22.火山と温泉の街
【必ずお読みください】
いつもお読みくださりありがとうございます。今回のお話は地震についての描写があります。少しでも苦手に思われる方はあとがきに今回のあらすじを掲載いたしましたので、そちらをお読みください。こういった話題を扱うことに賛否両論あると思いますが、何卒ご容赦いただけますと幸いです。
あまりにも長旅が続くと身体も凝っていく。適度に休息日程をいれているけれど、それでも疲れは蓄積していくばかり。
だから私は、長旅の最後にこんな粋な采配をしてくれたヴィクトルに心底感謝した。
「温泉ですか!」
「療養地として有名なんだ。サピエンス合衆国まではもう少しかかるけれど、英気を養うためにもここは日程にいつもいれているんだ」
火山と温泉の街、ウルカノラ。
まさかここに来て温泉に入れるなんて! ハルウェスタには温泉がないから嬉しい! すごく嬉しい!
にこにこ満面の笑みで私はウルカノラの街へと入り、宿をとる。ここでの休養は三日間。この三日の間に温泉にいっぱい入る。朝風呂も良いし、夜の月を見ながら温泉に入るのも良い。温泉、温泉、ああ温泉!
るるらら鼻歌を奏でながら宿で荷解き。宿の主人から、温泉巡りの地図をもらった。効能の違う温泉が点在しているらしい。全部回れるかな。さっそく温泉に行きたい。宿に着いたらまずは温泉。私の楽しみ温泉!
「フェリシア、ちょっと」
「はい」
宿に着いたらそうそう、ヴィクトルに呼び出される。なんだか既視感。どこかの街でも似たようなことがあった気がする。いったい私が何をしたのかしら。私はまだ何もやっていませんよ。そう思いながら自分の部屋から出ると、ヴィクトルがすっと手を差し出した。これも既視感がですね?
「あの、この手はなんですか」
「温泉の地図を預かるから寄越しなさい」
「どうして!」
「一人で温泉行って逆上せて倒れられても困るからね」
そんな、逆上せて倒れるくらい私が温泉に浮かれていると思われているの……! そんなヘマはしない。するつもりもない。温泉は健康のためにもほどよく入るのが良いのです。
そもそも!
「私の温泉巡りについてくる気ですか?」
「そのつもりだけど」
「私と一緒に温泉に入るつもりですか?」
このむっつりすけべ!
って言う前に、ヴィクトルがびっくりした顔になる。それから今さら気がついたように顔を真赤にして、自分の額をゴンッと壁に打ちつけた。え、どうしたんですか。どうして頭を打ったんですか。
「そうだった、フェリシアはこれでもご令嬢だった……」
「待ってください、私を何だと思って今まで旅をしてきたんですか」
「手のかかる妹」
ズバリすぎる。でもめんどくさい部下とかじゃないだけちょっと嬉しい。妹か。妹だと思ってもらえるくらいには親しい間柄なんですね、私たち。私もヴィクトルのことお兄様と呼ぶべきかしら。
「お兄様、一緒にお風呂に入ります?」
「入らないよ!? でも温泉の地図は没収! 一人で行くの禁止!」
そんなぁ! ご無体なぁ!
