25.【実況】オンブルやってみたー
ヴィクトルは場のカードを手に取ると、手際よくシャッフルした。さらにボフミル、従者、ノエルの順にカードをシャッフルしてもらう。十分に混ざったカードがそれぞれに配られた。
「さて、ボフミル殿から順番にビッドをどうぞ」
「〝ドマンド〟。ノエル・アインに、ザック・アインのテネッコンの鍵とその研究成果のすべての譲渡を要求する。契約金はそうだな」
ボフミルは従者に耳打ちをする。従者は目を丸くしながらも、懐から何かを大切そうに取り出した。同じようにボフミルも懐から何かをとりだす。
大きい。金色に輝く立派な金貨。
「我らアニマソラの神官が国を出る時に教皇より賜る餞別だ。大金貨二枚をかけてやろう」
大金貨二枚!?
〝ドマンド〟をビッドするためにそんな金額かけるの!?
ヴィクトルが苦虫を噛み潰したような表情になってる。この顔はあれだ。関わっちゃいけないものに関わってしまった時の顔だわ。
「……従者殿はビッドしますか?」
「ビッドしません」
「ノエルは」
「……しない」
ヴィクトルが順にビッドするかを聞いていく。ボフミルの従者はもちろん、ノエルもビッドをしなかった。正確には、できなかった、と言うべきなのかもしれない。
だってちょっと場を治めようと思っただけのカードゲームだもの。平民なら一生遊んで暮らせるような額をぽんっと出してくるなんて思わないじゃない!
これでもうこの契約の最後までの流れが決まった。
ノエルは一回でも負ければ、ボフミルの要求を飲まないといけない。対するボフミルは一回勝てばいいだけ。
ちらりとノエルを見れば、唇を噛み締めている。血が出てしまうと思って声をかけようとすれば、睨まれてしまった。……間違いなく、今の悪い状況を作り出したのは私だという自覚がある分、罪悪感がもりもり湧いてきてしまう。
「フェリシア、後悔してるね」
「……いや、まだノエルが負けるって決まってないですし!」
「その負け一回の責任を負えるの?」
追い打ちをかけるようにヴィクトルに厳しいことを言われてしまう。本当にその通りだ。怪我の慰謝料くらい取ってやろうの気持ちだったのに、だってまさか向こうがそんな本気になって契約金をかけてくるなんて思わなかったんだもの……。
「ビッドが終わったなら早くしろ。切り札はハートだ」
ボフミルが圧をかけてくる。カードの交換はなし。一ディールは九トリック。まず第一トリック。ヴィクトルがカードを表にして差し出した。
クラブの8。
中堅というか、様子見みたいな感じだ。
「では三人とも、カードをどうぞ」
ボフミル、従者、ノエルがそれぞれカードを差し出す。ヴィクトルの合図で表に。
ボフミルはクラブのJ。
従者はクラブの3。
ノエルはクラブの6。
このトリックはボフミルが取った。
「他愛ないな」
「……」
鼻を鳴らすボフミルをノエルは睨みつけている。
ヴィクトルは二人の様子を気にもとめずに二枚目のカードを出した。クラブの9。
ボフミルがハートの10。
従者がクラブの5。
ノエルがクラブの7。
第二トリックも切り札を出したボフミルが取る。
「ノエルちゃん、大丈夫……?」
「うるさい。黙ってて」
怒られてしまった。しょんもりしているうちに、第三トリック。
ヴィクトルはスペードの8。
ボフミルがスペードの4。
従者がスペード5。
ノエルがスペードのK。
「やった! ノエルちゃんとった!」
「うるさい」
ごめんなさい。さすがに二回目は効きます。黙ってます。
第四トリックはヴィクトルがクラブのAのマタドールを出してきたので、流れてしまう。第五トリックをノエルがとり、第六トリックをスペードのAのマタドールを持っていた従者がとる。そして第七トリックをボフミルがとってしまった。
〝ドマンド〟をしたボフミルは、次のトリックを自分で取るか、従者が取れば勝ちが確定する。ノエルがこのトリックをとれば延長線。第九トリックでノエルが勝てば、〝ドマンド〟失敗で契約はなかったことになる。
ハラハラとする第八トリック。
ヴィクトルがダイヤの2を出した。
ここで最弱カードですか!?
ダイヤのカードはまだ場にほとんど出ていない。なんでも出せるってことだけど、ノエルが勝つには一番強いダイヤのカードださないといけなくて。
ボフミルがカードを出す。ダイヤの8。
従者がカードを出す。ダイヤのJ。
ノエルがカードを出す。――ダイヤのK!
やった! 首の皮一枚繋がった!
ボフミルが舌打ちをする。でもここで安心はできない。次のトリックもとらないと。
ヴィクトルがハートの2を出した。
ここにきて切り札カードですか!?
