9.スパイス大全
ガムラン連合王国からレシピを取り寄せてみた。でも、外交文書でよく使う単語とは全く違うし、辞書も完全網羅されているわけじゃないから、詰んだ。
かくなる上は。
「ヴィクトル様、翻訳を手伝ってください」
「待って、仕事中なんだけど」
「残念、昼休憩の鐘が十秒前に鳴りました」
ヴィクトルは「えー」と駄々をこねる。駄目です、昼休みは休むんです。そして私のレシピ解読のお手伝いをしてください。
「翻訳を手伝うって、何語?」
「ガムラン語です」
「それなら食堂に言って、テシャに聞いておいで」
「何言ってるんですか。食堂はこれからが繁忙期ですよ」
昼食をとるために集まってきた人たちで溢れかえる食堂。テシャさんはそこで働いているわけだから、そんなところに突撃するのはよくないと思う。
「僕だってまだ仕事があるんだけど」
「昼休憩はお休みするものです」
それでもまだデスクに引っつこうとするヴィクトルに、私は最終兵器を差し出した。
「え、やめて、なにこれ。すごくお腹空く匂いなんだけど」
「カレーおにぎりです」
そう、今の私には試行錯誤して生まれた最強のカレーおにぎりがあるのです!
スパイスとご飯を一緒に炊けば良いのか。
炒飯の素みたいに混ぜて炒めれば良いのか。
それともふりかけみたいにまぶすだけで良いのか。
このカレーおにぎりは屋敷の料理人の努力の結晶。ぜひとも味わってほしい!
ちなみに手作りするという選択肢は私の中にありません。お米をたくさん買いこんで、自分で炊こうとした以降、料理人に厨房を出禁にされたのです。前世、無水カレーにチャレンジしようと圧力鍋を買おうとしたら全力で止められて「あなたはまず落とし蓋の概念から覚えようね」と言われたことを思い出したよ。料理って難しい。
「翻訳を手伝ってくれたら、このカレーおにぎりを差し上げます」
「僕が食べ物につられると思ってる?」
もちろん。
つられてくれると思っているから提案するのです。
「たとえば、ヴィクトル様が私の翻訳を手伝ってくれて、しかもそれがすごく早く終わったら。このおにぎりを食べながら、残ってる仕事もできるかもしれませんね」
「なんていう取引だい」
ヴィクトルが天井を仰いだ。それからちらりとカレーおにぎりを見て、ぐぅ、と喉を鳴らす。
「……分かった、何を訳してほしいんだい」
やった! ヴィクトルを釣り上げた!
私はいそいそと翻訳してほしい本を持ってくる。
「ガムランから取り寄せた香辛料の本です。香辛料の使い方とか、歴史とか、色々書いてあるんですけど。香辛料の特徴と名前が一致しなくてですね。ハルウェスタのスパイスとどう一致するのか、教えてほしいんです」
差し出した本をヴィクトルはペラペラとめくっている。さらっと目を通して、うーん、と唸ってしまった。
「これ、僕よりもやっぱりテシャのほうがいいと思うけど」
「そうですか……。ヴィクトル様も知らない単語があるんですね」
「む。読めないとは言ってないよ」
ヴィクトルがこほんと咳払いした。無理しなくていいのに。そう思っていたら、本の香辛料一覧のページを開いて、一つ一つ指を差して。
「ハルディー、ラール・ミルチ、ダニヤ、ジラ、エライチ」
「待って! 待って! メモさせてください!」
一つ目から順番に、キプキーマと、プァチビン・ネペウと、コプナハップ?
コプナハップは聞き覚えがあるかも。オリジナル・ガラムマサラを作ろうとして、ハルウェスタ語のレシピを見た時に見かけたと思う。ということは、あれがそれで、これがあれで……?
「次のページいくよ?」
「早いですって」
メモが追いつかないよう!
