表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/80

第80話 最強無敵の“孤高の悪魔”も──

 ジークは静かにフィオナの前へ歩み寄ると、深く、丁寧に──まるで騎士のように、優雅な礼を取った。


 差し出された手は、夜の光を湛えるように落ち着いていて、けれどどこか、不器用な温かみがあった。


 フィオナは胸の奥がふっと熱くなるのを感じながら、スカートの裾をつまみ、小さく礼を返し、その手に触れる。


 二人の指が触れ合った瞬間、まるで合図されたかのように音楽がひときわ鮮やかに鳴り響いた。


 ──二人の息が合う。


 ジークが軽くリードをかけると、フィオナの身体は自然にそれへ吸い寄せられ、ふたりは滑るように舞い始めた。

 まるで昔から一緒に踊ってきたかのように、足の運びも、呼吸の速度も、視線の交わりさえもぴたりと重なる。


 一歩、また一歩と踏むたびに、周囲の視線が吸い寄せられた。

 人々は次々とダンスの輪を作り、二人を中心に花が咲くように広がっていく。


「……ジーク様、ダンスがお出来になるなんて。てっきり興味のないものかと」


 フィオナが囁くと、ジークは当然のような顔で答えた。


「風の魔法だ。音楽とダンスの型を音の振動と運動パターンへ分解し、手足の動きを最適化するよう再構築した魔法術式でな。こちらは身を任せているだけで、どんな曲にも──」


 フィオナは思わず、くすっと笑った。


「分かりましたから。今はダンスに集中してください」


「む……」


 軽く窘められ、ジークはわずかに言葉を止める。

 けれどその沈黙が、ふたりの距離をさらに親密にした。


 二人はゆっくりと、時に流れるようにターンを決め、煌めくシャンデリアの下を滑るように舞い続ける。


 それはまるで、フィオナがいつか見た絵本の一幕に迷い込んだようで。

 夢のような時間はあっという間に過ぎていった。



 やがて──音楽が静まると、


「……先に帰る」


 ジークはそれだけを告げ、踵を返した。

 残響のように魔力の残り香を残しながら、静かに会場を後にする。


 呆然と見送る暇もなく、残されたフィオナを、先ほどとは比べ物にならないほどの人の渦が包み込んだ。


 だが、その空気はまるで違う。

 彼女が獣人である事など、もはやどうでもいい。いや、もしや、獣人である事こそが重要なのか?


 “孤高の悪魔”に選ばれた少女。

 かの人が自ら手を差し伸べ、共に踊った相手。

 その意味を、社交の場にいる誰もが理解している。


 誰もが慎重に言葉を選び、ひと言でもいい、彼女と縁を結ぼうと熱を帯びて距離を詰めてくる。


(こ、これは……さっきの方が、まだ話しやすかったです)


 苦笑いしか出てこない。


 人混みの中、フィオナはどうにかセシリアの元まで辿り着くと、そっとその手を取った。

 彼女は驚いたように瞬きをし、それからすぐに笑みを浮かべて頷く。


 ふたりは人の波から逃げるように抜け出し、夜風の吹くバルコニーへ向かう。


 夜の王宮を包む星々の下で、喧騒から離れ、フィオナはようやく深く息を吐いた。


「改めて……今日は、本当にありがとうございました。セシリア様のおかげで、素敵な思い出ができました」


「いいえ。わたくしの方こそ……フィオナさんに出会えて幸運でした」


 フィオナは少し恥ずかしそうに笑いながら言った。


「今度、本当に遊びに来てくださいね。僭越ながら、お菓子を作りますので」


「えぇ、ぜひ。わたくしも、とっておきの茶葉をお持ちしますね」


 笑いながら交わされる約束は、国のしがらみも、身分の差も越えた、ふたりだけの温かな灯のようだった。


 広大な王宮の上、星々は静かに瞬きながら、新しい友情を祝福するかのように輝いていた。



 ◇ ◇ ◇



 ──ジーク邸、裏庭。


 深い夜の静寂を切り裂くように、魔法陣が淡い光を宿した。

 風が逆巻き、時空がわずかに歪む。

 次の瞬間、ひび割れた光の中から、ジークがゆっくりと降り立つ。


 肩で軽く息を吐くと、彼を覆っていた光は薄い殻が砕けるように散り、美しく結われていた髪は解け、身体を包んでいた完璧なタキシードは、霧のように消えてゆく。


 玄関に向かう頃には、いつものだらしないシャツ姿に戻っていた。


 ──


 屋敷の灯りはすでに落ちている。

 深夜の気配が濃い廊下を抜け、リビングの扉を押すと──


「おや、ジーク様。こんな夜更けに……散歩でも?」


 ルスが、柔らかく笑みを浮かべて待っていた。


 わかっていて言っている、完全に“わざと”の口調だ。


「……あぁ、そうだ。散歩だ」


 ジークは短く返し、ソファーにどさりと座る。

 肩を落とす姿は、どこか気まずさのにじむ逃げ腰。


「転送魔法は危険なのでお控えください、と何度申し上げたか」


「……うるさい」


 ジークは視線を逸らし、髪を無造作にかき上げた。


 ルスは追及するでもなく、静かに温かいコーヒーを差し出す。

 いつも通りの仕草。


「フィオナさんは、ご無事でしたか?」


「あぁ」


 短く答えてコーヒーに口をつけるジーク。

 湯気が静かに揺れ、沈黙が落ちる。


「それはよかった。……お疲れ様でした」


 ルスは深く頭を下げ、その場を離れようと背を向けた──そのとき。


 カチリ、とカップを置く小さな音が響く。


「全くもって……問題というわけでは、ないのだが」


 普段の彼からは考えられない、歯切れの悪い声。


 ルスは、不思議に思い振り返る。


「……はい?」


 ジークは珍しく、言葉を探していた。


 沈黙のあと、ぽつりと。


「フィオナに……思い人ができたそうだ」


 暗い声。


「…………」


 ルスは硬直した。

 いや、硬直するしかなかった。


(この方は……いったい? 何を、どう勘違いして……)


 フィオナの思い人が誰かなど、今更言うまでもない。けれど、この様子ではそれを理解していないようだ。


「さ、さようですか……」


 とりあえず口を動かして返すしかない。


 ジークはうつむき、コーヒーに視線を落としたまま続ける。


「それはあいつの自由だ。……別に構わん。構わないのだが……」


 それ以上言わず、カップを置く音だけが響いた。


 そして立ち上がる。


「寝る」


 いつも通りの、そっけない背中。

 だが、その歩みにはどこか影が差している。


『相手さえ分かれば、いっそ呪い殺して……いや、それではフィオナが……』


 ルスはその背中が廊下の向こうに消えていくまで見送り──ふぅ、と長く息を吐いた。


 空になったカップを手に取りながら、ぽつりと一言。


「……いやはや。最強無敵の“孤高の悪魔”も、乙女心は解せませんか」


 まるで孫を見る祖父のような、優しい呆れ笑いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