「別れよう」は動画の企画だったそうですが、私の返事は本気です
「別れよう」
修悟は、ローテーブルの向こうで言った。
私は膝に置いていたバッグへ目を落とした。
今日、話そうと思っていたことがあった。
でも、彼のほうは、もう決めていたらしい。
「……分かった。私も、もう続けられないと思ってた」
答えると、彼が黙った。
自分から言ったのに、驚いたような顔をしている。
「今までありがとう。置いてあるもの、持って帰っていい?」
「ちょっと待って」
私が立ち上がると、修悟も腰を浮かせた。
「何?」
「今の、ドッキリだから」
言われた意味が分からず、私は彼を見た。
修悟は笑って、棚の上を指した。
「撮ってるんだよ。本当に別れる話じゃないって」
小さな置物の横に、スマホがあった。
こちらへ向いているのは、画面ではなくカメラのほうだった。
隣の部屋のドアが開いた。
修悟と一緒に動画を作っている友人が二人、出てきた。
「ドッキリでしたー……って、え?」
一人が、立ったままの私を見た。
私は修悟へ顔を戻した。
「私、動画には出ないって言ったよね」
彼は笑うのをやめた。
「いや、顔は隠すつもりだったし」
「顔を隠しても、声だけでも嫌だって言った」
友人の一人が、修悟を見た。
「待って。それ、知らないんだけど」
「あとで説明するから」
「撮影していいって話してあるって言っただろ」
私はその人へ顔を向けた。
彼は、修悟から聞いたことを話した。
私がドッキリ動画の撮影そのものは了承していて、どんな企画をやるかだけ知らされていない。そういう説明だったという。
二人は、種明かしで出てくる役を頼まれ、別室で待っていた。
「了承してません。撮らないって約束してました」
私が言うと、修悟は目をそらした。
「そうだけど、こういうの、最後は笑って終わるじゃん」
「私は、何も知らなかった」
「びっくりさせる企画だから」
私は棚のスマホを見た。
「止めて。撮ったものも消して」
修悟は動かなかった。
友人が棚へ近づき、スマホの画面を確かめた。
「まだ撮ってるぞ。止めろよ」
修悟がスマホを取った。
録画を止めたあと、こちらへ画面を見せる。
保存された動画の最初に、部屋へ入ってきた私がいた。
「どこかに送った?」
「まだだよ。今撮ったばっかりなんだから」
撮影したのはそのスマホ一台で、友人たちにも送っていないという。
私が見ている前で動画を削除し、削除済みの項目からも消した。
友人も画面を確認した。
「もう帰ります」
私が言うと、修悟が困ったように顔をしかめた。
「怒ってるのは分かるけど、落ち着いてから話そう」
「私、話しに来たんだよ」
彼がこちらを見る。
「今日、ちゃんと話したいって送ったよね。二人で会うときは、動画のことをやめてほしいって」
「動画ばっかり撮るなって言われたから、じゃあ別れようって俺が言ったら、どう反応するか撮ろうと思って」
言い終えてから、修悟の口が止まった。
私はバッグの持ち手を握った。
「私が話したいって言ったことも、企画にしたんだ」
友人たちは、何も言わなかった。
修悟だけが、違うって、と言った。
「別れようって言ったのは、嘘だから」
「私の返事は、本気だよ」
*
洗面所に置いていた歯ブラシと、泊まるときの服をバッグへ入れた。
修悟は後ろへついてきたが、何を言うのか迷っているようだった。
桐谷修悟、二十七歳。
二年前、友人同士の食事会で知り合った。
初めて二人で出かけた日は、予定していた店が休みだった。
私がスマホで別の店を探していると、修悟は向かいの店の看板を読んだ。
「こっち、昼から焼き鳥ある」
「お昼に?」
「いいじゃん。ご飯もあるし」
入ってみると、鶏の丼がおいしかった。
帰るころには、休みだった店のことを二人とも忘れていた。
私は郡司知世、二十六歳の会社員だ。
初対面の人が多い場所では、少し口数が減る。
修悟となら、黙っていても、思いついたことを話しても、楽だった。
陶芸教室へ通い始めたのは、付き合うより前だった。
最初に焼き上がった小鉢は、縁が少しゆがんでいた。
修悟に見せると、彼は両手で受け取った。
「これ、俺が使っていい?」
「ゆがんでるよ」
「でも、ちゃんと入るだろ。何食べようかな」
嬉しくて、その小鉢をあげた。
しばらくして、彼から冷ややっこを盛った写真が届いた。
