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18.馬毛の歯ブラシ

 私はぷっくりと頬を膨らませながらも、ヴィクトルと二人で夕食を食べる。


 私たちが食べているのは馬肉のソーセージとマッシュポテト。でっぷりとしたソーセージが炭焼きにされ、白いマッシュポテトのお布団で寝かせられている光景はちょっとおもしろい。馬肉のソーセージって初めて食べたけど、脂っこくなくてあっさりとしていた。ソースがちょっと濃いめだったので、馬肉特有の風味も気にせず美味しく食べられる。


「どうしてそんなに怒ってるんだい。僕は忠告しただけだろ」

「ヴィクトル様は言わなくても良いことを言ったんです。世の中には知らないほうが幸せなことってあるんですよ」

「だからってさすがの僕も、伯爵令嬢の口の中に馬の尻尾を入れるなんて、みすみす見過ごせるわけないでしょ」


 ぐぬ、と私は口の中のマッシュポテトをごっくんした。考えたくない。馬の尻尾を口の中にいれる。いや、歯ブラシにするくらいだからさ、たぶん衛生的には綺麗にしてあると思うんだけどさ。気持ちがさぁ……!


 前世の歯ブラシが恋しい。口に入れても安心安全だったナイロン製の歯ブラシ。前世でも古い時代の歯ブラシは馬の尻尾の毛が使われていたのかしら。そんなことを調べる機会なんて人生で一度も訪れることがなかったから、私に正解は分からない。とにかく言えることは、この世界で最初に馬の毛で歯ブラシを作ろうと考えた人、なんでそれを使おうと思ったんですかね……! 植物じゃ駄目だったんですかね……!


 むぅむぅ唸りながら馬肉のソーセージを食べる。美味しい。そういえばこの街、馬の名産地って言ってたけど、食用の馬の名産地ってことなのかな。だから馬肉のソーセージがこんなにもおいしいのかな。


「ヴィクトル様、明日の視察は馬牧場に行くんですよね。女将にもらった歯ブラシもそこで作っているんですか?」

「工房は別にあるんだ。元々、馬毛を使ったヘアブラシが貴族の女性の間で人気なんだよ。……このあたりは君のほうが詳しいと思ったんだけどな」

「お世話してくれるメイドだったら詳しいかもですね」


 私は貴族令嬢ですが、おしゃれよりも本のほうが好きな女の子でしたので。身嗜みに関しては私のお世話係のメイドさんのほうが詳しい。毎日使ってくれているヘアブラシが何で作られているかなんて、今の今まで気にしたことなかったよ。


 でもそうか。もしかしたら身の回りにも、私が探しているものが潜んでいる可能性があるんだ。歯ブラシみたいにハルウェスタで見かけないものだから調べる、というほうが良いアプローチだとは思うけど。……いや、やっぱり身の回りのもの全部を片端から調べるのは大変だし、空振りした時の労力も膨大だもの。前にヴィクトルとペンの話をした時と同じで、とっかかりを見つけて調べたほうが良い。私のスタイルは変えません。


「そのヘアブラシの工房で作られているんですか?」

「そうみたいだ。ヘアブラシ以外の特産品を作ろうとした取り組みみたいだけれど……馬の毛を口に入れるのはちょっとねぇ……」


 ヴィクトルさえも苦笑してやんわりと拒否するような代物なんだ。私としては画期的なアイテムだったんだけどな……いや、私も馬の尻尾の毛って言われた瞬間に口に入れる忌避感が出てしまったから何とも言えない。


 商人たちもそれが理由であまりこの歯ブラシの仕入れに関して良い顔をしないらしい。宿の女将は少しでも使い心地を知ってもらうために、何も知らない人たちに歯ブラシを勧めているのだとか。使ってもらえればきっと買ってくれる人もいるはず、という気持ちでの行動みたい。


 深々とため息をつく。

 馬の毛という先入観さえなければ、私は使うのに。 

 やっぱり余計なことをカミングアウトしたヴィクトルを恨むべきかもしれない。






 翌日、私とヴィクトルはかねての予定通り、馬牧場の視察をした。馬の名産地というのは本当で、食用の馬とかじゃなくて、馬車を引いたり、伝令用の早馬だったり、牧場ごとに色んな馬が育てられていてすごく見ごたえがあった。馬ってこんなに種類がいるんだね。色も体格も顔つきも、牧場ごとに違っていて面白い。


 牧場を見るのには丸一日かかった。そのさらに翌日は、馬から作られる特産品の工房見学。肉は食品に加工し、皮は鞣して革細工に。そして毛はヘアブラシや歯ブラシに加工されるんだけど。


