨みあう二人。

「クリスはどうしたいの?」

 僕はクリスを真っすぐ見つめ、問い掛ける。

 もしクリスがあの少女に保護されたいと言ったなら、僕はその意思を尊重しよう。

 でも――

 クリスの碧い瞳の中に僕の姿が見える。

 もし、クリスが僕たちのことを選んだのなら、僕は――

「わたしは――」

 クリスの瞳が僕を射抜くように見つめてくる。


「――あなたたちといたい」


 はっきりと、確かな意思が篭った言葉で、クリスは言った。

 その言葉を聞いて覚悟は決まった。あとは行動するだけだ。

 僕は、征等員の少女へと向きなおり、

「これがクリスの答えだそうです。先ほど言った通り、僕はクリスの意志を尊重したい。だから――」

 そこで言葉を切り、息を吐き、一呼吸。

 そして、はっきりと、決意のこもった表情、声で、宣言する。


「クリスは……渡せません」


 僕の言葉に征討員の少女は何度目かの呆れたように溜息をつき、対峙していた牛塚はじっと僕を値踏みするように眺めている。

 これで正義は僕たちの側になる。クリス本人が僕たちのいることを望んでいるのだ。征討員の少女が実力行使でクリスを連れ去った場合、『保護』ではなく『拉致』となってしまうからだ。

 大義名分が僕たちの側にあるというこは、そう簡単に手出しは――


「一日だけ時間を差し上げます。それでクリスさんとの別れをすませてください」


 だが、僕の予想は脆くも崩壊した。

「どうして!? クリスは僕たちといたいって言ってるのに!」

「どうもこうもありません。今の人間主体の世界があるのは、連合がしっかりと管理しているからです。異類異形の存在が一般人に知れ渡っていないのも、異類異形が好き勝手に行動していないのも、ひとえに連合という組織があるからなのです」

「だけど! そのせいで、一人の人間の意思が踏みにじられていいはずがない!」

「これは仕事です。いくらあなたがたの筋が通っていたとしても、一介の征討員でしかない、ぼくには関係のないことですから」

 そんなっ!? それは思考の放棄だ。上の命令は絶対と信じて、自分の意思を介入させない。組織の人間としてはいいのだろう。でも、それじゃあまるで機械だ。

 征討員の少女は話は終わったと判断したのか、牛塚へと向きなおり、

「それで、北龍警備はどうするのですか?」

 と、尋ねる。

「連合の犬が……」

 牛塚は悔しさを隠そうとせず、唇を噛みしめながら目の前の少女を睨みつける。


 ――が、その間を裂くような機械音。どうやら誰かの携帯が鳴っているらしい。


 牛塚は舌打ちをしてから、携帯を取り出し、耳に当てる。どうやら電話が来たようだ。

「牛塚だ。……ああ、部長。…………戻って来いって……対象は目の前ですよ? ……分かりました。ただ、今回だけです。俺は諦めませんから」

 再度舌打ちをして、携帯を耳から離してポケットにしまう。

 かなり苛立っている様子だ。何を言われたのだろう?

「既に手は回しておいたってか」

「ええ。暴走されたら困りますから」

 征討員の少女は鋭い牛塚の視線を澄まし顔で、受け流しながら答える。

 その態度に、眉をぴくりと動かし、三度目の舌打ちをしてから、少女に背を向け、

「お前ら、帰るぞ」

 北竜警備の社員たちに告げた。

「し、しかし牛塚さん!」

 一人の社員が牛塚へと駆け寄るが、

「帰るぞ!」

「は、はい!」

 苛つきが中から溢れだしたような声とともに、北竜警備の社員と牛塚は去っていった。

 その姿を冷ややかに眺めていた征討員の少女も

「それでは。明日迎えに行きますので」

 と、僕たちに言い残し、去っていった。

 


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 尻毛荘、203号室。

 窓の外からは暗闇が部屋に漏れ出し、電球の光が暗闇を追い払うかのように辺りを照らし出していた。

 僕の目の前では、殺子が座布団の上に正座で座り、腕組みをしながら難しい表情を浮かべていた。

 僕は、手に持っていたお盆を置き、お茶が入った湯のみを殺子と隣に座っているクリスに差しだす。

「む、すまんな」

 ずずず、とお茶を飲む殺子。

 殺子が、湯のみをテーブルに置く。聞くなら、今だ。

「ねぇ、殺子。聞きたいことが――」

「わかっている。連合のことだろう?」

「うん。裏の警察とか、言ってたけど、一体どういう組織なの?」

 言葉のまま捉えると世界の裏側――異類異形(イレドレックス)を取りしまる組織、ということなのだろうか。

 でも、異類異形(イレドレックス)は全世界に溢れている。すべての異類異形(イレドレックス)を取り締まることは可能なのだろうか?

「お前には一生関わりあいがないと思っていたが……まさか、こんな形で巻き込まれるとはな」

 殺子は目を伏せ、お茶を音を立てて飲んでいく。

 ふぅ、と一息ついてからクリスに向き直り、

「まずはクリスだ。連合と何かあったのか?」

 クリスは首を横に振り、

「分からない」

 と、一言。

「思い当たることはない、と……」

 確かに、こんなおとなしい子が、あのけた外れの強さを持った少女に関係しているとは思えない。

「?」

 クリスと目が合い、慌てて視線をそらす。

 なんだかんだ言って、クリスは美少女の中の美少女と呼ばれるぐらい可愛い。ちょっと目が合っただけでもドキッとしてしまう。……本人が自身の魅力に気づいているかは分からないけど。

 そんな僕の思考を打ち消すように、殺子がクリスに声をかける。

「そういえばクリス。お父上に言われて所有者(マスター)を探していると言っていたが、連絡はつかないのか?」

 首を横に振るクリス。

「……そうか」

 そう呟くと、殺子は僕に向き直る。

「では、連合について話そう」

 僕はゆっくりと頷いた。

「『連合』、というのは『世界異類異形憲章遵守委員会連合』の略称で、『異類異形(イレドレックス)から人間社会を守り、異類異形(イレドレックス)の人間社会への介入を許さず、異類異形(イレドレックス)の存在を秘匿する』という基本方針の元、世界異類異形憲章を遵守し、世界平和のために動いている組織だ」

「ふんふん……なんだか国連みたいな組織なんだね」

「大方はそのようなものだ……最も、そんな生易しいものではないが」

「え? なんか言った?」

「いや、なんでもない」

 ? ……何か聞こえた気がしたんだけど。気のせいだったのかな?

「それと、世界異類異形憲章ってどういうものなの?」

「世界異類異形憲章、『World(ワールド) Code(コード) Charter(キャター)』通称『WCC』と呼ばれている異類異形(イレドレックス)たちを抑える法律のようなものだ」

「法律? 法律っていうと、盗みを働いたら懲役何年とか、そんな……感じの?」

「少し違うな。簡単に話すと、一つ、霊や妖怪、神、人間などの種族間での争いは禁ずる」

「二つ、お互いが友好関係であること」

「三つ、いかなる理由があろうとも、異類異形(イレドレックス)は人間社会に本来の人間以上の力を持って介入することは禁ずる」

「四つ、いかなる理由があろうとも異類異形(イレドレックス)は人間社会に自身の種族、正体を明かしてはならない、という内容を大きく解釈して運用している。ちなみに、憲章に違反した場合と連合に反逆した場合、ほとんどのものは抹殺対象になる」

「ま、抹殺!?」

 抹殺って……急に出てきた血なまぐさい単語に、驚きを隠せない。一体、連合って……?

