54.アニマソラ神樹国へ出発
ゴドーヴィエ・コリツァ年輪暦、一三三八年。
年の暮れ。
ハルウェスタ王国第一王女リュドミーラ様の通訳として、私はアニマソラ神樹国へと出立した。
旅の日程は、馬車で約一ヶ月ほど。他国で年を越すという不思議な体験をした。王女殿下の旅路ということで護衛の数も多い。外交官だけの速さ重視での移動ではなく、ゆったりと優雅な旅になった。
王女殿下の馬車ということで物取りに狙われる確率が格段に跳ね上がるかと心配したけれど、そんなこともなく。護衛の騎士たちの優秀さは相当だった。ハルウェスタ王国の騎士の優秀さに乾杯したい。
「フェリシア、あとどれくらいかしら」
馬車の中、にこにこと笑っている王女殿下。ふわふわの長い金髪と、ボリュームのあるドレスに埋もれている姿は、まるでもこもこの小動物みたい。
そんな可愛らしいリュドミーラ様は、朝からずっとその質問を繰り返している。
「あと半刻ほどこの街道を進めば、アニマソラ神樹国の神樹が見えると思いますよ」
「まぁ……! 本当にもうすぐなのね!」
リュドミーラ様の表情がぱぁっと明るくなる。一ヶ月の旅路はリュドミーラ様にとって冒険だった。ほとんど城から出たことのないリュドミーラ様が突然一ヶ月もの馬車旅なんて、かなりしんどかったと思う。三日目にはお尻が痛くなって座っているのも辛そうだったもの。
それでもリュドミーラ様は、行く先々の街で目を輝かせた。ハルウェスタ王国の王都とは違う風景を持つ街はリュドミーラ様にとって目新しいものばかり。辛い道のりも、街並みを眺めては癒やされている様子だった。
その終着点にようやくたどり着くということで、リュドミーラ様のわくわくも最高潮。
「楽しみだわ、神樹ゴドーヴィエ・コリツァ……ふふ、一生に一度は見てみたいと思っていたのよ?」
「それは良かったですね」
「ええ! フェリシアは神樹ゴドーヴィエ・コリツァを見たのでしょう? どうだった?」
「どうだったと言われましても……」
大きな樹だったとしか。
神樹ゴドーヴィエ・コリツァは本当に大きな樹だった。スカイツリーくらいに大きい。世界樹って言われると納得するし、地球にはそんな大きさの樹は無かったから、ここが異世界だと痛感するような光景だった。
この世界にはビル群がないから、あまりにも大きな樹はアニマソラ神樹国のどこからでも見れる。ふと振り向くと天まで伸びる大樹があるのだから、滞在初日とかはついついそちらに視線がいきがちだったな。
「すごく大きいので、いつも神樹に見守られているような気持ちになるかもしれませんね」
「まぁっ! それはとても楽しみだわ!」
リュドミーラ様が満面の笑みを浮かべて、車窓から外の風景を眺めだす。私も退屈しのぎに窓の外の風景を眺めた。私の隣にはリュドミーラ様の侍女もいて、静かに目を瞑って馬車に揺られている。……眠っているのかしら?
「……御用でしょうか、フェリシア様」
「あ、いえ。ぼんやりしていただけです」
「左様ですか」
すまし顔の侍女の名前はユーリヤさん。私語はほとんどしないけれど、リュドミーラ様愛溢れる侍女だ。休憩の時には、これでもかというくらいリュドミーラ様の世話を焼くのを私は知っている。
そんな女子三人で馬車に揺られていることしばらく。窓の外を眺めていたリュドミーラ様から歓声が上がった。
「ユーリヤ、ユーリヤ! ご覧なさい、神樹ゴドーヴィエ・コリツァよ!」
リュドミーラ様が声を上げられた瞬間、ユーリヤさんがぱちりと瞼を押し上げて、車窓を覗いた。私も窓の外を見てみる。
街道沿いの林の向こうから、さらに大きな木が見えた。天まで届きそうなほど高いその樹は冬にも関わらず青々と生い茂っている。でも葉が瑞々しいのは頂きのほうだけで、地上に近づくにつれて葉が紅葉しているのが見えてくる。季節のグラデーションがこの樹一本で体現されているみたい。あれが、神樹ゴドーヴィエ・コリツァ。この世界の礎になるもの。
「本当に大きいのねぇ……」
「左様でございますね」
さすがのユーリヤさんも驚いたようで、表情が崩れている。私はまじまじと車窓を見つめ続ける二人の注意を引くべく、こほんと咳払いを一つ。
「王女殿下。ユーリヤさん。神樹が見えましたら、もうさらに半刻ほどでアニマソラ神樹国へと入国いたします。入国時の手続きはお任せいただければ大丈夫ですが、門番にお顔だけお見せくださいませ」
一応、検問があるので。アニマソラ神樹国側の罪人というよりは、近隣諸国からの指名手配犯に対するものなのだけれど。
アニマソラ神樹国は小さい国であるものの、そこは神樹ゴドーヴィエ・コリツァを祀る宗教国家。他国からすると治外法権で手が出せない場所だ。そんな国には、これ見よがしに逃げ込もうとする罪人が昔からあとが絶たず……アニマソラ神樹国側でも迷惑だし、指名手配をかけている国はもっとピリピリしている。アニマソラ神樹国では、外交的な塩梅を保つための検問が入国時に義務付けられているのです。
ちなみに出国時はけっこう緩い。基本的に入るものに厳しく、出るもの拒まずというのが、外交におけるアニマソラ神樹国のスタンスだ。むしろアニマソラ神樹国で出国時に検問が厳しくなったら、何かあった時だろうね。
「分かりました。フェリシア、頼みますね」
「お任せください」
そのための外交官ですから!
