↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

「別れよう」は動画の企画だったそうですが、私の返事は本気です

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/10/23

「別れよう」


 修悟は、ローテーブルの向こうで言った。

 私は膝に置いていたバッグへ目を落とした。

 今日、話そうと思っていたことがあった。

 でも、彼のほうは、もう決めていたらしい。


「……分かった。私も、もう続けられないと思ってた」


 答えると、彼が黙った。

 自分から言ったのに、驚いたような顔をしている。


「今までありがとう。置いてあるもの、持って帰っていい?」

「ちょっと待って」


 私が立ち上がると、修悟も腰を浮かせた。


「何?」

「今の、ドッキリだから」


 言われた意味が分からず、私は彼を見た。

 修悟は笑って、棚の上を指した。


「撮ってるんだよ。本当に別れる話じゃないって」


 小さな置物の横に、スマホがあった。

 こちらへ向いているのは、画面ではなくカメラのほうだった。


 隣の部屋のドアが開いた。

 修悟と一緒に動画を作っている友人が二人、出てきた。


「ドッキリでしたー……って、え?」


 一人が、立ったままの私を見た。

 私は修悟へ顔を戻した。


「私、動画には出ないって言ったよね」


 彼は笑うのをやめた。


「いや、顔は隠すつもりだったし」

「顔を隠しても、声だけでも嫌だって言った」


 友人の一人が、修悟を見た。


「待って。それ、知らないんだけど」

「あとで説明するから」

「撮影していいって話してあるって言っただろ」


 私はその人へ顔を向けた。

 彼は、修悟から聞いたことを話した。

 私がドッキリ動画の撮影そのものは了承していて、どんな企画をやるかだけ知らされていない。そういう説明だったという。

 二人は、種明かしで出てくる役を頼まれ、別室で待っていた。


「了承してません。撮らないって約束してました」


 私が言うと、修悟は目をそらした。


「そうだけど、こういうの、最後は笑って終わるじゃん」

「私は、何も知らなかった」

「びっくりさせる企画だから」


 私は棚のスマホを見た。


「止めて。撮ったものも消して」


 修悟は動かなかった。

 友人が棚へ近づき、スマホの画面を確かめた。


「まだ撮ってるぞ。止めろよ」


 修悟がスマホを取った。

 録画を止めたあと、こちらへ画面を見せる。

 保存された動画の最初に、部屋へ入ってきた私がいた。


「どこかに送った?」

「まだだよ。今撮ったばっかりなんだから」


 撮影したのはそのスマホ一台で、友人たちにも送っていないという。

 私が見ている前で動画を削除し、削除済みの項目からも消した。

 友人も画面を確認した。


「もう帰ります」


 私が言うと、修悟が困ったように顔をしかめた。


「怒ってるのは分かるけど、落ち着いてから話そう」

「私、話しに来たんだよ」


 彼がこちらを見る。


「今日、ちゃんと話したいって送ったよね。二人で会うときは、動画のことをやめてほしいって」

「動画ばっかり撮るなって言われたから、じゃあ別れようって俺が言ったら、どう反応するか撮ろうと思って」


 言い終えてから、修悟の口が止まった。

 私はバッグの持ち手を握った。


「私が話したいって言ったことも、企画にしたんだ」


 友人たちは、何も言わなかった。

 修悟だけが、違うって、と言った。


「別れようって言ったのは、嘘だから」

「私の返事は、本気だよ」


     *


 洗面所に置いていた歯ブラシと、泊まるときの服をバッグへ入れた。

 修悟は後ろへついてきたが、何を言うのか迷っているようだった。


 桐谷修悟、二十七歳。

