59.神の国にて授かりし名(side.ヴィクトル)
神樹の神子が見つかったと各国に通達され、改めて神子のお披露目の日程が調整された。急に変更された予定にわずかな不満も出たものの、仮初めの神子より本来の神子が見つかったことで、概ね各国の反応は良いものが多かった。
ただし、ハルウェスタ王国から神子が選出されたことは伏せられた。そのせいか、神子がどの国の人間なのかと詮索するような噂がアニマソラ神樹国中を駆け巡った。
そうしてやってきた神子のお披露目の日。神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭の前日祭にもあたる大きな行事の幕開けで、長らくアニマソラ神樹国に滞在していた各国の使節はようやく安堵した。
(神樹ゴドーヴィエ・コリツァ、いつ見ても不思議な樹だ)
神殿の窓からここ最近、毎日のように見ていた樹。今は枯れ木の季節で葉はなく枝だけの姿だ。けれど雲を突き抜けるほど大きな大樹は、その頂きが万年青々としげっている。巨木の存在感は生命力の強さと同義だ。
普段は一般開放されている神樹の御下の庭園も、今日の式典まで封鎖がされていた。神樹の神子の潔斎と同じで、祭事にあたり場の清めを行っていたのだとか。
その庭園に、続々と各国の代表が入場していく。ヴィクトルが行ったことのある国ももちろんあれば、まだ行ったことのない国、あまりにも遠すぎて国交がほとんどない国など、大陸中の国々の代表がこの場につどった。
かくいうヴィクトルも、ハルウェスタ王国代表である王女リュドミーラの付き人として参列を許された。当初はフェリシアが不在となる間の補充人材をアニマソラ神樹国側が用意する手筈になっていたけれど、ヴィクトルがフェリシアの上司としてそのまま代理を勤めることにした。クーヤもそれには納得してくれたので、晴れてヴィクトルはハルウェスタ王国の外交官としての仕事に戻ることになった。
(そのクーヤ殿も、堂々としているな)
庭園の中でも神樹ゴドーヴィエ・コリツァに一番近い場所の椅子に座っている黒髪の少年。玄蒼国伝統の盛装に身を包んだ彼は普段の陽気さはなりを潜めていて、異国の皇族としての威厳のようなものが漂っている。
やがて各国代表の入場が終わると、高位の神官たちが一斉に儀式用の杖を掲げた。
(あれがアニマソラ神樹教に伝わる、神樹の杖か)
神官の中でも限られた者のみが持つことが許されるという、神樹の枝から作った杖。それを神官たちは惜しみなく天へと掲げた。
『神樹の神子のお出ましである!』
どこからともなく楽の音が盛大に響き渡った。全員が起立し、神子の入場を心待ちにする。
神殿の扉が開かれる。
そこに立つのは、一人の女性だった。
陽をたっぷりと浴びたような金の髪を風になびかせ、神樹の葉を思わせるような翠緑の瞳が明るく燦めいている。緊張しているようで少し表情はぎこちないけれど、神子を表す純白のドレスを纏ってゆっくりと庭園に敷かれた道を歩く。
(フェリシアだ)
少し離れた道を歩いていく神子を見て、ヴィクトルはそう思った。間違いなくフェリシアだ。けれど、どこか違和感が浮かび上がる。
その違和感が掴めなくて、ヴィクトルはじっと神子として立つフェリシアの顔を見つめた。
『皆様、長らくお待たせいたしました。大陸戦争より三百年の節目を迎えた今日この良き頃に、神樹の神子を皆様にお披露目することが叶うこと、神官一同大変嬉しく存じます』
教皇ロナルディーナが神樹神樹ゴドーヴィエ・コリツァの前に立てられた演壇に上がり、口上を述べ始めた。その間、神樹の神子は演壇のそばに控えたまま。そのフェリシアの表情をヴィクトルは観察し続ける。
(……緊張している?)
