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【書籍化決定】転生令嬢は旅する編纂者  作者: 采火
第三部

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73.ヴィーナス・ビーチェ

 ライザが配属されてから一ヶ月ほど。

 個別レッスンを受けるため、人気化粧品店ヴィーナスへ私とライザはやってきた。お供にカミラも一緒。


 お化粧の個別レッスンは私が思っていたよりも人気だったようで、予約しても一ヶ月待ちだった。ヴィーナスのモットーは「美の前に身分なし」らしく、貴族も平民も、予約は平等に行われるそう。貴族向け、平民向け、に価格帯は設定されるものの、品質にはあんまり差もないのだとか。


 貴族向けには多種多様の香料を配合して、香りにこだわっている商品が多いらしい。製品の種類も多く、配合する香料はオーダーメイドできるんだとか。厚利少売の見本的な戦略。


 でもって庶民向けは薄利多売を目指した無香料の基本シリーズと、季節の花の香りがするシーズンシリーズの二種類のみ。このヴィーナスというお店、舌を巻くくらい商売上手だわ。素人目でも分かるもの。


「人が多いわね」

「いつもこんな感じですよ」

「ひぇぇ……」


 気後れしているライザの腕を私とカミラで引いて、お店の中へ。女性客が多くて、店内もどことなく華やか。この雰囲気、まさしくデパコスフロア。


 勝手知ったる様子のカミラに案内してもらって、案内カウンターへ。予約のことを伝えると、二階の部屋へと通された。


 一階の喧騒から隔離されて、私たちは応接室に通された。普通と違うのは、部屋の中に化粧台があること。なるほど、この部屋で個別レッスンをしてもらうのね。


 案内人がお茶の準備をしてくれる。少し待つかしらと思っていたら、案内人と入れ替わるように男性と女性が現れた。男性が一歩前に出て礼を取る。


「エリツィン伯爵令嬢様、アルギニン子爵令嬢様。本日は当店にお越しいただきまして誠にありがとうございます。〝ヴィーナス〟ハルウェスタ支店支配人のセレスタンと申します。こちらは美容師のマリーザです」


 セレスタンの挨拶に、私はにこりと微笑んだ。


「ご挨拶ありがとうございます。フェリシア・エリツィンですわ。こちらがライザ・アルギニン子爵令嬢です。今日は彼女が抱える美容の悩みをご相談できたらと思って参りましたの」

「本日は足をお運びくださりありがたい限りです。私どもの最善をご提供できるよう、尽力させていただきます」


 流暢に話すセレスタンはさすが支配人といったところ。貴族相手の接客にも十分慣れているみたい。とんとん拍子に話が進み、まずはライザの化粧を落とすことから始まった。


 セレスタンと代わり、ここからはマリーザが主導になって進めた。何種類もの化粧落としを提示してそれぞれの利点や欠点などを話し、ライザからお肌の悩みの話を聞き取りして、最適な化粧品を選んでいく。


 マリーザに連れられて、ライザは化粧台のほうへと移動。緊張しているのか、固い顔でこくこくと頷いている。その横でカミラがメモをしてサポート中。カミラを連れてきて良かった。うちのメイドは優秀なんです。


 彼女たちの様子を眺めつつ、私はお茶を嗜む。


「セレスタンさん。もしお暇だったらで良いのですけど、お茶請けにぜひ、ヴィーナスの歴史をお伺いできませんか?」


 お茶の香りを楽しみながらセレスタンにそう伝えると、彼は私のほうに向き直った。


「もちろんですとも。当店はクロワゼット共和国に本店を構えておりますが、その始まりは初代店主の奥方が当時流行りの白粉の危険性について憂いたことにございます」


 にこやかに話し出すセレスタン。

 その話し出した内容を聞いて、私は首をひねる。


「白粉? ヴィーナスの最初の商品は化粧水だと聞いていたけれど」

「その通りでございます。白粉を使わない美しい肌を、というコンセプトから当店の化粧水が始まりました」


 とても素敵なコンセプト。白粉をしなくても綺麗な肌はまさに女性の理想だもの。そのためには基礎化粧品が不可欠。このお店の成り立ちに相応しい理由だわ。


「おかげさまで、私のお肌もとても綺麗なのよ」

「それはありがたく存じます」


 セレスタンがにこやかに会釈をする。

 でもこれはまだまだ助走。私はもう一歩、踏み込んでいく。


「ところで、気になることをもう少し聞いても良いかしら?」

「なんなりと」

「初代店主の奥方様が白粉の危険性を憂いた、と仰ったわね。当時の白粉はそんなに危険なものだったの?」


 セレスタンのお話で引っかかったのはここだった。今でも白粉はよく使われている。ただ、そんな危険なものという認識はなかったんだけど。


「残念ながら……今でこそ安全な白粉が一般流通化しておりますが、当時は数多の女性が危険な白粉を使用しておりました。美しい女性は儚いものだと信じて疑わず、それまで白粉が理由で亡くなった女性が多くいたことを人々は知らないままでした。初代の奥方様……ビーチェ様が声を上げるまでは」


