第6話 こんな不衛生なやつらを置いておくつもりはない
朝食を終え、料理の仄かな香りを残しつつ、ロッテが手際よく皿を片付けていく。
ミオとフィオナは、静かに座ったまま、ただ手を重ねることしかできなかった
美味しい料理に空腹が満たされて、心までも温かくなったはずなのに──それでも、どこか落ち着かない。
自分達に到底似つかわしくない、この穏やかな空間。いつ“出ていけ”と告げられるのか、そればかりが心に重くのしかかっていた。
ロッテが下げた食器をキッチンで洗い始める。
木べらの音、食器の重なる音。やわらかな音が、室内に静かに響いていた。
そのときだった。ジークが、ぼそりと呟いた。
「……いつまでそうしてるつもりだ」
その声に、姉妹はびくりと肩を震わせる。
「こんな不衛生なやつらを、いつまでも部屋に置いておくつもりはない」
刺すような言葉だった。
フィオナは、反射的に立ち上がっていた。
その視線が、窓へ向かう。
吹雪は止み、空は薄い灰色に澄んでいた。雲の切れ間から、淡い陽が差し込んでいる。
『雪が止むまで、ここに居させてください』
そんな不躾な願いを、この人は見返りもなく叶えてくれた。
「……申し訳ありません……」
声が震える。けれど、迷いはなかった。
「命を……助けていただいただけでも、感謝しきれないのに。暖かい食事まで……本当にありがとうございました。このご恩、一生忘れません」
深々と頭を下げる。
そして、ミオの手をそっと取る。
「……行きましょう」
「えっ、で、でも……!」
ミオは困惑したように姉を見上げるが、フィオナは静かに首を振った。
その決意のこもった目を見て、ミオも俯いて口をつぐんだ。
二人はそっと玄関へ向かう。
フィオナの視線が、空になった皿とまだ温かい椅子の上に一度落ちた。まだここに居たいと思う心を、ぎゅっと飲み込む。
これ以上、この優しい人達に迷惑をかける前に……足を早める。
フィオナがドアノブに手をかけた、その瞬間──
「……おい」
鋭い声が、背中に飛んできた。
「どこへ行く気だ」
その声に、フィオナの手が止まる。
振り返ると、ジークが立っていた。
怪訝そうな顔をして、まるで“何をしてるんだ?”というように、心底不思議そうに姉妹を見つめている。
「あ、あの……出ていこうと……。昨晩、雪が止むまでと、お約束でしたので……」
「……は? この雪の中をか?」
ジークの声は、低く、呆れの色を含んでいた。
「い、いえ……今は、止んでいますから……」
フィオナが恐る恐る言葉を続ける。
ジークは頭をがしがしと乱暴にかいて、深いため息をついた。
「……何を言っている。雪が止むのは春になってからだ」
「……え?」
「見てわからんか。これは“降り止んだ”じゃなくて、“一時的に弱まった”だけだ。今出て行ったら、すぐ吹雪に巻かれて死ぬぞ。せっかく治療してやったのを無駄にする気か?」
言い捨てるような口調だったが、そこにあるのは怒りでも軽蔑でもなく──単純に“理解できない”という困惑だった。
フィオナは目をぱちぱちと瞬かせて困惑する。
彼女にとっても、ジークが何を言いたいのか理解ができなかった。
そのとき──
「あぁ……」
控えていたルスが、喉の奥で小さく笑った。
「失礼、少々わかりにくい言い方だったようですね。……先ほどのは、私に申されたのですよ」
「……え?」
「今朝、ジーク様より『あの二人を風呂に入れてやれ。あんな状態のまま屋敷に置くのは不衛生だ』と命じられておりまして」
フィオナとミオは、揃ってぽかんと目を見開く。
ジークは無言のまま、くるりと背を向けた。
その様子を見て、ルスはふわりと笑みを浮かべた。
「つまり──“しばらくここに居て頂く前提”で、清潔にしていただこう、ということですね」
「……えっと……」
フィオナがぽつりと呟く。
それに続いてミオも。
「……いて、いいの? ここに……?」
誰も改めて返事はしなかった。でも、二人にはちゃんと伝わっていた。
フィオナが、そっと胸に手を当てる。
ずっと心の奥にあった、不安と怯えが、ゆっくりと溶けていく。
「……お風呂……入って良いのですか?」
「もちろんですよ。当屋敷自慢のお風呂です。お二人とも、まずはゆっくりおくつろぎください」
ルスのやわらかな声に、ミオが少しだけ笑った。
隣に立つフィオナの手を、そっとぎゅっと握る。
唇をかみしめていた姉の目には、涙が今にもあふれそうに光っていた。
悲しいときや苦しいときにしか、涙はこぼれないものだと思っていた。
でも──違った。
今、ミオにもそれがよくわかる。
こんな温かな涙があったんだと。