21.救世の音楽家
「言語の魔術師、ですか?」
「フェリシア嬢は知らないか。ヴィクトルくんの二つ名だよ」
「ちょっとキリール様……」
なんだかヴィクトルが嫌そうにしているけど、ちょっとそれ聞きたい。なんですかその二つ名。あたかも周知の事実みたいな感じでキリールさんが言ってるけど。
「ヴィクトルくんは天才だからね。大陸中の言語を習得していると言っても過言じゃないだろう。だからついた渾名は言語の魔術師だ」
「まぁ。素敵な渾名ですね」
「だろう? 名付け親は私だ」
キリールさんが片目をつむる。愛嬌のあるウィンク。なんてお茶目なおじ様かしら。
「そんなおかしな呼び方をするのはキリール様くらいですからね」
「ははは。私は異国での駐在業務が多いからね。同僚たちの顔を忘れないためにも、こうやって渾名をつけるくらい許してほしい」
闊達に笑うキリールさん。こういう気持ちのいいおじ様大好きです。もっとおしゃべりしていたくなるもの。
「それならキリール様、フェリシアにもつけてやってください。お得意の渾名を」
「よし、任された」
「えっ、遠慮します」
「自分だけ逃れられると思った?」
くっ、ヴィクトルの意趣返し……! 横暴だー!
キリールさんはノリノリで考え始めてしまう。顎髭を撫でつけながら私を見下ろして。
「〝旅する編纂者〟とかはどうだろうか」
私とヴィクトルは顔を見合わせる。
「あの、私のどこに編纂者の要素が……?」
「おや、違うのかね。君は色んな国の文化を集めることが趣味だと聞いている。集めた文化はいずれ君の中に蓄積され、さながら歩く百科事典となろう。その中には新たな気づきもあり、新たな発見を呼ぶこともあるはず。だから〝旅する編纂者〟だ」
旅する編纂者。
それ、すごく素敵!
それにまさしく、私がやりたいことそのものを表しているような言葉だ。転生者リストを作りたくて、私は色んな世界を知るために外交官になった。編纂。編纂者。私は旅する編纂者!
「ありがとうございます。すごく気に入りました!」
「嘘だろう」
満面笑顔の私に、ヴィクトルが信じられないような顔をする。からかおうと思ったのだろうけれど、むしろ私にとってはやる気を与えてくれる燃料になってしまった。キリールさんには感謝です。
「ではさっそく、旅する編纂者である私のために色々と教えてください、キリールさん」
「いいとも。私にできることならなんなりと」
「この読めない文字、他にも書かれていますか?」
私は今見ていた楽譜に書かれた文字を指差す。
するとキリールさんは大きく頷いた。
「他の楽譜にも書かれておるぞ。あと、オルロープ伯の手記にも」
「手記!」
手記が残っている! これは僥倖! 転生者の人の手記! しかも直筆! これはサンドイッチ伯爵以来の快挙では……!?
手記は誰でも読めるよう、写本が置かれているらしい。もう一つの展示室には手記を含めた楽譜の写本が置かれているそうなので、そちらへ向かう。
キリールさんが写本の置かれている書庫のような部屋で、手記の棚を案内してくれた。
「ここにはラウレンツ・オルロープ伯の遺したもの以外にも、近親者の手記や、ラウレンツ楽譜についての研究論文も置かれている」
楽譜に書かれた言語に関する研究もほんの少しあるそうで、キリールさんはヴィクトルにそれがまとめられた本を渡した。私には手記の写本。それぞれ渡された本をぺらりと捲る。
「確かな法則性がある言語のようだけれど、誰も読み解けなかったんですね。この研究論文も、文字や発音の収集はできたみたいですけど、言葉の意味までは汲めなかったみたいだ」
私はヴィクトルの持つ本をのぞく。文字の種類は三十五文字に分類される? 文字の一覧を見たら、大文字小文字の区別がされてないっぽいアルファベットになっていた。それを横目に見つつ、手記のページをめくっていく。
日記の半分はこのあたりの地域で使われる文字だった。この地域の文字は私もまだ勉強中ですらすらと読めない。でも半分はアルファベットの筆記体で埋められている。こっちが読めるかなって思ってチャレンジするけれど、英語じゃないのかな。絶妙に読めない……!
難しい顔で手記を読んでいると、ヴィクトルが私の肩を叩く。
「フェリシア、まさか読めるのかい」
「まったく」
真顔で答えれば、ヴィクトルがちょっと笑った。え、なんで笑うの?