「そうだ、抹殺だ。連合はそれほどまでに異類異形(イレドレックス)の存在を公にしたくはないのだ」

「で、でも、幽霊とか妖怪とか神様とかって、いるかもしれない……って普通の人は思ってるよ?」

 百人の人間に神様はいると思うか? と尋ねると、『いる』と答える人と『いない』と答える人は恐らく五分五分だろう。

 僕のように異眼(サードアイ)を持っていないため、確かめようがないのだから。

「『もしかしたら』なら、まだいいのだ。だが、『確実にいる』ということになった場合のことを考えもみよ。会社の同僚が、学校のクラスメイトが、自身の大切な人が、異類異形(イレドレックス)が化けている人間と分かったら……どうなる?」

「大パニックになる……ね」

 異眼(サードアイ)が発現した時の僕のように。もしかしたら発狂する人も出てもおかしくない。

 今までの視てきた世界が一瞬にして崩壊し、世界の裏側を覗いてしまった後悔、恐怖。

 正直、視月が居なかったら、僕はここまで普通の人格を保っていたかは分からない。

「そうだろう? あとは憲章の拡大解釈だ。私はこれが気に食わん」

 ふん、と鼻をならす殺子。どうやらそれほど気に入らないことらしい。

「拡大解釈? ……っていうと?」

「例えば異種間……そうだな、人間と妖怪が結ばれたとしよう。この場合、どちらも抹殺対象になる」

「え? でも、そんな内容は言ってなかったよね?」

「『いかなる理由があろうとも異類異形は人間社会に自身の種族、正体を明かしてはならない』という文があっただろう? これを『結ばれるということは、自身の種族を明かすと同義』と考え、拡大解釈しているのだ」

「そんな滅茶苦茶な……」

 まるで都合のいい辻褄合わせだ。

「確かに、実際に正体を明かすことも多いらしい。だからこれもあながち間違っているとは言えないのだ。それと」

 そこで、殺子は言葉を切り、一つ咳払いする。

「結ばれた両者が連合の通達を受けて、別れたらいいのだが、通達に従わない者が多いらしい」

 殺子は首を振り、困惑した表情を浮かべ、

「私には理解できん。別れれば助かるというのに、なぜそうしないか、とな」

 ――それは。

「……それでもさ、別れたくないんだよ。好きな人と別れるって、死ぬのと同じぐらい、つらいんだと思うよ」

 殺子は「ふむ」と頷き、

「そういうものなのか。私には少し、理解しがたいのものだな」

「あー、殺子も好きな人ができれば分かるんじゃない……かな?」

 これは恐らく、誰かに恋し、愛さなければ分からない感情なのだろう、と思う。

「……よくわからんが、そうなのか?」

「多分、ね」

 僕も恋をしたことはないから、確実ではないけど……僕だって、母さんや、視月に一生会えないことになったら、悲しいから。

 あの子はどうなんだろうか。今日出会った、征討員の少女を思い出す。

 あの子もやはり誰かに恋したり、愛したことはないのだろうか。

「ねぇ、殺子。征討員って何?」

「連合の飼い犬。有体に言えば、実行役、戦闘員だな。一応同じ戦闘要員として『(チェーン)』がいるが、こちらは集団で征討員は個人で動くことが多い。どちらもさきほど言った憲章を守らない人間、異類異形(イレドレックス)を容赦なく征し、討伐する存在だ。下から三等、二等、一等、そして、零等となっており、それぞれエンブレムを保持している。昼に出会ったやつが『オオワシ』のエンブレムを持っていただろう。あれが一等征討員という証明になる」

「一等……ってことは、やっぱり、強いの?」

 僕の問いに、殺子は顎に手を当て、

「そうだな……一等征討員クラスだと、私と同格かそれ以上だろう」

「そ、そんなに……」

 殺子と同格かそれ以上って言ったら……並半端な腕じゃない。

 僕の中ではテレビで見る格闘家などよりも、殺子のほうが強い、と言いきれるほどだ。 

 以前、視月がまだ日本にいたころ。僕たちはとある依頼で神守市内のヤクザ達と小競り合いになってしまったことがあった。

 そして戦闘までに発展してしまった……のだが、銃や日本刀を持つ大男たちを前に、殺子は素手だけで軽くいなしてしまった。

 本人は「鍛えているからな」と言ったが、あの動きは人間なのか? と思うほど、素早く、力強く、そして……華麗だった。

 その殺子と同じか、それ以上の実力を持っているのだ。正直信じられない気持ちの方が強い。

 そんな僕の心境をよそに、殺子は目を鋭くさせ、

「連合に逆らうとどうなるかは今、説明した通りだ」

 そこで一旦、殺子は言葉を切り、僕を真っ直ぐ見つめ、

「さて、夜神、お前はそれでもクリスを助けるか?」

 と尋ねてきた。

 ふと、クリスへと視線を向ける。クリスは無表情のまま、僕を見つめていた。

 ……大丈夫だよ。僕がなんとかしてあげるから。

 殺子に向き直り、僕の決意を告げる。


「うん、ぼくは……クリスを助けたい」


「ほう」

 殺子は、どこか僕を試すように、続きを促す。

 なら僕は、それに応えるように言葉を紡ぐだけだ。

「クリスは僕たちを信頼して、頼ってくれたんだ。僕はそれを裏切ることなんてできないし、それに応えたいと思う」

「命がけになるかもしれんぞ。連合の征討員は手段を選ばんからな」

「関係ないよ。僕たち『月夜見アシスタンス』のモットーは『困っている人を進んで助ける』……でしょ?」

 視月の信念であり、僕が視月からもらった……大切なもの。

 だから、僕は――――クリスを助けたいんだ。

「ふふ……」

「?」

 殺子は笑いをこらえるように口端を歪めている。

 あれ? 僕、おかしいこと言ったかな?


「ははははははは!」


 火山が噴火したかのような高笑いを部屋中に響かせる殺子。

 数秒間、笑いの雨を降らせたあと、満足げな表情を浮かべる。

「よくぞ言った夜神。それでこそ、我が友だ」

「……ありがと」

 一応お礼を言っておく。褒められてるっぽいし。

「私も、本人の意志を無視した連合の強引なやり方は気に食わん。協力は惜しまんぞ」

「でも、危険だって――」

「私を見くびるではない。異類異形(イレドレックス)の血で体を洗い、血肉を喰い、自らの糧とし、全てを斬り伏せる刀を授かった、刀御巫家の一員だ。夜神、私を信じよ」

 そう言って、殺子は自信に溢れた笑みを浮かべる。

 ……本当に、僕はいい友達を持ったと思う。

「それに、ここまで来て見捨てられるか。もっとも、裏の世界では刀御巫家はそれなりの地位を持っているのだ。少なくとも殺されはしないだろう」

 そして、ニヤリと殺子は笑い、

「お前は自分の意志を私に伝えるだけでよい。仮にでもお前は月夜見アシスタンスのリーダーなのだ。私はお前の命令を聞き、剣にもなり、盾にもなろう。好きなように使うがよい」

「殺子……」

 本当は、僕一人でやらなきゃだめなんだ。

 できれば殺子にも、危険な思いはさせたくない。

 けど、僕には力がない。それは事実だ。

 それが……どうしようもないほど悔しい。

「そんな顔をするな。クリスが不安になるだろう?」

 心で思ったことが顔に出ていたのだろう。

 僕って、けっこう顔に出やすいのかな?

