71.カミラの美容講座
仕事から帰宅した私は、夕食を終えるとメイドのカミラにお願いした。
「ねぇカミラ。私に化粧品を教えてくれる?」
入浴の支度をしていたカミラは私のほうを振り向くと、首を傾げた。
「化粧品って……お嬢様はご自分でお化粧できるでしょう」
その通りです。出張のたびにメイドを連れて歩くのもどうかと思って、私はお化粧も着替えもひと通り自分でできる。一応。かろうじて。普段はカミラにお願いしているけれど、やろうと思えばなんでもできるのが私です。
だけど、私が聞きたいのはそうじゃなくて。
「化粧品について教えてほしいの。今日ね、うちの部署に女の子が新しく配属になったんだけど……」
帰宅してから夕食まで着の身着のままだった私。カミラが制服を脱ぐの手伝ってくれる。上着を預けて、ブラウスやスカートも預けて……そのまま浴室のほうへと追い立てられた。
髪をほどかれ、コルセットを外されながら、私は今日あった出来事をカミラに話す。私に後輩ができたこと、その子がお肌の悩みを抱えていて婚約破棄されたこと。私はその子を男性なんか必要としない強い女性外交官にしてあげたいこと。
それらを話し終えた頃にはシュミーズもショーツも脱ぎ去って、私はバスタブへと身を沈めていた。
カミラは私の髪を濡らしつつ、顔の化粧を落とすためにクレンジング用のオイルをたっぷりとなじませ始める。オイルの匂いは柑橘系の香りで、目を閉じると南国にいるような気持ちになれた。
「それで化粧品ですか」
「その子、すごく厚化粧なの。お化粧のしすぎも、お肌によくないでしょう?」
「そうですね。まぁ、お肌のお悩みでしたら、化粧よりもまずは日々のお手入れから始めることが大事ですけれど」
そう言いながら、カミラはお湯をたっぷりと含ませたタオルで、私のお顔に塗りこめたオイルを拭い始めた。優しく何度もタオルをあてられれば化粧の油分がすっかり落ちて、私のお顔はすっきりする。
「たとえば化粧を落とす工程を一つとっても、大切です。厚化粧をされているのなら、簡単には化粧が落ちないはずですから。その手間をまず惜しんでしまうと、お肌のお手入れも台無しになるでしょうね」
たしかに。化粧をして寝るな、というのは前世でも言われていたこと。今世ではカミラがいるので、私がどんなに疲れてうっかり化粧をしたまま寝てしまっても、寝ている間にカミラがなんとかしてくれる。ちょっと甘えすぎな気はしなくもないけれど。
「この化粧落としも、昔に比べて質が上がったと母が言っておりました。香りも良くなりましたし」
「そうなの?」
「母が子供の頃は、化粧が落ちても今度は化粧落としの油分が取れなくて、ちょっと執拗に洗顔をする必要があったようです」
あ〜、オイルだし、と納得の理由。
化粧は絵画と一緒。顔料を油で溶かしてキャンバスに描くように、化粧品も油によって溶けた色を顔に塗っているようなもの。だからただ水で流すだけの洗顔では化粧は落ちにくい。
カミラは私の化粧を落とすと、髪を洗ってくれた。私専属美容師は、頭皮マッサージもお手の物。これがあんまりにも気持ちよくて、うっかり寝てしまうこともしばしば。
「化粧落としに限らず、この洗髪剤なども年々質の良いものが出ておりますからね。貴族に限らず、庶民にも最近は手の届くものになってきたようで……って、お嬢様。寝ないでくださいね。風邪ひきますから」
「ふぁい」
危ない、言っているそばから寝落ちしてしまうところだった。カミラはそんな私に気がついて、丁寧かつささっと洗髪を済まし、もこもこの泡で洗顔してくれた。身体のほうも泡でもこもこにされ、最後はお湯をざぱっとかぶって、入浴はおしまい。
柔らかい布で丁寧に全身を拭われると、鏡の前に座らされる。
「さて。先ほどお嬢様が興味をお持ちになった化粧品ですが、お嬢様の普段のお肌のお手入れに使っているのはざっとこちらになります」
コロコロとカミラがワゴンを引いてきた。お風呂上がりや身支度の際に使う道具類が入っているワゴン。カミラはそのワゴンから小瓶や小物入れをいくつも取り出した。似たような意匠の容れ物が多い。
「まずは化粧水。こちらでお顔に水分を補給します」
