60.錯綜する祝賀会(side.ヴィクトル)
神子のお披露目が終わり、その夜には神子のお披露目を祝う祝賀会が開かれた。神殿の中でも一番広い式典用のホールに軽食が並べられ、楽団が音色を奏でる。聞き覚えのある音楽に、ヴィクトルは楽団へと視線を向けた。
「モルデンブルグでの演奏会で聞いた……」
学研都市リストテレスへの長期出張の途中。モルデンブルグに常駐している外交官が好意でチケットを手に入れてくれた演奏会。そこでフェリシアが興味を惹かれた音楽の一つだ。彼女はこの音楽を聴いて、この音楽にまつわるラウレンツ言語を見つけ出した。
あの時のフェリシアのはしゃぎようはすごかった。とても楽しそうで、目をキラキラさせていて。その様子があまりにも眩しかったから、ヴィクトルも一緒にラウレンツ言語の翻訳をしてみようと思った。
そんなことを思い返しながらしばらく楽団の音色に耳を澄ませていると、リュドミーラに声をかけらた。
「ヴィクトル、大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
ヴィクトルはにこりと笑ってみせた。
先ほど神子に挨拶にいった。無難に挨拶をして、無難に終わる。そこにフェリシアという個人と話す時間は与えられなくて、さらっと流されてしまった。それが胸の中にわだかまりを作っている。
「それにしてもアニマソラは少々横暴が過ぎます。フェリシアはハルウェスタの者だというのに。もう少しくらい挨拶の時間をとらせてくださってもよいではありませんか」
「仕方ありません。神子に挨拶をしたい者たちは多いですから」
リュドミーラも少し腹に据えかねていたらしい。ちょっとだけご立腹の様子に、ヴィクトルは苦笑する。
仕方ない。これも神子の勤めだろうから。
そう思うたびに、ヴィクトルの胸がずきりと痛む。
(……調子が悪いかな)
人知れずため息をつきそうになる。王女殿下の隣でそんな醜態をさらすわけにはいかないから、ぐっと我慢するけれど。
でもそれも、束の間。
そういった我慢を取り繕わない人たちが、ヴィクトルに強襲してきた。
「ちょっとヴィクトル!」
「フェリシアちゃんどういうこと!」
ずんずんと人並みをかき分けてやってきたのは、双子の青年たち。見覚えのありすぎる二人に、ヴィクトルもさすがに驚く。
「ティモとトゥロ? どうしてここに?」
「うちの家、アニマソラにめちゃくちゃ寄付してるからさー」
「特別枠で招待されてるの〜」
「「それよりもフェリシアちゃんのこと、どういうことなのさ!」」
ヴィクトルは頭を抱えたくなった。これは説明が面倒くさい。
「ヴィクトル? その者たちはたしか……」
「王女殿下。こちらは僕の部下のティモ・ネジェーリンとトゥロ・ネジェーリンです」
「「ご無沙汰しております、リュドミーラ王女殿下」」
「あぁ……思い出しました。ネジェーリン伯爵家の双子ですね」
元々、神官を招聘する役割はこの二人に任される予定だった。顔合わせはしていたようで、王女殿下の表情も少し明るくなる。けれど、その表情はすぐに変わって。
「それでヴィクトル、さっきの話ぃー!」
「神子ってあれ、フェリシアちゃんでしょ!」
二人がそう主張した瞬間、王女殿下の表情が固いものになった。ヴィクトルはさっと周囲に視線を巡らせ、声をひそめる。
「その話は表にされていないことだから、あまり他言しないように」
「……それ、ほんとー?」
「なんでそんなことになってるの〜」
ティモとトゥロが唇を尖らざる。自分たちに知らされていないことが面白くないらしい。そうはいっても、ヴィクトルだってその場にいなかったのだからこっちが聞きたいくらいだ。
「なーんか面白くないなー」
「そだね〜。フェリシアちゃんのアレなに〜?」
「あれ、とは?」
「「サチって誰さ」」
ティモとトゥロの疑問に、ヴィクトルも言葉に詰まる。それだってヴィクトルが聞きたい。二人に問いかけられても、ヴィクトルには分からない。
「フェリシアちゃんだと思って挨拶しに行ったらさー、知らない人の対応されてさー」
「先輩としてだいぶショックだったんだよ〜? フェリシアちゃんのことが秘密なら仕方ないけどさ〜」
どこかで聞いたような話に、ヴィクトルの耳も痛くなる。徹頭徹尾、神子として知人との接触を制限されているのだろうか。ヴィクトルの知っているフェリシアならきっと、心の中で「ごめんなさぃいい」って言っていそうなものだけれど。
またつきりと胸が痛んだ気がした。ヴィクトルは胸の痛みを振り払うように大きく深呼吸する。
「式典が終わるまではそういう対応になるだろうから。フェリシアもきっと気まずい思いをするだろうし、あまり無理を言わないように」
「「しょうがないなぁ」」
双子はしぶしぶ納得したらしい。
ほっとしたのも束の間、また新たにヴィクトル目がけて人がやってきて。
『おい、ヴィクトルの兄ちゃん! どういうことだよ!』