「う、うん。じゃあクリスを守るために、一応、明日の学園は休むってことで――」

 ……あれ? 明日って……

「? どうした? そんな石のように固まって」

「ね、ねぇ、明日って日本史の授業……ある、よね?」

 僕がそう尋ねると、殺子は少し考え込んだ表情を浮かべてから、

「ああ、確か三時間目にあったな」

「確か課題の提出って明日じゃ……」

 僕の言葉に、殺子はみるみる内に顔を青白くさせていく。

「し、しかし、明日はクリスを守らねばならん。私は行けんぞ」

「だ、だよねぇ。明日もクリスの傍に居たいんだけど……」

 口に煙草を咥え、いつも不機嫌そうな表情を浮かべている担任教師を思い出す。


『いいかーお前ら。私の授業では課題を忘れた奴は、どんなにテストの点がよくても赤点だ。頭ばっかりよくてもな、常識がなくちゃーこの世界は生きていけないんだよ。ああん? なんだ刀御巫、文句あっかー?』


 思わずため息が出た。

「相手はあの水城先生なんだよね……」

「う、うむ……」

 殺子も、落ち着きなく、左右に視線を彷徨わせている。

 そういえば、

「前から気になってたんだけどさ、殺子って水城先生のこと苦手だよね。何かあるの?」

 そう尋ねると、殺子はじっと僕の方を見つめ……って額に汗を浮かべているよ。

「色々あるのだ……色々、な」

 奥から、異物が詰まっているような重々しい口調で言葉を吐き出す殺子。

「そ、そうなんだ……あっ!」

 いいことを思いついた。これなら問題は解決するだろう。

「明日、僕が殺子の分まで提出してくるよ。殺子はクリスの側にいてあげて」

 僕の言葉に殺子は少し考え込んだ表情を浮かべたけど、すぐに普段の表情になり、

「それが妥当なところだな」


 グゥ~~~~


 今の音って……その……

「「…………」」

 僕と殺子は音源のほうへ視線を向けると、

「……ごはんが食べたい」

 いつも通りの無表情でクリスが呟いた。


 グゥ~~~~


 再度、気の抜けたような音が部屋に響く。

 今度はより近くに音源があるらしい。

「はいはい、今からご飯つくるね」

「うむ、頼む。どうやらクリスのお腹の虫が移ってしまったようだ」

 あくびじゃないんだし……それは無理があると思うんだけど。

 立ち上がり、台所へ向かおうとすると、僕のシャツの裾を後ろから引っ張る感触が。

「ん?」

 振り返る。クリスのサファイヤ色の瞳が僕の姿を映し出していた。

「どうしたの?」

 何か、用事でもあるのだろうか? 夜ごはんのリクエストとか?

「その……」

 今まで浮かべていた無表情ではなく、少しだけ、顔を曇らせ……どこか恥ずかしそうに、


「ありがとう」


 ……なんだかんだいって、喜怒哀楽もちゃんとあるんじゃないか。

 初めに抱いた人形のような印象は吹き飛んでいた。どこからどうみても普通の女の子だ。

「どういたしまして」

 僕はニッコリとクリスに微笑んだ。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 北龍警備ビルの一室。

 大きな長方形のガラス張りの窓から、夜の駅前が見える。

 室内は薄暗く、大きな茶色のデスクが置かれており、中央には高級そうなソファーがテーブルを挟んで向かい合って置かれている。

 デスクには、ブランド物のスーツを着ている、恰幅のいい四十代ぐらいの男が座っていた。

 そして、その目の前には鬼燈がデスクに両手をつき、納得のいかないような表情を浮かべていた。

「部長、どうしてクリスの捜索を断念するのですか」

 部長、と呼ばれた男はため息をつく。その顔には「しつこいな」と言いたさげな表情を張り付いている。

「先ほども言っただろう、牛塚君。連合から圧力がかかっているのだ」

 ドンッ! と鬼燈の両手が机を勢いよく叩く。

「ならば、秘密裏にでもっ……」

 男は首を振り、残酷な現実を鬼燈に告げる。

「許可はできない。一応は、連合と協力関係にあるのだからね」

 その言葉に、鬼燈はきつく唇を噛みしめ、血が滲むほど、拳を強く握り締める。

 そのことに気づいた男は、憐みの視線を鬼燈に向け、

「君はあの少女の護衛担当だったから、悔しさは分かるさ。私としても惜しいことをしたと思う。連合へ放ったスパイによると、あの少女は連合の幹部会員の娘だったらしい。我々の予想が当たっていた、ということだな。連合との戦争が起きた場合、抑止力として使えたのだが……本当に惜しいことをした」

 話しは終わった、と言いたげな顔で、男は椅子ごと後ろの窓へと体勢を変える。

 鬼燈は、拳を握りしめながら肩を震わせ……顔を上げる。

 その表情は何かを決意したように、揺るがない闘志を含んでいた。


「――部長、話があります」


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 下駄箱が規則正しく並んでいる、神守群城学園正面玄関。

 生徒たちがそれぞれの下駄箱から靴を出し入れしたり、友達と談笑していたりしている。

 いつもの光景。いつもの日常。僕はクラスメイトへの挨拶を済ませ、下駄箱から学園指定の靴を出そうとしていた時だった。


「春乃先輩」


 声のほうへと首を向ける。

「え……?」

 そこには神守群城学園を着た、昨日の征討員の少女が立っていた。

「君は――っ!」

 思わず身構える。

 が、

「今は何もしませんから安心してください。少し、話があるだけです」

 目の前の少女は両手で「やれやれ」と言うようなポーズをし、危害は加えない、ということを体でもアピールしていた。

「話?」

「ここではなんですから、ぼくについてきてください」

 そう言って僕に背を向け、すたすたと歩いていく。

 一瞬、罠であることを疑ったが、ここは学園だ。何よりも世間帯を気にするであろう連合からすれば、騒ぎを起こすことはあちらにとっても不都合なはずだ。なら、ここは乗ってみるのが得策……か?

 僕はそう考え、生徒たちが溢れる正面玄関を後にし、少女の後を追った。


 征討員の少女の後をついていった先は、人気のない階段だった。

 階段下には使われてない机や椅子が積まれており、遠くからは、生徒たちの声が微かに聞こえてくる。

 少女は階段の踊り場に立ち、振り返る。その姿は階段の窓から太陽の光によって、少女の背中から後光が差しているかのように見えた。

「それで、話って」

「まずは自己紹介をさせてください、春乃先輩。君、では呼びにくいでしょう?」

「まぁ、そうだね」

 少女は『こほん』と年相応の可愛らしい咳払いをし、

「ぼくの名前は『執行(しっこう) ゆらせ』と言います。呼び方は……そうですね、出来れば名字では呼んで欲しくないですので、名前で呼んでくれると嬉しいです」

 執行……珍しい名字だ。でも、どこか死神のイメージするような……そんな印象を受けた。

「じゃあ、ゆらせ……ちゃん、でいいのかな?」

「はい。それで構いません。ここでのぼくは春乃先輩の後輩ですし」

「後輩ってことは」

「はい。ぼくはここ、神守群城学園の一年生です」

「やっぱり、クリスの件で?」

「いえ、ここに入学したのは今回の件とは別件です」

 別件? 何かこの学園に用でもあるのだろうか?

「少し、話しがそれましたね。では、本題に入らせてもらいます」

 ゴクリ、と深く唾を呑みこむ。

「まずは北龍警備には連合から話をつけました。もうクリスさんには手を出さないと思います。なので、あなたがたにも危害を加えることもないでしょう。次に、今日の夜十二時に先輩たちの住んでいるアパートへ、クリスさんを迎えに行かせてもらいます」

「渡さない、と言った場合」

 僕の返答に、ゆらせちゃんは目を細め、

「実力行使でいかせてもらいます」

 断言するように威圧を込めて宣言するゆらせちゃん。

 その視線を真っ向から受け止め、しばらくの間、僕とゆらせちゃんは睨み合う。

 先に視線を外したのはゆらせちゃんで、「ふぅ」と息を吐き、僕に背を向けた。

「出来れば、そうならないことを祈っていますよ、春乃先輩」

 そう言い残し、ゆらせちゃんは階段を登っていく。慌てて後を追おうと、階段を登ろうとした瞬間――


 HRの予冷が鳴り響いた。


 え? もうこんな時間!? 

 振り返り、慌てて特科の教室がある教室塔まで走っていく。遅刻なんかしたら水城先生から大目玉でなんか終わらないぐらい凶悪な罰が待っているだろう。それだけはなんとしても回避しないと!