さらさらとした水をボトルから取り出すと、カミラはその手に適量を注ぎ、私の顔へまんべんなく化粧水を染みこませていく。指の先で優しくトントンと肌を叩いて、水分をたっぷり吸わせてあげた。
「次に美容液です。個々によってお肌に足りない栄養をこちらで補完します。保湿や美白、お肌の炎症など、状況によって使い分けますが……お嬢様の場合は基本的に美白成分のものを使うことが多いですね」
そうだったんだ。これが美容液なのは知っていたけど、なんの効能を持つ美容液かまでは把握していなかった。全部カミラにお任せしているものですから……。
「乳液を塗りますね。お肌に潤いを与えつつ柔らかくする役割があります。乾燥による頬のつっぱりなどが格段に減りますよ」
とろりとしたミルクのような液体をカミラは手に取ると、手のひらの熱で溶かすように私の肌へとなじませていく。お肌がもちもちしてまいりました。
「最後は、潤ったお肌から水分が蒸発しないようにクリームで蓋をします。お嬢様は唇が荒れやすいので、リップバームも忘れずに」
クリームは甘い匂いがした。蜂蜜かしら、薔薇かしら。ほんのりとした良い匂いにまったりとリラックスする。
これを朝晩やっている上、さらに休日はなるとパックなどでさらにお肌に潤いを上げたり……私の身体はこうしてカミラによって整えられているわけです。
ただまぁ、こうして改めて教えてもらうと、今世も前世も、化粧品は似たりよったりなんだと思ったり。
「カミラも同じものを使っているの?」
「まさか。さすがにこれは貴族向けの高価なものなので、私はもう少し安価なものを使っていますよ」
この世界にも化粧品ブランドという概念はあるみたい。プチプラとデパコスの、なかなか越えがたい壁を思い出す。社会人になって初めてデパコスを買った時、大人の階段を登った気持ちになったなー、なんて。
「貴族向けなら、ライザもこの化粧品を使っているかしら」
「子爵令嬢ですと難しいかもしれませんね。この一式で夜会用のドレスが買えますから」
カミラの言葉にぎょっとする。基礎化粧品だけでドレスが買える値段って! そんな高級品を私は毎日ぺたぺたと使われていたの……!?
「そ、そんな高いものを使わなくたって良いのよ……?」
「何を言っているんですか。お値段が張るものはそれ相応の価値があるんです。庶民向けのものだと、お嬢様にはおつらいと思いますよ」
「つらい?」
なんだろう、肌が荒れやすいとか、そういう感じかしら?
「安価なもので効能を重視すると匂いがきつくなるんです。夜寝ている間、ずっと青臭い匂いが鼻につくんです。耐えきれますか?」
それはちょっと嫌すぎる。価格による製品の差を甘く見ていました。前世みたいにロープライスでも効能はしっかり、匂いも優しい、なんて品質を期待してはいけないみたい。
「まぁ、それでも老舗の化粧品店が貴族向けから庶民向けまで幅広く扱っていますから、その店なら身の丈にあった化粧品が手に入りやすいですけど」
「そんなお店があるのね?」
「お嬢様のものも、その店から取り寄せておりますよ。ここらへんはそうですね」
カミラが示したのは似たような意匠だと思った容れ物たち。なるほど、だから容れ物の雰囲気が統一されているのね。
「明日、ライザにも聞いてみるわ。どこの店かしら」
「〝ヴィーナス〟です」
「そう、ヴィーナスなのね。美の女神から名前をとるなんて素敵なお店、……ヴィーナス?」
私はカミラを振り返る。
「カミラ、今、ヴィーナスって言った?」
「はい。店の名前はヴィーナスですけど」
「……それって国内のお店かしら」
「いいえ。本店はクロワゼットです。ハルウェスタには王都に支店があるだけで……あの、お嬢様?」
私は頭を抱えた。灯台もと暗しとはまさにこのこと。身近すぎたのが良くなかったのか、それとも単に私がズボラすぎて身だしなみに興味を持っていなかったのが良くなかったのか。……いやもう完全に後者な気がするけれど!
化粧品店ヴィーナス。
ヴィーナスといえば、愛と美の女神。
もしかしたら、この化粧品を開発したのは転生者かもしれないわ……!




