17.旅の恥はかき捨て
毎週水曜日には絶対に更新するという強い意志でお送りいたします。
ようやく謁見の許可がおり、アニマソラ神樹国に寄付をするという任務が終わった。驚いたことに、エクサ工房に行った時にはち合わせた女性神官がアニマソラ神樹国の教皇猊下だった。でも教皇猊下は工房でお見かけした時のような雰囲気とはまったく違っていて、国家元首に相応しい荘厳な立ち振舞をされていたので、エクサ工房の話なんてできるわけもなく。恙無く寄付だけして謁見を終了した。
そんな流れで私とイェオリは任務が完了して早々にアニマソラ神樹国を発ったのだけれど。
なんと帰路の旅にはヴェルナーさんがお供としてやってきた! どうやら本気で私にパトロンになってほしいらしく。
というのも。
『三年後の神樹ゴドーヴィエ・コリツァ千四百年祭で象徴となる神子がまだ見つかっていない。前回の記念祭で神子候補を出したうちに話が回ってきているものの、神子の条件に当てはまる人間がいないのに神子を出せと強要されている。いい加減面倒だったし、国外に出るいい口実になる。ハルウェスタなら、オシェロもレゼシェックも広まっていないから売り上げも見込めるだろう』
というのが、ヴェルナーさんによる早口の言い訳です。アニマソラ神樹国って宗教国家だから、色々と面倒な部分もあるんだね。まぁ、私で良ければ隠れ蓑くらい作ってあげよう、ということでイェオリにヴェルナーさんを任せた。
だってうちの土地ではヴェルナーさんを飼えません!
ヴェルナーさんは、私がてろっと話した『磁石入りのオセロ』や『硝子のチェス』を作りたいそうなんだけど、私の実家の領地では今、水田作りがようやく軌道にのったところ。トランプのための紙作りには綺麗な川がいるけれど、実家の領地にエクサ工房を作ると水田用の水との取り合いになりかねないし。硝子や磁石を求めるなら、そういった鉱物のとれるイェオリの実家の領地のほうが都合が良かったので。
そんなこんなでハルウェスタ王国に帰ってきた私は、日々、外交官の仕事に打ち込みまして。
「それじゃあ、忘れ物はないね?」
「はい」
「それじゃあ行こうか」
ずいぶんと早いけれど、私とヴィクトルは長期出張のためにハルウェスタを発つことに。ただでさえ二ヶ月の旅程だけれど、道中の国々に滞在して視察する兼ね合いもあるので、行きの旅程はすごく長い。目的地であるサピエンス合衆国まで四ヶ月かけて移動する予定。
お父様とお母様には「作りかけの水田はどうするの!」って言われてしまった。ごめんなさい。私も本当はもっとちゃんと米作りしたいんです。帰ってきたら一ヶ月の長期休暇をもらえる予定なので、その時にやります。
そんなこんなで、私とヴィクトルはハルウェスタ王国を出発し、サピエンス合衆国を目指す四ヶ月のゆっくりとした旅が始まった。
❖ ❖ ❖
四ヶ月の長旅なんてぶっちゃけ退屈だ。アニマソラ神樹国への出張でも思ったけれど、馬車移動での時間のつぶし方が限られすぎている。
これが現世だったらスマホでゲームをしたり、カーラジオで音楽を聞いたり、カーモニターで映画を見れたりしたんだけれど。退屈をまぎらわせるために持ってきた本を読んだり、途中の街で立ち寄った本屋で新しい本を買ったり、したものの。
「荷物になるからこれ以上本を買うのは禁止」
「そんな……!」
数少ない娯楽がー!
引率してくれるヴィクトルに本の購入禁止令を出されてしまった。これじゃあ私の数少ない時間つぶしがなくなってしまう……!
