75.胸派ですか?お尻派ですか?
私生活ではお母様による結婚に向けたあれそれが入りつつ、仕事でもばたばたと忙しい。
私は基本業務である翻訳案件をライザに教えつつ、王族や貴人に向けたマナーレッスンに付き合ったり。イェオリがヴィクトルの引き継ぎをしているので、彼の業務を回すために彼の担当の翻訳案件を引き受けたり。遅ればせながらティモが別部署の人を連れてリストテレスの長期出張へいったり。トゥロだって私やイェオリの手がまわらない部分を率先してやってくれている。
「ティモさんがいないと、トゥロさんって働き者に感じますね。仕事が思っているよりも円滑に進んでいます」
「双子でも悪巧みするのはだいたいティモだからね。トゥロ一人だけなら、そんなに厄介事は運んでこないよ」
午前の仕事が一段落した昼休み。お弁当を持参してきたのでヴィクトルを中庭に誘い、ベンチに並んでお昼ご飯。これでも一応、婚約者ですので。
「今日は久しぶりにタンドリーチキンのホットサンドです」
「懐かしいね。僕、これ好きだな」
ランチボックスを覗いたヴィクトルが口元をほころばせた。じんわりとにじみ出ている喜びに、私は心の中でサムズアップ。以前、美味しそうに食べていたのを覚えていましたから。
「イェオリ、あと半月で引き継ぎできそうです?」
「大丈夫だと思うよ。彼、なんだかんだいって要領いいからね。僕の出張中、上手く代理ができたら副室長に推薦する予定」
「昇進ですか〜。頑張ってイェオリ〜」
ヴィクトルと二人で、ここにいないイェオリの噂話。今頃は食堂でくしゃみをしているかもしれない。一緒に食堂に行ったトゥロとライザに心配されているかも?
でもイェオリにはますます頑張ってもらわないとね。早いもので、あと半月でヴィクトルは玄蒼国へ出張に行ってしまう。前世のように気軽に連絡が取れるわけでもないので、引き継ぎは完璧にしておかないと。
「ところでヴィクトル様。本日、昼食に誘った本題なんですけど」
「……ん? なんだい?」
タンドリーチキンにかぶりついていたヴィクトルが、口の中のものを飲み込んでから私のほうを向く。私もヴィクトルも、良くも悪くも婚約者になってから行動は変わっていない。普段の昼食だって別々のほうが多い。私はお弁当だし、ヴィクトルは食堂だし。
婚約者だからといって、理由なくお誘いしたわけではないのです。
「玄蒼国へ出張に行かれている間、結婚式の準備を進めるつもりなんですけど」
「エリツィン伯爵家主導で、という話だったね。僕はかまわないよ。必要なものはシーリン商会に頼めば、何でも用意してくれるから」
シーリン商会は貿易商を営むヴィクトルの生家。ミシリエ子爵の養子であるヴィクトルだけど、生家であるシーリン商会はそれなりに贔屓にしているのだとか。養子に出たあとも家族仲が良いみたい。
もちろん、ミシリエ子爵家からも私との婚約について色よい返事をもらってる。私とヴィクトルの婚約は二家族だけではなく、三家族の繋がりが生まれるものですから。
なのでヴィクトルの言う通り、シーリン商会に色々とお願いすることになると思うのですが。
それ以外に、聞きたいことがありまして。
「下着の好みを教えてください」
「………………………………………………………………、はぁ……」
絶句したヴィクトルから、特大のため息がこぼれ出た。タンドリーチキンを食べる手を休めて、ヴィクトルは頭を抱えてしまう。
「……下着の好みって言うけど……男物かい?」
あらまぁ、そうきましたか。
「初夜で私が着るやつですけど」
「それを僕に聞いてきたのかい!?」
びっくりするくらい大きな声。私だって恥を忍んで聞いているんです。声が大きいと、周りに聞かれていないかそわそわしてしまいます。
「このままだとお母様とカミラにとんでもない格好をさせられそうなので。私の好みで選ぶと却下されるし……ヴィクトル様の好みなら、お母様も納得せざるを得ないでしょうから」
「だからって僕に直接聞くって……」
ますます頭を抱えてしまうヴィクトル。猫っ毛なアッシュグレーの頭を抱えている指の隙間から、耳がほんのり赤くなっているのが見えた。
「恥ずかしがってます?」
「当たり前だろう!? 君は時々、本当にとんでもないことを言い出すね!?」
「だって既に裸を見られてますし」
「ばっ……ッッ!」
声にならない悲鳴をあげてヴィクトルが撃沈した。もう二年も前のことですが、覚えておりますとも。リストテレスへの出張の道中、どさくさに紛れて私が入浴中の温泉に突撃してきたこと。緊急事態だったとはいえ、衝撃的なシーンでしたね。
「それに比べたらヴィクトル様に下着の趣味を聞くくらい、なんともありません」
「君は本当にとんでもないことを言い出すね!?」
顔を上げて吠えるように言われた。大切なことだから二回言われたのかしら。とはいえ、これを聞くまでは私も引き下がることはできません!