修悟が友人二人と動画を投稿し始めたのは、半年前だった。
最初は三人で料理を作ったり、食べたものの感想を言ったりしていた。
彼が楽しそうに話すので、私も投稿されたものを見ていた。
私にも出てほしいと言われたときは、断った。
知らない人に顔や声を見聞きされるのは嫌だった。
「分かった。じゃあ、俺たちだけでやる」
そのとき、彼はすぐに頷いた。
少しずつ変わったのは、二人でいる時間だった。
店で食べたものを撮るあいだ、私は食べずに待つ。
撮り直すと言われ、冷めた料理をもう一度持ち上げる。
私が飲み物をこぼした日は、修悟が布巾より先にスマホを取った。
撮らないでと言うと、まだ撮ってないよと返ってきた。
あのときも、私が怒りすぎたような顔をした。
陶芸教室の日に、動画の準備を手伝ってほしいと言われたこともある。
「その日、教室だから」
「一回くらい休めない? こっちは三人の予定、合わせてるんだよ」
私は休まなかった。
帰りに彼へ連絡すると、短い返事だけが来た。
先月、二人で出かける日は撮影を優先しないでほしいと伝えた。
分かったと言われた次の外出でも、彼は先にカメラを出した。
もう一度話して、変わらなければ別れよう。
今日、部屋へ来る前から、そう考えていた。
「何ならよかったの?」
バッグの口を閉めた私へ、修悟が言った。
「何ならって?」
「顔出さないし、公開する前には見てもらうつもりだった。なのに、全部だめって言われたら」
「撮らないでほしかった。それだけだよ」
玄関へ歩いた。
友人たちはリビングに残っていて、一人が私に頭を下げた。
「知らなかったとはいえ、すみませんでした」
「あなたたちに、修悟がどう話したかは分かりました」
私は靴を履いた。
修悟が、上がり框のところで止まる。
「器は?」
私は顔を上げた。
食器棚に、初めて作った小鉢がある。
「それはあげたものだから。そのままでいい」
「次に作ってるやつ、俺のだろ」
私はドアに手をかけた。
「もう、渡さない」
外へ出て、駅へ向かった。バッグから服の袖がはみ出していたので、押し込んだ。
帰ったら洗濯しようと思ったのに、家に着くと、玄関に置いたバッグをそのままにしてしまった。翌朝、服を出すときに歯ブラシのケースも出てきた。
*
翌週の土曜日、私は陶芸教室へ行った。
修悟から、謝りたい、会いたい、とメッセージは来ていた。
私は、会ってやり直すつもりはないと返した。
教室には、会社員も、子どもが独立した人もいた。
先生が準備してくれた道具を使い、同じ大きな作業台で、それぞれ違うものを作る。
私の器は、形を作り終えていた。
もう乾かして焼いてもらい、今日は色をつける。
先生の説明を聞いてから、棚に並んだ色の見本を見た。
「今日は、それの続きですか」
隣で道具を広げていた芦沢宗平さんが聞いた。
二十七歳の会社員で、同じ曜日の教室に来ている。
半年ほど前から顔を合わせているが、話すのは主に作品のことだった。
「はい。やっと、ここまで」
「前に、誰かにあげるって言ってませんでした?」
私は器を作業台へ置いた。
「そのつもりだったけど、自分で使います」
「あ、そうなんですね」
「彼氏と、別れたので」
宗平さんの手が止まった。
見本の白と青を、何度も見比べた。修悟の話をすると、ここでもまた腹が立ちそうだった。
「じゃあ、色も変えます?」
少しして、彼が聞いた。
「迷ってます。白にしようと思ってたんですけど、こっちもいいなって」
私が指したのは、明るい青の見本だった。
宗平さんは、両方を見てから頷いた。
「青、俺の皿よりご飯がおいしそうに見えそう」
「宗平さんの、どんな色でしたっけ」
「茶色。いいと思ったんだけど、焼いたなすを盛ったら、なすも茶色で」
私は、見本の前で笑ってしまった。
彼は自分のスマホを出した。
「これ」
茶色い皿に、茶色いなすが載っていた。
「でも、おいしそうです」
「味はよかったです。次は、緑のものを入れます」
私は青を選んだ。
彼も自分の作業へ戻り、先生へ器の持ち方を確かめていた。
手を洗い、道具を片づけてから、私は宗平さんの器を見た。
小さな器が二つ、並んでいる。
「それ、何を入れるんですか」
「漬物。でも、ちょっと小さくしたかもしれない」
「少しずつ盛るなら」