でも上司の命令にはきちんと従います。一応、私の身体を思ってのことだからね。仕方ないね。
「今日はもう遅いから、温泉は明日の昼に行こう。行きたい温泉は夕食の時に相談して」
「はい」
しょんもりしながら返事をして、私は夕食に行くというヴィクトルのあとを着いていった。
火山の麓にあるウルカノラで育てられる作物は限られているけれど、まったく農作物が採れないわけじゃない。年中温かい気候なのも相まって、柑橘類の栽培が盛んだ。オレンジやグレープフルーツに似たあの系統の柑橘類で〝ナロル〟という果物が名産らしい。人の顔ほどある果物で、スイカやメロンみたいに地面に生るそう。ジュースにすると美味しい。
「はー、生きかえるぅ……」
真っ昼間から温泉に入り、ナロルのジュースを一杯。なんて贅沢なんでしょうか。火照った身体にビタミンが染み渡ります。こんなことができるなら、毎年でも超長期出張行きたいよ。
温泉でジュースをちびちびすすりながら、私は塀を一つはさんだ向こう側にいるヴィクトルに拝んでおく。ヴィクトルが配慮してくれて、この温泉の区画を貸し切ってくれたらしい。この街の温泉は基本的に混浴だから、ヴィクトルがいなかったら私、温泉を目の前に指をくわえてみているしかできなかったかもしれない。だってねぇ、混浴はちょっと抵抗あるよねぇ……。
「フェリシア、そろそろ長いこと入っているから上がりなさい」
ちょうどナロルのジュースを飲みきってぽけぇと晴天の空を見上げていたら、ヴィクトルから声がかかる。もう少し長く入っていたかったな、と思ったけど仕方ない。ここを独占するのも悪いし。ヴィクトルも温泉に入りたいだろうし。そう思って、温泉から立ち上がった時だった。
くらっと視界が揺れた気がした。
めまい? そう思ったけど、違う。ゆらゆらとお湯が波打っている。これ、地震? 揺れは小さいし、全然立っていられるけど。あ、収まった。体感的に、震度ニくらい?
「フェリシア! 大丈夫かい!?」
慌てた様子でヴィクトルが浴場にまで入ってくる。
私はちょうど脱衣場に向かおうと湯船の中で立った姿のまま。当然、何も着ていない。
「えぁっ!? ちょ、ヴィクトル様、なんで勝手に入ってきて……!?」
「大地が揺れた。転んでないね? 怪我はないね? どこもぶつけてないね?」
「いや、あの、それより浴場入ってこないでくださりません!?」
びっくりしておかしな言葉が飛び出ちゃったよ! でもヴィクトルさん、あの! 先に服を! 服を着させてくれませんか!?
「最近は大地の揺れがないと聞いていたのに。恐ろしいね……びっくりしたよ。フェリシアも驚いただろう」
「私は現在進行系でヴィクトルに身体を見られていることに驚いてます!」
そこまで言ってようやく私は自分が身体を隠せば良いじゃない! と思い至って湯船にしゃがんだ。よかった。濁り湯だから多少はマシなはず。いやもう見られたものは取り返せないんですけどぉ……!
そうして私が身体を隠したことでヴィクトルも事態を認識したらしく、目を瞠って慌てて後ろを振り向いた。
「っ、すまない! 僕も気が動転していたみたいだっ」
「わかりましたから。早く戻ってください」
「あ、あぁ……」
ギクシャクと歩き去っていくヴィクトルの耳がかなり赤い。まったく、乙女の裸を見るなんて言語道断だ。ヴィクトルが自分で混浴にならないように配慮してくれたのに、その本人が私の裸を見ていては意味がない。もう。
湯船から上がり、脱衣場へ向かう。身体をタオルで拭いて服を着ながら、ふと思う。
「そういえばこの世界で地震、初めてかも」
ハルウェスタでは一度も地震を感じたことがない。ウルカノラは火山があって温泉もあるから、火山活動による地震があるのかしら。火山もあって地震もあって住みにくいはずなのにウルカノラで暮らす人たちが多いのは、温泉とかの観光資源があるからかな。被害よりも恩恵が大きいんだろうね。
「お待たせしましたー」
「……」
ヴィクトルが顔を合わせてくれない。さっきのこと引きずってます?
「ヴィクトル様、私、先に宿に戻りますね」
ヴィクトルも温泉に入りたいだろうと思って気を利かせてつま先を宿のほうに向ければ、彼があとからついてくる。どうして?