 二年前、友人同士の食事会で知り合った。


 初めて二人で出かけた日は、予定していた店が休みだった。

 私がスマホで別の店を探していると、修悟は向かいの店の看板を読んだ。


「こっち、昼から焼き鳥ある」

「お昼に?」

「いいじゃん。ご飯もあるし」


 入ってみると、鶏の丼がおいしかった。

 帰るころには、休みだった店のことを二人とも忘れていた。


 私は郡司知世、二十六歳の会社員だ。

 初対面の人が多い場所では、少し口数が減る。

 修悟となら、黙っていても、思いついたことを話しても、楽だった。


 陶芸教室へ通い始めたのは、付き合うより前だった。

 最初に焼き上がった小鉢は、縁が少しゆがんでいた。

 修悟に見せると、彼は両手で受け取った。


「これ、俺が使っていい?」

「ゆがんでるよ」

「でも、ちゃんと入るだろ。何食べようかな」


 嬉しくて、その小鉢をあげた。

 しばらくして、彼から冷ややっこを盛った写真が届いた。


 修悟が友人二人と動画を投稿し始めたのは、半年前だった。

 最初は三人で料理を作ったり、食べたものの感想を言ったりしていた。

 彼が楽しそうに話すので、私も投稿されたものを見ていた。


 私にも出てほしいと言われたときは、断った。

 知らない人に顔や声を見聞きされるのは嫌だった。


「分かった。じゃあ、俺たちだけでやる」


 そのとき、彼はすぐに頷いた。


 少しずつ変わったのは、二人でいる時間だった。

 店で食べたものを撮るあいだ、私は食べずに待つ。

 撮り直すと言われ、冷めた料理をもう一度持ち上げる。


 私が飲み物をこぼした日は、修悟が布巾より先にスマホを取った。

 撮らないでと言うと、まだ撮ってないよと返ってきた。

 あのときも、私が怒りすぎたような顔をした。


 陶芸教室の日に、動画の準備を手伝ってほしいと言われたこともある。


「その日、教室だから」

「一回くらい休めない? こっちは三人の予定、合わせてるんだよ」


 私は休まなかった。

 帰りに彼へ連絡すると、短い返事だけが来た。


 先月、二人で出かける日は撮影を優先しないでほしいと伝えた。

 分かったと言われた次の外出でも、彼は先にカメラを出した。


 もう一度話して、変わらなければ別れよう。

 今日、部屋へ来る前から、そう考えていた。


「何ならよかったの?」


 バッグの口を閉めた私へ、修悟が言った。


「何ならって?」

「顔出さないし、公開する前には見てもらうつもりだった。なのに、全部だめって言われたら」

「撮らないでほしかった。それだけだよ」


 玄関へ歩いた。

 友人たちはリビングに残っていて、一人が私に頭を下げた。


「知らなかったとはいえ、すみませんでした」

「あなたたちに、修悟がどう話したかは分かりました」


 私は靴を履いた。

 修悟が、上がり框のところで止まる。


「器は?」


 私は顔を上げた。

 食器棚に、初めて作った小鉢がある。


「それはあげたものだから。そのままでいい」

「次に作ってるやつ、俺のだろ」


 私はドアに手をかけた。


「もう、渡さない」


 外へ出て、駅へ向かった。バッグから服の袖がはみ出していたので、押し込んだ。

 帰ったら洗濯しようと思ったのに、家に着くと、玄関に置いたバッグをそのままにしてしまった。翌朝、服を出すときに歯ブラシのケースも出てきた。


     *


 翌週の土曜日、私は陶芸教室へ行った。

 修悟から、謝りたい、会いたい、とメッセージは来ていた。

 私は、会ってやり直すつもりはないと返した。


 教室には、会社員も、子どもが独立した人もいた。

 先生が準備してくれた道具を使い、同じ大きな作業台で、それぞれ違うものを作る。


 私の器は、形を作り終えていた。

 もう乾かして焼いてもらい、今日は色をつける。