 


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「ただいま~」

 学園での授業が終わり、帰途についた僕はクリスと殺子がいるであろう202号室へと顔を出していた。

「帰ったか」

 リビングに二人の姿は見えない。恐らく寝室にいるのだろう。

 寝室をのぞいてみる。

「……何してるの。二人とも?」

「見ればわかるだろう。漫画本を読んでいる」

 殺子の言うとおり、寝室には少年漫画が散らばっており、殺子とクリスは本の世界へと旅立っていた。つけっぱなしのテレビからはバラエティ番組が流れていた。

「いや、そういうことじゃなくて……」

 緊張感というか、危機感というか……そういうのはないのだろうか、と言いたいんだけど。

「気を張り詰めていては、本番に力が出んからな。リラックスだ、リラックス」

 殺子は漫画本から目を離さず、軽い調子で言った。

 ちょんちょん

 「ん?」

 見ると、クリスが読んでいた漫画本から顔を上げて、僕を腰を指でつついていた。

「どうしたの?」

 クリスへと尋ねる。


「お友達からお願いします」


 …………はい?

「この言葉の意味がわからない」

 そういって、クリスは僕に漫画本のとあるページを見せてきた。

 そのページに目を通す。漫画の主人公が、ヒロインらしき人物に告白したものの、その子から『お友達からお願いします』と言われているシーンだ。確かにクリスのような天然のお嬢様は理解できないのかもしれない。でもこの容姿だと、今までに三ケタを超すほど告白されていてもおかしくはないと思うんだけどな。

「これはね、主人公がヒロインに告白して、それをヒロインが断っている場面だね。えーと、主人公のことを嫌ってはないけど、付き合う……恋人同士にはなれない、でも、友達からならいいよって言ってるんだ。お友達でいましょう、だと脈はないけど、お友達からって言ってるから、この主人公はまだヒロインと恋人同士になるチャンスがあるんじゃないかな」

「なるほど」

 どうやらうまく伝わったようだ。渡された漫画本をクリスに返すと、すぐに目を凝らして読み始めた。

 さて、そろそろ本題に入らないと、

「殺子」

「なんだ? 学園で何かあったのか?」

 僕の声音が真剣味も帯びたのに気付いたのか、本から顔を上げて尋ねてくる。

「学園でゆらせちゃん、連合の征討員に会ったよ」

 僕の言葉に、表情を硬くする殺子。

「学園に潜入していたのか?」

「本人は今回の件とは別件だって言ってたけど」

「それで、なんと言っていた」

「北龍警備には話しをつけたから、安心してほしいってことと、今日の夜十二時にクリスを迎えに来るって」

 殺子は僕の言葉のどこかがおもしろかったのか、皮肉めいた笑みを浮かべる。

「時間指定までしてくれるとは、ありがたいことだな」

 殺子……楽しんでるな。殺子をよく知らない人から見れば不機嫌なのを押し隠そうとしているように見えるかもしれない。だけど、今の殺子は遠足前の小学生のようにワクワクを隠しきれないほど、ゆらせちゃんとの対決を楽しみにしている。

 だけど、僕はできれば二人を戦わせたくはない。だから、ゆらせちゃんと会話してからここまで考えていたことを殺子に提案してみる。

「提案なんだけどさ……クリスをどうにかして逃がしてあげることはできないかな」

「無理だな」

 きっぱりと殺子は僕の言葉を否定する。

「逃がしたとしても、クリス一人で生活することは出来んだろう。それに、相手は連合だ。生半可な隠れ家ではすぐに見つかってしまう。それが分かっているからこそ、奴は、わざわざ時間を教えてくれたのだろう」

 殺子の言っていることは現実的で、正論だ。それは認めざる負えない。

「せめて、視月と連絡がつければいいんだけど。視月なら、連合が相手だって、きっと」

 思わず希望論が出てしまう。だけどそんな僕の希望論は許されるはずもなく。

「いない者を頼っても仕方ない。我々だけでやらねばな」

『神守市駅前、新装開店! トゥエンティーワンアイスクリーム!』

 僕の耳に突如としてこの部屋にいない人間の声が飛び込んでくる。

 見ると、どうやらテレビのCMらしい。なぜかクリスがじっとテレビを見つめていた。

「もしかして……食べたいの?」

「(コクリ)」

 即答だった。よほど食べたいのだろう。

 どうする? という視線を隣にいる殺子に送る。

「決戦の前に気を高めるのも悪くはないかもしれん。私は行っても構わんぞ」

 というわけで僕たち月夜見アシスタンス+αは駅前のアイスクリーム店に行くことになったのであった。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 カウンターのガラスケースの中には、種類ごとに分かかれたアイスクリームが並んでいる。

 店内を見渡すと中学生、高校生といった制服の生徒たちがレジに並んでいたり、席に座り、友達と談笑しながらアイスクリームを食べていたりしている。

 丸いテーブルには僕と、それと殺子とクリスが座っており、目の前の二人は先を争うようにアイスクリームを口に運んでいる。そんなに急がなくても……と、思うけど言ってもしょうがないことは目に見えている。

 殺子はいつも通りの巫女装束だけど、クリスは学園指定のジャージから 黒色のキャスケットを被り、上着はグレー色のブラウスの上に黒のフード付きポンチョ、下はブラック系のスキニーデニムという、まるでお姫様のお忍び時のような服装をしていた。

 ここに来る途中、殺子から聞いたところによると僕が学園に行っている間に、妹が来て、頼んでいた服を置いて行ったらしい。それを聞いたときほっとしたものだ。

 僕は妹のことを苦手としているのだ。理由は色々とあるんだけど……

 目の前に二人に視線を戻すと、相変わらず競うようにスプーンでアイスクリームを口に入れていた。そして同時に頭が痛くなったのか、僅かに顔を歪ませる。

「もっとゆっくり食べてもいいんじゃない? アイスクリームは逃げないからさ」

 ダメ元でアドバイス(?)をしてみる。

 するとクリスは頷き、先ほどよりもペースを落として食べ始める。それでも早いほうだけど。

 問題はこっちだ。

「~~~~っ!」

 僕の言葉を聞き入れず、競う相手も不在なのにパクパクと顔を歪ませながらも口に入れていれていってる人物。

「殺子……」

 思わず呆れ顔になる。

「なんだその子供を見るような目は。上手い物は早く食べたくなるだろう」

「いや、味わって食べようよ」

「ほらしはあふぃあっているど」

「食べながらしゃべるのは行儀悪いって」

 くいっくいっ

 不意に制服の裾が引っ張られる。

「なに?」

 見るとクリスが僕の制服の裾を掴んでいた。

「あなたのことを教えてほしい」

 僕の……こと?

 クリスの答えが予想外だったためか、思わず瞬きを繰り返してしまう。

「でも、どうして」

「あなたは私の知っている人とはどこか違うから」

「そ、そうなんだ……」

 個人的には殺子のほうが珍しいとは思うんだけど。

 少しだけショックを受ける。

「それに……わたしの心が、知りたい……と思っている」

 クリスはどこか迷った表情を浮かべながら二つ目の理由を話す。

「つまらないかもしれないけど……聞く?」

 コクリ、とクリスは頷く。

「僕はさ、交通事故にあって、一年半前からの記憶しかないんだ」



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 僕の一番最初の映像は、病院のベットから見た夜空に浮かぶ満月だった。


「気づいた時には病院でさ、一般常識とか、勉強した内容とかは覚えていたんだけど、自分の母親も幼馴染の視月のことや、子供頃、何をしていたのかってことは、何も覚えてなかったんだ」

 催眠療法などを試してみたものの、効果はなし。戻った記憶も一つとしてなかった。

「でもね、救いだったのは視月が一生懸命世話してくれてさ……母が言ってたんだけど、自分のことも忘れちゃったのに、記憶が無くなる前と同じような態度で接してくれたらしくて……僕はそれがすごく嬉しかったし、救われたよ」 