違和感の正体にようやく気がつく。
フェリシアは伯爵令嬢だ。貴族令嬢らしく、よそ行きの顔を取り繕うのはお手の物。外交官としてこういった式典にも何度か参加しているから、慣れているはずだ。それでも緊張したように表情が固いのは、神子という重圧のせいだろうか。
ヴィクトルに気づかないフェリシアは、どこを見ているのか分からない。フェリシアの緊張が移ったかのように、ヴィクトルは自分の手を握りしめた。
『それではまずは皆様に、認証の儀を行っていただきます。神樹の神子よ、こちらへ』
教皇ロナルディーナがフェリシアに呼びかけた。フェリシアは緊張した面持ちのまま、登壇する。
『こちらが当代の神樹の神子でございます。まずは神子の認証の儀として、神の国の言葉にて祝詞をあげていただきます。では神子』
登壇したフェリシアは、教皇ロナルディーナに促され、そっと壇上に一人立つ。それから言われるまま、祝詞らしきものをあげていく。
――まだ人々が言葉も営みも獣と同じだった頃。月の向こうの神の国より一柱の神がこの地に降臨されました。神は自分とよく似た姿の人々に興味を持ち、言葉と営みを与えました。
不思議な響きの言葉だった。ヴィクトルの知らない言語。けれど確固となる規則に基づいて発音されていることが分かる音の羅列。ヴィクトルはそっとクーヤのほうに視線を向けた。
クーヤは動じていない。皇族としての育ちゆえだろうか。もしクーヤがあの言葉の羅列を正しく聞き取っているのなら、その内容をあとで聞いてみたいとヴィクトルは思う。
――神はその智慧のあらん限りを人々に与えました。人々の暮らしが豊かになるよう導いたのです。しかし人の中には獣だった頃のまま、闘争の心を持つ者もいました。やがて神はそういった悪い心を持つ者により居場所を追われ、この地にて根を降ろされました。そして悠久を生きる神樹ゴドーヴィエ・コリツァとなったのです。
透き通るような声で謳われた祝詞が、風に乗って空へと消えていく。この場にいる誰もが神聖な響きが感じ取り、ただ静かに耳を傾けた。
言葉の余韻が完全にかき消える頃、教皇ロナルディーナは再び神子の隣に立つと各国の代表者を見渡した。
『神樹の神子を承認する者は、どうぞ拍手を』
瞬間、耳が割れんばかりの拍手が響き渡った。
誰も理解できないその言葉。だからこそ、誰もが彼女を特別な存在だと認識した。それはハルウェスタ王国の王女や大使も例外ではなく、その目はもうフェリシアという外交官ではない別の存在を見るものに変わっていた。
そんな中でヴィクトルだけが、なぜだか遠いところに行ってしまった彼女に対して、言いようのない気持ちを抱えてしまっている。
(……どうしてフェリシア。君はそんな顔をしているんだ)
鳴りやまない拍手の中、フェリシアは不安を誤魔化すようなぎこちない笑みを浮かべている。それがどうしようもなくヴィクトルの胸をしめつける。
やがて止まらない拍手を止めるため、教皇ロナルディーナが片手を上げた。それを合図に、拍手は鳴りをひそめていく。
『皆様の認証のもと、ここに正式に神樹の神子を擁立いたします。神樹の神子よ、あなたが神の国にて授かりし名を、どうか我らにもお聞かせください』
教皇ロナルディーナの言葉に反応したのはクーヤだった。それまですまし顔でいた彼が顔を動かしてフェリシアを見た。ヴィクトルはそれに気がついて、フェリシアではなくクーヤのほうを見てしまう。
クーヤの表情はよく分からなかった。顔がフェリシアのほうを見ていて、横顔しか見えないというのもある。その表情を見るか、フェリシアのほうに視線を戻すか。逡巡している間にも、教皇ロナルディーナは式を進めていって。
『さぁ、神樹の神子。あなたのお名前を、この世界に響かせ給う』
教皇ロナルディーナの問いかけ。
ヴィクトルはそれを知らなかった。
〝神の国にて授かりし名〟が何を指すのか。
フェリシアはフェリシアだと、ヴィクトルはずっと思っていた。
『……わたしは、日本から来ました水森咲千です』
知らない名前が彼女の口から紡がれる。
まるでフェリシアという存在が瓦解するかのように。
ヴィクトルは目の前にいるはずの金髪の女性が何者か、分からなくなった。