「俺、結構食べるんです」
彼は器を横から見て、もう少し大きいものも作ろうと言った。
私は、焼き上がったら見せてくださいと答えた。
*
次の教室では、宗平さんがもう一回り大きい器を作っていた。
私は新しい皿の形を考えていて、紙に丸を描いていた。
「何センチくらいにするんですか」
彼が手を止めて聞いた。
「このくらい。パンを載せたいので」
「俺のと同じことにならないように」
「食パンは、さすがに入ると思います」
「端が出ると、ちょっと悲しいですよ」
私は紙の丸を少し大きくした。
彼は笑ってから、自分の器を見直していた。
終わったあと、二人で教室を出た。
昼を過ぎていて、宗平さんが、お腹すいたな、と小さく言った。
「私も。いつも、このあとどこか寄ります?」
「駅のほうで。今日は、定食にしようと思ってます」
「一緒に行ってもいいですか」
彼が私を見た。
「もちろん。あの店、知ってます?」
名前を聞くと、何度も前を通っていた店だった。
入ったことはないと答え、二人で向かった。
私は魚の定食を頼んだ。
宗平さんは、迷わず生姜焼きを選んだ。
ご飯の量を聞かれると、大盛りで、と答える。
「本当に、結構食べるんですね」
「漬物だけじゃないです」
私は笑い、箸の袋を開いた。
料理が来るまで、先生が見せてくれた作品の話をした。
私は色が気になっていたが、宗平さんは、底の形をもう少し見たかったという。
「あんなに大きくて、ちゃんと置けるのがいいなと思って」
「家に持って帰ったら、置くところあります?」
「ないです。まず棚がいる」
店員が定食を運んできた。
宗平さんのご飯は、私のものよりずっと多かった。
私が魚の骨を外しているあいだに、彼は生姜焼きを半分ほど食べていた。
小鉢のひじきを一口食べ、これも家で作れるといいなと言う。
「料理、よくするんですか」
「焼くか、炒めるか。煮るのは、待つのが面倒で」
「私、煮てるあいだにほかのことします」
「そうすると忘れません?」
「一回、焦がしました」
彼が、やっぱり、と頷いた。
私は、それ以来タイマーを使っていると話した。
食べている途中で、料理を持ち上げて待つ必要はなかった。
話が途切れたら、二人とも自分の皿へ目を向ける。
宗平さんは水を飲みながら、次は丼を作りたいと言った。
「買ったやつだと、ご飯と具を入れるとぎりぎりで」
「また、大きさの話ですね」
「今度は大きく作ります」
私は最後の骨を皿の端へ寄せた。
店を出てから、私はまた一緒に食べたいと言った。
彼も、今度は別の店に行こうと答えた。
*
青い器が焼き上がった日は、私は帰宅してから、かぼちゃの煮物を入れた。
作っていたときより、色が明るく見えた。
食卓へ置き、スマホで一枚撮った。
教室では、焼き上がった作品をグループへ送ることがあった。
私も写真を送り、宗平さんの小さい器はどうなったか聞いた。
返ってきた写真には、漬物が盛られていた。
小さい器二つに、同じ漬物が分けて入っている。
『二つ使えば、足りました』
私は声を出して笑った。
そのあと、個別に、青い器は内側も同じ色なのかと連絡が来た。
私は、上から撮った写真も送った。
『かぼちゃ、いいですね。青も、思ってたより明るい』
『こっちにしてよかったです』
彼からも写真が届いた。
漬物があふれそうな一枚で、やっぱり大きいほうも必要ですねと返した。
その日から、教室以外でもメッセージを送るようになった。
作品のことから始まり、今日食べたものや、仕事で帰りが遅くなった話もした。
宗平さんは、会社で機械の部品の受注を担当しているという。
私は、休み明けにメールを開くのが少し怖いと話した。
『月曜の朝、見ないまま昼になってほしいことあります』
『でも、午後にまとめて来たら、もっと嫌ですね』
そう返すと、それは困る、とすぐに返事が来た。
次の教室でも一緒に昼を食べた。
仕事の話をしているときより、食べたいものの話をしているときのほうが、彼の声は少し大きかった。
「郡司さん、家の食器って、自分で作ったものが多いですか」
「まだ少しだけです。うまくできたものを、先にあげちゃってたので」
言ってから、私は箸を止めた。
宗平さんは、私の皿から目を上げた。
「これから増やせますね」
私は頷き、残っていた卵焼きを食べた。
