第11話 ガキに与える仕事などない
「屋敷には置いてやるが、タダ飯を食わせるつもりはない。働け」
ジークがいつもの無表情で告げる。
──姉妹が屋敷に来てから、数日が経っていた。
フィオナの体についた傷は癒え、ミオの頬にも健康的な色が戻りつつある。栄養状態も改善し、ようやく人心地ついたところだった。
告げられたジークの言葉に、フィオナは当然のように頷いた。
「はい」
それは当然のことだ。
タダで置いてもらえるはずがない。
つい先日まで、自分は“ただの道具”だった。
生きるために働くのは当然で、むしろ──働かせてもらえるだけ、幸運だと思った。
寝ずの力仕事。家畜の糞尿に塗れる汚れ仕事。
そして……大人の女性たちがさせられていた、言葉にもできないような奉仕。
それらをすべて見て育ってきた。
フィオナはどんな仕事でもやり遂げる覚悟を決めていた。
たとえまた辛い日々が待っていたとしても──それでも、この暖かな日常に縋りたかった。
「甘やかすつもりはない。弱音を吐けばすぐに叩き出されると思え」
ジークの冷たい声に、フィオナは改めて背筋を伸ばし、「はい」と短く返した。
だが──
「……あの、これは?」
どんな仕事でもやり遂げる──つもりだったのに。思わず、戸惑いの声が漏れる。
フィオナは、目の前の鏡に映る自分を見て、言葉を失っていた。
ふわりと広がる清潔な白のエプロンドレス。裾を飾る繊細なレース、胸元には銀のブローチがきらめく。
どこからどう見ても、立派な“メイド服”──夢のような、現実味のない衣装だった。
つい数日前まで、ボロ布を巻いただけの“道具”だったのに。
今、自分がこんな服を着ているなんて──信じられない。
「うん、よく似合うわね! 私の若い頃みたい」
背後からロッテがにこにこと笑う。
「後のことはロッテに聞け。要領が悪ければ……キッチンから叩き出されるからな」
そう言い捨てて、ソファに戻るジーク。
「もお、またジークさまったら! 大丈夫よ、フィオナちゃん。そんな事しないから」
ロッテは一瞬ジークを睨み、優しい笑顔をフィオナに向けた。
「このお屋敷を、ロッテさん一人で維持するのは大変でしたからね。前々から申し訳ないと思っていたのです」
ルスがいつもの優しい声で付け加える。
「え、えと……」
フィオナは戸惑いながらも鏡へ視線を落とした。
自分が、こんなきれいな服を着ていいのだろうか。不釣り合いではないだろうか。
そんな不安とともに、胸の奥で小さく膨らむ“嬉しさ”を、必死で押し殺す。
「あなたは今日からこの屋敷のメイド見習いです。ビシバシ鍛えますからね、覚悟してください」
ロッテは冗談めかしながらも、優しく笑った。
メイド──
それは、かつて奴隷の身であるフィオナにとって、遠く手の届かない憧れだった。
綺麗な衣装をまとい、堂々と働く高貴な存在。自分とは違う、別の世界の人たち。
その人たちと同じ衣装を、今自分が身に纏っている。
「せ、精一杯頑張ります!」
フィオナは、笑顔で背筋をしゃんと伸ばして言った。
その姿に、ロッテは満足げにうなずく。
「わ、わたしも……」
その隣で、ミオが小さく呟いた。
まだあどけなさの残る銀髪の少女は、おそるおそる脇に置かれたデッキブラシを手に取った。
だが──次の瞬間、ジークが本をぱたんと閉じ、眉をひそめてミオの方へと歩いてくる。
ビクリと肩を震わせ、ミオはすぐに目を伏せた。
「ガキに与える仕事など、ない」
「あ、あの……! ミオは物覚えも良いし、歳の割に要領はいいんです。きっと、お役に立ちますので……!」
フィオナは慌てて言葉を繋ぎ、ジークとミオの間に割って入る。
役に立たなければ、捨てられる──そんな恐怖が、また脳裏をよぎったからだ。
ミオだけは、何としても守らなければならない。
だがジークは、何も言わずにミオの手からブラシをすっと取り上げた。
そして──代わりに。綺麗な背表紙の本をミオの小さな手に押し当てた。
「ガキに労働なんかさせるか。お前は子供らしく、その辺で遊んでるか、本でも読んでろ」
ぽつりと、だが確かにそう言った。
呆気にとられるミオ。
手に持った本と、ジークの顔を変わるがわる見つめる。
その光景を見守っていたルスとロッテは、どこか嬉しそうに微笑んでいた。