でもよかった。ボフミルも従者も、切り札のハートがなかった。ノエルがハートの8を出して、このディールはノエルの勝利。契約は却下された。
「ふん。一度くらいは花を持たせてやる」
ボフミルの負け惜しみ〜。
第二ディールはボフミルがディーラーだ。ボフミルがやったように、従者が大金貨二枚を契約金として〝ドマンド〟で要求をする。もちろん要求内容はボフミルと同じで『ザック・アインのテネッコンの鍵とその研究成果のすべての譲渡』。このディールは従者が三トリックとったのに対し、ヴィクトルが五トリックとって勝ってしまった。契約は却下。
これであと半分。
この調子なら、契約は全部却下できる、と思ってしまったのが良くなかったのか。
第三ディール。ボフミルの従者がディーラーになった途端、ボフミルが当然のように〝ドマンド〟し、四トリック連続でとってしまった。
「おかしい! インチキしてるんじゃないか!?」
「浅はかだな。そこの男も先ほど五トリックとったばかりだろう。これも神樹様のお導きだ」
ノエルが机を叩いて抗議するけれど、ボフミルは鼻で笑う。ヴィクトルはカードを眺めながら思案顔。私は応援することしかできないので、ハラハラするばかり。
第五トリック。ようやくヴィクトルがこのトリックをとった。けど。
「ダイヤの4です」
第六トリック。従者が出したのは最弱にも近いカード。このカードに勝てるカードはたくさんある。その中でも一番強いカードを、ヴィクトルが持っていれば良かったけれど。
「スペードのA。マタドールだ」
ヴィクトルも、ノエルも、カードを出すまでもなかった。
第六トリックはボフミルがとった。〝ドマンド〟したボフミルが五トリックとったので、第三ディールはここで終了。
〝契約〟が成立する。
「イカサマだ! こんなのイカサマだ!」
「これがゲームの結果だ。さぁ、テネッコンの鍵を渡せ」
ノエルがボフミルを睨み付ける。身体が震えているのに気がついた。悔しくて、悲しくて、そんなノエルの感情がひしひしと伝わってくる。
私はノエルの肩へとそっと触れようとした。けど。
「触るな! 鍵は渡さない! 父さんの研究は金なんかと引き換えにできるもんじゃない! あんたが余計なことしなきゃ……っ」
ノエルの言葉が胸の奥深くに刺さる。本当にそうだよね。私が余計なことを言ったばかりに。
行き場のなくなった手を自分の胸に引き寄せる。ヴィクトルがカードを集めてシャッフルしながら、ノエルに声をかけた。
「そもそも、テネッコンってなんだい? 僕、数合わせで参加しているけど、賭けられてるものを全然理解してないんだよね」
ヴィクトルの言葉にボフミルが鼻を鳴らした。
「神を冒涜しかねない代物に関わるとろくでもないぞ」
「偏見だ! そんなこと言われる筋合いはない! 父さんはただ月を見ただけだ!」
月を見ただけ?
それだけでどうしてアニマソラ神樹国に目をつけられるの?
「月には魂の宮殿なんてない。あれはただの岩だった。テネッコンで見たんだ! 月は、空に漂う岩だった!」
「痴れ者め! 人類史が誕生してより語り継がれてきた、教皇猊下の教えを愚弄するのか!」
ボフミルの怒声にノエルはびくりと肩を震わせる。また唇をぎゅっと引き結んだ。
でもこれで理解した。
アニマソラの神官が手に入れたいテネッコンとその研究成果がなんなのか。これはあれだ。前世、天文学者ガリレオが異端として有罪にされてしまった歴史と同じ流れ。
テネッコンは天体望遠鏡。
それも、月の岩肌が見られるほど性能がいい!
そうとなったら私も黙っていられない。これは歴史が動く瞬間だ。前世、私が生まれるずっとずっと前にはもう、アポロ十一号が月に行っていた。月を観ることができたなら、この世界でもいつか月に到達することだってできるかもしれない。そういう歴史の変わり目。
私はヴィクトルにそっと耳打ちをする。
「ヴィクトル様、次のディールで勝てますか」
「どうして?」
「テネッコン、欲しいです」
「君ねぇ」
じろりと睨めつけられてしまった。まってまって、ちゃんと話を聞いてほしい!
「ちゃんと理由はありますって。おそらくテネッコンは天体望遠鏡……すごく遠くまで見れる望遠鏡です。月が見れるほどの距離ってことは、隣町の向こうの山とかも余裕で見れるんじゃないんですか?」
ヴィクトルもぴんときたらしい。ふぅん、と顎に指をかけて思案する。
「そう言われると気にはなるけど。でも君、契約金はどうするの。契約を覆すために、同額を出せる? そもそもこれはノエルとボフミル殿の契約だから、僕らがお金を出しても損するだけじゃない?」
さ、さすがヴィクトル。ぐうの音も出ないです……。
この契約で賭けられたのは大金貨二枚。平民なら一生を働かなくて良い金額だ。そんな金額、貴族令嬢とはいえ、私一人がぽんっと出すのは無理ですけど。ですけど! できなくは! ない!