今、付き合っている人はいるのかと聞いたのは、その帰り道だった。
彼は、いないと答えた。
「郡司さんと、ご飯行くの楽しいです」
先に言われて、少し悔しかった。私も楽しかった。
「私も。教室のない日も、会いませんか」
宗平さんが少し立ち止まった。
私は、前に先生が話していた陶器の店へ行きたいと伝えた。
「それ、俺も行ってみたいです。次の日曜、空いてます?」
私は予定を確かめた。
空いている、と答えると、彼もスマホを出した。
待ち合わせる場所を二人で決めて、その日は駅で別れた。
*
陶器の店には、大きな皿から小さな箸置きまで並んでいた。
私が薄い緑の皿を見ているあいだ、宗平さんは同じ形の黒い皿を見ていた。
「そっちも、茶色いものを盛ったら分からなくなりません?」
「これは、目玉焼きです」
「なるほど」
「郡司さんは?」
「赤いもの。トマトとか」
私は皿を置き、隣の棚の小鉢を見た。
彼もついてきて、模様の入ったものを一つ選ぶ。
何を入れるのか聞くと、納豆、と即答した。
「全部、食べるもの決まってるんですね」
「使ってるとこ想像しないと、買わないかもしれないです」
私は、緑の皿をもう一度見に戻った。
トマトだけでなく、朝のパンを載せてもよさそうだった。
「買おうかな」
「さっき、結構見てましたね」
私は皿を一枚買った。
宗平さんは黒い皿を買い、目玉焼きを載せたら見せると約束した。
近くで昼を食べ、帰りに本屋へ寄った。
彼は料理の本を見ていて、私は隣で旅行の棚を見た。
川沿いの街の写真が載ったページを開くと、宗平さんもこちらへ来た。
「そこ、前に行きました。坂が多いですよ」
「歩くの大変?」
「少し。でも、川のところは平らで、店もあります」
彼が話す場所を、私は地図で探した。
宗平さんも隣から指を伸ばし、ここ、と教えてくれる。
「行ってみたい」
「一緒に、行きます?」
「うん」
気づくと、敬語を使わずに答えていた。
彼も、じゃあ日を決めよう、と言った。
帰りの電車で、買った皿の袋を膝に置いた。
乗り換える駅まで、宗平さんも隣に座っていた。
彼が袋を確かめるので、割れてないか心配なのかと聞く。
「心配。今日は、ここに置いて帰らないようにしないと」
「目玉焼き、なくなっちゃうね」
「そっちのトマトも」
私は笑い、自分の袋を手で押さえた。
彼が降りるとき、また連絡するね、と言った。
私も、待ってると答えた。
*
修悟から連絡が来たのは、別れて一か月半ほどたったころだった。
それまでにも、もう一度会いたいとは言われていた。
私は、そのたびに断っていた。
『一つだけ、話したいことがある。電話できる?』
夕飯を食べ終えたあと、私は、今ならと返した。
すぐに電話が鳴った。
「元気?」
「うん。話って?」
彼は、しばらく黙った。
私は食卓の上の皿を、流しへ運んだ。
「二人と、動画やめることになった」
あの日の友人たちのことだった。
「勝手に撮ったのがだめだったって言われた。二人にも嘘ついたし、公開前に知世に見てもらえばいいと思ってたのも違うって」
「そうだね」
「分かってる。でも、あいつらまで離れると思わなかった」
「次から気をつけるって言ったんだよ。一本うまくいかなかっただけだろって。そしたら、それが分かってないって言われて」
「撮っていいって話も、嘘だったからね」
「もう俺の話だけじゃ、協力できないってさ」
「俺が悪かった。だから、やり直したい」
彼が言った。
私は流しの縁へ手を置いた。
「戻らないよ。前にも伝えたでしょう」
「あれくらいで、全部終わりってさ」
私は答えなかった。謝ったあとでも、あれくらい、と言うのかと思った。
「……いや、今のは、ごめん。悪いと思ってるんだよ」
蛇口の下に、青い器があった。
今夜はそこへ、ほうれん草のおひたしを盛った。
「知世からも、二人に説明してくれない?」
「何を?」
「誤解だったって。ちゃんと話したら分かってくれたって言えば、あいつらも」
私は流しから離れ、椅子へ座った。
「撮らないって約束したでしょう」
「だから、それはもうしない」
「私が嫌だって言ったことを、修悟がやったんだよ。何を誤解したことにするの?」
電話の向こうが静かになった。
「二人にも、私が了承してるって言った。私が今、何て言えば、それが本当になるの?」