 言葉にこそ出していないけど、視月には本当に心から感謝している。

「だから、今の『困っている人を助けたい』っていう想いは、視月から貰ったのものなんだ。……と、言っても、理想に共感しただけなんだよね」


 『見捨てるわけないでしょ? 君は、私の大切な幼馴染なんだから」


 どうして僕なんかと友達で居てくれるの? と聞いた時だった。

 視月は笑って、そう言ってくれた。

 困っている人、だけではなく、『僕だから』というのが、何よりもうれしかった。

「『だけ』とはいうが、誰かの理想に共感することは簡単だ。だが、それを実行に移せるのは、ほんのわずかな者しかいないと思うがな」

 アイスを食べる手を止め、横から殺子の声が入る。

「僕は、空っぽな存在だよ」

 空虚。まさに僕のためにある言葉。視月の言葉にすがっているだけの存在。本当の僕は……なんだったのだろうか? 母さんも視月も『何も変わってない』というが、どこか僕を気遣っている雰囲気が出ているのを感じていた。

「クリスを守ろうとしたって、殺子に頼ってばかりで何もできないじゃないか」

 悔しさのあまり、拳をぎゅっと握りしめる。

 僕は……何もできていないっ……

 だけど、その手を包み込むようにして握ってくれる人がいた。

「クリス……?」

 クリスは僕の言葉を否定するように、首を振り、

「あなたは、十分やっている。少なくとも……わたしは感謝している」

 そんな、僕なんて、何もやってないのに……

 茫然とした表情を浮かべていると、殺子がニヤリと笑う。

「だ、そうだ。ちなみに私もクリスに同意見だ。お前はよくやっているさ。言っただろう? 私はお前の盾であり、剣だ。武器は担い手がいないと、ただの物でしかない。だが、担い手がいれば、真価を発揮する。つまりはそういうことだ」

 そう言い残し、殺子は店員に追加のアイスクリームを注文するために席を立った。


 僕は……


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 ほとんどの街灯が切れそうに点滅している薄暗い住宅街を僕たちは帰路についていた。

「執行ゆらせ……厄介だな」

 学園でのことを詳しく説明していると、殺子がそう呟いた。

「もしかして、知り合い?」

「ゆらせ、という輩は知らんな。だが、執行家については良く知っている。私らの世界では有名だからな」

「刀御巫家、みたいな感じで?」

「少し違う。元々執行家は特殊でな。連合の征討員かつ、身よりのない人間が集まった一族なのだ。今では連合内の派閥を越えたネットワークを築き、発言力はかなり高い。執行家を名乗りたいがために、自身の家を捨てるものまで出ているらしい」

「家を捨ててまで……」

「それほどまでに執行家は力が強いのだ。私たちの世界では死神(エクスキューズナー)とも呼ばれ、畏怖されている」

 家を捨てる……ということは自分の名字を捨てる、ということだ。そこまでして執行家、と呼ばれる冠にすがりたいのだろうか。

 母さんと、妹の顔を思い浮かべる。……どうやら僕にはできそうにないらしい。


「――――待て」


 隣を歩いていた殺子が僕を手で制し、前方の暗闇へと厳しい視線を向ける。

「どうしたの?」

 尋ねながら殺子の視線を追うと、どうやら街灯が消えた電柱付近へと視線を注いでいた。

 ここからは真っ暗闇で、何も見えないけど……

「そこにいるのは分かっているぞ」

 しんと静まり返り、音一つ聞こえない住宅街。

 誰か――いる?

「よくわかったな。さすが刀御巫、というところか」

 鋭い男の声。煙草を咥えた男が暗闇から姿を現した。

「あなたは、確か……北龍警備の」

 牛塚、という名前だったような。でも、北竜警備が手を引いた今、どうして僕たちの前へ?

 牛塚はちらりとクリスを一瞥し、

「クリスを渡してもらう」

 低い声で僕たちに告げた。

 そんなっ!? 北竜警備は手を引いたんじゃなかったのか!?

「私がさせると思うか?」

 殺子はそう言うと、僕とクリスを守るように立ち、肩のバットケースを自身の目の前に立たせ、その上に両手を置く。

「正直言うと、私はお前と戦いたい。久々に全力で戦えそうだからな」

 僕からは背中しか見えないが、恐らく獰猛な笑みを浮かべているのだろう。ここからでも殺子の戦いたい、という気持ちが伝わってくる。

 見ると牛塚も、殺子へと視線を向け、油断なく殺子へと視線を向けている。

 これはもう……戦闘は避けられない、か?


「やはり、つけていて正解だったようですね」


 その空気を、壊す鶴の声。

 振り返る。そこには――


「ゆらせちゃん?」

 殺子が訝しげな視線を向けるが、その視線を気にする様子もなく殺子の隣をすり抜け、鬼燈と五メートルの距離を挟んで対峙した。

「北龍警備は既にこの件から撤退したはずです。会社の命令に従わないのですか?」

「答える必要はない」

 しばらく、無言の時間が流れる。

「春乃先輩」

「は、はい!」

 まさか僕の名前が呼ばれるとは思わなかったためか、思わず裏返った声が出てしまった。

「あの男を異眼(サードアイ)で視てください」

 異眼(サードアイ)で? でも、何かしらの意図はあるのだろう。

「分かった」

 そう思い、ゆらせちゃんの指示に従い、異眼(サードアイ)を発動させる。

 そして牛塚を見る――

「え?」

「どうですか」

 僕の見た光景。それは

「紫の虹水晶(レインオリジン)……妖怪だって!?」

 牛塚の体の中心には、異類異形(イレドレックス)であり、その中でも妖怪の印である紫色の虹水晶(レインオリジン)が浮かんでいた。

「やはり、そうでしたか」

 ふぅ、とゆらせちゃんはため息をつく。そしてクリスを指さし、

「あなたは、あの少女に好意を抱いていますね」

 え……どういう、こと?

 牛塚へと視線を向けるが、ゆらせちゃんの問いには答えず、煙草の煙を吐き出した。

「好意って、その……」

「恐らく、恋愛感情でしょうね」

 唖然としている僕をよそに、ゆらせちゃんは「ふぅ」と息をつき、

異類異形(イレドレックス)が人間に恋愛感情を抱くことは、珍しいことではありません。自分が異端だと知っているからこそ、それを受け入れてくれる人物に出会ってしまうと、異種間でもそのような感情が生まれてきてしまうのです」

 そして同意を促すように牛塚に向かって顎をしゃくり、

「そうですよね」

 と、問いかける。

「違う」

「なら、理由を説明してください。自身の所属している組織の命令を裏切ってでもクリスさんを取り戻したい、その理由を」

 牛塚はその問いにも答えず、煙草を地面に捨て、ゆらせを鋭い目つきで睨みつけた。

「鎌をかけてみたようですが……本当だったようですね」

「貴様……」

「しかし、これで貴方を拘束する理由が出来ました。異類異形(イレドレックス)が人間に好意を持つことは、異類異形(イレドレックス)が人間と結ばれる危険性があります。|世界異類異形憲章(WCC)にのっとり、牛塚鬼燈、あなたを拘束します」

「できるのか? お前のような小娘に」

 牛塚の目が、ゆらせちゃんを射抜かんとするように目が細められる。

「皆さん、ここは戦場になります。今すぐ、この場から離れてください」

「いいのか? クリスの保護は」

 皮肉めいた笑みを浮かべた殺子が問いかける。

「なら、ここにクリスさんを置いていってくれませんか?」

「できない相談だな」

「ですから、その件は明日に伸ばします。まずは障害になりえる、この男を拘束します」

 ゆらせちゃんの返答に殺子は「ふん」と鼻をならし、

「よかろう。明日、だな。夜神」

 ここから離れるぞ、と目で合図してきた。

「……いいの?」

「奴がいいというのだ。何も問題はあるまい」

「……わかった」

 僕はクリスマスの手をとり、先導している殺子の後ろ姿を見ながら今来た道を逆走していく。

 後ろが気になり、振り返る。牛塚とゆらせちゃんは睨み合ったまま、まだ動いていない。

「何をしている。行くぞ」

 殺子の声に慌てて前を向く。

 僕は……やっぱり何もできないのだろうか?