 先生の説明を聞いてから、棚に並んだ色の見本を見た。


「今日は、それの続きですか」


 隣で道具を広げていた芦沢宗平さんが聞いた。

 二十七歳の会社員で、同じ曜日の教室に来ている。

 半年ほど前から顔を合わせているが、話すのは主に作品のことだった。


「はい。やっと、ここまで」

「前に、誰かにあげるって言ってませんでした?」


 私は器を作業台へ置いた。


「そのつもりだったけど、自分で使います」

「あ、そうなんですね」

「彼氏と、別れたので」


 宗平さんの手が止まった。

 見本の白と青を、何度も見比べた。修悟の話をすると、ここでもまた腹が立ちそうだった。


「じゃあ、色も変えます?」


 少しして、彼が聞いた。


「迷ってます。白にしようと思ってたんですけど、こっちもいいなって」


 私が指したのは、明るい青の見本だった。

 宗平さんは、両方を見てから頷いた。


「青、俺の皿よりご飯がおいしそうに見えそう」

「宗平さんの、どんな色でしたっけ」

「茶色。いいと思ったんだけど、焼いたなすを盛ったら、なすも茶色で」


 私は、見本の前で笑ってしまった。

 彼は自分のスマホを出した。


「これ」


 茶色い皿に、茶色いなすが載っていた。


「でも、おいしそうです」

「味はよかったです。次は、緑のものを入れます」


 私は青を選んだ。

 彼も自分の作業へ戻り、先生へ器の持ち方を確かめていた。


 手を洗い、道具を片づけてから、私は宗平さんの器を見た。

 小さな器が二つ、並んでいる。


「それ、何を入れるんですか」

「漬物。でも、ちょっと小さくしたかもしれない」

「少しずつ盛るなら」

「俺、結構食べるんです」


 彼は器を横から見て、もう少し大きいものも作ろうと言った。

 私は、焼き上がったら見せてくださいと答えた。


     *


 次の教室では、宗平さんがもう一回り大きい器を作っていた。

 私は新しい皿の形を考えていて、紙に丸を描いていた。


「何センチくらいにするんですか」


 彼が手を止めて聞いた。


「このくらい。パンを載せたいので」

「俺のと同じことにならないように」

「食パンは、さすがに入ると思います」

「端が出ると、ちょっと悲しいですよ」


 私は紙の丸を少し大きくした。

 彼は笑ってから、自分の器を見直していた。


 終わったあと、二人で教室を出た。

 昼を過ぎていて、宗平さんが、お腹すいたな、と小さく言った。


「私も。いつも、このあとどこか寄ります?」

「駅のほうで。今日は、定食にしようと思ってます」

「一緒に行ってもいいですか」


 彼が私を見た。


「もちろん。あの店、知ってます?」


 名前を聞くと、何度も前を通っていた店だった。

 入ったことはないと答え、二人で向かった。


 私は魚の定食を頼んだ。

 宗平さんは、迷わず生姜焼きを選んだ。

 ご飯の量を聞かれると、大盛りで、と答える。


「本当に、結構食べるんですね」

「漬物だけじゃないです」


 私は笑い、箸の袋を開いた。

 料理が来るまで、先生が見せてくれた作品の話をした。

 私は色が気になっていたが、宗平さんは、底の形をもう少し見たかったという。


「あんなに大きくて、ちゃんと置けるのがいいなと思って」

「家に持って帰ったら、置くところあります?」

「ないです。まず棚がいる」


 店員が定食を運んできた。

 宗平さんのご飯は、私のものよりずっと多かった。


 私が魚の骨を外しているあいだに、彼は生姜焼きを半分ほど食べていた。

 小鉢のひじきを一口食べ、これも家で作れるといいなと言う。


「料理、よくするんですか」

「焼くか、炒めるか。煮るのは、待つのが面倒で」

「私、煮てるあいだにほかのことします」

「そうすると忘れません?」

「一回、焦がしました」


 彼が、やっぱり、と頷いた。

 私は、それ以来タイマーを使っていると話した。


