66.はじめちょろちょろ、中ぱっぱ
安心した私は医師が来る前に意識が落ちたらしい。気がついたら知らない部屋のベッドで寝ていた。
『フェリシアさん、お粥派? 雑炊派? おじや派?』
『味がついているほうが好きかな。卵と醤油』
『じゃあ雑炊にしてやろー』
クーヤくんが私の部屋の暖炉で卵雑炊を作り出した。おにぎりだけじゃなくてお粥や雑炊もお手の物みたい。
私が櫓から落ちたあと。儀式は中断されたらしい。事故が起きたんだから当然だ。アニマソラ神樹国からは即座に各国へ謝罪が申し入れられたけれど、事故が起きたことによるアニマソラ神樹国への責任追及で、教皇ロナルディーナに非難が殺到しているそう。
それだけでなく、神子とハルウェスタ王国の関係性についてハルウェスタ王国側にも説明を求められているらしい。リュドミーラ様は一貫して、アニマソラ神樹国による判断とだけ主張しているのだとか。私なんかのために王女様の手を煩わせてしまうのがたいへん申し訳ない気持ちになる。
そんな私ですが、今はあの書庫のような地下室ではなく、クーヤくんにあてがわれた部屋のそばにある部屋に滞在中。高額寄付者の特別招待枠で来ていたティモとトゥロのはからいらしい。ネジェーリン伯爵家と懇意にしている神官たちに片端から声をかけて、私にとっての安全地帯を作ってくれたんだって。
「フェリシア、薬を持ってきたよ」
クーヤくんがせっせと暖炉で卵雑炊を作る中、ヴィクトルが部屋に入ってきた。手には包を持っている。本人の自己申告通り、薬なんだろうなぁ。
「飲みたくないです……」
「まだ熱があるんでしょ。頭痛もあるんだから、ちゃんと飲むように」
「うぅ……」
ヴィクトルが持ってきたのは粉薬。これがすごく苦い。でも、ロナルディーナやボフミルに飲まされていたあの銀色の飲み物より効果が覿面。
お腹が空っぽのまま飲むのは良くないらしいので、卵雑炊ができるのを待つことに。ヴィクトルと二人で、クーヤくんの卵雑炊作りを眺める。
『はじめちょろちょろ、中ぱっぱ〜。赤子泣いても蓋取るな〜』
「ねぇ、フェリシア。彼、いつもあの歌を歌いながら米を煮るんだけど、何の歌か分かる?」
ヴィクトルが不思議そうに聞いてきた。クーヤくんは日本語で歌っているから、ヴィクトルには意味が伝わらないみたい。
「お米を炊く歌ですね。はじめは弱火で、沸騰したらさらに火を強めるんです。火を止めたあとに、赤ちゃんがお腹が空いたと泣いていも、蓋は取っちゃいけません、っていう意味です」
「赤子が泣いているのに? 食べさせてあげないなんて、なんて意地悪な歌なんだ」
ヴィクトルのもっともな指摘に、私はつい笑ってしまう。こんなことで意地悪なんて言われたら、日本の童歌は意地悪や残酷なものばかりになってしまう。指切りの歌なんて定番なのに、その由來も意味も笑えないもの。
「比喩みたいなものですよー。火を止めたあとにすぐ食べるより、蓋を閉じたままにして蒸らしておくと、お米がふっくらしておいしくなるらしいです。小さい子にもおいしいご飯を食べさせてあげたい優しさですよ」
「そうなのかい?」
詳しくは覚えていないけど、私はそういう解釈をしています。というか。
「その話は私よりクーヤくんのほうが詳しいと思いますけど」
「それもそうか」
眼の前にお米の専門家がいるんですから。彼に聞いたほうが間違いなく手っ取り早い。でもクーヤくんは今、私の卵雑炊を作るのに忙しい。
「そういえば、各国の動向はどうなってますか。あれから五日経ってますけど……」
「事故の原因が分かって、表向きは沈静化したかな。水面下ではアニマソラへの責任追及は続いてるけどね」
あの櫓の事故の原因は、手すりを固定していた縄が緩んでいたことにあるらしい。ハルウェスタ王国の枝が絶妙に手が届かないところにあったのも、作業した神官が私よりも体格の良い人だったからとか。そこに作為的なものはなく、事故だったとアニマソラ神樹国は主張しているそう。
「それよりも君は療養に専念して。熱が下がらないと、ハルウェスタにも戻れないからね」
「はーい」
櫓の事故のあと、泣きじゃくった私は発熱してしまった。意識が朦朧としていたようで、この部屋に運ばれてすぐのことは覚えていない。一昨日から熱が下がり始めて、今もまだ微熱が残っている。
熱が下がったら、私は帰国する予定。私たちの本来の目的である神樹ゴドーヴィエ・コリツァの枝の贈呈と神官の招聘については、ヴィクトルに引き継ぎになった。結局こうなるのなら、最初からティモとトゥロが行くか、ヴィクトルに行ってほしかった。……というのはちょっとした愚痴としてそっと添えておく。
『よぉーし炊けた〜。雑炊なのでぇ、お水を追加で入れましてぇ〜。ハイ! たーまーごー! ぐーつぐつ〜、ぐーつぐつ〜!』
「フェリシア、あの歌は?」
「あー……卵雑炊の歌ですかね……?」
たぶんクーヤくんのオリジナルです。興が乗ってきたのか、クーヤくんの声が大きくなっている。
『お醤油で! 少々! 醤油! 味つけしまして〜! ぐーつぐつ! ぐーつぐつ!』
でも、卵雑炊を作っているクーヤくんが楽しそうなので、私も見ていて楽しい。耳に残りそう。ぐーつぐつ、ぐーつぐつ。
「……あのさ、フェリシア」
「はい、なんですか」
「君、これからどうしたい?」
これからどうしたい?