「教えてください、ヴィクトル様。ヴィクトル様の趣味なら、甘んじて際どい下着も選択肢に入れます」
必ずしも着るとは言いませんが!
再び頭を抱えたヴィクトルは、唸りながら身体を揺らしている。不思議な動き方。無意識なのかしら。それくらい、難しいことを私が聞いているのかしら。
それなら仕方ない。
女性からこう言うのは憚られるから遠慮していたけれど、これを聞くしかない。
「ヴィクトル様は胸派ですか? それともお尻派ですか?」
「フェリシア、そろそろ黙ろうか?」
再びヴィクトルが顔を上げた時には、その表情に羞恥心なんてどこにもなく。にっこりと余所行きの笑みが張り付けられていた。貴族お得意の愛想笑い?
「男性の好みはおおよそこの二つに分類されると思っているんですが、違いました?」
「伯爵令嬢にそんな話を振る輩がいることに驚きなんだけど、君にそんなことを吹き込んだのはどこの誰だい」
ひゅおっと一瞬背筋が冷えた気がした。気の所為?
そんなことよりヴィクトルの質問に口を噤んだのは、私のほう。そよっと視線をヴィクトルから外す。
「さすがに伯爵令嬢にそんな話題を振る人はいませんよ」
「それはますます聞かないとね」
どんどん墓穴を掘っていく私。
立場が逆転したのを察したヴィクトルが、ずいっと顔を私に寄せてくる。
「で、誰が君にそんな下世話な話をしたんだい?」
もー! ヴィクトルのこういうところがずるい! 自分が有利に立った瞬間にこう! 手のひら返ししてくるの! 顔を! 距離を! 詰めないでくださいぃ……!
ベンチに並んだヴィクトルが、ランチボックスを置いて私のほうへと距離を詰めてくる。私はそろっとお尻をずらして端に寄るけど……これ以上寄られたらベンチから転げ落ちちゃいますっ!
「ごめんなさいっ、悪ふざけがすぎましたっ!」
「悪ふざけじゃないでしょ。伯爵令嬢にそんな馬鹿な話を吹き込むのは」
「フェリシアじゃないですっ! 前世でちょっと、聞きかじってぇ……!」
ヴィクトルの追求に耐えきれなくなった私はとうとう白状した。よくよく思い返してみても、伯爵令嬢にそんな下世話な話をする馬鹿はいなかった。私からてろっと飛び出た冗談は、前世のあるある話だったんです……!
そう話すと、ヴィクトルがびっくりしたように目を丸くした。菫色の瞳が真ん丸になってる。それから、そっと身体の位置を元に戻して。
「君ってば本当に……」
ぼやいたヴィクトルに、私は首を捻る。
「私がなんです?」
「君は進んでサチの話をしないから、僕はどこまで踏み込んでいいのか、分からないんだよ」
私は目をぱちくり。
そう言えば、ヴィクトルにはきちんと腹を据えて前世の話をしてない。アニマソラ神樹国の騒動の時にクーヤくんから聞きかじったようなことを話していたくらいで、私の口からはまだ話していない。
「その……今さら話すものでもないかと思って……」
「君の口から聞けないと、僕はいつまで経っても君の最後のページを埋められないね」
むむ。それはずるい言い方です。婚約を迫られた時にも言われた言葉。私の編む転生者リストの最後に私のことを書いてくれるという話を指してのこと。
そう言われると、話すべきだと思うけど。
「何を話してほしいんですか? 前世の話をするには、昼休みだけでは足りないと思うんですけど」
「それもそうか」
ふむ、とヴィクトルが腕を組んで考える。そうですとも、も私は会話が一段落したのを見て、自分のタンドリーチキンのホットサンドにかぶりついた。
その瞬間、隣のヴィクトルからとんでもない言葉が飛び出てくる。
「それなら初夜の楽しみにとっておこうか。初夜の夜は長いだろうし、話をするには持ってこいだからね」
「んっ、ぐ!?」
さっきの仕返しですか!?
ここで初夜の話を蒸し返しますか!?
ホットサンドを頬張ったまま、ぎょっとしてヴィクトルを振り向く。彼は茶目っ気をたっぷり含ませて私を見ていて。
「初夜の下着は僕から贈ろう。女性ものの下着だと……ヘルマプロディートスが有名だったかな。デザインは選んでおくから、僕が出張に行ったらサイズだけ仕立て屋に伝えておいて」
二の句が継げないとはまさにこのこと。
あんまりにもヴィクトルが上手過ぎて、私は口の中のホットサンドの味がよく分からないまま、こくんと飲み込んだ。