 食べている途中で、料理を持ち上げて待つ必要はなかった。

 話が途切れたら、二人とも自分の皿へ目を向ける。

 宗平さんは水を飲みながら、次は丼を作りたいと言った。


「買ったやつだと、ご飯と具を入れるとぎりぎりで」

「また、大きさの話ですね」

「今度は大きく作ります」


 私は最後の骨を皿の端へ寄せた。


 店を出てから、私はまた一緒に食べたいと言った。

 彼も、今度は別の店に行こうと答えた。


     *


 青い器が焼き上がった日は、私は帰宅してから、かぼちゃの煮物を入れた。

 作っていたときより、色が明るく見えた。

 食卓へ置き、スマホで一枚撮った。


 教室では、焼き上がった作品をグループへ送ることがあった。

 私も写真を送り、宗平さんの小さい器はどうなったか聞いた。


 返ってきた写真には、漬物が盛られていた。

 小さい器二つに、同じ漬物が分けて入っている。


『二つ使えば、足りました』


 私は声を出して笑った。

 そのあと、個別に、青い器は内側も同じ色なのかと連絡が来た。

 私は、上から撮った写真も送った。


『かぼちゃ、いいですね。青も、思ってたより明るい』

『こっちにしてよかったです』


 彼からも写真が届いた。

 漬物があふれそうな一枚で、やっぱり大きいほうも必要ですねと返した。


 その日から、教室以外でもメッセージを送るようになった。

 作品のことから始まり、今日食べたものや、仕事で帰りが遅くなった話もした。

 宗平さんは、会社で機械の部品の受注を担当しているという。

 私は、休み明けにメールを開くのが少し怖いと話した。


『月曜の朝、見ないまま昼になってほしいことあります』

『でも、午後にまとめて来たら、もっと嫌ですね』


 そう返すと、それは困る、とすぐに返事が来た。


 次の教室でも一緒に昼を食べた。

 仕事の話をしているときより、食べたいものの話をしているときのほうが、彼の声は少し大きかった。


「郡司さん、家の食器って、自分で作ったものが多いですか」

「まだ少しだけです。うまくできたものを、先にあげちゃってたので」


 言ってから、私は箸を止めた。

 宗平さんは、私の皿から目を上げた。


「これから増やせますね」


 私は頷き、残っていた卵焼きを食べた。


 今、付き合っている人はいるのかと聞いたのは、その帰り道だった。

 彼は、いないと答えた。


「郡司さんと、ご飯行くの楽しいです」


 先に言われて、少し悔しかった。私も楽しかった。


「私も。教室のない日も、会いませんか」


 宗平さんが少し立ち止まった。

 私は、前に先生が話していた陶器の店へ行きたいと伝えた。


「それ、俺も行ってみたいです。次の日曜、空いてます?」


 私は予定を確かめた。

 空いている、と答えると、彼もスマホを出した。

 待ち合わせる場所を二人で決めて、その日は駅で別れた。


     *


 陶器の店には、大きな皿から小さな箸置きまで並んでいた。

 私が薄い緑の皿を見ているあいだ、宗平さんは同じ形の黒い皿を見ていた。


「そっちも、茶色いものを盛ったら分からなくなりません?」

「これは、目玉焼きです」

「なるほど」

「郡司さんは?」

「赤いもの。トマトとか」


 私は皿を置き、隣の棚の小鉢を見た。

 彼もついてきて、模様の入ったものを一つ選ぶ。

 何を入れるのか聞くと、納豆、と即答した。


「全部、食べるもの決まってるんですね」

「使ってるとこ想像しないと、買わないかもしれないです」


 私は、緑の皿をもう一度見に戻った。

 トマトだけでなく、朝のパンを載せてもよさそうだった。


「買おうかな」

「さっき、結構見てましたね」


 私は皿を一枚買った。

 宗平さんは黒い皿を買い、目玉焼きを載せたら見せると約束した。


 近くで昼を食べ、帰りに本屋へ寄った。