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 登校してきた生徒たちの談笑や、靴を履き替えるために下駄箱を開け閉めする音が僕の耳へと飛び込んでくる。

 僕たちは大変な目にあっているのに……学園はいつも通りなんだよね。それが僕には救いだった。ここ数日は非日常に足を突っ込んでいたためか、普段の日常が恋しくなっているのかもしれない。

 もっとも、異類異形(イレドレックス)の存在を毎日にように視えてること自体が一般人からすれば非日常なのかもしれないけど。

 僕のように異眼(サードアイ)を持った人間や、古くから異類異形(イレドレックス)に関わってきた殺子の実家、刀御巫家、そして連合、北竜警備。

 そんな世界の常識から異なる人間や組織。それが、僕たちなんだよね? 視月?

 下駄箱から内履きを取り出しながら、今は遠い異国へと旅立った幼馴染の顔を思い浮かべる。

 そして、朝、殺子から頼まれたことを思い出す。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「本当に、ゆらせちゃんは接触してくるの?」

 僕は振りかえり、202号室内で仁王立ちしている殺子に問いかける。

 殺子はニヤリ、と意地悪い笑みを浮かべてから

「生きていれば、な」

 と、呟いた。

 殺子の言葉に、嫌悪感を抱いた僕は、思わず口調を荒げて反論した。

「生きてるよ、きっと」

「そう、むっとするな。私からすると奴は脅威の一つでしかないからな。出来れば牛塚と言ったか。奴と相打ちにならないかと願っているほどだ」

 確かに殺子のことは正論で、僕たちの置かれた状況にしてみれば、あの、牛塚とゆらせちゃんが相打ちになるのが好ましいのだろう。

 だけど、それは本当に正しいのか? クリスを守るために、誰かが犠牲になることを喜んでいいのか? 

 ……そうじゃないよね、視月?

「ともかく、学園でゆらせに接触してくれ。昨日の結果が知りたい」

 僕は、頷き、殺子に背を向け学園へと向かったのであった。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 ……本当に、ゆらせちゃんは接触してくるのかな?

 半信半疑のまま、僕は下駄箱を開ける。

「ん?」

 一枚の手紙が僕の足元へ、ひらひらと落ちていく。

 拾い上げ、読んでみる。

「……すごいね、殺子」

 友人へ賛辞の言葉を向ける。

 そこには手書きの、女の子らしい丸っこい文字で『屋上へ来てください』と、書かれていたのだから。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 屋上へのドアを開けると、朝の陽ざしが目に入り、思わず目を細める。

 屋上なんて久しぶりだな。一年生の時以来かな? 

 屋上には白いベンチが並んでおり、転落防止の金網が四方に張られている。

 聞いたところによると、以前自殺した生徒がおり、その対策として張られたものらしい。

「来ましたか」

 僕から少し離れたところ、金網に手をかけ、眼下に見える景色を眺めていたゆらせちゃんが振り返りもせず、声をかけてきた。

「よく、僕だって分かったね」

「この時間に屋上に来る人なんて、そういませんから」

 そう言って、学園のスカートをひらりと舞わせ、振り返る。

 あれ……?

「その傷って」

 ゆらせちゃんの左腕。ブレザーによってよくは見えないが、手のひらにかけて包帯が巻いてある。

 僕の言葉に、ゆらせちゃんは包帯のしている部分に目をやり、

「ただのかすり傷です。ご心配なく」

「本当に大丈夫なの?」

 ゆらせちゃんはふっと優しい笑みを浮かべ、

「……夜神先輩もお人よしですね。ぼくは敵ですよ?」

「だって、君は女の子じゃない」

「え……?」

 ゆらせちゃんがぽかんと、気の抜けた表情を浮かべている。

 僕……何か、不用意な発言でもしたかな?

 だけど、すぐにゆらせちゃんは厳しい表情になり、僕を見つめ

「敵は敵ですよ、春乃先輩。そんな半端な覚悟で、ぼくと……連合と戦おうとしていたのですか?」

 強い口調で僕へと問いかける。

「分かってる。でも、本当に戦うしか道はないの?」

「あなた方がクリスさんを引き渡してくれるのなら、戦いは避けられますが」

「それは……」

 できない。僕たちはクリスを守りたい。ゆらせちゃん――連合はクリスを保護したい。この議論は、どこまでいっても平行線なのだ。だから最後は――

 そんな僕の心情をよそに、ゆらせちゃんは「ふぅ」と息を吐き、

「本題に入りましょう。昨日の顛末をお話します。一応、こちらの不手際で『一般人』である春乃先輩に危害を加えてしまうところだったので」

「一般人? どういうこと?」

 少なくとも僕は当事者のはずだ。それが、どうして?

「刀御巫先輩はともかく、春乃先輩はこちら側の人間ではなかったのでしょう? ぼくとしても、余計な犠牲は出したくないですから」

「それはそうだけど。僕は、君の敵なんじゃ――」

「ええ、一応は。ですが、ぼくはあなたを戦力として数えていません。敵として認識できるほど、脅威ではないのです」


 ……そういう、ことか。

 思わず、血が出るほど唇をかみ締める。

 ゆらせちゃんも、あの北龍警備の牛塚も、殺子も、みんな戦う力を持っている。

 視月のような、天才的な頭脳も持ち合わせていない。

 僕だけが、何も持っていない。あるのは|違和感が分かるという能力(ガイア)と、異眼(サードアイ)だけ。

 僕がゆらせちゃんの立場でも、敵としては認識しないだろう。


「では、話しの続きを。昨日、あの男……牛塚鬼燈と戦闘を行いました。ですが勝負はつかず、牛塚は逃走。現在は連合と北龍警備が協力して捜索中です。拘束した、という報告はまだ来ていないので、一応警戒はしておいてください」

 用件は話し終わったのか、ゆらせちゃんは屋上の出口へと歩いていく。


 僕は、僕は……本当に、何も……

 僕は悔しさと、不甲斐なさ、後いろんな思いが渦巻いて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


「今夜十二時に、また」

 耳元で聞こえた声に、はっとして振り返る。

 そこにはもうゆらせちゃんの姿はなく、半開きの屋上の扉が風で揺れているだけだった。


○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「さて、そろそろか」

 殺子が、頭に白い鉢巻を巻き、日本刀『武南方神(ぶなんほうしん)』を持ち、呟いた。

 夜十一時五十八分。月明かりが差す尻毛荘の駐車場。

 辺りは暗闇に染まっており、近くの街頭がチカチカと今にも光が消えそうに点滅している。

「本当に、来るのかな」

「そう聞いたのだろう? なら、来るだろうな……む」

 殺子の視線が 鋭くなる。

「――来たな」

 殺子の視線を追うと、駐車場の入り口から、浮かび上がるようにゆらせちゃんが歩いてくる。

 武器は……見たところ持っていない。戦う意思はないのだろうか?

 ――いや、そんなはずはない。

 ゆらせちゃんの瞳はそう語っていなかった。大きく丸っこい子供らしい瞳はきつく結ばれ、悠然とした態度で近づいてくる。

 そして、一般人の僕でも感じ取れるほどの――殺気を放っていた。

「ッ!」

 肌がゾクリ、と震えだしたような感覚。

 ――これが、一等征討員の殺気。

 足が、手が、指一つも動かせない。それほどまでにゆらせちゃんの殺気は、力強く僕を蝕んでいた。

「心配するな。お前は私が守る」

 そんな僕を安心するように、殺子が口の端に笑みを浮かべながら言った。

 そして僕とクリスを守るように立ち、正眼の構えをとる。

 殺子の言葉にほっとすると同時に、悔しさも溢れ出し、拳を強く握りしめる。

 ――僕は結局何も出来ないのか? 殺子にだけ危険な目にあわせて、僕はただ見ているだけでいいのか?

