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【書籍化決定】転生令嬢は旅する編纂者  作者: 采火
第二部

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39/39

39.裏技はありません。

 私は資料を自分の机に持ってくると、よくよく本を眺めて状態を確認した。


 ハルウェスタ王国で流通している紙は植物性のものが一般的。羊皮紙のような動物性のものもあるけれど、生産面のコスト的に植物性のほうがお手軽で安く入手できる。そうはいっても、貴族なら、という前提だけれど。紙がそれなりに普及しているとはいえ、印刷技術が発展するほどの流通はしていない。新聞なんてものもないから、社交界での情報交換がほんとうに大切。


 さて、ここで問題なのが、紙の特性。

 乾ききっていないインクのせいで紙同士がくっついているだけだと思ったけれど。


「これ、虫食いかしら……?」


 よくよく見てみると丸い穴が点々と。

 さらによく分からない染みや、文字が書かれていないところで紙がくっついていたり。


 あーあ、と今度は私が頭を抱える番だった。


(これは資料室全部、虫干ししたほうがいいかも……)


 気づかないだけで、他の資料も被害が出ている可能性がある。うちの資料室は年季の入っていて誰も読まないような資料だっていくつもある。それらが被害に遭っていたら、未来の私も苦労するわ……!


 とりあえずこの件はあとでヴィクトルに相談するとして。


 まずはこの資料を読めるようにしないと。

 修復まではちょっと私にもできないから、写せるようにちまちまとページを剥がしていく。ページとページのわずかな隙間に、ペーパーナイフを差し込んで……くっついてしまった箇所を切り離す。


 魔法のような裏技があると思った?

 残念、地道な作業です!


 あぁ、前世。大学の実習で古いお寺の古文書の整理をしたことを思い出す。イェオリの見つけた資料よりもずっとひどい状態の古文書が大量にあって、お寺のお堂で学科生が半日かけて古文書の整理をするの。竹串を渡されて、虫食いだらけで触っただけで枯れ葉のように崩れる和紙の束。それを一ページずつ剥がして、ページをめくれるようにする作業。


 あの時の古文書に比べたら、イェオリの見つけたボロボロの資料なんて可愛いもの。千年前の古文書を触るより、ずっと強気に作業できる。


 そう思いながら作業をしていて、ふと我に返った。


(私、こういうことは覚えているんだ)


 以前、クーヤくんに名前を聞かれた時、前世の名前を答えられないことにショックを受けた。そこにあったはずの〝自分〟というものがどんどん消えていくようで怖いとすら思った。それでも今を大切にしたいから、それくらい些細なことだと思うようにしていた。


(でも、違うわ。名前を忘れても、こういう経験は残ってる)


 たった一回だけだった。前世、私が大学の実習で古文書整理をしたのは一回だけ。そのたった一回の経験が、私の中で鮮明に残っていた。 


 それが、嬉しい。


「お〜……。フェリシア、器用だなぁ」

「まぁね」


 イェオリが私の手元をひょいっと覗いた。

 私はペーパーナイフを駆使して、ささっとページをめくっていく。紙の繊維が机の上にぼろぼろ落ちるけれど、文字が読めるなら大丈夫。


 ある程度、ページが綺麗にめくれたところで、すでにボロボロになって破けてしまっていた箇所の作業へ移る。まずは破けているページがどこのページか特定して。


「本みたいに両面に文字が書かれてていなくて良かったわ。これならまだ私でもどうにかできそう」


 この資料はただの紙の束。本の形式じゃない。ほんとうにレポートをそのまま保管していただけの資料だったのが幸いした。それと、紙の質がそれなりに悪いことも。


 破けているページをまずは補強する。元のページとページの破片の位置を正しく置く。裏返して、補強用の裏紙を敷いて糊で貼る。これで破けた箇所はくっついた。


 でも表に返すと、破片を付けた部分だけ三層になっている。余分なページの文字がくっついているので正しくは読めない。一番上にある層をペーパーナイフで切り剥がす。少しくしゃっとなっても大丈夫。


 切り剥がした破片はまた同じように正しいページにくっつける。裏紙を敷いて、文字が読めるように貼り付けて。


 もくもくと作業をすれば、あらかた読める状態にはできたと思う。でも、どうしてもペーパーナイフを使っても取れなさそうなページもあった。


 これは仕方がないので……。


「ちょっと食堂に行ってきます」

「食堂? 何をしに?」

「ページが剥がれないので、紙を蒸してきます」


 執務室がざわついたけど、私はヴィクトルに離席することを告げてさっさと部屋を出る。紙だからね。インクの種類によっては滲んだり、余計に固着するリスクもあるけど……さすがに糊で貼り付けたみたいにページが全面的にくっついていると、ペーパーナイフだけでは綺麗に剥がせる自信はない。


 なので、水蒸気に少しだけ当てて湿らせて剥がしてみる。インクを剥がすための専用の道具なんてないから、こうすることくらいしかできません。こういう時こそ転生者の強みを活かして知識チートみたいなことをしたかったとつくづく思う。


 就業中だからか、食堂は静かだった。私は顔見知りのテシャさんに声をかけてお湯を沸かしてもらう。


「ついでにお茶の用意をしてあげるねー。おやつもあげるよー。上司には秘密ねー」

「ありがとうございます、テシャさん」


 テシャさんは片目を瞑って快くお湯を沸かしてくれた。固着のひどいページに蒸気をあてて、私はページの具合を確かめる。ほどよく柔らかくなったタイミングを見極めて……よしよし。


「テシャさん、ここで作業してもいいですか?」

「いいよー」


 食堂の一角をお借りして、柔らかくなった紙をペーパーナイフでちょいちょいしながら……なんとか固着したページを剥がすことに成功した。ふぅ、と息をついていると、テシャさんがにこにこしながらティーカップを置いてくれる。


「紙、上手に剥がしたねー。すごいねー。がんばったねー」

「がんばりました〜。疲れました」

「お疲れねー。約束のおやつよー」


 嬉しい〜! がんばったご褒美!

