第32話 それは、なおさらおかしいわね
「フィオナ、今度はいつ町に来るの? かわいい雑貨屋さんがあるんだ。一緒に行こうよ!」
「えっ、行きたいです! ルスさんに聞いてみますね!」
祭りの余韻が残る夜の通りを、ふたりは並んで歩いていた。
くすくすと笑い合う声が、静まった町の空に軽やかに弾む。頬を撫でる夜風には、ほんのり甘い葡萄酒の香りが混じっていた。
「フィオナ、こっち。近道なんだ。ちょっと暗いけど」
「えっ、あ……はい!」
クレアが足早に曲がったのは、人通りの絶えた裏路地だった。
月明かりさえ届かぬその一角では、石畳の隙間からひんやりとした冷気が立ち昇っている。
「この辺、足元に気をつけてね」
「……はい」
フィオナは少し心細さを覚えながらも、黙って後に続いた。
──その時。
路地の奥から、数人の男たちが現れた。
誰もが大きな荷を背負い、肩を丸めて黙々と歩いてくる。顔は影に隠れ、誰一人、視線を向けてこない。
すれ違おうとした瞬間──
フィオナの背筋に、冷たいものが走った。
(……なん……だろう、この感じ……)
胸の奥に、ぞわりと這い寄るような寒気。
咄嗟に、フィオナは声をかけていた。
「……あの、良い夜ですね」
一人の男がぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返る。
「……ああ。良い祭りの夜だ」
男は穏やかな笑みを浮かべていた。
けれど──その後ろの男たちは、そわそわと落ち着きなく視線を泳がせ、足を交互に踏みかえていた。誰一人、まともにこちらを見ようとしない。
(……この人たち、何かおかしい)
胸の奥のざわめきが大きくなる。
数言、形ばかりの会話を交わしたのち、フィオナは丁寧に頭を下げた。
「それでは……酒精祭を祝して」
すると男は、にやりと口元だけで笑い、軽く頷いた。
「……ああ。良い夜を」
その返しに、フィオナはふと眉をひそめた。
次の瞬間、クレアがぴたりと立ち止まり、鋭い声を発しする。
「待って。あなたたち、町の人でも、祭りの客でもないわね?」
静寂が落ちる。
男たちの肩が揺れ、ひとりがわずかに息を呑む。
先ほど応じた男が肩をすくめ、表情を崩さぬまま言った。
「いやいや。俺たちは麦の行商さ。急に頼まれてな。夕方に隣町から来たばかりで」
けれど、クレアの声は低く冷たかった。
「──それなら、なおさらおかしいわね」
鋭く断言する。
「この町で麦を扱ってるのは、私が勤めてる店だけ。今日は祭りで店は閉まってるの。──誰が、あんたたちに卸を頼んだの?」
沈黙。数秒の空白が、凍りついたように広がった。
やがて、男の目が細くなり、低く舌打ちが漏れる。
「……っち。余計なことを」
その顔に、初めて“素”の笑みが浮かんだ。歪んだ、薄く冷たいものだった。
「まあ、しかし。これも運のうちか。……こんな上玉が、人気のない路地裏に転がってるとはな」
その言葉が、合図だった。
「──っ!」
背後の男たちが、一斉に動く。
フィオナの両腕が、太い腕にねじ伏せられる。
叫ぶ間もなく、口元に布が押し当てられ──声が潰れる。
視界の端で、クレアも同じように押さえつけられていた。
(な、に……? 力が……声が出ない……!)
視界がゆらぐ。石畳の冷たさが足元から這い上がり、世界の音が遠ざかっていく。
祭りの明かりも、笑い声も、今はもう届かない。
──夜の裏路地に、ふたりの叫びは沈んだ。