 そっと、僕の手のひらに僕より小さい手が添えられた。

「クリス……」

「今は、我慢」

 相変わらずの無表情だけど、僕を案じてくれているのを感じる。

 そんなクリスの優しさに少しだけ、心が軽くなった気がした。

「そう……だね」

 目の前に立つ、殺子を見る。その背中は自信に溢れ、いつもよりもずっと大きく見える。

 頼んだよ……殺子!


「最後通告です。今すぐ、クリスさんを無条件で引き渡してください」

 ゆらせちゃんの非情な宣言に、殺子は「ふ」と呟き、

「この姿を見ても、言うのか?」

「一応、規則ですので……獣の凶爪(ケルベロス)白銀の牙(スラッシャー)断罪の翼(ブランデッシュ)展開(オープン)

 そうゆらせちゃんが呟いた瞬間。ゆらせちゃんの右手に銀色に光るクローが、左手には杭を射出する武装が、そして腰にはベルトに取り付けれた、刃が月明かりに反射しているブーメランのような武装が浮かび上がる。

 それに合わせるように、武南方神を構え直す殺子。

 一方の、ゆらせちゃんはクローが取り付けられている右腕を引き、左腕を前に出したポーズで戦闘態勢をとっている。

 ……ゴクリ、と喉を鳴らして唾を飲みこむ。

 思わず添えられているクリスの手をぎゅっと握りしめてしまった。

 クリスの手は一瞬、驚いたようにビクッと反応したが、また僕の手を優しく握り締めてくれた。

「…………」

「…………」

 お互い、一歩も動かず、じっと相手の出方をうかがっているようだ。

 殺子の草履が、一歩、足場を固めようと動く――その瞬間。

 一瞬の出来事。目の前の殺子が動いた、そう思った瞬間には二人の刃がぶつかり合っていた。

 鍔迫り合いをしてから、一旦距離をとる二人。

 ゆらせちゃんの目は、今まで見せたどの表情よりも真剣で――ゾクリ、と見たものに恐怖を感じさせる目だった。

 すぐに二つの陰は、目に留まらないスピードで互いを切り結ぼうとぶつかり合う。

 住宅街にとって異物な金属音が辺り一面にこだます。

 ゆらせちゃんはクローで殺子の刀を相手にしながら、左腕にとりつけられている武装で、銀の杭を撃とうとしているが、殺子もそれを読んでいるのか、体の向きを踊るように変え、射線から逃れていく。

 この武装では致命傷を与えれない、と思ったのか、ゆらせちゃんは一旦距離をとった。

「中々やりますね」

「伊達に刀御巫の名は名乗っていないからな。名に恥じぬよう、努力は重ねてきたつもりだ」

「……なら、見せてもらいましょうか」

 そう呟くと、ゆらせちゃんは腰に取りつけていた刃のブーメランを取り出す。

 あんなものがもしも首に当たったら……

 最悪な想像を打ち消すために、首をぶんぶん振る。

 大丈夫だよね……? 殺子……

 刃のブーメランが殺子に向けて投げられるた。変化球のスライダーのように高速で曲がりながら殺子へと向かっていく――が、殺子はステップを踏むように軽く避ける。

 思わずほっと胸をなでおろす……が、次の瞬間、殺子の後方へ飛んでいったはずのブーメランは軌跡を描きながら――戻ってきた、

 そしてそれは殺子の胴体付近へと向かっていく――!

 殺子はそれに気づいていないのか、一直線にゆらせちゃんへと突っ込んでいる。

 ゆらせちゃんの表情を見る。ニヤリ、と勝利を確信したような笑み。

「殺子っ!」

 思わず声を上げてしまう。このままじゃ、殺子が!

 僕の声に、一瞬だけ殺子は僕のほうを見る。

 ……え?

 驚きを隠せずに、ぽかん、とした顔を浮かべてしまう。

 だってその表情は目の前の状況と正反対だったから。

 口の端に笑みを浮かべ、「心配するな」と、言っているような表情を浮かべていたのだから。

「私を甘く見てもらっては困るな」

 僕か、ゆらせちゃんか。それはどちらに向けた言葉かは分からない。もしかしたらどちらに対しても告げた言葉かもしれない。

 だけど、ただ一つ分かったことは――

「なるほど……さすが刀御巫、といったところでしょうか」

 金属音とともに、殺子が刀でなぎ払ったブーメランは回転しながらゆらせちゃんの手元へ。

 ただなぎ払っただけじゃない。


 ――ブーメランを見ずに、なぎ払ったのだ。


「ふ、今のでやられるようでは刀御巫の名折れだからな。最初に飛んできた軌道と、速さを計算すれば、後ろを見ずとも捌くことは容易い」

 そう言い、刃をゆらせちゃんに垂直に向け、殺子は刺突の構えをとる。

 殺子の決め技であり、勝負を決める神速の突き。

 殺子の纏う空気が変わったのを感じたのか、警戒するようにゆらせちゃんはクローを構える。

 そして、何もない背中から何かを取り出す素振りを見せる。

 まさか、まだ武器を持っている!?

 その瞬間、殺子が動いた。

 狼が得物を狩り殺すがごとく、一直線に刃を煌めかせ、ゆらせちゃんの胸の部分へと吸い込まれそうに――

「なっ!?」

 殺子の足が止まる。

 そんな、いつのまに!?

 ゆらせちゃんは殺子の表情に訝しげな表情を浮かべながら、首だけを動かして振り向く。

 そこには――


 巨大な鎌を振り上げた牛塚が立っていた。


「くっ!」

 ゆらせちゃんが鎌から身を守ろうと、クローを構える――が、

「ゆらせちゃん!」

空視化(トランス)……ですか」

 血が砂利の地面へと飛び散る。

 脇腹を抉られ、噴水のように血を吹きだしながらゆらせちゃんは仰向けに倒れた。

 カランカラン、と、刃のブーメランが地面に叩きつけられた音が響く。

「貴様っ!」

 殺子の怒号のような声が牛塚へと叩きつけられる。

 だけど、牛塚はそれを気にしようともせず、うつ伏せに倒れているゆらせちゃんを一瞥してから、殺子に向きあい、

「クリスを渡せ。そうすれば危害は加えん」

 と、告げた。

「そう簡単に渡すと思うか?」

「だろうな」

 同時に、牛塚は煙のように消えていく。

 空視化(トランス)!? マズイ、これじゃあ殺子は――

「夜神っ! 異眼(サードアイ)を発動して、奴がどこにいるか私に教えてくれ!」

「う、うん!」

 目を瞑り、脳へと異眼を発動させるように命令。

 目を開ける。殺子の右側面から牛塚が鎌を振り上げている。

「殺子っ! 右!」

 ガキンッ!

 殺子が右へと刀をなぎ払った瞬間、牛塚の空視化(トランス)が解除され、互いの武器がぶつかり合った。

「逃がさんっ!」

 すぐさま追撃をかけようと、殺子は牛塚へと刀を振り上げる。が――

「また空視化(トランス)かっ!」

 牛塚はそれには乗らず、再度空視化(トランス)。殺子の刀は空を斬った。

「殺子っ! 後ろから薙ぎ払い!」

 殺子はしゃがみこむように姿勢を低くする。

 瞬間――その頭上を牛塚の鎌が通り過ぎる。

 今のを避けなかったら、首が飛んでる。

 ゾクリ、と背筋が寒くなった。

 殺子は、しゃがみこんだ状態のまま、回転するように、後ろに向かって薙ぎ払いを仕掛ける。

 だが、牛塚は距離をとり、難を逃れた。

 殺子は姿勢を直し、武南方針を構え直す。

「貴様、刀御巫のくせに、異眼保持者(サードアイラー)ではないのか?」

 牛塚の言葉に、殺子は唇をきつく噛みしめ、

「それがどうした」

「いや、そらなら都合がいい」

 牛塚は空視化(トランス)し、殺子の前から姿を消した。

 ……? 僕の方を見てる?

