7.ハルウェスタの農業革命
ヴィクトルにおねだりしてみたところ、彼はやれやれと息をついて。
「ラムリ子爵領は通る。クロワゼットとの国境だからね。宿泊は子爵家ではなくて、街道沿いの街の予定だけど」
「そこをなんとか、子爵家に宿泊させてもらうことはできませんか」
「いや、日程に組み込んでないし、今から早馬を飛ばしても迷惑でしょ」
常識で諭されてしまう。くぅ、でも今、今がいい。今チャンスを逃すと、次はいつ行けるか分からないもの……!
だからごねてみるけれど、ヴィクトルは「だめ」の一点張り。私も「行きたい!」の一点張り。なら私だけでもラムリ子爵領に置いていって、と言っても「帰るまでがお仕事です」と言われる始末。むぅ、どうしたら……!
ぐるぐる頭を悩ませて、ふと思い出す。
あった。あったはず。私には免罪符が!
私は荷物の奥底から一通の手紙を取り出す。日程的に行けるかな、会えるかな……とか、ちっとも期待していなかったわけじゃない。前にお話して、ぜひとも、とお誘いいただいたもの!
「ヴィクトル様。我が伯爵家の権力を行使します」
「ろくでもない予感しかしないんだけど」
「以前、ラムリ子爵家のご息女であるミラベル様から、お招きの招待状をいただきました。なかなか機会がなかったのですが、これから早馬を飛ばして承諾をもらえたら、滞在許可をいただけませんか」
ミラベル様からのお手紙を見せれば、ヴィクトルが片手で顔を覆ってしまった。
「君、本当に抜け目ないね」
「何ごとも、備えあれば憂いなしと言います」
前世の諺です。
ヴィクトルは片手を顔面に張りつけたまま、ちらっと私の持つ手紙と、資料を見比べる。それから深々とため息をついて。
「ラムリ子爵が承諾したら、許可するよ。ただし、常識的な行動を心がけて」
やった、これで第一関門突破!
私は早馬を飛ばすために、うきうきと一筆したためる。馬車旅だけど、色々と経由してハルウェスタに帰るから、ここからラムリ子爵領に着くには大体十日後くらいの予定。早馬を飛ばして、返事を回収するのは国境沿いの街かな。その段取りで行こう。
ヴィクトルの心労なんて露知らず、私はいそいそと帰路の準備を整えたのだった。
❖ ❖ ❖
ハルウェスタ王国とクロワゼット共和国の国境の街で無事ラムリ子爵からのお返事を回収した私は、ラムリ子爵邸に宿泊する承諾を手に入れた。ドヤ顔でヴィクトルに歓迎のお返事を見せつけると、両手を挙げて仕方ないと許可をくれた。
宿泊予定だった街から約二時間ほど追加で馬車を走らせる。私だけで行こうと思っていたら、ラムリ子爵が先に手を回してくださったようで、ヴィクトルも一緒にラムリ子爵邸に宿泊することに。
すっかり暗くなった時刻に到着したものの、ラムリ子爵は笑顔で私たちを出迎えてくれた。ミラベル様は嫁ぎ先のほうにいるようで、出迎えはラムリ子爵夫妻と、ミラベル様の弟君だけだった。ミラベル様、今お腹に赤ちゃんがいるんだって。おめでたいね。
で、今夜は遅いのでということで宿泊した翌日。
兼ねてからお願いしていた、カクーマ・ラムリ男爵夫人の手記を見せてもらうことに。
「クロワゼットでイチゴの話を聞かれたのですね。その流れで当家にいらしてくださったと。外交官のお仕事は大変忙しいと娘にお聞きしておりましたから、こうして興味を持ってお越しいただけること、当家としても大変嬉しいのですよ」
突然の滞在にも関わらず、ラムリ子爵が快く承諾してくれたことに改めて感謝。おっしゃる通り、外交官のお仕事は忙しくて、今日まで来れなかったからね……!
