38.予算増やしてください
ハルウェスタ王国も温かくなり、社交界シーズンが始まった。他国からやってくるお客様たちをおもてなしし、かつ通訳の仕事もこなし、かつ通常業務もこなしていく私たち外交官はとにかく忙しい。毎年のことながら、この目まぐるしさにへとへとになる。
そんなある日、とうとう外交官の執務室で問題が発生した。
「室長どうしよう……」
「うーん……」
イェオリとヴィクトルが頭を抱えている。さっきからずっとその調子で、なかなか業務に戻ろうとしない。悩むばかりでは仕事は進まないので、ヴィクトルへ確認書類を回すついでに私は二人に声をかけた。
「何を悩んでるんですか。イェオリは資料室に資料を取りに行っていたんじゃないの?」
「それがさぁー……」
イェオリがヴィクトルの机をちらりと見る。私も同じように視線を向けて……ちょっと眉をひそめてしまった。
「これ、ちゃんと管理してたんですか?」
「管理以前の問題だね、これは」
ヴィクトルの机の上には、ズタボロになった紙の束。少し古い年代のものなのか、紙の質も悪そう。紙がズタボロになっている要因は。
「インクが乾く前に紙を重ねたんだろうね。誰かが資料を読もうとしてくっついてしまった紙を剥がそうとしたものの、紙は破れてしまった。それを報告しないで資料室に戻したんだろう。それをイェオリが見つけたんだ」
断片的に読める部分の単語を拾う。カテマヤ族の礼儀作法。なるほど、イェオリは交易交渉の予定がある少数民族のについて調べようとしてたっけ。大陸の東側には大きな砂漠地帯があって、そこの砂漠に住む民族の一つ。交流のある国が仲介しているらしく、カテマヤ族の代表が各国を渡り歩いているそう。
「カテマヤ族の資料って他にはないの?」
「それがないんだ。砂漠地帯の民族は閉鎖的なところが多い。オアシスの奪い合いで、他部族は敵と思えの文化だからな」
イェオリがすごく肩を落としながら教えてくれる。イェオリの見つけた資料も、資料室に収められてから一回使われているかどうか微妙なところ。そうじゃなきゃ、書きたてほやほやのインクを乾かさずに閉じちゃって、次開いて破いちゃって、内緒にしておく……なんてことないだろうし。
私は机の上に置かれた資料の残骸を見下ろす。
「これ、どうするんですか?」
「読める部分だけでも書き直すしかないね。時間ができたら、だけど」
インクがくっついて破れている部分は結構ある。無理にめくろうとすればさらに悪化しそう。それを解体して新しく書き直すのは至難の業だわ。
「誰がやるんです?」
「まぁ……僕がやるよ」
「室長、時間ないっすよね。俺やりますよ」
「破かずにできるかい?」
あ、イェオリが目を逸らした。現状より悪化させずにやりきる自信はないらしい。
「ヴィクトル様、修復に出しましょう。今後交易を結ぶのなら、また必要になるかもしれませんし」
「そうなったら新しく聞き取りして作ったほうが早いかな。修復にまわす予算がないから」
ぐぅ、正論です。
イェオリも私の隣で顔を覆ってしまった。この場合、イェオリに手探りで接待してもらって、あとでまとめて保管用資料を作るという流れになるかしら。イェオリ、がんばって。
「カテマヤ族の方の訪問はいつ頃ですか?」
「まだ十日くらいはあると思うよ。視察も兼ねてゆっくりこちらへ向かっているらしいから」
十日かぁ。時間があるといえばあるけど、ないといえばない、微妙な期間かも。
「そういえば十日後って、ちょうど王家主催の夜会の日ですけど。イェオリ、大丈夫?」
各国からの賓客対応で外交官全員引っ張りだこの一大行事。当然、イェオリもその一員の一人なわけですが。
「せめて夜会のあとに来てほしい……」
「どうだろうね。さすがに大規模な夜会だから、向こうも間に合わせてくるだろうから」
「ひぃ……」
項垂れるイェオリの肩をそっと叩いて励ましてあげる。頑張って、イェオリ。まだ十日あるんだから、めげずに前を見よう。
「私このあと少し手が空きそうだから、修復手伝うよ」
「助かる……ッ!」
イェオリからの感謝を快く受け取りつつ、私は紙の残骸を見る。
「ヴィクトル様、これ、預かっても良いです?」
「どうぞ。無理しなくても大丈夫だから、ほどほどにね」
「ですって、イェオリ」
「足掻けるだけ足掻く……!」
イェオリはやる気に満ちている。今回の接待がうまくいって交易交渉も順調にいけば、イェオリの評価はぐんっとあがる。やる気はひとしおだろうね。
「そうだフェリシア。エルパダ王国のセサス・ネグロン殿が七日後には迎賓館入りするよ。挨拶諸々お願いね」
「わかりました」
セサスさんとは何年ぶりに会うんだろう。外交官になった初めての年以来だから、四年ぶり? サンドイッチ伯爵を探して、なんとかエルパダ王国の方とコネを作ろうとしていたあの頃がもう懐かしい。
今回、大がかりな行事はないけれど、エルパダ王国の使者として、アニマソラ神樹国へ向かうらしい。二年後にある〝神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭〟のためだろうね。エルパダ王国は大陸の北端の国だから船を使ったほうが早いだろうけれど、陸路で南下しているそう。私たちがサピエンス合衆国で行われる研究発表会へ、視察を兼ねて旅程を組んだのと同じ理由かな。
サンドイッチ伯爵から始まった私の転生者探し。話せることはあまり多くないけれど、セサスさんとサンドイッチ談義ができると嬉しいな。