面倒な事務手続きをこなし、無事に入国した王女殿下一行はしばしの待機のあと、神殿から遣わされた案内人の先導でアニマソラ神樹教の神殿に向かった。同時にハルウェスタ王国の大使館にも伝令を出して、合流を呼びかけておく。
ゆったりと馬車は道を進み、やがて神樹ゴドーヴィエ・コリツァを囲む大きな神殿へとたどり着いた。リュドミーラ様をあてがわれたお部屋にお通ししたあと、一行の主要メンバーたちで集まる。
私は案内人にこれからの流れを確認して、それを侍女のユーリヤさんや護衛騎士をまとめる部隊長アキムさんに共有した。
「王女殿下は身支度が出来次第、教皇猊下との謁見が可能だそうです。夜は晩餐会がありますが、それまで少し時間がありますので、しばらく王女殿下も休めるかと」
「かしこまりました。では私は王女殿下の身支度をいたします」
「我々は荷物を運び入れたら、隊員を交代で休ませる」
ユーリヤさんもアキムさんも、それぞれの役目を果たすべく動く。私もまた、外交官としての仕事をしないと。
「私は大使と合流します。控室におりますので、ご支度ができたら声をおかけください」
ハルウェスタ王国から派遣されている大使ジェミヤンさんに伝令が送られているはずなので、アニマソラに滞在している間は私と彼の二人で諸々を対応することになる。謁見前に挨拶しておかないとね。
ということなので、ここで一度解散。
本当は王女殿下も大使館で宿泊できたら一番だったけれど……アニマソラ神樹国は小さい。すごく小さい国だから、お国柄、建物が小さく狭く作られている。だから私たちの大使館も他より少し広めの一軒家くらいしかない。王女一行の人数を全員は泊められないし、警備も不安。そういう王族のために、神殿は王族専用の宿泊施設があるので、それを活用しない手はなかった。
ちなみに神樹ゴドーヴィエ・コリツァの周囲を囲むように建てられた神殿は広くて大きい。今回は臨時の宿泊施設も寄付金を使って建てたようなので、大使館がない国の人たちが泊まりに来ても大丈夫らしい。二年前、私とイェオリが持っていった寄付金はこういうことに使われているみたい。
国家どころか大陸ぐるみの盛大な行事だから、招くほうも招かれるほうも大変ね。
そんなことを考えながら控室に顔を出すと、ジェミヤンさんは既に控室にいた。
「ご無沙汰しております、ジェミヤンさん」
「フェリシアさん、お元気でしたか」
にこりと物腰柔らかく出迎えてくれるのは、ハルウェスタ王国から派遣されている常駐大使のジェミヤンさん。二年前、寄付金を持ってきた時にも大変お世話になりました。
「お疲れでしょう。どうぞお座りください」
「ありがとうございます」
ジェミヤンさんがお茶を淹れてくれた。お茶を飲みながら近況を報告しあい、今回の滞在についてざっくりと打ち合わせをする。疲れていても、このあと謁見を控えているので休む間もないですね。
「今後の流れはこれで大丈夫でしょうか」
「そうですね、問題ないですよ」
あらかじめ頂いていた日程表をジェミヤンさんに渡せば、彼は穏やかに微笑みながら受け取って目を通す。認識と相違がないことを確認してもらって、私は日程表を返してもらった。
「各国顔合わせ、神子のお披露目、平和祈念夜会、神樹の枝の選定……神樹の枝を貰うだけなのに、一ヶ月以上もかかるなんて。長い行事ですね」
「祭事ですからね。こういった祭事は手間暇を惜しまないものですから」
今世での式典は総じて長いけれど……ここまで日数のかかるような大がかりな式典は無かったと思う。それだけ規模が大きい式典だということなのだけれど。
雑談混じりにジェミヤンさんと話していると、しばらくしてコーリヤさんが呼びに来てくれた。私とジェミヤンさんは頷きあって控室を出る。
美しく着飾ったリュドミーラ様をお迎えし、私とジェミヤンさんでアニマソラ神樹国の神官の案内に従って先導していく。謁見の間までくると、護衛は一人を除いて待機を命じられた。その一人には今回の護衛部隊の責任者であるアキムさんがつく。
「よく来てくださりました、ハルウェスタ王国第一王女リュドミーラ殿下。そしてお噂はかねがね、通訳の方。私がアニマソラ神樹国教皇のロナルディーナでございます」
大きな帽子を被り、白を基調とした神官服を着た女性。久しぶりにお顔を拝見したけれど、やっぱり昨年の社交界シーズンの頃、女神官ロナとしてハルウェスタ王国にやって来て私をお茶会に誘っていたのはこの人だ。
だからこそ、リュドミーラ様だけではなく私にも直接言葉をかけられたことで少し身体が強張ってしまった。ただの通訳の私にまで声をかけるなんて。結局、お茶会をすべて断った当てつけかしら。
「敬虔たる教皇猊下、お目通り願いまことに感謝申し上げます。ハルウェスタ王国第一王女のリュドミーラでございます。まもなく神樹ゴドーヴィエ・コリツァの芽吹きより千四百年の節目を迎えること、心よりお祝い申し上げます」
リュドミーラ様は滑らかに拝謁の口上を述べた。さすがは私たちハルウェスタ王国の王女様。堂々としていらっしゃる。
ロナルディーナとリュドミーラ様の会話はそのあとも淀みなく続いた。
ここまで順調。
何事もなくきたから、油断した。
形式的な挨拶が終わり、そろそろ退室する頃合いかと思っていると、ロナルディーナが予想外の言葉をかけてきた。
「さてリュドミーラ王女。この場を借りてひとつ頼みごとがございます。――神子の試練をお受けいただきたいのです」




