58.あり得ないはあり得ない(side.ヴィクトル)
ヴィクトルはさっそく、ハルウェスタの第一王女リュドミーラの宿泊している王族専用施設に面会予約を取り付けた。事前に大使のジェミヤンに挨拶はしておいたので、王女リュドミーラへの面会はすんなりと通った。
「貴方も来ていらしたのですね。ミシリエ男爵」
「ご無沙汰しております、リュドミーラ王女殿下」
応接用の部屋に通されたヴィクトルは、リュドミーラに挨拶をすると、ちらりと付き添いの外交官を探す。そこに見慣れた金髪の女性はいなかった。
リュドミーラが来るなら専属の通訳としてフェリシアが同行する可能性はある……と思ったけれど、この場にフェリシアがいないことで、推測は外れたらしいと少し安心した。昨年の社交界以降、フェリシアはアニマソラ神樹国に苦手意識を持っていたのを、ヴィクトルは知っていたから。
とはいえ、この場に大使以外の外交官が見えないのも不自然で。
「王女殿下、慣れない異国生活ですが不足はありませんか」
「いいえ、みんな良くしてくださってます。ただ、その……」
リュドミーラはちらりとジェミヤンと目配せし合う。ジェミヤンも固い表情で、ヴィクトルはなんだか嫌な予感がよぎった。
「どうかされましたか?」
「その……フェリシア・エリツィンのことです」
「フェリシア?」
ここでまさか、フェリシアの名前が出てくるとは思わなかった。ヴィクトルが眉をひそめると、リュドミーラは言いづらそうに視線を彷徨かせる。王族としてはあまり褒められた所作ではなくて、それがますますヴィクトルの中の不安を煽った。
「彼女がどうかしましたか。部下の不始末があれば、上司である私の責任です。もしや何か……たとえば今回のアニマソラ行きに関してひと悶着ありましたか」
たとえば、アニマソラ神樹国に良い思い入れのないフェリシアが、王女殿下の通訳から降りるために非礼を働いたとか。フェリシア自身も伯爵令嬢なので、そんなことはしないと思いつつも、絶対とは言い切れない。彼女はたまに無茶をするから。
ヴィクトルがそんなことを思っている前で、リュドミーラは慌てて首を振った。
「いいえっ! 彼女に落ち度はありません! ここまでの道も彼女がいたからこそ、快適に来れたのです」
「……いたからこそ?」
どういうことか、とヴィクトルはジェミヤンを見た。ジェミヤンは困ったような表情で、ぽつりと話す。
「王女殿下の通訳としてフェリシアさんが同行されていました」
「当初の話では、同行の外交官はティモかトゥロの予定だと伺っていましたが」
「それが、アニマソラ側が急遽神官の変更を申し出て……女性神官の派遣になったのですが、その神官が男性を苦手としているからと……」
ヴィクトルは苦虫を噛み潰したような気持ちになった。可能性として考えていたことは現実になっていたらしい。
「フェリシアさんもそれを理解して同行してくれていたようなのですが……その……まったくの想定外がありまして」
「想定外?」
聞き返しながら、ヴィクトルは部屋の中をもう一度見渡した。見慣れた金髪の女性は、やっぱりこの部屋にいない。
嫌な予感がどんどんと膨らんでいく。
「フェリシアは……今はどちらに?」
王女の通訳として同行しているのなら、リュドミーラと一緒にいるはずだ。それなのに、この部屋にいないのは何故?
ヴィクトルがじっとジェミヤンの顔を見つめると、彼は言いづらそうに閉口してしまう。その様子を見て、ヴィクトルの表情は険しくなる。
「フェリシアはどちらに?」
「……彼女は今、神子としてアニマソラ神樹国側の預かりとなっております」
追及するように繰り返した問いかけに答えたのは、リュドミーラだった。
それも、信じられない内容とともに。
「……今、なんておっしゃいましたか。フェリシアが、神子、と?」
「はい」
嫌な予感は正しかったらしい。
ヴィクトルは思わず頭を抱えてしまった。
(フェリシアが神子? まさか、そんな……あり得ない……とは、言い切れない……っ!)