歯ブラシ(zbnivulas)はやっぱり需要がないみたいで……良い考えだと思ったんですけど」


 歯ブラシを作っているのはヘアブラシの工房の人たち。女性の手仕事のようで、ヘアブラシの工房は他の工房と違って女性職人が多い。


 最初に歯ブラシを考案したのはこの工房で働く女性職人のカトカさん。虫歯で抜歯したのが悲しくて、人一倍歯を綺麗にしたいという一心で歯ブラシを考案したらしい。


「馬の毛を使わなくても、植物とかじゃ駄目だったんですか? 私の母国では植物の茎を齧って、それで磨いてますよ」

「私も以前はそうやって歯を磨いてました。でも奥歯とか、うまく磨けないじゃないですか。歯を擦ると付着する汚れが、本当に私、耐えられなくて……!」


 ヴィクトルが他の工房を見学している間、女性向けの工房ってことで私の自由にさせてもらっているんだけれど。カトカさんの歯に対する気持ちには私もすごく共感してしまう。


「大人の歯って一生ものですからね。大切にしたいですよね」

「そうですよ! それに口の中を綺麗にしておかないと、恋人とキスする時に自分の口の中臭くないか気になってしまって……!」

「あら、恋人がいらっしゃるんですか?」

「あ、あの、はぃぃ……」


 顔を真っ赤にするカトカさんは恋する乙女ですごく可愛らしい。恋している女の子からしか得られない栄養があるので、もっと恋バナをしていたい気持ち。


「な、なので、歯ブラシを! キスする時も気持ちよくキスしたいので……他の女の子は気にならないのでしょうか……私が潔癖なのでしょうか……」


 恋する乙女にしか理解できない悩みだわ。私にはあまりにもほど遠い。前世から通して結婚願望も、恋人の経験もない私にはあまりにも眩しい相談事です。だからうーんと腕を組んで悩んでしまって。


「街に住むご婦人方には聞いてみましたか?」

「歯磨きはやっぱり丹念にしているみたいです。ミント水で口ゆすいだりとかも……それでも、自分ばっかり頑張っても、旦那さんの口が臭ければ結婚後はキスなんてしなくなるって言ってました……」


 なんて夢も希望もない超現実的な言葉……!

 私は悲しみのあまりにずぅんと肩を落としてしまっているカトカさんの背中を撫でてあげる。


「私は恋人も婚約者もいないんですけど。キスをするって考えるなら、口内事情はちょっと気になってしまいますね。虫歯ってうつるし」

「虫歯ってうつるんですか!?」


 悲鳴をあげるカトカさんに私のほうがびっくりしてしまう。言ってしまったあとに気がついたけど、これもしかしたら前世知識だから、この世界でのエビデンスないかも……!?


「そんな話を聞いたことがあるようなー……? ないようなー……?」

「それが本当なら、どうすればいいんですか……!? どうしよう、彼に私の虫歯がうつってしまったら……!」


 わぁっと顔を覆って絶望してしまったカトカさん。どうしよう、私が余計なことを言ってしまったばかりに……!


 私はカトカさんの顔をあげさせようと、必死に言葉を言い募る。


「だからですね、カトカさんの歯ブラシって大切だと思いますよ? 歯科衛生の最先端だと思うんです。これがあれば、同じように悩む恋人や夫婦を救えますし、そうじゃない人も虫歯とさよならできますし!」


 カトカさんが顔を上げる。

 でもすぐに顔を下げてしまって。


「でも売れないんですぅ……! 皆さん、馬の毛を口に入れるのに抵抗があるみたいでぇ……!」


 ごめんなさい、それは私もそう。

 この世界は馬との距離が近いからさ。移動のための手段と言えば馬だからさ。貴族なんて一家に一匹は絶対にいると思う。町や村でだって必要な家畜だから、そこらを普通に闊歩してる。馬って言われると見ないで絵がかけるくらいには、身近な存在なの。


 だからさ、その馬の毛。しかも尻尾の毛って言われるとさ。


(お尻からの排せつ物が付着してる可能性がどうしても頭によぎっちゃうの……!)


 さすがに私もけっこう馬を見ているからね、知っているよ。馬は排泄する時、尻尾をぴょんってあげて、排せつ物が付着しないようにすることも知っているよ。でもさ、動物って人間じゃないからさぁ……! トイレットペーパーで拭かないじゃあん……!


 消毒してます、綺麗にしてます、って言われても、無理。偏見だ、って言われても、ちょっと気持ちの問題でどうにもならない。具体的に知ってるせいで無理!


 前世、私は平気で水道水を飲んでいた人間だけど、デモンストレーションとかで眼の前でめちゃくちゃ汚い水を浄化したものをその場で飲めって言われたらできないタイプだった。先入観さん、仕事しすぎなんです。今回もそれと同じで、どうしても気になっちゃうんですぅ……!


 たぶん私と同じで気になる人は気になってしまうと思う。前世でも「こんだけ綺麗になったなら安心して飲めるね」って言って、眼の前で浄化したばかりの水を飲めるタイプの子もいた。この世界もそういう人がいて、その筆頭がカトカさんみたいな人なんだと思う。


 でも私やヴィクトルと同じで、商人の方々も抵抗の強い人が多いのかもしれない。そのせいで仕入れをしてくれないのなら、やっぱりなんらかのきっかげが必要なんだと思う。


 私は考える。この歯ブラシを使えるようになるための方法。覆せない先入観を覆せるような千載一遇の一手。うーんと悩んで、ふと気がつく。


「カトカさんは馬の毛を口に入れることに対して、忌避感はないんですか?」

「忌避感ですか?」


 どうして? とカトカさんが不思議そうな顔になる。きっと仕入れをしてくれる商人の人たちもここまでは話さなかったのかもしれない。


 だから私は意を決して聞いてみた。


「あの、怒らないで聞いてほしいんですけど。馬のお尻についてる尻尾の毛を口に入れるのって、虫歯以上に不衛生じゃないですか……?」


 そう伝えると、カトカさんはきっちり五拍ほど無言になってから、ぽかんとした表情になってしまった。



なんで私はこんな話を書いているのかと虚無顔になっています。きらきら琥珀糖みたいなお話を書く作家になりたかったのでは……?

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― 新着の感想 ―
ソーセージ(腸)は平気で食べれるのに尻尾の毛には排泄物の忌避感があるの何でやねん、腸の方が確実に通ってるやろ??と思ったのですが、先入観のお話を同時にされていたのでなるほど〜〜!!と膝を打ちました。 …
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