35.婿面接だったのかもしれない(side.ヴィクトル)
ヴィクトルの滞在も終わり、朝食を頂いたらエリツィン伯爵領を出立する。ただ、ちょっと迎えの馬車が遅れているようだ。それまでの間、ヴィクトルはエリツィン伯爵に今回の滞在のお礼を伝えるべく、挨拶に伺った。
フェリシアの父、ダヴィード・エリツィン伯爵は喜んで応じ、時間があるならとヴィクトルを食後の一服に誘った。フェリシアも同席しようとしたけれど、ダヴィードが「最後くらい男同士で話させてくれ」と言ってやんわりと断ったので、ヴィクトルは一対一でエリツィン伯爵と対面することに。
「寂しくなるね。娘も喜ぶだろうから、もう少しいてくれてもいいのだが」
「残念ですが、休暇のうちにしておきたいことが詰まっていまして」
ダヴィードは心底残念そうだ。この一週間もフェリシアとほとんどを過ごしていて、ダヴィードとはあまり接点もなかった。それなのにここまで残念そうにされるとは思っていなくて、ヴィクトルは少し意外に思う。
「また機会がありましたら、お邪魔させてください」
「もちろんだとも。気兼ねなく遊びに来てほしい」
穏やかに話すダヴィードに、ヴィクトルも笑顔を向けた。快く受け入れてもらえるのはとても嬉しいことだ。特に、エリツィン伯爵は裏表のない穏やかな人柄と評判なので、そんな人に受け入れてもらえるのは大変光栄だった。
そんなダヴィードが穏やかな表情を引っ込めて、真剣な表情になる。何か大事な話だろうかと思い、ヴィクトルが姿勢をただすと。
「ところでヴィクトル殿、うちの娘と結婚してくれないかね?」
慎重な声音で、ダヴィードが問いかけた。
ヴィクトルはダヴィードの言葉を反芻すると、苦笑する。
「さすがに伯爵家のご令嬢と男爵の僕とでは釣り合わないかと。フェリシアとも以前、世間話の一つとして話したことがありますが、お互い現実的ではないと判断しました」
たしかあれはクロワゼット共和国へ出張に行った時だったと思う。あれから一年と少し。ずっと仕事と趣味に大忙しだったフェリシアの様子を思い返す。たぶん彼女は忘れているだろうけれど、ヴィクトルはあの時の会話をしっかりと覚えている。
あの時のフェリシアの言葉からも、普段のフェリシアの様子からも、そろそろ結婚適齢期を過ぎてしまう女性とは思えないくらい、結婚に対する意識が低いように見受けられる。むしろ両親から結婚しなくても大丈夫とお墨付きをもらっていると言っていたくらいだから、ダヴィードのこの申し出のほうが予想外、とも言うべきだろうか。
ヴィクトルが内心でこの申し出の意図について考えていると、ダヴィードはちょっと嬉しそうに頬を緩ませた。
「フェリシアは君とそんな話までしていたのか。それならますます、嫁にもらってやって欲しいなぁ」
「そう言ってもらえるのは光栄ですが……フェリシアに男爵夫人としてひもじい思いをさせるのも忍びないですし。僕がそちらに婿入するなんて、もってのほかでしょう」
生き生きとしたフェリシアを見ていて思うのは、彼女が伯爵令嬢だからこそできることが多い、ということだ。ヴィクトルも貴族の端くれではあるけれど、出仕してお給料をもらわねば生活ができない身だ。働かねば生活ができない平民同然の生活。その点、フェリシアは本来なら、働かなくても良い身分だ。外交官として働いてはいるものの、彼女のお給料は全部趣味に注ぎこまれている。
それができるのが伯爵令嬢の身分。それなのにヴィクトルと結婚させられたら、フェリシアは要らない苦労を強いることになるのは間違いない。
これが身分差の壁で、貴族社会の常識だ。
でもそれを考慮しても。
「そうだねぇ。普通はそうだけれど、今のフェリシアを見ていて、今後が不安になったんだ」
ダヴィードは困ったように眉尻を下げた。
ヴィクトルとしては『不安』という言葉の解釈を掴みあぐねて逡巡してしまう。
