第7話 震えてるよ、お姉ちゃん……
ロッテに案内されて、姉妹は脱衣所へと足を踏み入れた。
緊張した面持ちの二人に、ロッテがふわりと微笑み、包みを差し出す。
「はい、これ使ってね。ふかふかのタオルと──今、これしかないけど……」
ロッテが渡してくれたのは、柔らかいタオルと、大きめの白シャツだった。
袖の長いそれは、ジークのものらしい。肌触りは極上で、触れただけで体がほっとする。
「ゆっくり入っておいで。誰にも邪魔されないから安心してね」
そう言ってロッテは、優しい笑みを残して脱衣所から出ていった。
残された姉妹は、ぽつんと無言のまま立ち尽くしていた。
お風呂といっても、まったく想像がつかない。入れと言われても、何をどうすればいいのかすら分からない。
だが──
「……とりあえず、脱ごうか」
フィオナの小さな声に、ミオがこくんと頷いた。
着替えを端に畳み、脱衣所の扉を開くと、目の前に広がったのは──
「……え?」
白い湯気。石畳の先に、大きな岩を組み合わせて作られた湯船。
天井は開けていて、薄雲がかかった冬の空が見える。
広い湯船からもうもうと湯気が立ち昇り、辺りの空気を白くぼかしていた。
湯と空気が混ざる匂い、冷たい空の下に漂う湯気──その全てが、まるで夢の中の光景のようだった。
「な、なにこれ……?」
ミオが、ぽかんと口を開く。
もちろん、露天風呂という言葉も、そんな文化も知らない。
見たことのない空間に、ただただ圧倒された。
その横にあった洗い場には、大きな瓶がふたつ。
一方の瓶からは、ちろちろと蒸気の立ちのぼる湯が流れ出し、もう一方からは冷たい水が。
フィオナが恐る恐る瓶の湯を手にかける──熱くはない。むしろちょうど良い、心地よい温度だった。
「……お湯、使っていいのかな……。どんどんあふれて、もったいない」
ミオが、床に流れていくお湯にそっと手を浸す。
「ダメよ。これはご主人様のもの。私たちは……こっち」
フィオナは冷水の瓶に手を伸ばし、タオルを浸してから絞った。
青ざめた自分の腕に押し当てる。
びくり、と身体が跳ねた。尻尾の毛が一気に逆立つ。冷たい、というより、痛い。
それでも、顔をしかめながら必死に体を拭いていく。
ミオも、同じように水を使ってタオルを濡らした。
二人にとっては、それが“当たり前”だった。
奴隷の生活に「お湯」は存在しなかった。
冬でも、川の水や冷たい桶の水で体を拭く。それが“贅沢でない”唯一の許された清潔だった。
「震えてるよ、お姉ちゃん……」
「ミオこそ……」
丁寧に身体を拭き終えた後、姉妹は向かい合い、互いの尻尾に冷水をかける。
指先がかじかんでうまく動かず、絡んだ毛をほどくのもやっとだった。
だけど──心だけは、少しだけ暖かい。
だって今は、誰にも急かされず、誰にも怒鳴られない。
“二人でゆっくりと水浴びができる”。それだけで、十分にしあわせだった。
やがて、全身を拭き終え、震える手でジークのシャツを羽織る。
丈が長く、袖もぶかぶかで、まるで布に包まれているようだった。
フィオナが小さく笑った。
「……ミオはズボン、いらないね。ワンピースみたい」
「うん。ブカブカだけど、あったかい」
そんな小さな幸せを噛み締めて、居間へと戻った。
──そのときだった。
「……おい、待て」
思わぬ怒声に、二人はびくりと跳ねた。
ジークだった。ソファに座っていたはずの彼が、立ち上がり、二人をまじまじと見ている。
その視線には、怒りや不快感ではなく──明らかな困惑と、苛立ちがあった。
「なんで風呂に入って、そうなる!?」
姉妹の指先は青白く、唇はかすかに紫に染まり、足もとは小刻みに震えていた。
髪も尻尾もまだ湿っていて、タオルでこすり過ぎたのか、肌は赤くなっている。
「……も、申し訳ありません。丁寧に洗ったつもりですが……あの、もう一度洗い直しを!」
フィオナがミオを連れて風呂場に戻ろうとしたところ、ジークはがしがしと頭をかきながら言った。
「風呂ってのは、温まる場所だ。冷えて帰ってくるとか……何の修行だ、バカか!?」
「……っ」
あまりの剣幕に言葉を失う姉妹。
けれど──その声音に、怒りの感情は無い。
あの夜と同じだった。
“怒っている”のではなく、彼なりに“二人の身を案じて”いるのだ。
ルスが静かに苦笑しながら立ち上がる。
「ジーク様、まずはお二人に温まって頂く必要があるかと。……ロッテさん、お願いできますか?」
「もちろんですとも!」
ロッテがキッチンから飛び出してくる。
「……もぉ、分からないなら聞いてくれればいいのに。こんなに凍えちゃって」
ふわふわのバスタオルを抱えて、ロッテが姉妹に近づいていく。
「ほら、こっち来て。お風呂、もう一度入り直しましょ」
ミオが、かすかに目を伏せる。
「……ごめんなさい……」
そう呟いた小さな声に、ジークは顔をしかめ、ロッテに向かって吐き捨てる。
「湯冷めしないように、小一時間ほど湯船に沈めておけ」
「……ジーク様! 言いかた」
ロッテに小さく睨まれ、ジークはそっぽを向いて黙り込んでしまった。