私は瞬く。それから天井を見上げた。
今回の出来事で、色んな国の外交官に私の顔は知られてしまった。たぶん、ハルウェスタ王国に戻っても、今までみたいに外交官を続けることは難しいかもしれない。変な憶測がずっとついてまわると思う。
それに神子という付加価値を、ハルウェスタ王国がどうするのか見当もつかない。ちょっとした名誉みたいな扱いをしてくれるだけなのか、それともアニマソラ神樹国みたいに、私の知識を利用しようとするのか。
「……ヴィクトル様は、アニマソラがどうして神子を欲しがってたか知っていますか?」
「リュドミーラ様から聞いたよ。三百年前の大陸戦争のようなものを起こさないように、っていう理由らしいけど」
そう、その通り。
私があの禁書庫でやっていたのは、戦争の引き金や、戦争で利用されたら大変なことになる危険な知識を仕分けることだった。アニマソラ神樹国は平和を保つために手段を選ばなかっただけで、目的そのものは世界平和だった。それはとても、尊ぶべきことだと思う。今回のこの強引な手段は如何なものかとは思うけれど。
「私は戦争につながるような危険な知識を封印するように言われました。逆に言えば私の知識は、そういうものもいっぱい持ってるってことなんです。ロナルディーナやボフミルは、それに気づいて私を……」
消そうとしたのかな、なーんて。
まぁ、櫓のことは偶然の事故というのなら、それ以上でもそれ以下でもないと思うんですけど。
でもボフミルは、学研都市リストテレスでの出来事もあったせいか当たりが強かった。ロナルディーナだって、私に余計なことはさせたくなさそうだった。だから私をあの地下書庫に閉じ込めて、必要な時にだけ外に出したのだとしたら。
私、まるで罪人みたい。
二人によってはめられた枷のようなものが、私の身体を重くする。
「たとえそうでも、君は危ないことにその知識を使わない。そうでしょ」
俯いていたら、ヴィクトルが私の手を握ってくれた。私はその手をぎゅっと握り返す。あぁ、やっぱりヴィクトルは私のことをよく見てくれている。
その手の大きさを感じていたら。
――それなら……キスしてください。一瞬だけで良いんです。
記憶が混乱していた時の、自分の大胆な行動が不意に頭をよぎった。
(わ、わわわわわ私! なんてことを!)
ヴィクトルとキスをしてしまった、かもしれない……!
記憶が曖昧! どうして私! 前世の私! 大胆過ぎる! なんでそんなことをしたの! なんで今、思い出したの! 顔が上げられないぃ……!
じわぁっと体温が上がってしまう。心臓も心なしか鼓動が速くなった気がする。静まれ、静まれ、と念じていても、無駄な抵抗。
「フェリシア? また熱が上がってきた?」
「だ、大丈夫ですぅ……っ」
「こっち向いて。熱測るよ」
ヴィクトルが私の首筋に手のひらを当てた。くすぐったくて、ぴくりと肩が跳ねてしまう。
「やっぱり熱いな……食事をしたら薬を飲んで、もうひと眠りするように」
「ふぁい……」
『おーおー、俺が卵雑炊作ってる間にいちゃいちゃしやがってー。フェリシアさんもやるなぁ』
『い、いちゃいちゃしてない! してない! クーヤくん、卵雑炊ありがとう!』
卵雑炊ができたらしいクーヤくんが、私のところにまでお椀を持ってきてくれる。熱々の卵雑炊。ハルウェスタ王国ではあまり見かけないそれを、私はありがたくいただいた。
クーヤくんの卵雑炊、すごく美味しかったです。