いつだったか、彼女の危うさのようなものを垣間見た。それを思い出して、ヴィクトルはダヴィードの言葉を反芻する。
「不安ですか」
「そうだ。……まだ迎えは来ないようだね。少し、昔話を聞いてくれ」
ダヴィードは使用人に目配せをすると、お茶のお代わりを注がせた。そのまま使用人を下げると、ゆったりとした所作でティーカップへと口をつける。
「フェリシアは生まれた時からとても利口な子でね。私たちの手を煩わせたことはなかったんだよ。それどころか、余所余所しいくらいでね。どこか浮世離れした子だと思ったよ」
ダヴィードの言いたいことはよく分かる。ヴィクトルも家庭教師として初対面した時に、普通のご令嬢らしからぬ少女だと思った。彼女と接していくうちに、不思議な子というよりは、変わった子、変な子だと思うようになったけれど。
「乳母に言われたんだ。言葉を覚えるのが普通の子よりも遅いと。乳姉妹がよく話す子でね。フェリシアがなかなかおしゃべりができないから、私たちは不安に思ったんだ」
成長しても、フェリシアはおしゃべりが得意ではなかったようで、十歳になるまではほとんど話さない大人しい子だったという。今のフェリシアからは想像がつかない。ヴィクトルはあいまいに相づちを打った。
「でもね、本は好きだった。ドレスやぬいぐるみよりも、本をねだるような子でね。おしゃべりが苦手なだけで、言葉を理解できないわけじゃないと知って安心したよ。裏返せば、相手の話をよく聞く子だったんだろうね」
懐かしむように話すダヴィード。ヴィクトルは相づちを打ちながら、幼い頃のフェリシアの姿を脳裏に思い浮かべる。
「本をたくさん読む子だったからだろうか。あの子は博識でね、色んなことを知っているんだ。淑女教育よりも領地経営のほうが向いているくらいでね。この子は生まれる性別を間違えてしまったんじゃないかと、妻は嘆いていた」
それが今は、女だてらに外交官をやっている。男職場でも物怖じせず、女だからといって甘えもせず。五年で習得した言語はいったいいくつだっただろうか。
並大抵の努力では培われないし、普通の外交官でも音をあげるような勢いで、フェリシアは外交官として必要な能力を開花させていった。それを誇らしいとダヴィードは言う。
「あの子の世界を広げてくれた君には、感謝をしているんだ」
「フェリシアは僕がいなくても、独学で勉強ができたと思いますよ」
「いいや。君がいたからフェリシアは、誰かに甘えることを覚えたんだ」
ヴィクトルは意外な言葉を聞いて、瞬いた。
「甘える、ですか」
「実の両親である私たちにも甘えてこないあの子が、君のことを頼りにしているんだ。知っているかい? 外交官になってから、あの子の話には必ずと言ってもいいほど、君の名前が挙がるんだ」
そう言われると、ヴィクトルもなんだか気恥ずかしくなる。いったいフェリシアは実父に何を話しているのか。フェリシアとのあれこれを思い出すけれど、思い出せば思い出すほど、あまり良いとは言えるような記憶は少なくて。
「ちなみに、フェリシアはどんな話を……?」
「最近はやっぱり長期出張のことが多かったかな。湯当たりするからと、長湯したがるあの子をヴィクトルくんが諌めてくれたんだよね」
そんなこともあった。ウルカノラでは楽しいことばかりではなかったけれど、思い出の一つとして、フェリシアは両親に話をしたらしい。
嬉しそうに話をしてくれたダヴィードだけれど、その表情が不意に曇り、深いため息をついた。
「私たちはね、フェリシアが嫌なら結婚しなくても良いとは言った。伯爵家の相続は分家の子からとるからと」
元々、一人娘だ。家を継がせるなら入婿をとるか、分家から養子をとるか、エリツィン伯爵家の選択肢は二択だった。フェリシアに気負わせる必要はないからと思って、かつてはそう言ったとダヴィードは言う。
