29.転生令嬢は編纂者
長い出張が終わり、私とヴィクトルはハルウェスタ王国に帰ってきた。ハルウェスタはすっかり寒くなって、もうすぐ雪も降り始める頃だ。出張報告の提出をしたり、有益な情報を共有するための会議をしたり、まぁまぁおお忙し。平外交官の私でこんな忙しさなので、室長のヴィクトルはもっと大忙しだったと思う。
それでもなんとか忙しい日々をこなして落ち着けば、年末も間近になった頃、ようやくこの出張帰還のご褒美である一ヶ月の休暇期間をもらえた。社会人で一ヶ月の休暇なんて贅沢! 社交シーズンとも被ってないから、完全なる自由なお休み! せっかくなので実家へ帰省することにした。
私の生まれたエリツィン伯爵領は農業大国ハルウェスタの名前に相応しく、農業が盛んな地域のひとつ。特産品は大麦。ビール造りも盛んな土地です。
実家に帰ったら、まずはお米の品種改良の進み具合を聞いて、天体望遠鏡の開発事業を立ち上げなけれぱ。その合間にそろそろ、転生者リストの本作りを本格的にしていきたい。メモが充実してきたので草案を考えよう。それから長持ちする丈夫な紙を用意したい。
頭の中でうきうきスローライフを描きながらエリツィン伯爵領に帰省した私。
相変わらずの私に両親に呆れられながらも、数日の間は趣味に没頭して過ごすことができた。
数日だけは。
「……なんでヴィクトル様がいらっしゃるんですか?」
「エリツィン伯爵に先触れは出したんだけどね」
父に呼ばれて客間に行ったら、毎日のように顔を合わせていた上司がいた。なんてこと。
「なんでヴィクトル様がいらっしゃるんですか!」
「同じ質問を二回もされるとは思わなかったな」
だってヴィクトル、私の質問に答えていないじゃないですかー!
外交官になる前だったら分かる。もともとヴィクトルは私の外国語の家庭教師だった。だからこの家に出入りしていてもおかしくは……いやおかしいですけど!? 王都のお屋敷に来てもらったことはあっても、領地のほうにまでは来たことなかったよね!?
「まさかリストテレスでの借金の取り立てに……!?」
「誤解を招く言い方はやめてくれる? 君が僕に借金したのは事実だけど」
笑っているのに圧がある! 申し訳ございません!
「その節は大変お世話になりました」
「本当にね。で、その借金の取り立ての話だけど」
「ひぇっ! 本当に取り立てに来たんですか!?」
「踏み倒すつもりだったのかい?」
私はぶんぶん首を振る。ちゃんと返すつもりはありました! でもちょっとまだ目処が立っていない状況でしてぇ……!
「ヴィクトルくん、うちのフェリシアは君に借金をしたのか……?」
「お父様……っ」
そういえばここにはお父様がいたんだった……!
娘が上司に借金してるなんて、体裁悪すぎるのでは……!?
どうやって言い訳をしようかと考えていれば、ヴィクトルはトントンと座っているソファーの肘掛けを指ではじく。黙って話を聞きなさい、の合図に私はぴしっと背筋を伸ばした。
「借金というよりは投資です。フェリシアから聞いていませんか? テネッコンの開発について」
「ああ、その件か。いちおう聞いてはいるが、あまりピンとこなくてね」
「テネッコンの将来性を買いまして、僕も一枚噛んでいるんです。その件でフェリシアと今後のことを詰めたくて、訪問させていただきました」
テネッコンの開発について、ヴィクトルとお父様の間で話がするするとまとまっていく。ヴィクトルってすごい。私が説明しても、お父様は「本当に良いものなのか?」って首をひねってたのに。
「そういうことなら宿を取るより、うちに泊まっていくといい。宿への連絡もこちらからしておくよ」
お父様はヴィクトルの話に満足したのか「あとは二人で話しなさい」と言って客間を出て行ってしまった。なんてこと。
「ヴィクトル様がそこまでテネッコンに食いつくとは思いませんでした……」
「テネッコンにも興味はあるけどね。メインはこっち」
ヴィクトルはにっこりと笑うと、足下に置いていた鞄からばさっと紙の束を取り出した。
「君の趣味を手伝うと言っただろう? 手始めにラウレンツ言語の翻訳を一緒にしようじゃないか」
「そのためにうちに来たんですか!?」
「一週間、時間を作ったからね。その間に君からみっちりとラウレンツ言語の翻訳のコツを学ぶつもりだよ」
なんてこと、私のうきうきバケーションの雲行きが怪しくなってきたわ……!