「ノエルちゃん」
「……」
私のせいだと思っているノエルからの視線は冷たい。契約すればいいと言ったのは私だもの。信用のないその視線は甘んじる。
「ノエルちゃん、商談をしませんか?」
「……商談?」
ノエルの視線が怪訝なものに変わる。
そう、商談をしましょう。
「テネッコンの作り方を買います。大金貨二枚。このお金を使って、神官様からテネッコンの鍵と研究成果を取り返します」
話しているうちに、ノエルの目がまん丸になっていく。それと対照的にヴィクトルが私を胡乱げに見た。
「フェリシア、僕の話をちゃんと聞いていたかい? そのお金はどこから出すのかって聞いているの」
「借金します。私が」
「信じられないなこの子!」
ヴィクトルはとうとう天を仰いでしまった。いやでも、良い儲け話があるんですよ、旦那!
「テネッコンをハルウェスタに作って、有料開放します。貴族相手に銀貨十枚でどうです? 月を見れる貴重な体験を売ったら、三十年くらいで元は取れるんじゃないですか?」
ついでに望遠鏡で観測できた月の土地の権利書を売ってみるとか。前世でもあったよね。月の土地の権利書。実際に土地を所有するわけじゃなくて、〝月の土地を買ったという体裁の権利書〟を販売しているやつ。会話のネタとしては面白かったアレ。月観測のお土産代わりにいかが?
と、天体望遠鏡を利用した事業を提案してみると、ヴィクトルはとっても深ぁく、すごく深ぁく、ため息をついて。
「……その事業をやるなら、貴族には金貨一枚で売って」
あら? ダメ出し?
「回収が三十年後なんて気が長過ぎる。貴族なら金貨一枚でも買ってくれる。宝石をまぶした装飾品を買うより安いからね。商人の息子の僕が言うんだ。間違いない」
そうだった。忘れかけていたけど、ヴィクトルの生家は商家だった。ということは? つまり?
「フェリシアの借金は僕が立て替えよう。大金貨二枚」
やった! ヴィクトルがやる気になってくれた!
ここまできたら、あとは。
「ノエル。フェリシアの案に乗るか、ここで諦めるか。最後に決めるのは君だ」
「……うぅ」
ノエルが唸る。私とヴィクトルを見比べる。何度も何度も、私とヴィクトルの間を視線が行ったり来たり。すごく葛藤しているのが伝わってくる。
彼女が葛藤するのは私のせいだ。私がこんな状況を作り出してしまったから。信用がないのも分かっている。でもこのままだと、ノエルは大切なものを手放してしまうだけ。だから私は、自分ができる責任の取り方をしてみせる。
「信じられないなら、貴女にこれを預けるわ。私が約束を果たせなかった時は、これを燃やして頂戴」
「……何、これ」
「私の研究です。命と同じくらい大切なもの」
ノエルに差し出したのは、私の大切なメモ帳。ベルナベウ氏、カクーマ氏、カーリー氏、エクサさん、ラウレンツ氏。私が見つけた転生者たちを記した、大切な手帳。
私が差し出したものの価値は私にしか分からない。でもノエルはちょっと年季の入りだした手帳を受け取った。じっと手帳を眺めて。
「……取り引き、する。テネッコンの作り方を売るよ。でも、ここにあるテネッコンは父さんのだ」
「もちろん」
女に二言はありません。
私はにっこり笑うと、ヴィクトルに向き合う。彼は私が大切な手帳をノエルに渡したのが意外だったようで、なんだか複雑そうな顔をしている。
「フェリシア、本気?」
「何がですか」
「そんなにテネッコンが欲しいの」
「欲しいです」
「……あの手帳よりも?」
「いいえ? でも手帳と同じくらい価値のあるものだと思ったんです」
ザック・アイン博士とノエルは、この世界のガリレオだ。もしノエルがザック・アイン博士の研究を受け継いで、この広い宇宙に手を伸ばすのも夢ではなくなっていったら。
そうしたらいつか。遠い未来でもいい。宇宙の向こうにあるかもしれない地球が発見されるかもしれない。そういう夢を見るのが、浪漫って言うんでしょう?
なので、ヴィクトル。
「絶対、勝ってくださいね」
「はいはい。仰せのままに」
第四ディール、いざ尋常に勝負!
月の土地の権利書が買えるお金を、いつも本やお菓子に費やしてしまうので、なかなか買えません。