「ラムリ男爵家で有名なのは、農業革命に貢献されたカクーマ氏と、男爵芋を発見したオリザ氏ですよね。イチゴを名付けたのはどの方なのですか?」
「カクーマ氏と伝わっていますよ」
初代男爵のほうなんだ。彼は農業革命後、農作物の育て方の知識を乞われて、あちこちに出歩いていたらしい。国外にもその名前が届き、クロワゼット共和国から『赤い果実』と呼ばれていた実の栽培方法を聞かれ、その際に名づけも乞われたんだとか。
赤い果実なんて、大陸でもいっぱいあるからね。でもその結果、ミニトマトにイチゴって名付けたのだけが、理解できない。転生者かどうか、はっきりさせたい……!
悶々としながらラムリ子爵に案内されて、書斎に通される。せっかくだからとヴィクトルも一緒。促されてソファーに腰かけると、ラムリ子爵が箱を持ってきた。
「さぁ、こちらが手記です。古いものですから、お気をつけてお読みくださいね」
箱の中に大切に収められている手記。
私はごくりと息をのむ。
「ヴィクトル様、めくってください」
「え、僕? 君が読みたいんでしょ」
「いや、だってこんなに古い紙を触るの、怖いですもん」
前世の大学での演習を思い出す。
歴史学科だった私は歴史文化資料学の授業で、お寺の資料整理の実地演習があったんだ。虫食いだらけで墨がページに張り付いてめくれない、あの恐怖。修繕作業と言う名の神経質な演習のトラウマは生まれ変わってもちょっぴり残っている。写本だったら良いんだけど、原本に触れるのって怖いよね。うっかりやらかした時に責任取れません。
早く早く、とヴィクトルを小突く。一緒に来てくれて良かった。遠慮なくヴィクトルをせっつけば、呆れながらも手記の表紙をめくってくれた。慎重に、丁寧に。
手記の内容はそれほど多くない。珍しいこと、思うことがある時など、日付が飛び飛びで綴られている。そんな手記の始まりは、ラムリ男爵夫人が妊娠したことから綴られていた。
「妊娠って、命がけなんですね」
「いつの時代もね。だから僕ら男たちは、女性に優しくあるべきだと思うよ」
ラムリ男爵夫人の手記の冒頭は、無事子供が生まれるかどうかの不安ばかりが綴られていた。子供を産むという感覚が、前世を含めても私には未知のまま。でも子供を産むことに対する苦悩をここまで赤裸々に見てしまうと、結婚ってやっぱり怖いな、って思ってしまう。
それでも子供が無事生まれると、ラムリ男爵夫人も安心したようで、明るく前向きな言葉が綴られる。幸せそうな日々の中、名付けについてカクーマ氏と一悶着あったり。サンドイッチ伯爵ことベルナベウ氏は日本人っぽい名前をつけようとしてたけど、カクーマ氏はそうでもないからここではまだ判断がつかない。
読み進めるうち、収穫量がだんだんと落ちていくことを懸念したカクーマ氏が農業に力を入れ始めたことが手記に書かれ出した。男爵位の叙爵もあり、ますます農業にのめりこむカクーマ氏に、妻の寂しさが綴られることも。
そして息子のオリザ氏が十歳になる頃。いよいよ大飢饉が始まり、男爵夫人が息子にお腹いっぱい食べさせられないことを嘆くような言葉がよく綴られるようになる。
そしてある日、山に遊びに行ったオリザ氏が芋を持ち帰ってきた。カクーマ氏は大喜びでその芋の栽培を開始する。それが大当たりして、飢饉が少しずつ解消に向かっていき、その功績で子爵位までを叙爵された。男爵夫人から子爵夫人になった彼女は、カクーマ氏の才能を喜ぶと同時、そんな素晴らしい人の妻が自分で良いのかと苦悩が綴られていて。
「興味深いね。こんなに素晴らしい方の奥方であれば、もっと誇らしく思うものなんじゃないのかな」
「人によると思いますよ」