私がそよっと目を泳がせると、ヴィクトルがソファーから立ち上がる。私のほうまで笑顔で歩み寄ってきて、ぽんと優しく肩に手を置かれて。
「さぁ、さっそくラウレンツ言語を教えてもらおうか」
逃げ場をなくした私は、致し方なくヴィクトルを私のとっておき部屋へ連れて行くことにした。
私が外交官になって、もうすぐ五年目に突入する。人生をかけた一大プロジェクトもそれなりに年季が入り、手広く集めた資料は私の部屋に入り切らなくなった。
「ので、お父様にお願いして書斎をいただきました」
余っている部屋を改装して、私専用の書斎を作ってもらった。広い家の子に生まれて良かったと思った瞬間だよね。
ヴィクトルが苦笑しながら書斎に入ってくる。
「その割には、資料とやらは少なそうに見えるけど」
「これから増えるのを見込んで、本の収納率高めにしてもらいましたから」
じゃーん、と本棚をスライドする。前後に分かれているタイプの移動式書棚です。棚受け金具により棚の高さも自由自在なので、本の高さに悩んだら好きに変えられる。職人さんに「こういう仕様にして!」って言ったら、この本棚を製品化したいと言われたのも良い思い出だ。
「移動式の本棚か……高さも変えられるのかい? 僕も一つ欲しいな」
「あとでこれを作ってくれた工房を紹介しますね」
まさかヴィクトルも欲しがるなんて。これなら製品化したらそれなりに収益がありそうかも。
そんなことを思いながら書斎机に歩み寄る。
「すみません、散らかってて。すぐに片付けますね」
お父様に呼ばれるまでこの部屋に引きこもっていたのを忘れていた。机の上には私が書き散らしたあれそれがとっ散らかっている。
そのうちの一つを、ヴィクトルが手にとった。
「カクマ・ラムリ男爵? また懐かしい名前だね」
以前、クロワゼット共和国へ出張した時に、私の我が儘でラムリ子爵領に寄ってもらったことがあった。あの時のごねっぷりを思い出して、ちょっとばつが悪くなる。
それからちょっと考えて、私がまとめている途中だった紙の束をヴィクトルに渡してみた。
「ヴィクトル様。これを読んでみてもらえますか」
それは私が今まで見つけてきた転生者たちのリストの草案。彼らの生い立ちと、彼らがこの世界に遺したものをまとめたものだ。
エルパダ王国のベルナベウ氏はこの世界にサンドイッチをもたらした。
玄蒼国が興るより前、ヤマト氏がこの世界に醤油や味噌を伝えた。
二百年前、ハルウェスタ王国の大飢饉をカクマ氏が多くの食べられる作物をもたらして救った。
ガムラン連合王国の立役者だったカーリー氏は、世界を旅し、たくさんのスパイスを探し続けた。
アニマソラ神樹国では、エクサ氏のために子孫たちがいくつもの遊戯を再現した。
モルデンブルグの音楽家、ラウレンツ氏は音楽で人々の心を癒やした。
そしてガムラン連合国で出会った少年、クーヤ。彼は前世のつながりを求めて、お米で世界一になろうとしていた。
「……これが君の調べたかったものの成果?」
「そうです。私が見つけた〝存在しない言語〟を使う人たちです」
たった五年で、こんなにも見つかるとは思わなかった。最初の二年は全然見つからなかったのに、出張に行くようになってからはこんなにも見つけることができた。それに何より、実際に同じ転生者であるクーヤと出会えたことは、奇跡にも近い。
感慨深く思いながら、その中でも調べた人たちをいくつかに分類していく。
「〝存在しない言語〟はいくつかに分類できます。この人たちは〝日本語〟。ヴィクトルも知っている〝ラウレンツ言語〟。そしてカーリー氏が伝えた〝スパイスの言語〟です」
私含めて半分くらいが日本語を話す人たち。というのも、私が日本語を基準に探していたからなんだけど……それでもよく、他の言語の転生者を見つけられたなぁ、と自分で自分に感心する。
「このエクサ氏の言語は?」
「手記が残っていないので分からないのですが……たぶん、ラウレンツ言語に近いと思ってます」
「スパイスの言語とは違うと思った理由は?」
分類できずにいたエクサ氏はとりあえず英語圏だろうとアタリをつけてラウレンツ氏と同じ分類へ。するとヴィクトルが鋭いところを突いてきた。
「もともとトランプという言葉が、ラウレンツ言語と近しい言語なんです。日本語は一部、ラウレンツ言語をそのままで翻訳することも可能なのですが、スパイスの言語は文化が違いすぎてできないんです」
「文化?」
私はちょっとためらった。どこまで話していいか。ヴィクトルがここまで深く関わってくるなら前世のことを話してもいいかな、と思うけれど……。
「……エルパダ王国のベルナベウ氏が日本語で書いた日記があります。それをヴィクトル様が読めるようになったら、意味が分かると思いますよ」
「そうか。それなら楽しみはとっておこうかな」
あの日記を読めるようになった時、ヴィクトルは何を思うのだろう。その時がくるのが少し怖い気持ちと楽しみな気持ち、半分ずつくらいある。
渡した紙の束にざっと目を通したヴィクトルがもう一度最初から紙の束へとじっくり視線を落とす。
「ところで、君はこれを集めて最終的にどんな形にするつもり?」
「本にしようかと思ってます」