 ちらり、と前世の知識が顔を覗かせた。

 あれは何で見たのか、読んだのか……漫画かな? アニメかな? それとも論文かな? 前世の日本でも、有毒な白粉の製法があったというのを見聞きした記憶がある。


 もし私と同じように、それを連想したとするのなら……ヴィーナスの名付けといい、白粉とあわせて、ビーチェという女性が転生者の可能性が極めて高い……!


 久々に手に入れた転生者の可能性。

 私ははしゃぎたくなるのをぐっと堪える。


「どうしてビーチェ様は白粉の危険性に気がついたの?」


 ここが私の想定通りなら、ビーチェさんは転生者だという証拠の一つになる……と思っていたら。


「これ以上は、当店の威信にも関わりますので……」

「威信?」


 まさかのセレスタン側から話をするのを拒否されてしまった。どうして?


 この店の威信に関わること、と考える。もしかしてビーチェさんについて掘り下げられると困ることがある? それって、たとえば?


「ビーチェ様は奴隷だったのかしら」


 クロワゼット共和国には昔、奴隷制度があった。本店がクロワゼット共和国にあるなら、当時の時代背景からしてあり得ない話ではないと思う。奴隷制度と言っても、クロワゼット共和国の場合は救済処置もあったし。市民権を買うことができれば、奴隷から解放されて市民になれる、みたいな。


 ビーチェさんは初代店主と結婚しているから、結婚前は奴隷だったとかは可能性のある話だわ。


 でも、たとえそうであっても。


「安心して頂戴。ここまで女性の悩みを長きに渡って支えてきた店を築いた方を、私が侮辱することはないわ」


 セレスタンは意外そうな顔をした。

 それから苦笑して、私に話の続きを教えてくれる。


「ビーチェ様はご結婚される前は娼婦だったと伝わっております。初代の店主が白粉を卸していた娼館があったそうですが、そこでビーチェ様は白粉をしなくても美しい肌を持つ女性として人気だったとか」


 惜しかった……! なるほど娼婦。それはたしかに、気軽に話せる内容じゃないかもしれない。


「ビーチェ様の美しさの理由は彼女が手作りしていた化粧品の数々でした。初代店主はビーチェ様にそれらの材料を融通する代わりに作り方を教わったそうです」


 化粧水が手作りできる人だったんだ……!

 え、すごい。ビーチェさんすごい。私もそんな女子力チートみたいなことしてみたかった……!


 私が密かに自分の女子力のなさを嘆いている間も、セレスタンは話を続けて。


「その際に当時の白粉の原材料を聞いたビーチェ様が血相を抱えて、娼館中の白粉を捨てさせたそうです」


 突然、過激な行動に出たビーチェさんの話に、私は瞬く。


「まぁ、どうして?」

「当時、白粉は鉛を酢で蒸して、表面にできた粉を乳鉢で擦って使用しておりました。ビーチェ様曰く、鉛というものは毒に等しいそうで、肌の白い美人が病弱なのではなく、肌を白くするから病にかかるのだと、娼館に白粉を卸していた初代店主を叱り飛ばしたそうです」


 あー! だから威信に関わると!

 それはたしかに、人によっては店の信用に関わると思われてもしょうがないわ。でも私は逆に好感度が上がった。だって叱り飛ばしたビーチェさんが、最終的に初代店主と結婚して店を大きくしていったんだもの。


 白粉の危険性を知ってそれを共有し、初代店主の店の商品を上書きした。ビーチェさんの功績は、すごく大きいと思う。


 だからこそ、私はビーチェさんが転生者かどうかを知りたい。


「ビーチェ様はどうして化粧品の作り方を知っていたのかしら」


 ただの娼婦が化粧品をそんな簡単に作れるわけがない。だからこそ、その知識の出処を私は詳細に聞きたかったのだけれど。


「娼婦は自分を美しく見せるために、独自の技法を扱うと言われています。それの一つだとして、詳細は語られておりません」

「それは残念ね……」


 門外不出でしたか、そうでしたか……。きちんと裏付けを取りたいと思っていたけど、これでは無理そうだ。


 しぶしぶ私は引き下がった。でもでも、それなら他の質問はぜひさせてください!


