20.古城の街の音楽
レビューをいただきました! ありがとうございます! まだまだたくさんの転生者がこの世界にはいると思うので、お付き合いくださると嬉しいです。
音楽と古城の街、モルデンブルグ。
およそ千年前のものとされる古い城壁があちこちに残っている街並みの中、木組みの住宅からは様々な楽器の音色が聞こえてくる。音があふれていてすごく賑やか。行き交う人々の話し声すらも歌っているように聞こえて、すごく楽しそうというのがこの街の印象だ。
このモルデンブルグの街には、ハルウェスタ王国の外交官が在中している。外交官の名前はキリールさん。外交官同士、情報交換する予定だったので、この街ではちょっと長めに五日滞在する予定だ。
そんな中、ちょうど私たちが立ち寄るタイミングで、モルデンブルグ出身の有名な音楽団が凱旋公演をするらしいと小耳に挟んだ。情報交換をしている最中その話題が上がったのもあって、キリールさんが気をきかせてくれたみたい。なんと、三人で行けるように演奏会のチケットを手配してくれていた!
ということで、私は本日、演奏会へとやってきました。荷物には貴族令嬢の嗜みとして、こういった場面で着用するドレスも入っている。私の金髪によく映える、紺色を基調に金色の刺繍が施された上品なドレス。私には入れた記憶がないので、屋敷の優秀なメイドが入れてくれたのだと思う。ありがとう、大感謝。
ヴィクトルもちょっと貴族っぽさが増す服装だ。アッシュグレーの猫っ毛をリボンで束ねているのはいつもと変わらないけれど、羽織ったジャケットがひと目見て上質なものだとわかる。ヴィクトルの目利きというか、センスってさすがっていうくらい良いんだよね。
そこに加わるキリールさん。キリールさんはそこそこお年を召したダンディーな方なのだけれど、ヴィクトルと同じように上質な生地のジャケットを着て貫禄のある佇まいでいらっしゃる。
そうして三人で談笑しつつ演奏会の会場へ向かうと、この世界にこんな立派な演奏ホールがあったのか……! って驚くぐらい立派な演奏ホールがあった。それもモルデンブルグにあった古城を改築して作られたものだとか。キリールさんが私たちに解説しながら案内してくれた。
ホールに入ってみるとよく分かる。前世でもあった劇場にすごく近い。広い舞台。階段状になった観客席。観客席側の内装は暗めで、舞台側もちょっと暗いけれど、天窓のカーテンが引かれているだけで、天井から太陽の明かりがほんの少し差し込んでいる。演奏会が始まったら、この天窓のカーテンが開かれて舞台が神々しく輝くのだとか。天然のスポットライトのようで素敵だね。
既視感を覚えるこの光景につい足が止まってしまうと、ヴィクトルが私の顔を覗きこんできた。
「どうしたんだい。足元が暗くて不安?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと圧倒されただけです」
こんなところで前世の記憶に近い光景が見られるなんて思わなかった。舞台観劇やクラシカルコンサートなんて、前の人生でも片手で数えるくらいしかない。それでも勉強や仕事に追いかけ回されるように忙しかった前世の生活で、そういったものを数回でも経験できていた私って、豊かな人生を生きていたんだと思った。たった数回の経験でさえほら、今、懐かしく思えてしまうくらいに。
私はヴィクトルにエスコートされて席へと座る。二階席で、椅子の間隔はドレスが邪魔にならない程度にゆったりしてる。椅子や絨毯は落ち着いたボルドーの色合いで視界を邪魔しない。こんなところまでつい見てしまう。普段、自分が座る椅子なんて気にしないのにね。気になるのは馬車の座席くらいだったのに。
この場所で聴く音楽がどんなものか、胸の鼓動が高鳴っていく。これは偶然なのかしら。こんなにも前世を彷彿とさせるような舞台設計。これは、この世界で発達したものなのかしら。そう思ってしまう。
演奏会が終わったら、この舞台を設計した人たちを調べてみる価値があるはず。ヴィクトルとキリールさんに頼んで少しでも調べてみようと、そう思っていたら。
演奏会が始まる。
最初に流れたのは勇壮な行進曲。
「〝威風堂々〟……!?」
次に流れるのはG線上のアリア、それからメヌエット。私でも耳馴染みのあるクラシックの名曲たち。心臓が別の意味で跳ねた。
これは確実、これは確定。
この音楽団の作曲家は間違いなく転生者だ。
演奏会が終わると、私は席から移動もせずキリールさんに尋ねた。
「今の演奏の曲目がわかる人はいますか。あと作曲家。楽団の人に聞けば分かるんでしょうか」
「どうしたんだい、急に」
「この街を出る前に知りたくてですね」
そう真顔で訴えれば、隣で話を聞いていたヴィクトルが少しだけ唇の端を引き攣らせた。
「……それっていつもの君の趣味の意味で?」
当たり前ですが? それ以外になんだと思うんですか? そうじゃなきゃ、曲目だけじゃなくて作曲家も聴いたりしませんよ。
「今度は音楽か……そのつもりでキリール様も連れてきてくれたつもりじゃないと思うんだけど」
「いやいや。フェリシア嬢は好奇心旺盛だと聞いているからね。この国の、この街の、歴史ある音楽に興味を持ってくれて嬉しいよ」
キリールさんが私に片目を瞑ってくれた。キリールさん、良い人! 私、キリールさん好きです!