コンセプトは転生者リストだから。
図鑑や便覧のような本を作るつもり。
そうだ、図鑑みたいにするなら、肖像画をいれてみるのも面白そうかもしれない。そうなると、当時の肖像画が残っていないか探す必要もでてくるね。その上で、本に収まるように画家に模写してもらう必要もあるし。前世のカメラが恋しくなっちゃう。
あれこれと理想の転生者リストを考えていると、ヴィクトルも相槌を打ってくれて。
「面白いね。でも本にする意味はあるのかい?」
「あります」
私が知りたいだけなら、たしかに調べて終わりで良いんだけれど。
でも。
「いつか、この〝存在しない言語〟を知る人が現れた時に、その人の心の支えになれたらいいなって思うんです」
「心の支え?」
「そうです。〝存在しない言語〟を知っている人たちは皆、色んなものを抱えていると思いますから」
クーヤは前世を恋しがっているし、私は転生したからこそ後悔なく生きることに固執しすぎてる。でもこの気持ちを簡単には誰かに打ち明ける勇気はなくて。
でもこうして、転生した人たちがこの世界で人生を謳歌しているのを見ると、救われた気持ちになった。
「それは、フェリシアも?」
「そうかもしれませんね」
今はまだ秘密。
ヴィクトルは私の歪さを教えてくれた人だから、私が教えなくても、気づいてしまうかもしれないけどね。
ヴィクトルは私がまとめた転生者リストの草案を読み耽る。その間に机の上を片付けてしまおうと、乱雑に置いていた本の山を本棚に返していく。
ヴィクトルがかさりと紙を重ねる音と、私が本棚を行き来する足音。静かな時間が少しだけ続いて。
すっかり机の上が片付く頃、ヴィクトルがぽつりとささやいた。
「彼らを本にするっていうことは、フェリシアもこの本に名前を載せるんだよね」
棚にしまおうとした本が手から滑り落ちた。
慌てて本を拾って、棚にしまう。
「急になんですか。いちおう、あとがきにちょろっと書ければなって思ってるんですけど……」
自分のことをつらつら書くのって恥ずかしくない? 私も転生者なので、本に書くべきだとは思うけど。調べただけでもすごい実績を持ってる方々ばっかりでしょう? そこに私の名前を入れるのはちょっと……。
ごにょごにょとそれっぽい言い訳を並べ立てていると、ヴィクトルがいたずらを思いついた少年のように笑って。
「それなら僕に書かせてくれる?」
え?
「君とは長い付き合いになりそうだしね」
「えぇっ!?」
ヴィクトルが私のことを書くの!?
「いらないです、いらないです! そこまでしなくても、本当にあとがきにちょろっとくらいで……!」
「どうして? 君のことを書かなくてはこの本の趣旨に反するだろう?」
「それはそうですけどぉ……!」
自分のことを書かれるなんて、すごく恥ずかしい。自分で書くのも恥ずかしいのに、それをヴィクトルに書いてもらう? もっと恥ずかしい!
「ヴィクトル様、絶対に私がカレーの匂いをさせて出勤したこととか書くでしょう……!」
「そういえばそんなこともあったね。書いておこうか」
墓穴ぅ!
ヴィクトルはやる気満々だ。むしろ私のことを書かないなんて言語道断とまで言われる。私はしぶしぶ折れた。
「この本が完成する時に、ヴィクトル様がまだ一緒に作業してたらいいですよ……生涯かけて作るつもりなので、本の完成がいつになるか知りませんけど」
「君より長生きすればいいことさ」
さらりと言われた言葉に息を呑む。
私のほうが年下だから、どう考えたって私のほうが長生きしそうなのに。
「……そこまで言うなら、私がやり遺しても、絶対に完成させてくださいよ?」
軽やかに、晴れやかに。
笑って伝える。
前世の未練が今、昇華されたかのように心が軽くなった。ヴィクトルにとっては何気ないひと言だろうけれど、その言葉に救われる私がいたこと。いつか彼に伝えられる日が来るだろうか。
遠い将来、ヴィクトルが最後のページにフェリシアの名前を綴ってくれるのを期待して、私は大往生したいな。
【転生令嬢は旅する編纂者 完】
【旅する編纂者】
フェリシア・エルツィン。ハルウェスタ王国の伯爵家に生まれ、16歳で外交官になった。24歳で退職するまでの八年間、各地を巡って外交官としての役目を務める。退職後は外交官と結婚し、彼の出張先についていく形で世界を巡った。
前世は日本人。すべてはサンドイッチから始まり、転生者を見つけ出す大きな一歩となった。転生者を見つける彼女の人生はあまりにも波乱万丈。神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭典の神子候補になったり、玄蒼国の〝存在しない言語〟による古代遺跡調査に乗り出したり。結婚してからも、サピエンス合衆国から移住してきた科学者とテネッコンやカメラなどの開発を行った。
彼女の最期の言葉は「後悔のない人生でした」。
ーーーーーーーーーー
ここまでお読みくださりありがとうございました!
皆様からの温かい感想、たいへん励みになりました。これにて本編は閉幕ですが、今後は後日談をぽつぽつ更新できればなと思います。
フェリシアとヴィクトルを、今度もどうぞよろしくお願いします!