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34.翻訳状況(side.ヴィクトル)

 エリツィン伯爵領での滞在も明日で終わる。

 ヴィクトルはフェリシアに教わりながら、ラウレンツ言語の書き起こし作業をようやく終えた。


「これで終わりだ」

「お疲れ様でした」


 フェリシアがひょっこりとヴィクトルの手元を覗く。作業しやすいようにと、フェリシアが書斎に追加でテーブルと椅子を運び入れてくれたので、ヴィクトルはそのテーブルでずっと作業をしていた。その作業というのも、文字の書き起こし。ラウレンツ氏の日記は字がくずされて書かれているそうなので、フェリシアの提案で全文を読みやすいような形に文字を書き起こした。それら紙の束を見て、フェリシアが頷く。


「まったく読めませんね!」

「君がやれと言ったんだろう」


 お手上げと言わんばかりに笑顔を浮かべたフェリシアに、ついヴィクトルは半眼になってしまう。無駄な労力をさせられたのでは、この一週間があまりにも無意味すぎる。


「いや、私も英語だと思って書き起こしをお願いしたんですよ。でも、やっぱり違うなって、書き起こししたものを見て思いました」

「そのエイゴとやらとどう違うんだい」


 ヴィクトルはそもそも、フェリシアの言う〝エイゴ〟を知らない。だから違うとだけ言われても困るし、解読にあたって今後、どう困るのかも理解できない。


 なので説明を求めると、フェリシアは別の紙にさらさらとヴィクトルが書き起こした文章の一部を書き写した。


「やっぱり筆記体とブロック体のアルファベットはほとんど一致しているので、英語圏の言語なのは間違いないです。ですが、文法を見るに、主語と動詞がまったく違いますね」

「主語と動詞?」

「たとえばこの一番最初の文章を見てください」


 フェリシアが書き写した文を見てみる。


〝Ich kam in dieses Land und überlegte, was ich tun könnte.〟


 どれだけ書き写しても見慣れない形の文字だけれど、書き写すうちに、頻出する単語はなんとなく分かってきた。そのうちの一つを、フェリシアがペンで示す。


「たぶん〝Ich〟が主語だと思います。で、隣の文字が基本的に動詞になるはず。日記でこの頻出の仕方だと〝Ich〟が〝私〟じゃないかなと思うんですが……英語では〝私〟は〝I〟になるので、この言語はまず英語ではないと言えます」


 フェリシアは確固たる口調でヴィクトルに説明をしていく。ヴィクトルは相槌を打ちながら、フェリシアの解説をメモした。


(今後、エイゴとやらに触れる機会があるかもしれないからね)


 フェリシアの発見はいつだってヴィクトルを驚かせる。新しい発見をフェリシアと一緒に共有できるのなら、それはもっと楽しくなるだろうとすら思っている。だから熱心にヴィクトルはフェリシアの話に耳を傾けた。


「これなんて読むんだろう……カムかな……イン、ディッシーズ、ランド……カムインディッシーズランド……カムインディッスランド?」


 フェリシアがふと気づいたように、何度も同じ言葉を繰り返す。


「音だけ聞くと英語っぽい……来る? この土地に来る? 日記だから普通は過去形だよね。〝私はこの土地に来た〟かしら」


 ぶつぶつと呟くフェリシアの様子を見守る。フェリシアはうんうん唸ったあとで、ヴィクトルの書き起こした文章の下に〝私はこの土地に来た〟と書いた。


「読めたのかい?」

「うーん……なんのとっかかりもないので、ちょっと聞き取りした時の音を英語に当てはめてみました。たしか同じルーツを持つ言語なら、発音や綴りが似かよう場合がありますよね」

「そうだよ。よく覚えているね」

「先生が良いですから」


 はにかむフェリシアの頭を撫でてやる。

 フェリシアに幾つもの言語を教えたのはヴィクトルだ。その中には同じルーツを持つ言語も多くある。


 たとえばハルウェスタ王国とクロワゼット共和国。言語としては非常に近しい関係があって、ハルウェスタの人間から見ると、クロワゼット共和国の言葉はちょっと訛りがあるような感じだ。それがフェリシアの言う〝存在しない言語〟に当てはまっても、全くおかしな話ではない。


「続きはどうだい?」

「うーん……この単語は全く分かりません」


 読めない単語を指さしたフェリシアは、その続きの単語へと指先をすべらしていく。


「この〝was〟がbe動詞の過去形だとしたら、ここのカンマまでが主語? でも〝was〟のあとにまた〝私〟があるのはおかしいし……疑問符がないから文法がおかしいのかな。それとも〝Ich〟は活用しない人称なのかしら……」


 フェリシアは頭が良いとヴィクトルは思っている。ちゃんと学び方を知っていて、学んだことを活かせる思考力がある。その力は普通の令嬢には身につかないものだ。


 だからこそ、フェリシアの発想力と知識が活きて、こうしてヴィクトルに新鮮な経験を与えてくれる。彼女の言語の先生としても嬉しいし、こうして今、肩を並べられるのも楽しい。ヴィクトルにとって、とても有意義な時間の使い方だ。


 フェリシアが唸りながら、少しずつ読めそうな場所に翻訳した文字を差し入れていく。翻訳した単語の意味だけじゃなくて、解読しやすいよう、品詞に当たりが付けられる場合は、あたりを付けていく。


 そうしているうちに時間は過ぎて、あっという間に日が落ちてしまう。茜色の夕日が差し込み、夜の帳が降り始めれば、二人のいる書斎も暗くなる。暗くなっても夢中で二人は解読を続けてしまい、夕食のために呼びに来たメイドに明かりをつけるよう叱られてしまった。


 中途半端になってしまった解読。明日には帰らないといけないので、ヴィクトルが残念に思っていると。


「また出仕したら、昼休みとかに続きをしましょう。なのでヴィクトル様、ちゃんとお昼休憩の時間は取ってくださいよ」


 フェリシアが片付けをしながら、当然のように言う。ヴィクトルは一度、二度、瞬くと、朗らかに笑った。


「善処するよ」

「それ、信用できない返事ですよ」

「まいったな……僕はこれをなんとしても解読してみたいから、八割は本気なんだけど」

「残りの二割は?」

「仕事量によるね」


 中間管理職として、どうしても身を削ってしまう場面がある。それを思いながら苦笑すると、フェリシアが呆れた。


「もー。振れる仕事はちゃんと振ってください」

「振ってるつもりだけどね」

「ティモさんとかトゥロさんとか、目を離すと遊んでるから、もっと仕事こなせるはずですよ」

「そうなのかい? じゃあもう少し増やしてあげようか」

「そうしてください」


 話しながら書斎を出た二人は肩を並べて歩く。

 エリツィン伯爵領での滞在を名残惜しく思いながら、ヴィクトルは最後の夜を過ごした。




※この作品の作者は、英語の成績が悪くて、大学の英語クラスでbe動詞からやり直しをした人間です。


でも第三言語の成績はSランクもらいました。すごくゆるい授業だったので、自己紹介くらいしかできないのですが、就活時に第三言語ぺらぺらな人だと勘違いされて採用されました。あやうく配属部署が違っていたら、ごめんなさいをしているところでした。


グローバルな社会になっているので、学生の皆さんは言語の勉強をぜひ頑張ってください。

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― 新着の感想 ―
ラウレンツ氏はどんな気持でかつての母国語で日記を綴ったのかと思うと色々考えますね…。 大航海時代あたりにマゼラン海峡まで来ちゃった人くらいの気持ちなのかな…とか思いつつ。
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