それなら、とヴェルナーから餞別でもらったトランプことオンブルカードで、ヴィクトルとババ抜きをするものの、これを四ヶ月とかしてらんない。気が狂う。他に二人でも遊べるトランプ遊びを……と思うけれど、神経衰弱もスピードも、馬車の中でできるわけない。護衛の用心棒さんを巻きこもうとしたら「仕事なので……」と断られてしまった。暇にもほどがある!
あまりにも退屈に負けている私が不貞寝をしていると、ヴィクトルが呆れたように声をかけてきた。
「君ってそんなに堪え性がなかったっけ」
「私もびっくりしています。こんなにも何もしない時間が続くなんてこと、外交官になってからあまりなかったので……」
時間が進むのって思っているよりも早かった。外交官になって早五年。私ももう二十歳。この五年、私が何をしていたと言えば。
「平日は外交官の仕事に、他国の言語の勉強、たまに挟まれる近隣諸国への出張。そして休日にはサンドイッチを調べ、米を調べ、芋を調べ、カレーを調べ、オンブルを調べ……すごく充実してましたね」
「重ね重ね言うけどさ。君を外交官に誘ったのは僕だったけど、君がここまで探究心が強い子だと思わなかったよ……」
苦笑するヴィクトルに、私は不貞寝をやめて居住いをただした。
「その節は大変お世話になりました。おかげさまで趣味に打ちこめています」
「本当にね。職場にまで持ち込むのは感心しないけどね」
いつかのカレースパイス事件のことかしら。オンブルカードを持ち込んだのは双子外交官なので私のせいじゃありません。
しれっとしていると、ヴィクトルがゆったりと窓辺に頬杖をつきながら、私を眺めて。
「君の趣味を理解しているつもりだけれど、他の趣味はないのかい? 貴族令嬢なら、手慰みに刺繍とかをしているイメージがあるけど」
「なるほど、刺繍」
たしかに、転生者探しに没頭する前は刺繍をしていた気もする。でもそれが楽しかったかと言われると微妙だったり。本を読むほうがずっと好きだった。
「刺繍ですか……刺繍道具持ってきてないんですよね」
「貴族令嬢の必需品だと思っていたんだけど、僕の勘違いだったか」
たぶん勘違いですね。貴族令嬢の私が持ってきていないので。
ほそぼそと話していると、不意に車窓に視線を向けたヴィクトルの目元がやんわりと緩んだ。
「フェリシア、見てご覧。綺麗だよ」
言われて私も車窓を覗いてみた。
まず最初に目に入ったのは目が眩むほど明るいオレンジ色の夕陽。夕陽が沈んでいくのは、蜂蜜色の石造りのコテージが立ち並ぶ光景だ。コテージの壁面には藤に良く似た蔦植物がカーテンのようにかかってきて、すごくオシャレ。
「わぁ、素敵な街ですね」
「今夜泊まる街、ガロップだよ。馬の名産地らしい。小さな街だけど、馬牧場を見学したいから三日くらい滞在する予定。忘れないでね」
「大丈夫です。分かってます」
「本屋に行くのは良いけど、買うのは禁止。分かってるね?」
「……大丈夫です。分かってます」
念押しのように言われてしまった……!
ぐぬぬ、と思いながらも、私は大人しく身を引く。小さな街だし、本屋といっても王都並みの品揃えは期待できないだろうし。せっかく訪れた街なんだから本がなくとも過ごせますとも。馬牧場の視察だってあるし。
私は自分に言い訳しながらも馬車に揺られ続けた。
私たちが泊まる宿は一般の商人なども使用する並の宿。今回の長期出張のスケジュールを調整する祭、伯爵令嬢である私をどうするかでヴィクトルは頭を抱えたらしい。こんなんでも伯爵令嬢なものですから、色々と配慮しないといけないんですって。
別に特別扱いしてほしいとも思わないものの、配慮してもらえるならありがたく受け取るのが私フェリシアです。『貴族向けじゃなくてもいいから、女性商人からの評判がいい宿屋だと嬉しい』と注文はさせていただきました。貴族向けにすると予算が高くつくからね。商人でも女性からの評判が高い宿だったら安心安全でしょう。ヴィクトルにはちょっと大変かもしれないけれど、そういう基準で宿屋は決めてもらっている。
そうして選んでもらった宿屋の女将さんが、私たち一行にそれぞれ部屋の鍵を渡す際、一緒におまけとしてくれたものがある。
それが。
「歯ブラシだ……!」
「ハブラシ? 何言ってるんだね、これは歯ブラシだよ」
ズ、ズブニィヴラス……。えぇと、この辺りの国の言葉で〝ズブニー〟が〝歯〟で、〝ヴラス〟が〝毛〟だっけ。うん、語意的には歯ブラシだ……!