「どうしてビーチェ様は娼婦から初代店主の奥方になったの?」


 これ、すごく気になる。

 娼婦から大きな店の店主の奥方なんて。億万長者の夢というか、よくあるシンデレラストーリーというべきか。だからつい、好奇心で聞いてみたものの。


「それはもちろん、初代店主がビーチェ様発案の化粧水によって店が繁盛したので、そのお金をもってビーチェ様を身請けされたのです。以降、ビーチェ様は当店で扱う基礎化粧品の開発を亡くなられるまでされ、今日の商品に繋がっております」


 支配人としては模範的な回答!

 もっと愛だの恋だのと、そういうお話も聞いてみたかったけれど……きっとそれは、ビーチェさんの思い出の中にしまっておくべきものだったと、そう思うことにした。


 さて、それでは最後の質問です。


「ヴィーナスって聞き慣れない名前だけど、由来はもしかして、愛と美の女神かしら」


 この質問で、ビーチェさんが転生者だったかどうか、はっきりすると言っても過言じゃない。じっとセレスタンを見つめると、彼は笑みを深めた。面白そうに目を細めて、私の質問に答えてくれる。


「よくお分かりで。ビーチェ様が信じる美の女神からお名前を拝借したと伺っております」


 あたり!

 やっぱりビーチェ様は転生者だった!


 私はティーカップを手にとってお茶を飲み干すと、セレスタンに微笑んだ。


「良いお話だったわ。ありがとう」

「こちらこそ。当店の歴史を聞いていただけて嬉しく存じます。……アルギニン子爵令嬢のお仕度が整ったようですね」


 セレスタンは私にお辞儀をすると、化粧台にいる女性三人のほうへと視線を向けた。セレスタンの言う通り、マリーザが化粧品を片付け始め、ライザとカミラが私の座るソファーに戻ってきた。


「ふぇ、フェリシアせんぱぁい……」

「あら、とても綺麗だわライザ!」


 私が簡単に教えたナチュラルメイクなんかよりも、ライザ自身の顔立ちの良さを引き立たせるようなメイクになっている。吊り目は切れ長の目となり、きりっとしてエキゾチックな雰囲気に。そばかすも綺麗にカバーされているし、つやつやでうるうるな唇なんて男性たちの注目の的になるに違いない。


「私の見込んだ通りね。やっぱりライザは美人の原石だったのよ! ふふ、明日からさっそくそのお化粧で出仕しなさい!」

「フェリシアせんぱぁい……! まってぇ、まってぇ……!」


 ライザの美人っぷりに思わずきゃあきゃあはしゃいでいると、ライザからストップがかかってしまった。何事?


「どうしたの、ライザ?」

「あの、その、さすがに……これ全部は……買えないですぅ……」


 私はさっとカミラに目配せする。カミラはメモを見せてくれた。何々、化粧水が銀一枚で、美容液が銀三枚で、乳液が、クリームが……さらに日焼け止めに、化粧下地に、白粉に、マスカラに口紅エトセトラ。


 総じて……あぁ、うん。カミラが話していた通り、ドレスが一着余裕で買えるくらいの金額になってる。


 私はライザに笑いかけた。


「今回は入省祝いに買ってあげるわ。とにかくライザが気にならない程度にそばかすが消えてくれるのが大事ですもの」

「そんな……っ! 私ごときが……っ」

「遠慮しないで? もし気にかかるなら……ライザに後輩ができた時や、同じように悩みを抱えている人に気づいてあげた時。外交官で稼いだお金でこうして同じように助けてあげて」


 本当は制服のように経費で落ちないものかと思うんですけども。まぁ、さすがにそこは経費で落ちませんので。


 そんなことを考えていたら、ライザの目にみるみるうちに涙がこんもりと。


「お姉様に一生ついていきますぅ……!」


 やっぱりなんかライザからの好感度のベクトルがおかしな方向にいっている気がするのは、気のせいじゃないと思う。


【ヴィーナス・ビーチェ】

クロワゼット共和国に本店を持つ化粧品専門店「ヴィーナス」の初代店主の妻。娼婦時代から化粧品を手作りしていた。娼館に化粧品を卸していた初代店主の目に止まり鉛白粉の危険性に気づき、化粧品の改革を行った人物。初代店主はさながら、ビーチェの美へのあくなき探究心を支えるパトロンだったのかもしれない。

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