「知世が許してくれたら」
「許したことにもならないよ。私は戻らないし、二人に嘘をつくつもりもない」
修悟が、私の名前を呼んだ。
「そんなに、俺のこと嫌になった?」
私は、彼に渡した小鉢を思い出した。
冷ややっこを盛って、写真を送ってくれた日も。
「好きだったよ。でも、嫌だって言っても撮られるんだって思ったら、もう会えない」
彼は、もう撮らないと繰り返した。
私は、同じ約束を前にもしたと答えた。
復縁のための連絡はもうしないでほしいと伝えて、電話を切った。
皿を洗い、青い器を食器棚へ戻した。
棚の中で、少し場所を取っている。
ほかの器を寄せ、明日も取り出せる位置へ置いた。
*
宗平さんと川沿いの街へ行ったのは、その翌週の日曜だった。
古い橋を渡り、二人で地図を見ながら歩いた。
彼が前に来たときに寄った店は、通りを一本間違えても、すぐに見つかった。
昼を食べたあと、坂道を上がった。
上の広場からは、川と、さっき渡った橋が見えた。
私は手すりへ近づき、あれ、と橋を指した。
宗平さんも隣へ来た。
「結構、歩いたね」
「戻るのも、あそこまで」
「帰りは下りだから」
彼が、持っていた袋を左手へ移した。
途中の店で、二人とも小さな箸置きを買っていた。
私は白いものを二つ、彼は青と白を一つずつ。
「今日は、デートのつもりで来たんだけど」
宗平さんが言った。
私は川を見ていた目を、彼へ向けた。
「知世さんは?」
名前で呼ばれ、少し顔が熱くなった。
「私も。そのつもりだった」
彼は頷き、手すりから一歩離れた。
「一緒に出かけるの、楽しい。教室が終わっても、そのあと会えるかなって考えるようになって」
私も、いつも彼が帰る方向を見ていた。
今日はどこか寄るのか、聞きたくて。
「知世さんが好きです。付き合ってください」
私は、はい、と言おうとした。
彼が本当にそう言ったのか確かめたくて、顔を見ているうちに、返事が遅れた。
宗平さんは、私を見ていた。
何か言いかけたように唇を開いて、それから閉じた。
風が吹いて、彼の手にある袋がかさっと鳴った。
あの箸置きを、彼の家でも使うのだろうか。使っているところを見たいし、来週の教室が終わってからも会いたい。
聞きたいことがいくつも浮かんで、やっと返事が出た。
「私も好きです。付き合いたい」
言い終えると、彼の肩が少し下がった。
「よかった」
宗平さんの顔を見て、私もやっと笑えた。
「返事、遅くなってごめん。嬉しかったんだけど」
「分からなかった。ずっと見てるから」
「変な顔してた?」
「真剣な顔」
私は彼の袖を軽く引いた。
「ちゃんと、好きです」
「うん。俺も」
広場を出るとき、彼が空いている手を伸ばした。
私は袋を持ち替え、その手を取った。
下り坂では少しゆっくり歩き、橋の前で、次は川の向こう側も歩きたいと話した。
*
それからも、土曜日には教室へ通った。
宗平さんの大きい器が焼き上がった日は、二人で小さいほうと見比べた。
「今度は、足りそう」
「二つ使わなくて済むね」
私のパン用の皿もできた。
家でパンを載せてみると、端までちゃんと収まった。
彼へ写真を送ると、よかった、と返事が来た。
ある日、二人で陶器の店へ行った帰り、知世さんの青い器を実際に見たいと、宗平さんが言った。
私は、その次の休日、彼を家へ招いた。
持ってきた惣菜を二人で器へ分けた。
青い器には黄色い卵焼き、彼が持ってきた小さな器には漬物。
宗平さんは漬物を盛ってから、足りなくなったら足すと笑った。
私もご飯をよそい、向かいへ座った。
箸置きは、川沿いの街で買った白いものを使った。
「この器、あげなくてよかったかも」
私が言うと、彼は青い器を見た。
「気に入ってる?」
「うん。最近、よく使ってる」
宗平さんは卵焼きを取り、おいしいと言った。
私は同じ器へ箸を伸ばした。
食べ終わったら、次に作るものの絵を見せようと思った。
彼が漬物をもう少し足していいかと聞いたので、小鉢を手渡した。
戻ってきた器には、さっきより多く盛られていた。
「結局、いっぱいだね」
「このくらいがいい」
「次は、最初から大きいほう持ってきて」
「うん。丼も、できたら」
「それはご飯用にしようね」
私は笑って、彼の前の器から漬物を一つ取った。味が濃くて、もう一口ご飯が欲しくなった。
~完~