「なんで笑うんですか?」
「いや、フェリシアがそんなに真面目にこの言語を読みたいのなら、僕もちょっと本気で解読してみたいと思っただけさ」
「解読してくれるんですか!?」
「旅はまだ長いからね。暇つぶしに良いかと思って」
ヴィクトルが手伝ってくれるなら百人力だよー! ぜひお願いしたい気持ち!
わくわくしながら私はキリールさんに視線を向ける。彼は面白そうに目を細めて頷いた。
「君たちが出発する前までに、この手記の写しを少し用意してもらえるか、領主様にかけあってみよう」
「ありがとうございます!」
「よろしくお願いします」
旅の道中の暇つぶしだけじゃなくて、転生者の足跡も手に入れられて、私は大満足。この街に来ることができて良かったと、改めて思った。
モルデンブルグでの滞在期間が終わった私とヴィクトルは、キリールさんに別れを告げて次の街を目指す。その手元には数ページの手記の写しだけ。研究論文のほうは、ヴィクトルが一読したから大丈夫って言って写しを貰わなかったらしい。
馬車に揺られながら、私も手記の写しの一枚を読んでみる。筆記体をアルファベットに変換してみるけれど、きちんと文意が読み取れない。絶妙に英語じゃないんだよなぁ。ドイツ語とかフランス語とか、ああいう系統なのかも。ということは、ラウレンツ・オルロープ伯はヨーロッパの人かもしれない。どうしよう、英語だったら読めるかもしれないと思ったのに、まったく読めないわ。
とりあえず分かりやすくなるように、筆記体をアルファベットごとに区切っていって、ブロック体に直して……。どうしよう、うろ覚えや判別しにくい文字もあるから、筆記体をブロック体に完璧に直せるかすら、ちょっと不安かもしれない。
『Ich habe kein Talent für das Komponieren von Musik. Das ist nur ein Wissen aus einem früheren Leben. Ist das gut genug für Sie? Weder Mozart noch Bach werden ihre Namen in dieser Welt hinterlassen. Mein Name wird bleiben.』
いや、わからんて。
読めません! 読めません! かろうじてNameだけ読み取れる! 名前! 誰の名前!?
私は匙を投げる。前世の私も、今ぐらいにマルチリンガルだったらな……いやだめだ。英語すらも苦手だった前世の私がマルチリンガルになれるイメージがわかない。マルチリンガルを目指している今生の私が奇跡の産物すぎる。
「ヴィクトル様、読めそうですか?」
「単語の取っ掛かりがないから難しいね。……この記号があるのは疑問文かな。単語の意味がまったくとれないや」
研究論文に記されていた原題らしき文字列は、実際に名付けられた楽曲名としての単語として紐付けられているそうだけれど、手記に通じるような単語とは一致しないらしい。発音は辛うじてできるけれど、文意をとれるほどの単語が不明なまま。言語って難しい。
「まぁ、旅は長いし。気ままに解読していくよ」
「私が死ぬまでに解読してくれると嬉しいです」
「……君ってたまに変な所で意欲的になるよね」
変なとはなんですか、変なとは。
私にとっては大切なことなんです。
ラウレンツ・オルロープ伯。
日本人じゃない……でも、地球の人。
私はいつか、この人が地球の言葉で綴った手記の内容を知ることができるだろうか。
【救世の音楽家】
ラウレンツ・オルロープ伯。音楽と古城の街モルデンブルグで活動した音楽家。三百年前の大陸戦争後、難民たちを受け入れ、音楽の街としてモルデンブルグを築く。古城を改築した演奏会場もラウレンツ氏の発案。多くのラウレンツ楽譜を遺した。彼の死後、未翻訳だったラウレンツ楽譜も数字楽譜に転記され、演奏されるようになった。おそらくヨーロッパ圏の人。
#フェリシア女史死後、後世の転生者による注釈#
ラウレンツ・オルロープ伯はドイツ人と推測される。彼の手記に記されたアルファベット部分を読んだところ、前世の偉大な音楽家たちの曲を自分の名で遺してしまうことへの葛藤が記されていた。戦後の時代でなければ、彼も音楽を広めようと思い立つことはなかっただろう。ただ、彼が戦争で絶望し果てた人々に笑顔を取り戻させるためにできたことが、音楽しかなかったのだ。ラウレンツ・オルロープ伯は偉大な人だった。私は同じ転生者として彼を尊敬する。