クーヤが神子だったのだ。その彼と、フェリシアの共通点。この世界にない言語という繋がり。そしてそれにまつわるものが、このアニマソラ神樹国の禁書庫にあると、さっきクーヤが話してくれたばかりだ。
神子の資格が〝存在しない言語〟にまつわるものなら、フェリシアにも確かにその資格が、ある。
「……神子としての引き渡しは、王女殿下の権限でしょうか」
「そうです。神子が我が国から選ばれたことは大変名誉なことですから」
王女の言い分はもっともだ。
アニマソラ神樹国が見つけられなかった神子が見つかった。神子が見つからなかった場合に備えて、わざわざ別大陸から代理の神子を呼び寄せていたほど、神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭において、神子の存在は重要だった。その神子が自国から見つかったというのだから、それは大変めでたいことだと思う。喜ぶべきだと、思うけれど。
「まもなく、神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭に向けた前日祭が始まります。その式典までは私の権限のもとで、フェリシアには神子のお役目を勤めるよう命じました。その後のことは、改めてハルウェスタに持ち帰り、アニマソラ神樹国と正式に話し合いの場を設けるつもりです」
リュドミーラの下した判断は正しい。ここでアニマソラ神樹国と軋轢を生むのは得策じゃない。大陸戦争から三百年、平和式典を兼ねているこの祭典期間中に、他国間で折衝するのは真っ先に避けることだ。
だけどヴィクトルは、どうも納得がいかない。
「今さら……どうしてフェリシアが神子だと分かったのでしょうか」
「今さら、とは?」
リュドミーラが小首を傾げた。ヴィクトルはこれまでのアニマソラ神樹国とフェリシアの関係を思い出す。
「フェリシアは二年ほど前にアニマソラ神樹国へ寄付のために派遣されています。その際、教皇猊下と謁見していました。それに昨年も、神子探しの名目で教皇猊下自ら身分を隠してハルウェスタにいらっしゃっています。その時には何も仰らなかったのに、今になってどうして」
リュドミーラとジェミヤンが顔を見合わせた。二人とも困惑したような表情になり、ヴィクトルを見る。
「ヴィクトル。フェリシアを心配する気持ちは分かります。ですが、これも平和のため。それも大陸戦争から三百年の節目の祭典のためです」
「フェリシアさんもそれを理解して、神子のお役目につくと仰っていました。我々がそれに口出しするのは出過ぎたことですよ」
リュドミーラとジェミヤンの二人からそんなことを言われてしまえば、ヴィクトルも何も言えない。
でもどうしてだろうか。
フェリシアが神子だと聞かされた瞬間、嫌な予感がさらに増した。彼女が常々探していた〝存在しない言語〟が神子の証であり、神の国から彼女が来たという証明であるなら。
(フェリシアはいったい、何を探しているんだ)
いつか、彼女が話していたことを思い出す。
――〝存在しない言語〟を知っている人たちは皆、色んなものを抱えていると思いますから。
あの時、彼女に「君も何かを抱えているのか」と聞いた。その時は笑ってはぐらかされてしまったけれど。
ヴィクトルの勘が告げている。
フェリシアが神子になることを承諾したのはきっと、その〝存在しない言語〟でしか読み解けないものがあるからだろう。そして同時に、クーヤの話していたことも思い出す。
神子しか入れないと言われている、禁書庫。
そこに彼女の探している〝何か〟はあるのだろうか。
もしフェリシアならばきっと。
(ここぞとばかりに禁書庫に行くんだろうな)
彼女の行動はいつだって単純だ。自分のやりたいことへまっすぐ突き進む。たとえその道が危険なものであろうと、少しの危険なら見て見ぬふりしてしまう。そんなフェリシアが危なっかしくて見ていられなかった。
だからきっと、今回も彼女はいつもの調子で神子としての役割を承諾したのだろう。
そう、思うからこそ。
(胸騒ぎが止まらない)
フェリシアを一人にするべきじゃない。
ヴィクトルは立ち上がると、リュドミーラとジェミヤンに退室の旨を告げて部屋を出た。目指すのは、玄蒼国の皇子クーヤにあてがわれた部屋。仮にも神子の代理として招かれている御仁なので、他の王族とはまた別のところに部屋を用意されている。
急ぎ足で部屋に戻る。
でも部屋には誰もいなくて。
「出かけた……? いや、神子に、フェリシアに会っているのか?」
