70.後輩ができました
両親に婚約の承諾をもらった私とヴィクトルは結婚適齢期を過ぎているということを理由に、大々的な婚約パーティーをすることもなく、ぬるっと仕事の日々に戻った。
とはいえこれからのことを見据えて、私たちの部署も動かないといけなくなる。今、ヴィクトル、双子、イェオリ、私で稼働している翻訳や通訳をメインとしたこの第三外交室も人事の再編成を視野にいれないといけない。私がこの部署に配属になって以降の初めての人事異動だ。
「というわけで、フェリシアの退職と僕の長期出張に向けた人事再編成と後継育成のため、まずは新しく外交官を迎えることになった。ライザ、挨拶を」
「アルギニン子爵の娘、ライザ・アルギニンです」
少しお化粧が濃い目の女性官吏、という印象。生真面目そうな面持ちで私たちに挨拶をしてくれる。子爵令嬢だけれど、伯爵家の人間ばかりの職場によく来てくれたわ。
「はじめまして、ライザさん。私はフェリシア。来てくれて嬉しいわ」
「よ、よろしくお願いします……」
声が固い。緊張しているのかしら。
ライザは私の仕事を引き継ぐことになるので……いずれ女性王族の通訳をしてもらうことになる。言語学習の他にもマナーなどを改めて勉強してもらわないといけないかもしれない。
そんなことを思っていると、ヴィクトルはさらに言葉を続けた。
「僕が出張に行く間は、イェオリに室長代理をやってもらうよ」
「俺っすか!?」
イェオリがびっくりする。まぁ、妥当な判断だと思う。
「ティモさんとトゥロさんじゃなくて……?」
「双子の担当が狭いからね。僕の次に広く担当していたのはフェリシアだけど、そのフェリシアはライザに付いてもらうから。そうなると、イェオリが一番状況判断や他部署との調整役に適任だと思ってね」
それも信頼の証ということで。イェオリは一瞬だけ不安そうになったけれど、すぐにやる気に満ちた表情になる。
「任せてください。俺にできる最善を尽くします」
「うん、任せたよ」
ヴィクトルが満足げに頷くと、それまで大人しかったティモとトゥロが「はいはーい」と挙手をした。
「僕たちはー?」
「イェオリとフェリシアのサポートを頼むよ。通常業務とは別で負担が出てくるから、その分を君たちで回してあげてほしい」
「りょうか〜い」
ヴィクトルとしてはもう一人新人を増やしたいらしい。この部署の仕事は多岐にわたって勉強することが多いせいか、なかなか見つからないのだとか。しかも外国語。他国の貴人について接待することもあるから、平民登用も上の人たちから渋られている。
結果、ヴィクトルのように見込みのある平民を外交官にするため、貴族の養子にならないと厳しい現実がある。貴族と平民の利害一致なんてそうそうない。そんなこんなでなり手がいないから、万年人材不足のまま。
「それじゃ、皆。新体制になるけど、よろしく頼むよ」
ヴィクトルの言葉に、一同頷く。
新人の顔合わせはこれでおしまい。さっそくそれぞれの業務に戻っていく。イェオリはヴィクトルについて、出張までの間に引き継ぎ。リストテレスに出張した時はティモとトゥロが担当していたらしいけど、今回は経験を積ませるという部分でヴィクトルはイェオリを指名したんだって。
さて、私もライザにさっそく仕事を引き継いでいきましょう。まずは基本となる外交文書の翻訳から。
「ライザは私の隣の席ね。最初は外交文書の翻訳から始めてもらうわ。ライザは何語ができるの?」
「えぇと……クロワゼット語と、アニマソラ語と……ガムラン語、サピエンス語です」
「いいわね。特にガムランとサピエンス。他部署から重宝されるわよ」
ガムラン語は主に貿易関連で、サピエンス語は政治や文化面で。翻訳の文書がたくさん回ってくる国の筆頭だもの。マイナーなところよりもそこが抑えられていれば、とりあえずは無難に仕事ができる。
「あの、フェリシア様は……」
「様はいらないわ。職場ですもの。でもそうね、もし気になるなら……先輩と呼んで頂戴?」
実は私が入省してから後輩がいなかったもので。ちょっと憧れがあったんです。そうお願いしてみたら、ひょこっとティモとトゥロが湧いて出た。
「え、ずるいずるい。僕もティモ先輩って呼んでー」
「なら僕はトゥロ先輩だ〜」
「ほらそこ二人、仕事して」
「「はーい」」
ヴィクトルに注意されて双子は自席に戻っていく。私は苦笑しながらライザを見た。彼女は強張ったまま、不安そうに私を見上げてくる。私は安心させるように微笑んだ。
「うるさくてごめんなさい」
「い、いえ……あの……フェリシア先輩」
「はい、なぁに?」
ちょっときゅんとくる。まだ空気に馴染めない後輩の初々しい先輩呼び。生まれ変わってから学園みたいなところに通わなかった私なので、かなり嬉しい。後輩のためなら先輩、ひと肌でもふた肌でも脱ぎましょう。
「フェリシア先輩は、結婚に興味ないって聞いたんですが……結婚、されるんです、ね」