 彼は料理の本を見ていて、私は隣で旅行の棚を見た。

 川沿いの街の写真が載ったページを開くと、宗平さんもこちらへ来た。


「そこ、前に行きました。坂が多いですよ」

「歩くの大変?」

「少し。でも、川のところは平らで、店もあります」


 彼が話す場所を、私は地図で探した。

 宗平さんも隣から指を伸ばし、ここ、と教えてくれる。


「行ってみたい」


「一緒に、行きます?」

「うん」


 気づくと、敬語を使わずに答えていた。

 彼も、じゃあ日を決めよう、と言った。


 帰りの電車で、買った皿の袋を膝に置いた。

 乗り換える駅まで、宗平さんも隣に座っていた。

 彼が袋を確かめるので、割れてないか心配なのかと聞く。


「心配。今日は、ここに置いて帰らないようにしないと」

「目玉焼き、なくなっちゃうね」

「そっちのトマトも」


 私は笑い、自分の袋を手で押さえた。

 彼が降りるとき、また連絡するね、と言った。

 私も、待ってると答えた。


     *


 修悟から連絡が来たのは、別れて一か月半ほどたったころだった。

 それまでにも、もう一度会いたいとは言われていた。

 私は、そのたびに断っていた。


『一つだけ、話したいことがある。電話できる?』


 夕飯を食べ終えたあと、私は、今ならと返した。

 すぐに電話が鳴った。


「元気?」

「うん。話って?」


 彼は、しばらく黙った。

 私は食卓の上の皿を、流しへ運んだ。


「二人と、動画やめることになった」


 あの日の友人たちのことだった。


「勝手に撮ったのがだめだったって言われた。二人にも嘘ついたし、公開前に知世に見てもらえばいいと思ってたのも違うって」


「そうだね」

「分かってる。でも、あいつらまで離れると思わなかった」


「次から気をつけるって言ったんだよ。一本うまくいかなかっただけだろって。そしたら、それが分かってないって言われて」

「撮っていいって話も、嘘だったからね」

「もう俺の話だけじゃ、協力できないってさ」


「俺が悪かった。だから、やり直したい」


 彼が言った。

 私は流しの縁へ手を置いた。


「戻らないよ。前にも伝えたでしょう」

「あれくらいで、全部終わりってさ」


 私は答えなかった。謝ったあとでも、あれくらい、と言うのかと思った。


「……いや、今のは、ごめん。悪いと思ってるんだよ」


 蛇口の下に、青い器があった。

 今夜はそこへ、ほうれん草のおひたしを盛った。


「知世からも、二人に説明してくれない?」

「何を?」

「誤解だったって。ちゃんと話したら分かってくれたって言えば、あいつらも」


 私は流しから離れ、椅子へ座った。


「撮らないって約束したでしょう」

「だから、それはもうしない」

「私が嫌だって言ったことを、修悟がやったんだよ。何を誤解したことにするの?」


 電話の向こうが静かになった。


「二人にも、私が了承してるって言った。私が今、何て言えば、それが本当になるの?」

「知世が許してくれたら」

「許したことにもならないよ。私は戻らないし、二人に嘘をつくつもりもない」


 修悟が、私の名前を呼んだ。


「そんなに、俺のこと嫌になった?」


 私は、彼に渡した小鉢を思い出した。

 冷ややっこを盛って、写真を送ってくれた日も。


「好きだったよ。でも、嫌だって言っても撮られるんだって思ったら、もう会えない」


 彼は、もう撮らないと繰り返した。

 私は、同じ約束を前にもしたと答えた。

 復縁のための連絡はもうしないでほしいと伝えて、電話を切った。


 皿を洗い、青い器を食器棚へ戻した。

 棚の中で、少し場所を取っている。

 ほかの器を寄せ、明日も取り出せる位置へ置いた。


     *


 宗平さんと川沿いの街へ行ったのは、その翌週の日曜だった。

 古い橋を渡り、二人で地図を見ながら歩いた。