ひぃこら言いながら必死にメモをしていると、ヴィクトルが私からペンを取り上げた。
「これ、直接書き込みしてもいい?」
「ふぇ? あ、はい。大丈夫です」
最初のほうのページに私が翻訳を頑張ろうとして挫折した形跡がある。すでにもう教科書のように書き込み済みなので文句は言いませんとも。
「ここからはたぶん、ハルウェスタに対応する言葉はないよ。ひっくるめて全部、ミックススパイスって言うと思う。ガラムマサラ、チャイマサラ、サンバルマサラ、チャットマサラ、ビリヤニマサラ、タンドリーマサラ」
「……んー?」
「どうしたの」
「あ、いや、なんでもないです」
ヴィクトルの翻訳というか、発音を聞き取りながら、私は首をひねる。チャイとか、ビリヤニとか、タンドリーとか。これ、聞き覚えがある。前世の料理名だよね?
スパイス本体じゃなくて、ミックススパイスのほうに転生者が関与しているのかな? ちょっと気になるやつはあとで配合とか調べて、料理長に作ってもらおう。うまく行けば、チャイが飲めるし、ビリヤニやタンドリーチキンが食べられるってことだもんね……!
ひと通りヴィクトルが発音やら翻訳やらを書き込みしてくれると、お昼休憩が半分終わるくらいの時間になった。
「思ったより時間がかかっちゃったや」
「そうですか? 早かったと思いますけど」
そそのかしたのは私だけど、まさか昼休憩の半分で終わるなんて思ってなかった。ヴィクトルってやっぱりすごいね。
「固有名詞っぽいのだけ書いておいたから、あとは自分で翻訳するように。これも勉強さ」
「ありがとうございます」
よしよし。固有名詞さえ分かれば、なんとか読めるはず。私は報酬のカレーおにぎりをヴィクトルに差し出した。
「こちらがご所望のお品です」
「ん。ありがと」
ヴィクトルはさっそくカレーおにぎりを頬張った。大きいひと口。むぐむぐ食べてくれているのを横目に私は自分の席へと戻って、自分のカレーおにぎりを広げつつ、ヴィクトルが手を入れてくれた本を読んでいく。
ガムランで使われているスパイスはいっぱいある。さすが貿易大国と言うべきか、原産国が他国だったりするスパイスもある。
「えーと、ガラムマサラの材料は……」
エライチ。ロング。ダルチーニ。テージ・パッタ。カリ・ミルチ。ジャイファル。ジラ。
ぜんっぜん! 分からない!
ハルウェスタ語で書かれた、スパイスの本のレシピと合わせつつ、比較していく。分からん、分からん、けど……!
「カリ・ミルチはブラック・ペッパーのことだよね。カリが黒って意味だったから……ミルチ系はペッパーってこと? ラール・ミルチがレッド・ペッパー? つまり唐辛子っぽいアレのこと?」
むぅむぅ唸りながら、読み進めていく。言語の壁は難しい。とりあえず、一番気になっていたガラムマサラに必要な香辛料の名前を調べてみたものの、惨敗。
「うーん、あてが外れたのかなぁ」
でもガラムマサラって言葉、偶然の一致なの?
私は唸る。もう少し、この本を見ていたいけど。
「フェリシア。昼休憩終わるから、お弁当は片づけて。皆が戻ってくる前に換気もするよ」
ヴィクトルに声をかけられて、私は慌てておにぎりを頬張った。
部屋中カレーの匂いをさせていたら、またスメハラになっちゃうかもしれないからね!
お読みくださりありがとうございます!
お返事が滞ってて申し訳ないのですが、前回の更新で「大根カレー」という衝撃的存在を感想欄に残してくださった方がいらっしゃいました。カレーに秘められた無限の可能性にドキドキしちゃいました。
なお、作者はキャベツカレーが無性に食べたくなる時があります。ざく切りキャベツと鶏むね肉(ツナ缶代用も可)を具にして、普通のカレールウをぶちこむカレーです。皆様はどんなカレーを食べていますか? 感想欄に書き込みしていただくと、作者が作って食べてるかもしれません。