さっきクーヤはカズミヤに神子との面会を頼んでいた。同じ神子同士、もしかしたらすでに会えているのかもしれない。それなら、とヴィクトルはこの部屋で待つことにした。
もしクーヤが戻ってきて。神子が本当にフェリシアだったとしても、クーヤを通して何事もなく無事に過ごしていることが分かれば、この胸騒ぎも打ち消されるはず。そう思って、待つことしばし。
にわかに廊下から人の近づく気配がした。ヴィクトルは立ち上がり、この部屋の主を迎える。
『クーヤ殿。戻られましたか』
『おわっ……ヴィクトルの兄ちゃん……あー……もしかして、フェリシアさんのこと、聞いた?』
玄蒼国の皇子として正装しているクーヤが部屋へと戻ってきた。供をしていたカズミヤも部屋へと入ってくると、暖炉の火で湯を沸かし茶の支度を始める。
ヴィクトルは開口一番、クーヤの口からフェリシアの名前が出て、彼女が神子として選ばれたことは間違いないと悟った。
その割には、クーヤの表情は曇っていて。
『フェリシアは元気でしたか』
『あー……うん……どうかな……』
歯切れの悪いクーヤの言葉。
ヴィクトルはそれに眉をひそめて。
『何かありましたか』
『何かって……何もないというか、なんというか……』
『クーヤ様、気になることはきちんと口にしたほうが良いかと』
お茶を用意したカズミヤがズバリと言う。クーヤが好んで飲んでいる玄米茶のこうばしい香りが鼻をくすぐり、ほんの少しだけ彼の表情が緩んだ。
『そうだな。ヴィクトルの兄ちゃんが俺のとこに来てくれて良かったぜ。もしいなかったら俺、立ち直れなかったかも』
はぁ〜と盛大にため息をつくと、クーヤはヴィクトルを見て少し寂しそうな表情になる。
『あのさ。フェリシアさんって俺のこと、なんて言ってた?』
『……その質問の意図が分かりかねます』
クーヤからの質問に、ヴィクトルはさらに眉をひそめる。フェリシアがクーヤについて何かを言っていたか。そんなことを聞かれても、フェリシアからクーヤの名前が出ることはほとんどない。それこそ初めて会った時以降、実際に手紙での交流があるのかも聞いてすらいない。
『フェリシアに何か言われましたか』
『いーや、逆。何も言われなかった』
逆?
クーヤの言葉にヴィクトルの眉がぴくりと動く。
フェリシアの性格からして、クーヤと再会できたらとても喜ぶはずだ。それなのに何も言わなかった?
クーヤは口をへの字にしながら、玄米茶をすする。
『はじめましてって言われた。神官のいる中で初対面じゃないってのを勘ぐられるのも面倒だからさ、それは別に良いんだけど。でもちょっとショックだったんだぜ?』
たしかに、神官のいる中で神子同士が知り合いだったと知られたら、何か余計なことを勘ぐられるかもしれない。そう思うのはよくある駆け引きのひとつだ。けれど、フェリシアがそういった態度を取ることに違和感を覚える。
フェリシアはそういった打算よりも、再会の喜びや知り合いが神子だったことに驚きそうなものなのに。
『ヴィクトル殿。フェリシア様は何か持病などをお持ちでしたでしょうか』
唐突にカズミヤが尋ねた。どうしてそんなことを聞かれるのか。ヴィクトルは困惑しつつも、首を振る。
『彼女に持病はないはずです』
『お会いした際、顔色がたいそう悪く感じられました。頭痛もあるようで、面会が早くきり上げられたのも彼女の体調によるものでしょう。クーヤ様はそれを心配なされております』
カズミヤの言葉にヴィクトルは腰を浮かせた。フェリシアの顔色が悪かった? それに頭痛?
『クーヤ殿、フェリシアはこのままで大丈夫なんですか。体調が悪いのに神子の勤めをさせられているのですか』
『俺に聞かれても分からんよー。これから潔斎に入るんだってさ。その間に体調戻ると良いんだけど』
クーヤはそうぼやくと、玄米茶をぐいっと飲み干す。沸かしたばかりのお茶だから、クーヤはちょっと熱そうに舌を出して冷ましていたけど、でもすぐに決意したようにヴィクトルを見た。
『ま、体調が戻らなかったら俺が代理で出てやるよ。フェリシアさんが体調悪いのに無理やり神子のお披露目とかさせるの可哀想だしな。そのほうが、ヴィクトルの兄ちゃんも安心だろ?』
クーヤがいれば、もし万が一にフェリシアに何かあっても支えることができる。だから今しばらく神子の代理としてここに残ると決めたクーヤに、ヴィクトルはほんの少しだけ安堵することができた。
でもそれは本当に少しだけ。
フェリシアが体調を悪くしても神子の役割を果たさないといけないのは、やっぱりどうしても釈然としない。
(やっぱりフェリシアを一人にするのは、不安だ)
そんな気持ちがどうしても募った。