私はドキドキしながら歯ブラシを受け取った。手になじむ木製の柄の先端に柔らかな毛がついている。毛の部分は口に入れるにちょうどいいサイズ。この世界にも歯ブラシの概念があったなんて……!
ハルウェスタ王国の周辺には歯ブラシの存在はなかった。歯科衛生の概念が遅れているのか進んでいるのか分かんないんだけど、マウスウォッシュみたいな薬液で口の中をゆすぐのがメジャー。物が詰まった時は柔らかい植物の茎を噛み噛みしたものでちょっと擦ったりはするけれど、こんな立派な歯ブラシなんて初めて見た。
これはもしかして転生者のアイデアなのでは……!
うきうきしながら歯ブラシを掲げて借りた部屋へと向かう。歯磨き粉はないのかな。ないならマウスウォッシュを作るための薬粉をそのままつけてみようかな。そうして私は綺麗な白い歯になるのよ……!
にこにこ笑顔で部屋に入り、荷物を置く。
夕食後に歯磨きをするために、歯ブラシと薬粉を洗面台に準備しておこう。前世の知識があるせいで、虫歯がだいぶ心配だったからね。この世界じゃ虫歯ができたら抜くしかない。私は健康な歯でおばあちゃんになっても美味しいものを食べていたいの……!
滞在は三日なのであまり荷物を広げることはしない。あ、でも洗濯物は出しておいてまとめて洗ってもらわないと。一泊しかしない街では洗濯して干してもらう暇はなかったからね。
女将にさっそくお願いしようと部屋を出たら、ちょうどヴィクトルも部屋から出てきたところだった。
「あ、フェリシア。良いところに」
良いところに? 私に何か用かしら。
「何かご用ですか」
「いや、念のため伝えておこうかと思って。君なら知らずにやりかねないから」
「やりかねない? まるで私が何かをやらかすような口ぶりですね」
「だってやりかねないでしょ」
そんな「君は何を言っているんだ」みたいな顔で言わないでくれませんか。私のほうがおかしなことを言っているような気持ちになるんですけど。私、変なこと言ってないと思いますけど。
むっ、としていると、ヴィクトルが右手を差し出してきた。
「この手は何ですか」
「さっきのを出して」
「さっきのって?」
「歯ブラシ」
え、なんで歯ブラシを?
「どうしてですか。せっかくいただいたんです。使うのが筋というものでしょう」
「やっぱりそう言うと思った。だから先に回収に来たんだよ」
回収って。
別にそんなおかしなものじゃないと思う。歯ブラシだよ? 普通の歯ブラシ。この世界にあまりない歯ブラシを普通と言うかは微妙だけれど。むしろ歯科衛生的にはこれから世界に広まっていってほしいアイテムだよ。それをどうして?
疑問符を浮かべていると、ヴィクトルは真剣な顔で見つめてくる。菫色の瞳に私のきょとんとした表情が映りこんで。
「それの原料は馬の尻尾の毛だ。そんなものを口にいれるんじゃない」
人生、知らないほうが幸せなことってあるんだな、と思った瞬間だった。
ロンドンのウェルカム・コレクションという「医療ならなんでもあり!」の博物館に、ナポレオンの歯ブラシが所蔵されているそうです。歯ブラシが二百年経って美術品のように飾られているの、面白いですね。