第2話 野良犬でも紛れ込んだかと思ったら
扉の軋む音が、静寂を切り裂いた。
当てがっておいた荷物を退かすようにズルズルと音を立て、ゆっくりと開かれていく。
外の吹雪が一斉に流れ込んだかと思えば──そこに立っていたのは、黒髪の青年だった。
長身で痩せ型。
漆黒の髪は肩まで伸び、目元が隠れて表情は読めない。ただ、その奥で、灰色の瞳だけが冷たく光っていた。
──その瞳が、姉妹を見下ろす。
まるで、捨て犬でも見るような冷淡な視線。
「……野良犬でも紛れ込んだかと思ったら」
吐き捨てるような声だった。
その言葉に、姉は思わず妹をかばうように身を起こしかけ──すぐに、膝をついた。
体が限界なのだ。それでも、彼女は目を逸らさずに、必死に口を開いた。
喉は凍えて、言葉がうまく出ない。それでも、絞り出すように懇願した。
「あの……お願いです。少しだけ……雪が止むまでで構いません。ここに、いさせてください」
この子だけでも、どうにか……。
その一心で、彼女は顔を上げ、血のにじむ唇を動かした。
青年はわずかに視線を細め──そして、短く言い放つ。
「……ダメだ」
その言葉は、刃よりも冷たく、容赦がなかった。
姉は言葉を失う。その代わりに、ミオが小さく声を上げた。
「おねえちゃんが……ケガしてるの……! ……包帯だけでも……!」
ミオの声は震えていた。
だがその瞳は、臆する事なく、ただ真っ直ぐと青年を見返している。
それでも、青年は何一つ表情を変えない。
「包帯で治る傷じゃない。何度も言わせるな、ダメだ」
一瞬だけ、姉妹の姿に目を落とした気がした。
だが──彼は目を逸らし、雪の中へと背を向けた。
ドアの閉まる音が、やけに冷たく響く。
足音だけが……遠ざかっていく。
姉は小さく息をつき、力なく笑ってミオを見つめた。
「……行こう。ミオ」
「でも……お姉ちゃんが……」
涙に滲んだ声で呟く。
しかし姉は首を横に振る。
「ここにいたら……迷惑になるだけ。行かなきゃ……」
そう言って、壁に手をついて立ち上がろうとした、その瞬間だった。
意識の縁が、じわじわと白く染まっていく。
──視界が、回る。
床が溶け落ちていくような錯覚の中、視界の奥が遠のいていく。
次の瞬間、意識が真っ暗に沈んだ──
「お、お姉ちゃんっ!」
慌てたミオの叫びが響く。
だが──姉の体は、冷たい床に打ち付けられる直前で、何者かにそっと受け止められた。
──老人だった。
白髪に、背筋の伸びた立ち姿。しわの深い目元には、どこか品のある優しさが宿っている。
その老人が、さも当然のように姉の体を受け止めた。
「……お二人とも、早くお屋敷の中へ」
「……え?」
ミオがぽかんと口を開ける。
「で、でも……さっきのお兄さん、ダメって……」
「……? “ジーク様”が、ですか?」
老人は、首を傾げ、次いで苦笑した。
「あぁ、申し訳ありません。あの方は少々、口下手でして」
ミオが瞬きをする。老人は、穏やかな口調のまま、こう続けた。
「『この寒さの中、物置に居させろというバカがいた。さっさと屋敷の暖炉の前に連れてこい。俺は治療の準備をしている』……と、確かにそう仰っておられましたよ」
ミオの目が丸くなる。
「……じゃあ、助けてくれるの?」
「もちろんですとも。……さあ、こちらへ」
ルスと名乗る白髪の老人は、驚くほど軽々と姉を抱えたまま、雪の中へと足を踏み出した。
ミオは一瞬、ためらったが──すぐにその後ろを小さく駆けて追いかける。
まだ降り続く雪の中、ほのかに灯る屋敷の明かりが、ほんの少しだけ、夜の寒さを溶かしているように見えた。
──まるで、遠くに灯る希望のように。