「夜神っ! 気をつけろ!」

 切羽詰まったような殺子の声が、僕の耳に届く。

 なっ!?

 牛塚は殺子へと攻撃を仕掛けず、僕たちに向かって一直線に向かってくる。

 鬼燈の後ろから、殺子も必死な形相で自分へ向かってくる姿が視えるが――このままじゃ間にあわない。

 せめて、クリスだけでも守らないと!

 クリスを守るように、牛塚の進路を塞ぐように立つ。

 僕にだって、やれることが――!?

「あ…………」

 牛塚が鎌を『僕』へ目掛けて振り上げる姿が視えた。

 今になって気付いた。狙いはクリスじゃなかった。異眼保持者(サードアイラー)である僕だったんだっ……

 思わず目をつぶる。少しでも、これから起こる衝撃に耐えられるように。

「くっ!」


 …………

 ………

 ……



 …………衝撃が、来ない。

 身を裂くほどの痛みをも、激痛を伴う衝撃も、何も、来ない。

 もしかして、殺子が間にあった……のか?

 恐る恐る、目を開けてみる。

「え……?」

 思わず目を疑った。その光景は僕の想像とはまるで違ったものだったから。

 目の前には血を流している人影。

「く、そが」

 牛塚の脇腹には銀の杭が刺さっていた。

 手で押さえているが、傷口から血が溢れ、次々に地面に赤い染みを作っていく。

 牛塚の後方を見る。苦悶の表情を浮かべたゆらせちゃんが匍匐前進のような恰好で、銀の杭を射出する武器を構えていた。

「はっ!」

 その隙を逃す殺子ではなく、すぐさま牛塚に斬りかかる。

 が、牛塚は空視化(トランス)し、僕から距離を取るように去っていく。

「夜神、奴は!?」

「あ、ああ、うん。撤退したよ」

 牛塚が脇腹を押さえならが、尻毛荘の駐車場から走り去っていく姿が視える。

 一応、撃退した……ってことかな。

「そうか。一応、異眼(サードアイ)は発動しておけ。奴が戻ってくる可能性があるからな」

「それよりもっ!」

 慌ててゆらせちゃんの元へと駆け寄る。

 斬られた脇腹からは血が流れており、呼吸も早く、浅いものとなっている。

「ゆらせちゃん! ゆらせちゃん!」

 呼びかける。だけど目は閉じられ、反応はない。

 このままじゃゆらせちゃんが――

 最悪の想像が頭に浮かぶ。

 それだけはダメだ。なんとかしないと!

「夜神!」

 殺子とクリスが、駆け寄ってくる。

「殺子っ! 今すぐ、月夜見アシスタンスの事務所に運ぶよ!」

 すぐさま指示を出し、ゆらせちゃんの肩を抱くように掴む。

「しかし、敵だぞ?」

 頭上からは殺子の困惑したような声。

「今はそんなの関係ない! 目の前で人が死にそうになってるんだよ!?」

「だが……」

「ほらっ! 殺子は足のほうを持って、早く!」

 気が進まないような表情で殺子はゆらせちゃんの太もも付近を両手でつかみ、僕たちはゆらせちゃんを月夜見アシスタンス事務所へと運んでいった。



○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「はぁ……はぁ、はぁ……」


 布団の上に大量の汗をかきながら、ゆらせちゃんは浅い呼吸を繰り返している。

 表情は青白く、脇腹に包帯を巻き、止血したものの赤い染みを作っていた。

 その傷口に殺子が右手を当てており、手からは緑色の光が溢れている。

 殺子が言うには、代々刀御巫家に伝わる治癒術らしい。便利だが、使用すると非常に精神力を使うとかで、滅多に使わいようにしている、とのことだ。

 今回も使うことに渋っていたけど……無理を言って使ってもらった。目の前で人が死にそうになっているのに、それを助けない理由はどこにもないから。


「ふぅ」

 殺子がゆらせちゃんから手を離し、額から流れた汗を拭う。どうやら終わったようだ。

 見るとゆらせちゃんの顔色も元の肌色に戻っている。峠は越えたらしい。

「一命は取り留めた。これで大丈夫なはずだ」

「よかった……」

 思わず、はぁ、と大きく息を吐く。思った以上に気を張り詰めていたらしい。

 そんな僕に、殺子は皮肉っぽく言葉を向ける。

「お人よしめ。こいつは私たちの敵なんだぞ」

「それでも。ゆらせちゃんだって上からの命令で動いてるんでしょ? 別にゆらせちゃんが悪いってわけじゃない」

 戦争だって同じことだ。国の命令に従って兵士たちは戦う。それを誰が悪いと言えるだろうか。

「ふ、私にはできん考えだな」

 そういうと、殺子は目を眠たそうにとろん、とさせた表情になる。

 ? どうしたんだろう?

「……私は少し疲れた。休ませてもらう。夜神、異眼(サードアイ)を発動して警戒しておけよ」

 言うのが早いか、目を閉じると同時に倒れ込んだ。

「え、え、え、さ、殺子!?」

 もしかして、どこか怪我でもしたのではないか、と思い、あわあわと挙動不審になってしまう。


「すぅ……すぅ」


 ……静かな寝息が聞こえてきた。

 もぅ……心配して損したよ。

 恐らく治癒術の使いすぎだろう。本当はかすり傷や切り傷などの軽い怪我を治すための術らしいから、瀕死の人間を治すほどの力を使ったとなれば負担も大きいはずだ。

「お疲れさま、殺子」

 僕はねぎらいの言葉を、押入れから出した布団ともに殺子にかける。

 今度、美味しいものを腕によりをかけて作ってあげるからね。

 殺子の隣に座り、殺子とゆらせちゃんの寝顔を見つめる。

 ――二人とも、寝ているときは普通の女の子なんだけどな。

 恐怖を植え付けさせるほどの殺気や、鬼神のような動き、特殊な能力も関係ない……年相応の女の子の寝顔だった。

 

「あなたは」

 少しだけ感傷に浸っていると、今まで隅っこにいたクリスが僕の側へと寄ってきた。

「ん、どうしたの?」

クリスの目はいつもの無表情……から、少しだけ厳しい表情に変わっていた。

「なぜ、こんな素性も、依頼主も分からない、わたしを……危険を冒してまで守ろうとするの」

 そんなの決まってるよ。

「目の前に困っている人がいるからだよ」

 逆に言えば、それかしかないんだけどね。

「それだけ……なの?」

 その言葉が信じられないのか、クリスは再度問い掛けてくる。

 何度だって、答える。だって、僕は――

「僕もさ、記憶を失って、視月に助けてもらったから。どれだけ手を差し伸べてくれることが嬉しかったかわかるから。だから僕も、僕と同じように困っている人がいたら、助けたいと思うようになったんだ」 

 あの時手を差し出されたから、今の僕がある。それを胸に刻んで、僕は今、生きている。

「……そう」

 少し、残念そうな表情になる、俯くクリス。

「でもさ……僕自身もクリスを助けたいと思ったんだ」

 クリスが顔を上げる。瞬きを繰り返し、口をぽかんと開けている。どうやら驚いているようだ。

 そんなクリスに、僕は笑みをこぼし、

「うん。クリスって危なっかしくてさ、放っておけないんだよ。よく分からないけどね」

 ありのままの本心を告げる。

 一方のクリスは困惑した表情を浮かべていた。

 まぁ……僕もよく分かってないからなぁ。なんとなくクリスはこう……気になる、というか。

「え?」

 そっと、僕の頬に手が当てられた。

「クリス……?」

 どこか迷った表情を浮かべているクリス。

「あなたにとって、わたしは――」


 …………

 ………

 ……


 手が、頬から離れる。

「なんでもない」

 そう言って、クリスは目を伏せた。

 一体、クリスはどうしたのだろう? 何を、言いたかったのだろう?

 そんなことを思いながら、僕は黒い線のような染みが広がっている天井を眺めた――

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