 テシャさんが用意してくれたお茶とお菓子で一服しつつ、剥がしたばかりでしっとりとしたままの資料に目を通す。


 カテマヤ族の礼儀作法のうち、相手に謝罪する時の作法が書かれている。謝罪は大切だわ。誠心誠意を示そうにも、相手が不愉快と認識してしまったら謝罪の意味がない。謝罪する時は相手方の作法を理解するのはすごく大切なこと。


 こんなページが固着したままだったら、万が一の時、後悔していたかもしれない。イェオリは私にすごく感謝するべき。


 自分の仕事ぶりに満足しながら、おやつ片手に資料へ目を通す。こんな大切なページをインクが乾かないまま束ねちゃうなんて、これを書いた人は反省してほしい。せっかくの資料を捨てないといけなくなったらもったいない。


「予算があれば、こんなこと気にしなくてすむのに」

「お金ね〜、欲しいね〜」

「そうですね〜」


 テシャさんと二人、もっとお金がほしいと話しながらお茶をいただく。およそ貴族令嬢らしくない会話だと思いながらも、それはそれ。お金はあればあるほど良いのです。


 一服したら執務室へと戻って、私の努力の成果をイェオリとヴィクトルに見せた。


「イェオリ、できたよ」

「本当か? ……わ、すげぇ! 思ってたよりしっかり直ってる!」

「本当かい?」


 イェオリの机に、補修した束とまだ乾燥中の紙を別々に置く。ヴィクトルも寄ってきて、私の仕事ぶりに感心した様子をみせる。


「すごいね。これなら専門家に任せなくても、フェリシアがいる限り安泰かな」


 それ、よくないやつです。


「本当は専門家に任せたほうが絶対に良いですよ。それとヴィクトル様。今回みたいなことがないように、今後は資料室の定期的な大掃除をしましょう。これ、インク汚れだけじゃなくて虫食いもありました」

「虫食い?」


 イェオリが首を傾げるので、私は虫食いの箇所や染みになっているところを教えてあげる。


「紙を食べる虫がいるんです。その虫の体液が糊代わりになってページがくっついてしまうこともあります。そうならないように、本を日陰で干したり、書庫の清掃をしたりするんですが……ここの資料室、前に掃除したのはいつですか?」


 問い詰めると、ヴィクトルは苦笑して。


「さぁ……誰かがやってると思ってたけど」

「それ、誰もやってやないやつでは」


 これでは他に虫食い被害があっても気づけない。今回たまたま見つかったけれど、一回資料室の大掃除をしなければ。


「ということで、社交シーズンが終わってからでいいので、資料室の大掃除企画を提案します」

「やる暇あるのか……?」

「また今回みたいなことがあったら困るでしょう」


 イェオリが「それもそうだ」と言いながら、読みやすくなった資料をぺらぺらと読む。その横でヴィクトルは思案する素振りを見せる。


「あそこの資料は僕も何があるのか、全部把握をしていないんだよね。一度整理しようとは思っていたから……これを機にやろうか」


 室長がやる気になった!

 今すぐじゃなくても良いから、こういうのは小まめにやらないと。予算がなくて貴重な資料を捨てざるを得なくなるなんて、悲しすぎる。手間暇を惜しまず、仕事のひとつにしていくべきだと思うの。


 だって、もしかしたら。


「資料って本来、あとの人が閲覧できるように長期保存をするものですから。百年、二百年後に読もうとした時に虫食いだらけなんて、あとの人が可哀想ですよ」


 今読まれなくても、未来の誰かが読むかもしれない。そのために資料室に資料として残されているんだもの。


 けれどイェオリは私の考え方が大袈裟にみえたようで。


「さすがに百年後は残らないんじゃないか?」

「いいえ、残るよ。残らないと困るわ。ね、ヴィクトル様」

「……まぁ、そうだね」


 ヴィクトルは私がいろんな資料を年代問わず集めているのを知っているからこそ、ちょっと苦笑しながら頷いてくれた。そうです、百年後も残るような資料作り、それだけではなく資料室という環境を整えるのだって、資料保存という観点から言えばすごく大切なこと。


 私たちの仕事は、そういう資料をたくさん残していくものでもある。


 なので、外交業務だけじゃなくて、こういうことにも気を配っていきましょう。




最近クラウドファンディングが気になっています。源氏物語図屏風の修復や、お寺の仏像保存など、文化財の保護修復系のクラファンに寄付をしました。ただの寄付ではなく、ちょっとした記念品がもらえるのが嬉しいですね。

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― 新着の感想 ―
何で紙なんて食べる虫が居るんだろうと思っていましたが、植物ですから、そりゃ食べますよね。 大きな書庫や大図書館の陰干しとか、気が遠くなりそうな作業な気がします。百年前の資料を保存してくれた人たちに頭が…
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