玄蒼国語で怒鳴るようにやってくる少年がいる。その少年が別大陸の神子だと知っている者たちがさっと道を開けて、まっすぐにヴィクトルのもとへ導いた。
次から次へとやってくるヴィクトルへの来客に、リュドミーラがちょっと苦笑する。
「ヴィクトル。通訳は別のものに任せるので、玄蒼国の皇子のお相手を任せましたよ」
「ですが、王女殿下」
「ネジェーリン伯爵家の双子のどちらか。私の通訳についてくださらない?」
「それなら僕がつきます〜」
トゥロが立候補してリュドミーラについた。リュドミーラはそれに満足そうに頷いて、他の参加者との会話に混ざっていく。
ティモと一緒に取り残されたヴィクトルのもとに、クーヤが肩を怒らせてやってきた。
『どういうことだよ、フェリシアさんってば自分の名前を思い出せたのか!?』
『ま、待ってください。何の話ですか。名前を思い出すって』
『名前だって! さっきの!』
突然やって来て脈絡のない話をしだしたクーヤに、さすがのヴィクトルも混乱しかける。玄蒼国語での会話なので、クーヤの勢いと翻訳が追いつかない。
『さっきの名前……えぇと、ミモリサチ、という名前でしょうか』
『そうそれ! 思い出せたのか?』
不思議な会話だ。ヴィクトルはクーヤの言い方が理解し難くて、玄蒼国語を脳裏でよくよく組み立てる。
『サチという名前は、神官が式典をするために神子へ名付けたものではないのですか?』
『……もしかしてヴィクトルの兄ちゃん、フェリシアさんからちゃんと聞いてないのか』
クーヤの視線が痛い。フェリシアから聞いていない話? 責められるような言い方に、ヴィクトルの心臓がぎゅっと握られたかのように痛む。
『僕が彼女から聞かされていることは、あまりありません』
そう、ヴィクトルがフェリシアから話してもらったものはあまりない。それこそ、彼女が〝存在しない言語〟にまつわる人々を調べていることくらいしかしらない。それ以上も、それ以下もない。ただそれだけ。
『ふーん……それなら、いい』
クーヤはヴィクトルが何も知らないと知ると、興味が失せたかのように背を向けた。その態度に、なぜだかヴィクトルは無性に腹の中がむかむかして。
『……逆にクーヤ殿はフェリシアから何を聞いているのですか』
去ろうとしたクーヤの背中にそう問いかけた。クーヤは肩越しにちらりとヴィクトルを見ると、唇を尖らせる。
『フェリシアさんが言わないもんを、俺が言うわけにはいかねーよ』
道理だ。
フェリシアがヴィクトルに言わなかったことを、他者から聞くのは野暮だろう。でもヴィクトルは、それが無性に気になった。お披露目の時に感じた、フェリシアがフェリシアでないような感覚。あの感覚が、ヴィクトルの中で焦燥を生む。
『教えてください。フェリシアは、何者なんですか』
ヴィクトルの問いかけに、クーヤが振り返る。
金色の瞳が鋭くヴィクトルを射抜いた。
『それを聞いてどうするんだ。フェリシアさんがあんたに隠したいことをわざわざ暴くのか? なんの権利があってそれができると?』
ぞわりと肌が粟立つ。
それまでのクーヤの雰囲気とは一転して、まるで猛獣と対峙しているような気持ちになった。少年の出す気迫じゃない。
それでもヴィクトルはまっすぐに彼の視線を見返す。今を逃したら、きっと自分は後悔する。そんな予感がヴィクトルの中にある。――こういう時の勘を、ヴィクトルは外さない。
『権利がなければ聞いてはいけないのですか。それなら僕はこう答えます。僕は彼女と約束しました。彼女が〝存在しない言語〟を知る者たちを本に残すと言った時、僕が彼女についてその本に記すと約束しました。これは、その本に残すべきことでしょう』
フェリシアが収集していた〝存在しない言語〟にまつわる者たちの人生。今、その真実に触れた気がした。〝存在しない言語〟が〝神の国の言語〟であるのなら。フェリシアが収集していたのは、神子たちの人生だ。
そしてもし、神子にとって〝神の国の名前〟というものがそれほどに大切であるのなら。
『彼女の綴る本の最後に、僕が彼女の名前を残します』
それをするのが、ヴィクトルの役目。
そう、約束をした。
クーヤはじっとヴィクトルを見据える。
ヴィクトルもまた、クーヤを見据える。
二人で見つめ合っていると。
唐突にざわりと会場中がどよめいた。音楽が止み、人々の視線が一点に集中する。
「なんだ……?」
『カズミヤ、いるか?』
ティモが人々の視線が集まっているほうに駆け寄っていった。何が起きたのだろうか。ヴィクトルが人々のほうを見ていると、いつの間にやらカズミヤがクーヤのそばに控えていて。
『神子様が倒れられたようです。化粧で隠していますが、やはり顔色が悪い。頭痛がするのか頭を抱えていらっしゃいました』
弾かれたようにヴィクトルはカズミヤを見た。クーヤも険しい表情になる。
『あいつら……フェリシアさんに何をしたんだ』
クーヤの言葉に、ヴィクトルは全身から血の気が引いていく気がした。