「そう? 母は甲斐性のある男に嫁ぐのが女の生き甲斐と言っていたからさ」
「それ、私を見て言えます?」
ヴィクトル様が黙ってしまった。ページをめくる手も止まってしまったので、早く手を動かしてとせっつこうとして顔をあげたら、彼の菫色の瞳が私をじっと見下ろしていて。
その真剣な眼差しに、ちょっとどきっとしていたら。
「結婚願望のないフェリシアが、ラムリ子爵夫人の苦悩を理解できるのがちょっと意外」
「私をなんだと思ってるんですか」
結婚願望はないけど、女心くらいは分かるよ。失礼しちゃう。ヴィクトルは女心が理解できずに恋人に振られるタイプの人間だ。きっとそうだ。そうに違いない。
「子爵夫人はカクーマ氏を心から愛していたんだと思いますよ。だからきっと、はるか先に行くカクーマ氏に対して、自分が不釣り合いだと思ってしまったんだと思います」
「フェリシアもそう思う感じ?」
「外交官として働く私より優秀な方が旦那様になってくれるなら、それはそれで本望ですね」
両親もきっと喜ぶと思うよ。
まぁ現状、外交官として働いているせいで旦那様が見つからないんですけど。たぶん男性側も同じような心理、あるんじゃないかな。
とりあえずは納得したのか、ヴィクトルは「そっか」と頷いて、ようやく次のページをめくってくれる。
子爵になり、作物に詳しい人物としてさらに引っ張りだこになったカクーマ氏。子爵夫人は忙しい夫を妻として懸命に支えようとするけれど、すれ違いの多い日々の中、カクーマ氏が少し落ち込んでいるのに気がついた。
「イチゴが出てきたね。カクーマ氏は名付けを後悔してるのか」
でしょうね。そうでしょうね。きっとそういうことだよね!
これだ。私が見つけたかった根拠。ここにあった。
「手紙だけで見た情報を鵜呑にしたのを後悔したのか。でも栽培は成功しているし、名前くらいそんなに気にしなくてもいい気がするけど」
「おっしゃる通りですね。ラムリ子爵家の七不思議に思われてますよ」
私たちが手記を読んでいる間、書斎の執務机で書類やら何やらに目を通していたラムリ子爵も穏やかに笑っている。この中で私だけがカクーマ氏に共感ができるけれど、それを言っても二人には分かってもらえないんだろうなぁ。
そんなことを思いながら、手記を読み進めていく。たまにラムリ子爵夫人の苦悩は綴られつつも、カクーマ氏の人柄を心から愛している様子や、息子のオリザ氏の成長を喜ぶ場面も多くあって。
ついでにカクーマ氏が発案したレシピもいっぱい出てくる。ポテトチップスにポテトフライ、マヨネーズを使ったポテトサラダ、芋餅、ケチャップ、ミートソース、エトセトラ。
すごく理解した。食べ物や農業関連でカクーマ氏が残したものはたくさんある。今ここで挙がったものは全部カクーマ氏由来だから、今後調べる必要はなし、と。これもあとでまとめなくちゃ。
そうして手記を読み終わった私たちは、その翌日には王都へ向けて帰路についた。
家に帰るのが待ち遠しいな。
カクーマ・ラムリ子爵。
この人、絶対にポテトフライにケチャップつけて食べてたと思う。三人目として確定だ。彼が食に対して貪欲だったことは、ちゃんと書いておこう。
【ハルウェスタ農業革命の父】
カクーマ・ラムリ子爵。
二百年前のハルウェスタ大飢饉の際に、農業革命を起こし国に貢献した人物。推定日本人。飢饉前に農業への貢献を評価され男爵位、飢饉終息時に子爵位を叙爵された。飢饉の際に息子のオリザ氏が芋の新種を発見。男爵芋と名づけられる。カクーマ氏が名づけた作物は色々とあるけれど、ミニトマトをイチゴと名づけてしまったことだけは後悔していたようだ。他、食に貪欲だったのか、多種多様のレシピを考案し、後世に残している。