お目々をきらきらさせて期待の眼差しをキリールさんに向けると、彼は「丁度いい」と言って馬車停めとは違う方向へとつま先を向ける。
「今日は旅の息抜きの日としたまえ。こちらに、この古城の主にまつわる展示室がある。一般開放されているから連れて行ってあげよう」
いや、あの、私、作曲家さんが知りたいのですが……?
そう思っていると、ヴィクトルもそちらには興味を示したようでキリールさんの後ろへとついていく。
「古城の主と言うと、ラウレンツ・オルロープ伯の」
「そうだ。彼の書斎がそのまま保存されていてね。隣接している部屋も彼の書き残した手書きの楽譜の展示室になっている。世界中の音楽家たちがよく見学にくるらしい」
楽譜?
「もしかして今の演奏会で聞いた音楽を作られたのは」
「オルロープ伯だ。三百年近く前、大陸戦争があっただろう。戦後の時代に、不安げな民に音楽の心を伝えてくれたとされている」
このモルデンブルグの街は直接な損害はなかったものの、戦火に巻き込まれた国の人々が多く移り住む時期があったらしい。そんな彼らのために音楽を与え、住む場所を与えたのが、ラウレンツ・オルロープ伯。
古城の中を進んでいくと、順路案内のようなものが目に入る。展示室と書かれているようで、一般開放されているというのも事実みたい。
「さぁ、ここがモルデンブルグで三百年愛された、ラウレンツ・オルロープ伯の書斎だ」
いたって普通の書斎だと思ったら部屋の中にグランドピアノがある。石造りの城だからか、天井や壁は少しだけ無骨にも見えるけれど、絨毯や壁飾り、書棚が置かれていて寂しくはない。人の手が入っているのか、埃もなくてきちんと清掃されていると感じる。置かれたグランドピアノだけが、異様な姿だ。
「素敵なピアノですね」
「このあたりではピアノと呼ばれているよ」
フリューゲル。かっこいい。でもなんだか聞き覚えがあるような? ハルウェスタだとピアノってピアノだし、私自身、前世も今世も楽器に詳しくないからスルーしていたけれど、音楽関係はもしかして転生者の潜む宝庫だったりする……?
「この書斎で、オルロープ伯は作曲をしていたらしい。当時のまま、残されているそうだ」
「オルロープ伯はこの街の人に本当に愛されていたんですね。国王でも部屋の保存なんてされないのに」
「たしかに」
キリールさんの解説に、ヴィクトルが感慨深そうに呟く。私はそれに相づち。部屋の保存をするくらい、街の人に愛されたオルロープ伯ってどんな人だったのかしら。すごく気になる。
私たちは続いて隣の部屋へと移動した。こっちの部屋には楽譜が並べられている。その楽譜を見て、私はさらに驚いた。
五線譜の楽譜。
これは、この世界でまだ見たことのないもの。
私も伯爵令嬢として一瞬だけピアノやヴァイオリンのような楽器を嗜んだ時期がある。まったく適性がなくて上達しなかったから、一瞬でやめたけれど。その時に見た楽譜は、数字の楽譜だった。五線譜のように記号ではなくて、数字で音楽が綴られていた。ドレミじゃなかったの。だから余計わからなくて、才能なしの落第生になって音楽を諦めたんだけど。
ここにあるのは間違いなく、五線譜の楽譜だ。
「珍しい楽譜ですね」
「そうだろう。ラウレンツ楽譜と呼ばれているものだ。彼はこの独自の楽譜を興したあと、一般的な楽譜に書き直すという作業をしていたらしい」
私が楽譜に釘付けになっている間にも、ヴィクトルが思ったことをそのままキリールさんに質問している。この展示室で並べられているラウレンツ楽譜は一部だけだそうで、定期的に入れ替えがされるらしい。この古城で演奏される楽曲に合わせて入れ替えるのだとか。
だから、今並べられている楽譜は。
『Pomp and Circumstance』
『Air auf der G-Saite』
『Menuet in G Major, BWV Anh. 114』
楽譜に書かれた曲名らしき文字に、ヴィクトルが首をひねる。
「どこの文字です? 見たことないな……」
「ハルウェスタの言語の魔術師でも読めないかね」
キリールさんが闊達に笑う。なんだか面白い二つ名が聞こえて、楽譜に釘づけになっていた私は思わず顔を上げた。
実家の冷蔵庫が、開けっぱにしているとメロディーが流れてお知らせしてくれるタイプでした。あのメロディーが好きだったのですが、我が家にメロディー付き冷蔵庫が来た数年後、そのメロディーがメヌエットの一節だったことを知りました。教養って、あると視野が広がりますね。