「ヴィクトル様、温泉入らないんですか?」
「……また地面が揺れたら危ないだろう」
「大丈夫ですよ。周りの人たちを見てください。普通の日常生活をしています。たぶんここでは日常茶飯事なんですよ」
「いや、だけど。地面が揺れたんだ。ウルカノラでは定期的に起こるらしいし、過去には大きな揺れとともに山が火を噴いたとも言うし」
「心配しすぎです」
大きな地震も火山噴火も滅多にないもの。そんな頻繁に起きるようなものなら、こんな場所にこんな大きな街はできないよ。万が一のために備えておくのは大事だけれど、心配しすぎてはここで生活することはままならなくなるし。そんなに恐れるなら、そもそもここに来ないほうが一番安全なんだよ。
でも、しかし、と言葉を続けるヴィクトルに、私もちょっと面倒くさくなる。
「これくらいの揺れで気が動転し過ぎなんですよ。ウルカノラの人たちはそんなこと百も承知で暮らしているんでしょう。自然現象を気にしすぎたら生活できなくなります。今日はここで泊まるんですから、これくらいの揺れで――」
「これくらい? 君は大地が揺れる天変地異をこれくらいだと言うのかい」
……失言してしまった。
背中からかけられたヴィクトルの声が冷たくて固い。きっと今振り返ったら、彼は私を睨んでいるかも。そう思うと、振り返れなくなる。
「こ、これくらいというか……でも本当に、怖がっていたら生活なんてできなくて――」
「それとこれとは話は別だよ」
ヴィクトルが私の手首を掴んだ。
びっくりして振り返ると、ヴィクトルの菫色の瞳が据わっていて。
「……君は僕と違う感性を持っている子だと思っていたよ。それはきっと良いことだと思ったから、僕もなんだかんだ言って協力してきた」
ヴィクトルが私を見下ろす。掴まれた右手首が振りほどけなくて、そわそわしてしまう。気まずくて視線を右往左往させていると、ヴィクトルが手首をひく。私は顔を上げてしまう。
「だけど、君のその感じ方はおかしい」
感じ方が、おかしい?
「ハルウェスタの外交官はウルカノラで大地が揺れると、大の男でも怖がる。過去の報告書を読むとよく分かるよ。だけど、どうして君は当たり前のように、人の命を簡単に奪う天変地異へ順応しているんだ。君は、この地で生まれて死んでいく人たちとは、違うだろう」
自分の命を守る気がないのか、とヴィクトルは言った。
何か。
何か言わないと。
別に地震を軽んじているわけじゃない。前世の記憶もある。怖いものだって知っている。大きな地震が起きれば、あっという間に大勢の人の命を奪うことも。
それと同時に、そんな大きな地震がそうそうに起きるわけじゃないことも知っている。火山の動きが、プレートの動きが、断層のズレが。そういうものの積み重ねで、それらがいつ限界が来るのかは地震に詳しい人でも正確に言い当てられるものじゃないってことも知っている。
前世の私は幸運だった。地震大国の日本で、生きてる間に大きな地震をテレビ越しでしか見てこなかった。あれだけ予言されていた大地震で被害影響が大きいだろうと言われていた地域に住みながら、予言の大地震に出会わないまま死んだ。だから、地震について甘く見ている、の?
分かんない。分からない。別に軽んじてるつもりはない。地震は怖いものだって知ってる。
視界が、ぶれる。
「フェリシア!」
今度こそ目眩? と思ったけれど、地面が揺れている。本当に揺れている。さっきより少し強い。たたらを踏んだ私をヴィクトルが抱きしめて、頭を守るように抱えてくれる。
地震の揺れは、三秒もなかった。
でもそのたったの三秒間。胸に押しつけられるように守られた三秒間。ヴィクトルの心臓の音が私の何倍もずっと早く鼓動しているのを聞いた。
火山と温泉の街ウルカノラにやってきたフェリシアとヴィクトル。温泉にうきうきするフェリシアだけれど、温泉巡りで湯当たりしてはいけないとヴィクトルに温泉巡りマップを取り上げられてしまった。最近のヴィクトルは過保護が行き過ぎてると感じたフェリシアが自分をどう思っているのかと尋ねると、彼は「妹のように思ってる」と答える。
ヴィクトルと一緒にいざ温泉へ乗り出したフェリシア。貸し切り状態の温泉でフェリシアがくつろいでいると地震が起きた。ほんの少しの揺れに心配したヴィクトルが浴場に突撃してきてしまう。温泉を出たフェリシアは大地が揺れたことに危機感を募らせるヴィクトルについ「これくらいの揺れで」と言ってしまった。ヴィクトルは地震に対して危機感のないフェリシアに「その感じ方はおかしい。自分の命を守る気がないのか」と指摘。フェリシアは何も言い返すことができなかった。