第79話 私の、大切なお友達です
フィオナとジークが静かに寄り添った、その温かな空気とは裏腹に──会場の方は凍りついたように静まり返っていた。
誰も息を吸うことすら忘れ、ただ唖然と立ち尽くしている。
その男の恐怖を知る者は震え、知らぬ者でさえ本能が危険を告げている。
そのとき──
「こ、これは……ヴァ、ヴァルト侯!! な、なにゆえ、このような“小宴”に……!?」
第二王女カトリーナが、高座から転がり落ちるように走ってきた。
あわてて駆け出した拍子にヒールを挫き、苦痛に顔を歪めるも、裸足のままフィオナとジークへ駆け寄ってくる。
それを見てジークは、うっすらと眉を動かしただけ。
「うちにも毎年のように招待状を送りつけてきていただろう。……あれは悪戯だったのか?」
「い、いえ! と、とんでもございません! 本日は……よ、ようこそ……!」
ジークが一言発するたびに、カトリーナの顔から血の気が引いていく。
本当に、紙のように、みるみる白くなっていく。
「それより──」
ジークは一拍だけ置き、会場全体を静かに見渡した。
「……先程、ローゼンベルク領と付き合いを考えると言っていたな。具体的に──話を聞きたいのだが」
もし、関税でもかけられればワインの輸出にも影響が出る。そうなれば卸値も考えなければならない……。ジークにとってはそういった類の話だった。が。
静かで、抑揚すらないその声に、会場の空気が悲鳴を上げる。
ヴァルト領の同盟地に、宣戦布告したのだ。
孤高の悪魔の、その目の前で。
国が──滅ぶ。
騒ぎを聞きつけ駆けつけた大臣たちは、文字通り転げるように右往左往している。
何人かが慌てて国王を呼びに走った。
「め、めめめ……滅相もございませんっ! ご、ご誤解です! 私は、別に何も……」
カトリーナは必死に笑顔を捻り出し、縋るようにジークに近づく。
「そ、そうです! そちらにおいでの……あのお嬢様に、本日は助けていただきまして! ええ、ええ! 後日、お礼に伺おうと……ローゼンベルク領と“友好”を深めたいという話でして!!」
必死。
醜悪なほどに必死だった。
「ほう。そうなのか」
ジークが淡々と返すと、カトリーナの顔は引きつりながらも輝いた。
「え、ええ! もちろんですわ! その折には、ぜひヴァルト領ともお近づきに……一度、ご挨拶に──」
「要らん」
ジークの一言で、カトリーナの言葉は寸断された。
静かだった。
その“静かさ”が会場全体を締め付ける。
誰も、物音ひとつ立てられない。
空気が重い。
震えるほど重い。
その沈黙の中──
フィオナが、はっとした顔で駆け出した。
人々の間をすり抜け、ひとりの少女の手を掴んでジークの前へと連れてくる。
「あ、あの! ジーク様!」
連れられた少女──セシリアは、驚いてフィオナを見たあと、すぐにジークに向かって深々と跪いた。
「セシリア様! やめてください!」
フィオナが慌てて彼女を立たせる。
「ジーク様……この方はセシリア様です。本日、色々と良くしてくださって──その……私の、大切なお友達です!」
「──!」
セシリアが驚いてフィオナを見る。
誰かに“友達だ”と言われたのは、もしかしたら長い間なかったかもしれない。
ジークはわずかに目を細めた。
「……そうか。それは世話になったな」
短く返すその声が、会場に硬く響く。
「第五王女、セシリアと申します。ヴァルト侯にお目通りでき──光栄の極みでございます」
深い礼。
すると、フィオナが勢いよく言った。
「ジーク様! あの……セシリア様を、今度お屋敷にご招待したいのですが……!」
満面の笑顔。
緊張と嬉しさと誇らしさが入り混じった、フィオナらしい笑み。
だが。ジークは目を逸らして、
「要らん」
冷たく言い放った。
フィオナの笑顔が、びくりと凍る。
セシリアも、小さく息を呑み、もう一度深く頭を下げて、その場を去ろうとした。
しかし──
「フィオナの友人なら、招待も、俺の許可も要らん」
笑みは……ない。
けれど、その声は驚くほど柔らかかった。
「いつでも遊びに来い。歓迎するぞ」
セシリアの瞳に、光が宿る。
「ありがとうございます……!」
彼女が深く礼をすると、第五王女派の貴族たちが一斉に色めき立った。
国王ですら、面会を懇願しても数年に一度も会ってくれない“孤高の悪魔”に──いつでも遊びに来いと言わしめたのだ。
それは王族の序列を、一瞬でひっくり返すほどの出来事だった。
ざわめきが熱へと変わる。
会場に、再び灯りが戻っていく。
ジークが周囲を見渡し、静かに言った。
「で、どうした? 宴は夜通し行われるのだろう」
その一言で、楽団が慌てて音楽を奏で始めた。
光が弾け、再び宴が回り始める。




