79.たくましすぎる成長
サピエンス合衆国のリストテレスで行われる学術研究会が今年も終わり、ティモが三ヶ月の長期出張から帰ってきた。いつもは陸路で半年かけて往復するものの、今年は人手不足やらなんやらで海路を使った短縮ルートだった。
「ただいまー」
「お帰りなさい、ティモさん」
「お疲れっす」
「お帰りなさい……!」
出張から帰ってきての初出勤。ティモはいつものようにトゥロと一緒に出勤してきた。第三外交室一同でティモを労う。双子も揃って、うちの部署もいつものにぎやかさを取り戻すんだろうなぁ……と、思っていたら。
「フェリシアちゃんにお土産持ってきたよー」
「じゃじゃ〜ん、入って〜」
ティモとトゥロの二人が結託して何かを企んでいる。お土産という割にはそれらしい物もないわ、と思ったのも束の間。……入って?
トゥロが廊下にいる誰かを呼び込んだ。
くるくるの癖毛をした頭がひょっこりと出てくる。
「フェリシア様、お久しぶりです」
癖毛をふわふわと揺らしながら、大きな眼鏡をした女の子が部屋に入ってくる。見覚えのある顔に、私はびっくり。
「ノエルちゃん……!?」
えへへ、とノエルは照れたように笑った。前に会った時は少年っぽい格好をしていたけど、今は身長も髪も少し伸びていて、服装も女の子らしいものになっている。それどころか、着ている服は。
「それ、王立学園の制服?」
「はい。年明けから編入することになりました」
「ええっ! すごいわ! ノエルちゃんすごい!」
ハルウェスタの王立学園といえば、将来の官吏や学者を育成するエリート育成校。家を継げない貴族の子女や優秀な平民が集う場所だ。私は学園に通わずに家庭教師がついていたから、実際にどんな場所かは知らないけれど。
「うっ、王立学園……」
「すごいですね……頑張ってください……」
イェオリは頭を抱え、ライザが遠い目をする。この二人は学園を卒業しているんだっけ。
「ちょっと、その反応はどうしたの。これから通うノエルちゃんが不安になるでしょう」
ノエルが不思議そうに首を捻っている。イェオリとライザは可哀想な子を見る目を私に向けてきた。
「そうか、フェリシアは学園に通ってないから知らないんだよな……マナーの授業の先生がとんでもなく怖いんだぜ……」
「あそこは魔窟ですよ。貴族社会の縮小図で……私みたいな貧乏貴族や平民なんて人権がなくて……」
「ん?」
「え?」
ちょっと二人の反応が違いすぎて、イェオリとライザがお互いに顔を見合わせた。
「イェオリ先輩、マナーの先生は厳しいですけど……怒ったりはしないので、別に怖くはないですよ……?」
「いや、ライザのほうこそ、人権がないってなんだよ。学園では身分差なく平等に、が学園規範だっただろ」
「そんなの建前です!」
イェオリが呆れたように言えば、普段声が小さいライザも思わず声を荒げて。
「制服にインクに教科書にノート……嫁ぎ先で私が苦労することのないようにと、お金がない中必死にやり繰りしてくれた両親のために、教養だとか社交だとか、頑張ったのに……! そばかすを馬鹿にするわ、田舎貴族の貧乏を笑うわ……! 何度あの成金男爵令嬢を末代まで祟ってやろうと思ったことか……! 元婚約者もろとも滅べえぇい……!」
どうしよう。地獄の釜の蓋を開けてしまったのか、ライザの暴走が始まってしまった。学園生活はどうやらライザのコンプレックスを刺激してしまうらしい。元婚約者の話は聞いたことがあるけれど、成金男爵令嬢とやらはいったい……? ライザ、いじめられていたの……?
ライザの話が事実なら、あまり褒められたことではない。イェオリとライザが通っていた時期には数年の差があるので、イェオリの頃とはまた様相が変わっている可能性はあるけれど。ライザのように身分や権力をたてにいじめられているような子がいるなら不安にもなる。
「ノエルちゃん、学園生活、大丈夫……?」
「大丈夫ですよ。どこもそういうのはあります。リストテレスの大学もそうでしたし」
おぉ……ノエルの対応が大人だわ……!
初めて会った時のノエルはすごくお転婆だったのに!
