表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/54

第5話 これは……ご主人様たちの食事、ですよね

 テーブルを照らす朝日が、料理の湯気に溶け込むように揺れていた。


 木目のあたたかい食卓の中央には、焼き立てのパン。それとスープの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっている。色とりどりの野菜を散りばめたサラダが食卓に彩りを添えていた。


「さ、どうぞ。ここに座って」


 ロッテに手を引かれ、ミオとフィオナはおずおずと、長椅子に腰を下ろした。

 端にちょこんと座り、背筋をぴんと伸ばす。邪魔にならないよう、尻尾を丸くまとめ、まるで怒られないように祈るような姿勢だった。


 その様子を見て、ロッテは微笑みながらキッチンへ戻っていく。朝食の準備の仕上げに向かったのだろう。


 やがて、食堂の奥の扉が開いた。


「おはようございます、ジーク様」


 ピシッと完璧に着こなした執事服をまとい、側に控えていたルスが丁寧にお辞儀をする。

 その横を、髪が寝癖で跳ねたままの青年──ジークが、眠そうな目でふらりと通り過ぎていく。


 シャツのボタンは片方だけ留められ、ベルトもゆるい。どこからどう見ても“屋敷の主”らしからぬ風体だが、誰一人としてそれを咎める者はいなかった。


 ルスが無言で椅子を引くと、ジークも当然のように腰を下ろす。

 ロッテも手に次々と美味しそうな料理を持って戻ってくる。


 ふわふわの焼きたてパン、香草入りのスープ、目玉焼きに、サラダ。ハーブで香り付けされた白いチーズ。

 姉妹の前にも──同じ料理がそっと置かれていく。


「じゃ、揃ったわね」


 ロッテが席につき微笑んだ。

 それを待っていたかのように、ジークがぽつりと呟く。


「……いただきます」


 その言葉に、ルスとロッテがすぐに手を合わせる。


「いただきます」


 ミオとフィオナは──固まってしまった。


 小さく顔を見合わせる姉妹。その瞳には、驚きと戸惑いが浮かんでいる。

 目の前にある立派な食事。促されるまま、皆と同じテーブルについてしまったが──どうして良いのか分からないのだ。


 姉妹にとって、これは食事ではない。同じようなものが、館の厨房に置かれていたのを目にしたことはある。

 ただ、それは奴隷が触れてよいものではない。空腹に耐えかねて手を伸ばした同胞は、動かなくなるまで鞭を打たれた。


(まさか……これは、試されているの……?)


 その様子に気づいたロッテが、首を傾げる。


「どうしたの? もしかして……まだ体調が優れない?」


 ミオは慌てて目を伏せた。口を開いたのは姉のフィオナだった。


「……これは……ご主人様たちの食事、ですよね。私たちは……いつも、カビの生えかけた硬いパンを……床で」


 ミオもおずおずと口を開く。その声は震えていた。


「こんな、ちゃんとしたごはん……食べていい……んですか? 怒られ、ませんか?」


 素直な疑問。心安らぐ食卓の筈なのに、二人の怯え切った目が、これまでの過酷な日常を物語っていた。


 ルスが、僅かに目を伏せた。

 老いたまなざしに浮かぶ感情は、言葉では言い表せないものだった。怒り、悲しみ、あるいは無念。

 執事としての表情ではなく、一人の人間としての痛みが滲んでいた。


 そんな沈黙を破るように、ジークがボソリと呟く。


「……うるさい。黙って食え」


 短く、ぶっきらぼうに。

 その声に姉妹はびくりと肩をすくめる。


「もう、ジーク様ったら!」


 ロッテが軽く……睨むように嗜めた。


「ご飯は楽しく食べましょうって、いつも言ってるでしょう? そんな言い方じゃ、美味しいものも台無しよ?」


 ジークはそっぽを向いたまま、何も言い返さない。

 ただ、めんどくさそうに頭をかき、ちらりと姉妹の方を見ると、すぐにスプーンに視線を落とした。


 ルスはその様子を見て、ふっと笑った。

 優しく、慈しむような微笑みだ。


「そちらは、お二人の分です。どうぞ遠慮なく」


「足りなかったら、お代わりもあるわよ!」


 ロッテも満面の笑みで二人を見つめる。


 意を決して、ミオはそっと目の前のパンに手を伸ばす。もう、限界だった。昨日から、いや、そのずっと前から、まともな食事は何も食べていない。


 焼きたてのパンは、ふかふかで、あたたかくて──こんな味、知らなかった。


「……おいしい」


 ぽつりと、言葉が漏れた。

 それは無意識の声。口の中でとけていく味が、あまりにも優しくて、はじめてで。


 その言葉に、姉のフィオナも、震える手でスープをひと口すすった。


「……っ……」


 そして、パンにかぶりつく。

 その味に、驚き、目を見開く。

 堪えきれずに、尻尾が揺れる。


「……美味しい……美味しいです……!」


 言葉を繰り返すうちに、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

 頬を伝う涙を拭うこともできずに、ただ食べる。

 止まらない。お腹が空いていたのもある。けれど、それ以上に──心が、満たされていく。


 美味しい。柔らかい。温かい。その全部が──優しい。


「こんな……こんな美味しいもの……はじめて……っ」


 フィオナの泣き顔に、ルスはそっと目を細め、ロッテはあたたかく微笑む。


 ジークは、ちらりとそれを見て……またため息をつきながら頭をかいた。


「……いいから。さっさと食え」


 ──料理が冷めないうちに。


 その声は、どこまでも不器用で──誰よりも優しかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