「あぁ……まぁ……ちょっと……成り行きで……?」
ちらりとヴィクトルを見る。退職しようと決意をした時、引き止められる可能性はあるとは思っていた。でも、それがまさか婚約になるとはその時の私は思ってもおらず。
ヴィクトルと一緒にいる理由ができたなら仕事を辞める理由もないんじゃない? とも思ったけれど。でもやっぱり神子騒動で多方面に迷惑をかけてしまったことや、今後の接待での自分の身の振り方を考えると……少し、怖いな、とも思ってしまって。
何がどこから広がって、自分の知らないうちに自分の知らない付加価値をつけられること。アニマソラ神樹国での一件で、その怖さを思い知ってしまったから。
「そういうライザはどうして外交官になろうと思ったの?」
聞けばライザは十七歳らしい。まさしく結婚適齢期。そんな年頃で官吏として働こうと思うご令嬢はまず珍しい。私はその少数派筆頭でしたが。そのせいでお母様を泣かせましたが。
なのでそう聞き返したら、ライザは俯いてしまって。
「私……婚約破棄、されたんです……」
ライザの絞り出すような声に、私は目を瞠った。これは聞いてはいけないことだったかもしれない。婚約破棄なんて貴族ならすぐに醜聞として知れ渡る。今年の社交界、私は参加していなかったから、こういった話を聞きそびれていたままだった。
「……ごめんなさい。つらい話を聞いてしまったわ」
「い、いいえっ! でも、婚約破棄されて、良かったな、って……」
「あら、どうして?」
「その……去年の社交界で……フェリシア先輩をお見かけして……かっこいいと思って……」
ま、まぁ〜〜〜!
なんて、なんて可愛い子なんですか! 恥ずかしそうに視線をそらしながら、もじもじしながら、そんなことを言われてしまっては! 今、私、この子を全力で育てようと思いました。こんな可愛い後輩、私以外に任せるなんてできっこない!
内心お祭り騒ぎになっている心を表に出さないように、私はすっと微笑を浮かべた。嬉しさは一割程度だけ表に出してもいい。それ以上ははしゃぎ過ぎになるので駄目です。
「そういう風に言ってもらえるなんて。嬉しいわ」
「だからその……フェリシア先輩が結婚するから退職するっていうのが……少し悲しいというか、解釈違いというか……」
ん?
なんかちょっと聞き慣れないことを言われた気がする。解釈違い?
「フェリシア先輩の男を必要としない生き方がかっこよくて婚約破棄された私もフェリシア先輩のように男を必要としない生き方を目指そうと思いお父様に相談したらちょうど良く女性外交官募集という話があったので入省したんですけどそのフェリシア先輩が結婚で退職されるなんて聞いていないですしかも職場恋愛だなんてぇ……!」
ひと息で滔々と流れていったライザの台詞に私は圧倒された。この子、スイッチが入るとすごく饒舌になるタイプの子なのかしら。
何を言ってあげれば良いのか分からないまま、わーっと瞬きをしていると、ライザはじろりとヴィクトルに視線を向けた。
「顔の良い男は滅べばいい……」
なんだかベクトルが変な方向へ向かい始めている。
私はどうどうとライザをたしなめた。
「そんなこと言わないの。外交官は接待もするから、第一印象は大切よ」
「そんな……っ! 私に死ねと申すのですか……!?」
「そんなことは言っていないわ」
ライザのブレーキどこにあるの!? ゼロか百しかないの!?
極端な考え方をする子だわ。どうしてそんな考えに……と思って、ふと彼女の顔を見た。
お化粧が濃い。
「もしかしてお顔について何か言われたことがあるの?」
もしかしたら、と思って聞いてみた。
すると案の定。
「元婚約者に、令嬢のくせに農民のような顔をして、隣に立つのが恥ずかしいと……私、父の手伝いで、小さい頃から農地に出てて……そばかすが多いから……」
ぴき、っと自分の額に青筋が浮かんだ気がする。
その男、一体誰? 女性にそんなことを言う男がいるの!? いきすぎたルッキズムがどれほど人を傷つけるのか知らないの!?
私はふつふつとした怒りがこみ上げた。
その怒りをお腹の奥にぎゅぎゅっと圧縮して、にこりと微笑む。
「分かったわ。その男がライザと婚約破棄したことを後悔するくらい、かっこよくて綺麗な女性になりましょう。それで相手がよりを戻したいって言ってきたらこう言うのよ。一昨日来やがれって」
「おととい? え、どういうことですか」
フェリシアとして生きてきたこの人生で使うことのなかったこの慣用句。異世界では通じないんですか。
「一昨日って過去の出来事でしょう? 過去に遡ることはできないから、転じて二度と来るなっていう意味。ライザ、賢い女になりなさい」
それまで俯きがちだったライザの目がきらきらと輝く。彼女は私の手をガシッと掴むと大きく頷いて。
「分かりましたわ、お姉様!」
……なんだか思っていたところと違う場所に着地したな、と気づいたのは、しばらくあとのこと。
とりあえず私に、後輩ができました。