しみじみと感慨深く思いながらノエルの言葉を反芻していると、ふと意外な言葉を聞いたことに気がついて。
「大学? ノエルちゃん、リストテレスの大学に通っていたの?」
「通っていたというか……父について出入りしていたので。……あそこ、女子が入るのを嫌がる風潮がありますから……」
出会った時、ノエルは少年のような格好をしていたことを思い出す。もしかしたら、大学で浮かないように少年の格好をして出入りをしていたのかもしれない。前にも誰かに思ったけれど、学問や研究を性別を理由に門前払いするのはナンセンスだわ。
そんな苦労がある中で、ノエルはハルウェスタ王国へ留学に来てくれた。それはすごく嬉しいことだわ。
「それにしてもノエルちゃん、お金を貯めるのに時間がかかると言っていたから、留学はもっと先だと思っていたわ」
「父さんの教え子が援助してくれたんです。女の身ではリストテレスの大学に入学できないから、いっそのこと、ハルウェスタ王国の学園に通いなさいって」
学術研究都市が聞いて呆れるわ。女性の社会進出が進み始めているなかで、北のほうの地域はまだまだ女性の立ち場は低いのかもしれない。……まぁ、ハルウェスタ王国もまだまだ女性側の意識が低い部分はあるけれど。語学に長けた女性が少ないせいで、女性外交官が全然増えません。
でも、それでノエルの留学が早まったのはすごく嬉しいこと。お父様を亡くしたノエルを援助してくれる身内がいたのも幸運なことだわ。
「そういえば住むところは決まっているの? リストテレスから来たばかりなら、宿に泊まっているのかしら」
王立学園にも寮があるけれど、ノエルはまだ来たばかり。編入が年明けというなら、寮へ入るのはまだ早すぎる。
ノエルの滞在を心配していれば、双子がにっこり笑った。
「昨日はうちに泊まってもらったよー」
「やりたいことがあるんだって〜」
やりたいこと?
何かしらと首を捻れば、ノエルがじっと私を見つめてきて。
「編入前に、フェリシア様が作っているテネッコンを見てみたいんです」
まっすぐに告げられた言葉。
自然と頬がゆるむ。
そうよね、それしかないわよね。
ノエルが私に会いに来た理由。私は彼女と約束したんだもの。天体望遠鏡をこのハルウェスタ王国にも作るんだって。
当然、私もその約束は忘れていない。領地にそのための基礎を作ったんだもの。ただ、その、ちょっと問題がありまして……。
ゆるんだはずの頬がちょっとずつ引きつっていく。
そう言えば年末年始の神子騒動から、ヴィクトルとの婚約、ライザへの業務引き継ぎのあれそれで、しばらく領地に帰ってないんですよねー……。なんにも連絡が入っていないから、進捗確認もしていない。これはちょっと、やばい、かも?
ノエルと出会ってから約二年。設計図があるんだもの。当初の予定ではそろそろ出来上がってる予定だった。忙しさにかまけて確認を怠ったのは私の怠慢。テネッコンだけじゃなくて、私の水田もどうなってるんだろう。何もかもが中途半端……!
じんわりと冷や汗が背中を伝う。
本当に私は大事なところで抜けてますね……!
とはいえ、領地に来たら全部知られてしまうこと。私は正直に話すことにした。
「ちょっと忙しくて……私が最後に見たのはテネッコンを置く建物の立地場所を決めて、テネッコンのガラス作りを職人にお願いしたところだったの。あれからしばらく領地に帰れていないから……もしかしたら、何も進んでないかもしれないわ」
自分でやるといったことすらまともにできない大人に思われたかもしれない。しょんぼりしながらノエルにそう告げれば、彼女は「それなら」と呟いて。
「最新式のテネッコンの開発に成功したので、図面を金貨二枚で買いませんか? フェリシア様への特別価格でご提供します」
この二年であまりにもたくましく育ってしまったノエルに、私はひっくり返りそうになった。
【ヴィクトルの出張日誌3】
船が補給のため、ガムラン連合王国の港町に立ち寄った。明日にはゴドーヴィエ・コリツァ大陸から離れ、クンダン王国を目指す。船で二日の旅だ。追い風であれば早いらしいけれど、この季節の風向きは怪しいらしい。同行している官吏が船酔いに苦しんでいるが、この先大丈夫だろうか。
本日夕食:香辛料の効いた魚のスープ。辛さよりも癖のある酸味や苦みが強烈な料理だった。新鮮な魚とスパイスを煮込んだスープ。えぐみがあるので、フェリシアは苦手かもしれない。なぜこんなにえぐみが出るのかと聞けば、この料理を作ってくれた店主は「言うほどえぐみがあるか?」という反応をした。土地の人々にとっては普通の味なのだろうか。