「けれど……今のあの子のやりたいことをやらせてあげるなら、結婚して婿をとったほうが良いと思ったんだよ」
深く息を吐き出したダヴィードは、一人娘の身の上を心底案じていた。そんな彼の考えを、ヴィクトルはできる限り汲もうと問いかける。
「どうして急に心変わりされたんですか」
「米とテネッコン。この二つは趣味の範疇を超えてしまったからね。事業としてやっていくなら、広い土地と人材が必要だ。そうなると、養子にエリツィン伯爵家を継がせた場合、フェリシアの肩身が狭くなるだろうと思ってね」
「そういうことでしたか」
納得のいく話だ。
フェリシアが手がけようとしている二つの研究は、個人というよりは事業の形態になっている。フェリシアが自分自身で研究するのではなくて、基本はその分野の専門家を招致して研究をしてもらう形をとったから。
フェリシアが本当に研究したいのは米でもテネッコンでもないことを、ヴィクトルは知っている。そこに時間をかけていられるほど、フェリシア自身も暇じゃない。
そういった経緯で、ダヴィードは考えを改めたのだと言う。とはいえ、フェリシアの結婚問題については前途多難で。
「そうはいっても婿候補がいないことには婚約話も振ってやれない。こちらで適当に見繕っても良いが……せっかくなら、フェリシアが頼りにしている君にと思って、まず声をかけてみたんだ」
ダヴィードの口ぶりに、ヴィクトルは苦笑する。
「まずは、ということは、他にも候補者がいらっしゃるんですよね」
「それなりにはね。ただまぁ、フェリシアのことだから、興味を持ってくれるか怪しいところだが」
お互いの顔を見やって、ヴィクトルもダヴィードも、ふっと笑ってしまう。たぶんフェリシアは興味を持たない。婿を取れと言われたら二つ返事で適当に条件の合う婿を取る可能性はあるけれど、ダヴィードはそれを望んではいないのだろう。
「年頃の女性なら、婚約者探しに精を出して夜会に繰り出すものだと思うのだが……あの子の夜会はいつも仕事でね」
「……」
ヴィクトルは笑顔を崩さなかった。婚約者探しのための夜会が、おおよそ仕事になってしまっているのはヴィクトルの采配だ。夫婦で招かれる国外の賓客も多いから、フェリシアにはよくパートナーを頼んでしまっていた。
「だから、ね。責任取ってくれると、嬉しいなぁって思っているんだが……どうかね?」
どうかね、じゃないとヴィクトルは思う。これはもうほとんど希望のごり押しに近い。ヴィクトルは笑顔の裏で、この場をどう切り抜けようかと思考をフル回転させる。さすがのフェリシアも、急に上司が婚約者ですと言われたら嫌だろうし。
「……フェリシア次第ですね。先ほどもお話したように、僕とフェリシアは一度この話をして、現実的ではないと結論を出してますから」
「そうだった。変なことを聞いてすまなかったね」
ははは、と快闊に笑うダヴィードに、ヴィクトルも笑顔を返した。あまり笑いごととは言えない話だったけれど、ヴィクトルもフェリシアも年頃の男女だ。話題の一つとしては、まぁよくあるもの。
このあとすぐに迎えの馬車が到着し、ヴィクトルはエリツィン伯爵領を発った。
はたして本当にフェリシアとヴィクトルの婚約話が現実になるのか。エリツィン伯爵はどこまで本気なのか。
ヴィクトルとしては、フェリシアにその気があればやぶさかではない。気苦労は絶えないだろうし、今まで以上に自分自身の努力も必要だろう。けれど、フェリシアと一緒にいるのは楽しいから。人生どうなるのか分からないけれど、将来の可能性の一つとして魅力的だとは思う。
(まぁ、現実的に考えて、やっぱりあり得ないだろうけど)
ここまでお読みくださりありがとうございます。ブクマ、評価、感想等、たいへん励みになります。
後日談はここまでにいたしまして、次話から第二部っぽいものになります。フェリシアの転生者探しの旅、引き続きお付き合いいただけると幸いです。