 彼が前に来たときに寄った店は、通りを一本間違えても、すぐに見つかった。


 昼を食べたあと、坂道を上がった。

 上の広場からは、川と、さっき渡った橋が見えた。

 私は手すりへ近づき、あれ、と橋を指した。

 宗平さんも隣へ来た。


「結構、歩いたね」

「戻るのも、あそこまで」

「帰りは下りだから」


 彼が、持っていた袋を左手へ移した。

 途中の店で、二人とも小さな箸置きを買っていた。

 私は白いものを二つ、彼は青と白を一つずつ。


「今日は、デートのつもりで来たんだけど」


 宗平さんが言った。

 私は川を見ていた目を、彼へ向けた。


「知世さんは?」


 名前で呼ばれ、少し顔が熱くなった。


「私も。そのつもりだった」


 彼は頷き、手すりから一歩離れた。


「一緒に出かけるの、楽しい。教室が終わっても、そのあと会えるかなって考えるようになって」


 私も、いつも彼が帰る方向を見ていた。

 今日はどこか寄るのか、聞きたくて。


「知世さんが好きです。付き合ってください」


 私は、はい、と言おうとした。

 彼が本当にそう言ったのか確かめたくて、顔を見ているうちに、返事が遅れた。


 宗平さんは、私を見ていた。

 何か言いかけたように唇を開いて、それから閉じた。


 風が吹いて、彼の手にある袋がかさっと鳴った。

 あの箸置きを、彼の家でも使うのだろうか。使っているところを見たいし、来週の教室が終わってからも会いたい。

 聞きたいことがいくつも浮かんで、やっと返事が出た。


「私も好きです。付き合いたい」


 言い終えると、彼の肩が少し下がった。


「よかった」


 宗平さんの顔を見て、私もやっと笑えた。


「返事、遅くなってごめん。嬉しかったんだけど」

「分からなかった。ずっと見てるから」

「変な顔してた?」

「真剣な顔」


 私は彼の袖を軽く引いた。


「ちゃんと、好きです」

「うん。俺も」


 広場を出るとき、彼が空いている手を伸ばした。

 私は袋を持ち替え、その手を取った。

 下り坂では少しゆっくり歩き、橋の前で、次は川の向こう側も歩きたいと話した。


     *


 それからも、土曜日には教室へ通った。

 宗平さんの大きい器が焼き上がった日は、二人で小さいほうと見比べた。


「今度は、足りそう」

「二つ使わなくて済むね」


 私のパン用の皿もできた。

 家でパンを載せてみると、端までちゃんと収まった。

 彼へ写真を送ると、よかった、と返事が来た。


 ある日、二人で陶器の店へ行った帰り、知世さんの青い器を実際に見たいと、宗平さんが言った。

 私は、その次の休日、彼を家へ招いた。


 持ってきた惣菜を二人で器へ分けた。

 青い器には黄色い卵焼き、彼が持ってきた小さな器には漬物。

 宗平さんは漬物を盛ってから、足りなくなったら足すと笑った。


 私もご飯をよそい、向かいへ座った。

 箸置きは、川沿いの街で買った白いものを使った。


「この器、あげなくてよかったかも」


 私が言うと、彼は青い器を見た。


「気に入ってる?」

「うん。最近、よく使ってる」


 宗平さんは卵焼きを取り、おいしいと言った。

 私は同じ器へ箸を伸ばした。

 食べ終わったら、次に作るものの絵を見せようと思った。


 彼が漬物をもう少し足していいかと聞いたので、小鉢を手渡した。

 戻ってきた器には、さっきより多く盛られていた。


「結局、いっぱいだね」

「このくらいがいい」


「次は、最初から大きいほう持ってきて」

「うん。丼も、できたら」

「それはご飯用にしようね」


 私は笑って、彼の前の器から漬物を一つ取った。味が濃くて、もう一口ご飯が欲しくなった。


~完~


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。