第77話 こんな煌びやかな場所は、私には似合わなかった
貴族たちの名残惜しげな視線を背に受けながら、フィオナはようやく会場の出口に向かう。
あと少しで外だ──そう胸を撫で下ろしかけた、その瞬間。
「お待ちを、フィオナ譲!」
朗々と響く声とともに、ひとりの青年がフィオナの前に躍り出た。
胸を張り、やたらと装飾の多いタキシードを揺らして──ルッツが仁王立ちしていた。
「本日、最初にフィオナ譲へお声を掛けたのはこの私、ルッツ! エスコートの栄誉をお約束したではありませんか! せめて一曲、踊っていただきたい!」
「え、あの……そんなお約束した覚えは」
フィオナは慌てて視線を逸らす。
だがルッツは、その反応すら“照れている”と勘違いしたらしく、さらに一歩迫ってきた。
「遠慮なさることはありません! そのために他の誘いを断ってくださったのでしょう?
なんと健気なお方! さぁ、この私のリードならフィオナ嬢を姫君のように美しく──」
「ルッツ様、お止めください。フィオナさんはお疲れです」
セシリアが静かに声を掛ける。
しかし空気を読めないルッツの耳には届かない。
「いえ、心配には及びません。ダンスには慣れておりますゆえ、私に身を委ねて頂ければ……」
「そういう話ではなく……!」
セシリアの声音にわずかに鋭さが混じる。
だが、それでもルッツは止まらない。
すると、ルッツに感化されたのか、他を出し抜きたい貴族たちがまたぞろ集まってきた。
「待て、貴様だけに良いところはやれん!」
「声を掛けた順番など関係ないだろう!」
その様子に他の貴族たちも触発されたのか、出し抜きたい数名がぞろぞろと集まり始めた。
「待て、貴様だけに良いところはやれん!」
「声を掛けた順番など関係ないだろう!」
口々に主張が飛び交い、出口前は再び混乱の渦と化す。
そして──
ゴーン……と、深い鐘の音が天井を震わせた。
零時の鐘が響いた瞬間、フィオナの体をふわりと光が包む。
(っ……!)
光がガラスのようにひび割れ、音もなく解けていく。
男たちの言い合いの中心で、フィオナの小麦色の髪の隙間から獣耳が現れ、ドレスの裾からフカフカの尻尾がふわりと姿を現した。
「…………え?」
ルッツが硬直する。
周囲の貴族たちも、まるで時間が止まったように口を覆った。
一瞬の静寂──
それを破るかのように、誰かが声を上げた。
「じ、獣人だと!?」
ざわめきが一気に広がる。
「あれは……“幻惑の光の魔法”だ! 変装の魔法だぞ!」
知った風な男がフィオナを指差すと、皆が続いた。
「どういうことだ!?」
「まさか我々を謀るための企みでは!?」
ルッツが狼狽した様子でフィオナの前に立つ。
「こ、これは一体……どういうことですか? フィオナ嬢、あなたは……?」
「い、いえ……これは……」
たじろぎながらも、どうにか理由を説明しようと、フィオナが一本前へと出たその瞬間……
パシャッ、と鋭い音が響いた。
赤いワインがフィオナの足元に飛び散る。
投げた人物は確認するまでもなく……会場の中央に立つ第二王女カトリーナが、杯を投げ捨てた姿勢のまま、フィオナを睨み据えていた。
その眼差しは、まるで目障りな汚物を見るようだ。
「貴様……犬風情が。私の宴に忍び込むなど、何の真似だ!? ワインに毛でも混ざるかと思うと、興が削がれるわ!」
彼女は侮蔑を隠そうともしない。
「確かローゼンベルクの従者だったな? 妾を愚弄するつもりか、ローゼンベルク伯!」
スカーレットが慌てて前へ出る。
「殿下、どうか落ち着いてください。これには訳が──」
「黙れ!」
カトリーナは取り合おうともしない。
「妾の宴に犬を連れ込んで良いわけがあるものか!
貴様、今後の付き合いを考える必要がありそうだな?」
その発言が意味するもの──
王国としてローゼンベルク領に罰を下す、という宣告に等しい。
「お待ちください、殿下。今回の件は──」
ハイネルも割って入るが、怒り狂ったカトリーナはこめかみに青筋を浮かべて今にも暴れ出す勢いだ。
そこへ──
「全て……私の我儘です」
静かな声が、会場全体に響いた。
フィオナが、皆の前に一歩進み出たのだ。
「私めが……獣人の分際で舞踏会へ行ってみたいと願い、わがままを申しました。スカーレット様は、それを叶えてくださっただけなのです」
「フィオナ……!」
スカーレットが手を伸ばすが、フィオナは小さく笑って首を振る。
「罰でしたら、どうぞ何なりと。すべて、私にお与えください」
静かに膝をつき、耳と尻尾を垂らした。
たとえ蔑まれようとも、背筋だけはまっすぐに伸ばして。
その凛とした姿に、場の空気がわずかに揺らぐ。
場の空気を察したのか、ようやく落ち着きを取り戻したカトリーナは鼻を鳴らした。
「……ちっ。これ以上は場が白ける。……先ほどの働きもある。多めに見てやる。──さっさと失せろ」
冷たい声が突き刺さる。
誰一人、庇おうともしない。
さきほどまで口説こうとしていた男たちでさえ、興味が失せたようにそそくさと道を空ける。
フィオナは静かに一礼した。
誰も声をかけず、庇う者もいない。
ただ嫌悪と好奇の視線の中を、まっすぐに歩いていく。
(……やっぱり、こんな煌びやかな場所は、私には似合わなかった)
それでも、目は伏せず、胸を張って。
そっと胸に手を当てる。
ここで俯いたら。
自分を差別なく受け入れてくれたあの町の人たちの優しさを、汚してしまう気がして。
そしてなにより。
信じて送り出してくれた、あの人に……申し訳ない。
(──大丈夫。お仕事は、ちゃんと果たせました)
自然とできた道を、静かに、凛と歩いていく。




